文協原稿H249月  

今月の執筆者

      桑田 幸人

牛との共生から                     

我が国の平成23年度の食糧自給率は、はカロリーベース[(国産供給熱量/国内総供給熱量)×100]で39%と発表された。これは、昭和40年代のカロリーベースで73%の2分の1まで落ち込み、国民の食料供給は外国依存型を強いられ、危機的状況である。

その間、我が家でも大きく自給率が下がっている。昭和40年の家族構成は、地方公務員の父と母と祖母と小生(大学を卒業して地方公務員として第一歩を歩み始めた)の4人家族で、米、麦、野菜、卵、鶏肉は、100%自給していた。農村地帯では、ほぼ同様な状況であった。購入食品は主にたんぱく源として魚介類であった。留守で頼まなくても行商のおばさんが適当に、我が家の台所で処理をし、時には刺身を作り冷蔵庫に保存して食べさせてもらっていた光景を思い出す。現在の家族は妻と二人きり、自給するものは、家庭菜園で作る季節の野菜だけで、しかし野菜さえ完全自給出来ていない。大きな変化は、すき焼きの肉が鶏肉から牛肉に変わり、カレーと言えばチキンカレーからビーフカレーが当たり前になり、焼き肉、ビーフステーキがテーブルに登場するようになった。牛肉の国内生産量は、40年代95%から平成23年度40%に下がってきている。いかに食生活の豊食から飽食になってきているか理解できる。

 そんな時代の中、仕事として永年関わってきた牛は乳用牛、肉用牛(和牛)であり、国民の消費の動向を見極め、その生産技術として主に飼料や、飼養管理の追求、改良技術として遺伝的要素が持つ能力の見極め追求、増殖技術としてバイオテクノロジー応用のET技術(受精卵移植、分割卵による人工的双子生産の確立、体外受精)等であった。私の手がけた牛の大半は外貌の特徴から名前を呼ぶことができました。子供がなぜ一頭、一頭の名前がわかるのが不思議だと言っていたこともあった。

大きな輝目、潤んだ目、口の付き方、毛並み、乳房形状、気の荒い牛、温和しい牛、人の個人差と全く同じである。我が子と同様に高熱を出した時には、一晩中付き添い治療し、回復を待った。寒い時の保温、暑い日には扇風機で風を送った。牛達が安堵している様を感じ、その時々の顔が今でも浮かんでくる。

 小生の作品には、和牛が多く登場する。喜んでいる牛、愛情に満ちあふれた牛、怒っている牛、頑張っている牛、心穏やかな牛等みんな人間が持つ表情と同じである。

年々家畜農家も減少し、映像でなければ目にすることも出来にくい牛達であるが、40年近く牛に付き合ってもらっている人生である。牛の気持ちをとおして表現し、社会に訴え続けられる作品を紹介することを指命とし、日夜制作することを夢見ているこの頃である。(版画家)