アザレア弦楽四重奏団演奏会
2007年6月9日(土) プレゼンター:グループTAK
1st.Vn伊藤 明 2nd.Vn井上 志保
Va山根 裕子 Vc原田友一郎
会場:倉吉博物館玄関ホール
午後7:30 700円
【プログラム】
第1部
@弦楽四重奏曲 第60番 イ長調 作品55-1「トスト四重奏曲」(ハイドン作曲)
A連作交響詩『わが祖国』から第2曲「モルダウ(ヴルタヴァ川)」(スメタナ作曲)
第2部
B弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 作品51「スラヴ風に」(ドヴォルザーク作曲)
【プロフィール】
アザレア弦楽四重奏団
1988年結成。松江を中心に各地でのコンサート・イベント・ウェディングなど通算約600ステージの演奏活動を展開する、山陰随一の弦楽四重奏団。1991年からアザレアのまち音楽祭に出演(1517回目)。1991年全国育樹祭で皇太子殿下ご臨席のもとで演奏して称賛を博す。1995年ねんりんピック開会式出演。2002年日英グリーン同盟植樹式で記念演奏。2005年島根県立美術館「名曲で飾るロビーコンサート」出演。クラシックから映画音楽・ポップス全般、歌謡曲や日本のメロディまで幅広いレパートリーを縦横に組み合わせた楽しい選曲、そして4人という自由気軽なアンサンブルのスタイルがリスナーから支持されている。
曲目解説
@ハイドン/弦楽四重奏曲 第60番 イ長調 作品55-1「トスト四重奏曲」
ハイドン(1732〜1809)はエステルハージ侯爵お抱えの宮廷楽団で長らく楽長を務めていた。1788年、ヴァイオリンの名手“ヨハン・トスト”が宮廷楽団を去ってパリに赴くにあたり、パリで演奏するための弦楽四重奏曲を楽長ハイドンに依頼した。こうして生まれた第57〜62番が「トスト四重奏曲」と呼ばれている。ハイドンは生涯に80曲近くの弦楽四重奏曲を書いたが、この頃の作品は内容的にも技法的にも大変な進歩を遂げているため、それまで娯楽音楽だった弦楽四重奏曲というジャンルが次第に芸術音楽への高められた時期と言われている。1楽章アレグロ、2楽章アダージョ・カンタービレ、3楽章メヌエット、4楽章フィナーレ
Aスメタナ/連作交響詩『わが祖国』から第2曲「モルダウ」
チェコでの民族自立への意識が高まっていた頃、スメタナ(1824〜1884)はこの曲を含む『わが祖国』を作曲した。チェコの深い山奥で、雪溶けの雫がせせらぎとなり、互いに合流して次第に流れを増し、「森の狩」の情景、川沿いの「村の婚礼の踊り」や「月の光に照らされた水の精の踊り」を織り込み、「聖ヨハネの急流」へと進み、最後には悠々堂々とした大河となって、チェコの苦難の歴史と豊かな自然、人々の慎ましい生活を暖かく見守るように流れていく。聴き手自身も小舟から川岸を眺めているかのようである。管弦楽用から弦楽四重奏用への編曲は、山本英史氏及び河合賢治氏に依頼した。
Bドヴォルザーク/弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 作品51「スラヴ風に」
スメタナと共にチェコ(ボヘミア)の代表的な作曲家であるドヴォルザーク(1841〜1904)は、1878年「スラヴ舞曲集」の大成功によって国際的に高い評価を受け、当時有名だったフローレンス四重奏団から“スラヴ的な”弦楽四重奏曲の作曲を依頼され、翌年にこの曲が完成した。夢見るようなロマンティシズムと懐かしさに満ちたスラヴ民族的情緒が息づいており、ユニークな創意と個性が存分に盛り込まれている。2楽章の題名である“ドゥムカ”とは、ウクライナ地方の代表的な民謡で、哀愁を帯びた緩やかな部分と情熱的な急速な部分とが好対照をなしている。1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ、2楽章ドゥムカ、3楽章ロマンツェ、4楽章フィナーレ
【ご案内】
アザレア弦楽四重奏団は、松江市を拠点に活動する弦楽四重奏団が、アザレアのまち音楽祭に参加する時に冠をつけた名称です。この弦楽四重奏団を主宰する伊藤明氏は、同志社大学のオーケストラで活躍したヴァイオリニストであり、地方オーケストラ活動の最右翼として活動してこられた方です。オーケストラの原点でもある弦楽四重奏に取り組み、その魅力と高い音楽性の可能性を追求し、山陰を代表する音楽集団を維持しておられます。アザレアのまち音楽祭へは、常連演奏家として最古参であり、人気演奏団体のトップでもあります。弦楽四重奏団メンバーは、毎年少しずつ移動していますが、音楽作りの要であるトップ奏者「伊藤明氏」の音楽性の進化がその全てです。アンサンブルする事のシビアさを最も顕著に示す弦楽四重奏は、スリリングであり、ダイナミックであり、そして何よりも音楽の雄大なイマジネーションを持っています。どうぞお楽しみ下さい。