海外こぼれ話 137                  2012.10

 

一週間の温度差が28

 

9月第二週の月曜日にフランクフルト空港に到着すると、夕方の5時なのに気温は33度もあった。まるで夏のようであり、日本から避暑気分で欧州に来たがあてが外れたみたいだ。レンタカーで1時間半飛ばして、いつもの南ドイツのLauffenの「象」という名のホテルに向かった。翌日の朝は急に冷え込み20度になっていたが、その翌日はさらに15度と涼しくなってきた。周囲のブドウ畑は黒々としたブドウの房が実をつけていた。今年は夏に良い気候が続き、美味しいワインが期待できそうだと地元の人たちは話をしてくれたので、来年が楽しみである。そこで紹介してもらった地元の赤ワインは、ドイツで非常に美味しいものだった。しかもオープンワインで、グラス単位で飲ませてくれる嬉しいワインでもあった。銘柄は「Schiefer」といい、作者の苗字になっていて2008年ものだった。わずか数ユーロと安い。そして水曜日の夕方はレンタカーで3時間ほど南に下って、スイスのBaselの近郊Liestalに移動した。

そのホテルは街中から3km以上も山に入った一軒屋で周囲には何もなく、動物の声が間近に聞くことのできる山奥のホテルである。最近良く使うようになったホテルなので、受付も顔を覚えて名前で呼ぶようになった。金曜日の朝は何と5度までになっていた。飛行機雲は7本も見ることができた。5日間で28度の温度差を体験したが、危うく風邪をひきそうになるほど冷え切ってしまった。スイスやドイツは海から遠いので、湿度が少なく一気に気温が上下する。日中は快晴になったので、それでも気温は20度に上がったのでホッとした。

Liestalのホテルの食事

ここの朝食のウエイトレスは南アジア系のご婦人だが、普通朝食に目玉焼きを頼んでも「喜んで」といって作ってくれるが、ここはコックがいないので出せないという人だ。彼女は融通も利かないようで、出されている料理がなくなってもすぐに補充もしないで厨房に入ってサボっている。また何度も顔を合わせているのに、挨拶をしても味気ない返事しか返ってこないのは客商売を無視しているようだ。その点を見るとダメホテルだが、夜になると俄然良くなる。

朝は4つ星のホテルかと疑いたくなるが、夜の食事で疑いは晴れる。今回は夕食に余裕があったので、コース料理にした。それでも「台所からの挨拶」という小さな前菜も含めて5品出てきた。目を引いたのが、赤魚のソテーとマグロの刺身というメニューだった。ウエイターに問い質したが本当のマグロだという。実際に出てきたのは、少し表面を焼いたタタキ風刺身であった。醤油の代わりに香草と塩を振って味付けをしていた。私には少々塩が効き過ぎた。確かにマグロの味がしたが、さすがに醤油と山葵で頂く方に軍配を上げたい。それにしても、醤油の代わりを探そうとする果敢なコックの挑戦は頼もしい。赤魚はソテーにしてあり、赤いソース(表現のしようがない味で、トマト風のソースのようだ)と香草が添えられていた。2つの魚料理には、醤油の代わりに香草を使った点にあった。やはり山の国なので、肉にした方が賢明だ。

ここのホテルはスイスの山の中ということもあり、朝夕ホテルから訪問先の工場との田舎道を通ると牛や馬ののどかな放牧が見られるが、ついでにかぐわしい臭いも付いてくるのは歓迎したくないものだ。でも朝靄の間から山々が遥かに伺うことが出来、遠くまで何層も重なっている風景は絵になり、早起きはどこに行っても三文の徳だった。今日も飛行機雲がいくつも見ることができた。

反対派も

賛成派に変わった改善

再び出張は続く。ハンブルク郊外の企業には3年前から定期的に訪問してきたので、工場内が見違えるように良くなってきた。でもまだまだ反対派が多くいることが、あぶり出しのように出て来る。今回は屋根裏部屋のような中二階にある電子部品の配線組立ラインの改善に取組んだが、初日からその職場の老人が変更に対して文句を言って来た。その間30分であったが、私ではなく同行している改善コーディネーターが率先して、その老人に説得工作を替わり番にやっていたが、彼ら3人は随分とたくましくなってきた。その内の一人は昨年採用された女性だったが、彼女はまず相手を受け入れて優しく手のひらを返すように説得していたが随分と素質のある人だ。

2日目もまだその老人は文句を言っていたが、3日目にその職場の作業台をビックリするほど使いやすいものに改造してしまったら、それを見た老人は手のひらを返したように賛成派になってしまった。その改善チームの2人はまだ見習いの若い男性であったが、その行動力と改善力で相手を見ただけで説得できる作業台に変えてしまったのだ。これは私も非常に嬉しい出来事であったが、その老人の笑顔は、初日からは絶対に想像できないものになった。これが改善の面白さでもあり、何が起こるかわからないが、私がしゃしゃり出るよりも任せた方が良い結果が出るようだ。

最終の改善の成果発表は、参加者全員にこの職場に来てもらい実際にどうなったかと確認してもらったが、改善前の状態は写真で見せておいたので、改善前後の状態を比較することができた。彼らも一斉にお祝いの拍手をしてくれた。この喜びを共有化することで、お互いのモチベーションが上がっていく。今回はオリンピックがあったので、金、銀、銅のメダル(薄いカラーアルミ板)を探して持っていき、金メダルの価値ある改善をしようと取り組んだが、よい見本ができた。他にも原価低減に結びつく多くの改善ができた。そして自ら行う自主ワークショップのテーマも多く発見でき、大いに実のある訪問になった。

ちなみにセミナーの中で、この五輪の輪の色について質問してみた。いつも見るものや見ているモノが見えなくなるというテーマの題材に使ってみた。毎日何度もテレビで見たが、誰もその色の順番を思い出す人はいなかった。因みに左から、青、黄、黒、緑、赤の順で、それぞれオセアニア、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカの5大陸を現している。このような身近な話題を基に話を切り出して、トヨタ方式(多品種少ロット生産方式)の導入を各企業に奨励している。

ハンブルクの日本料理

今回は、いつも泊まるホテルの隣にあるドイツ料理店のワインが不味く、申し訳ないと謝罪の気持ちを込めてこの地方で一番美味しい日本料理店にご招待すると訪問先の担当者からリクエストがあった。ホテルから40分も離れているハンブルク市内に移動したが、本当の街中にあり車を駐車する場所が見当たらない。カーナビを出して探しまくるが、これが一苦労だった。満車で段々目的の店から遠くなり、結局見つけた駐車場は店から1kmも先だった。散歩がてら歩くことになったが、空は今にも泣きそうな雰囲気だった。交差点の信号待ちも今日は長く感じた。日本でいうなら銀座通りのような一等地にその店はあり、建物を挟んでその道は歩行者天国になっていて、オープンカフェのテントがいくつも並んでいた。

7人のメンバーは午後7時3分前に店の前に集合することができた。店の名は、「MATSUMI(まつみ)」という。「ツマミ」なら理解できるが、なんとも変わった店の名前であった。店の前の写真を見ると、寿司や刺身とともに店主と奥様らしき人物のツーショットの写真も看板にしてあった。板前は日本人のようで、奥様は髪の黒いドイツ人のようであった。

早速2階の店に上がると、そこはまるで日本にいるかのような店のたたずまいであった。席は既に予約してあり、奥の座敷に通された。靴を脱げということで、ドイツ人は少しビックリしたようだったが、「靴下に穴が空いていないことを確かめるのか」と冗談をいう人もいたが、素直に畳み敷きの部屋には入っていった。その部屋のレイアウトは非常に面白く、「コ」の字上に机が並び、床は掘りごたつ風の凹みがあったが、その深さは20kmしかなく中途半端なものだった。この机のレイアウトは店の方が作業しやすいものであり、中央の凹んだところにウエイトレスが料理や酒を運んで、最大10人の客に満遍なく歩行ロスを少なく対応できるものだった。食事のU字ラインといえるレイアウトだ。

刺身と寿司

さらに天ぷらに挑戦

最初に飲み物を頼むが、ウエイトレスのTシャツには「一番絞り」と日本のメーカーの銘柄があり、それが飲めるかと訊ねたら樽から注いで出すというのでドイツで日本のビールを飲むことにした。一人酒が飲めない人いたがコーラで我慢したようだ。あとの皆で日本のビールで乾杯と相成った。評判はまずまずだったが、ドイツでのビールを嗜むのは余り冷やしすぎないことだ。招待されたが、料理は私が選ぶことになった。まず味噌汁に挑戦させることにした。味噌は彼らにとっては異次元の飲み物で、味噌臭さをどう感じるか楽しみでもあった。一人は数年前にジャパンスタディツアーという企画で、1週間各企業の見学と研修をした人で、毎晩日本食と日本の酒、ビール、カラオケなどを体験してもらったことがある。でもその他の4人は、味噌汁は初物であった。一人の女性は大ファンになり、もう一人の女性はもう飲みたくないという結果だった。

次ぎのメニューは、鯖の味噌煮に全員に挑戦してもらうことにした。これは一人の男性は見ただけでギブアップしてしまったが、他全員は美味しいと賛成をしてくれた。さらにお決まりの寿司と刺身に挑戦してもらった。1人前が29ユーロでどれくらいの量があるかわからなかったので、7人のところを3人前で頼んだ。食べてみてまだ食べることができるか判断することにした。醤油も初めての人もいたが、匂いは皆気にならなかったようだ。山葵も当り前になっているようで、これも抵抗はなく逆に追加してつける人もいた。

海老の嫌いな人もいたが、生では食べたことがなく食わず嫌いであった。食べて見ると非常に甘いことがわかり抵抗なく食べた。あれよ、あれよという前にすべて完食だった。次ぎに全員に焼き鳥を頼んだが、1本が6ユーロと非常に高価でダイヤモンドのようであり、モモ肉でタレ付きの焼き鳥では考えられない値段だ。焼き鳥は日本で値段を余り気にせずに食べるのがよろしいようだ。さらに天ぷらにも挑戦した。寿司、刺身の3番目に興味のある料理だ。海老、シシトウ、茄子など野菜を混ぜた盛り合わせで、これも全員がすぐに完食した。

しゃぶしゃぶのポン酢はダメ

さらに肉が食べたいということで、牛肉のしゃぶしゃぶに挑戦した。4人前を頼んだら、まるで牡丹鍋のように肉が綺麗に盛り付けられていたが、肉は半分凍っておりルイベ(アイヌ語。凍った魚の意)のようだった。鍋に入れると氷も解けるので、まあこんなもんかと妥協した。ウエイトレスは材料を運んできただけで、後は客に任せると逃げ去ってしまった。私を見て「あいつは鍋奉行に間違いない」と思ったのであろうが、それは正解であった。鍋に向かうと途端に元気になる鍋奉行の登場だ。しかもハンブルクで鍋に出会うとは想像もしなかったので、この鍋奉行の手際よさを披露する絶好の見せ場が来たようだ。

肉と千切りにした白菜、人参、エリンギ(これはドイツも売っているキノコ)、さらに玉ネギ、春菊の代わりにルッコラが添えられていた。このルッコラは本当に春菊と同じ独特の苦味があるが、熱を通せば苦味がなくなる。肉と野菜を交互に一方向から入れて湯通しする。通常では、肉に野菜を挟んで湯通しすればよいが、彼らは箸を使うことが上手くないうえに、作法をしらないのでこの鍋奉行様が取り分けていく。胡麻ダレとポン酢の2種類でどちらの方が良いか試してもらったが、全員が胡麻ダレの方を支持した。同じ酢でもヨーロッパのビネガーと日本の酢は違うようで、私にも酢は辛いことがある。ポン酢は酸っぱ過ぎて肉や野菜の味がわからなくなるようだ。彼らのあの酸っぱさを味わったあの顔はまるで梅干を食べた時のようであり、写真に撮って置くべきだった。

それでも材料を入れ、出来たものから取り出す「先入れ先出し」の作法は理解したようだ。それでも綺麗に平らげてしまった。ビールだけでなく、焼酎や日本酒もあり、日本酒が飲みたいというので「八海山」を選んで、枡に小さなグラス(五勺くらい)に300ccの小瓶から注ぐ。それでも孟宗竹の入れ物に氷を入れて粋な演出はしてある。皆さんに飲んでもらうと、結構いけると親指を差し出して「OK」のサインを出していた。中にはお燗をした方がいいだろうと生意気なことをいう人もいた。そこですぐに来年秋には、ジャパンスタディツアーを企画して、実際に日本の料理だけでなく、工場見学と改善実施、古都の観光も計画することになった。飲んでいると話は一気に進むものだ。

ホテルの値段が9倍になる祭り

ドイツの名物といえば、やはりビールとソーセージが頭に浮かぶ。そして最大のお祭りといえば、ミュンヘンの「オクトバーフェスト」で、「10月のお祭り」の訳であるが、実際には9月下旬から1ヶ月間開催される。10年くらい前に朝から夜まで出かけて、4リットルのビールを飲んだが、翌朝は大変な二日酔いになったのでもう行く気がしない。というより余りにも多くのお客さんがビール飲みにやってくるので、祭りというより暴動の方が似合っている。ビール注ぎもいい加減で、泡が消えて半分になっても欲しい人は買うので、段々と売る方も意地悪になっていくようだ。確かにこの時期のビールは新鮮で美味いが、ビール会社が儲けに走ってしまっている姿勢に賛成できなくなったこともある。

つい最近の新聞記事に、とんでもないことが掲載されていた。それはこの祭りの間、ミュンヘンのホテルは一斉に値段を850%も値上げするという記事だった。とんでもない馬鹿げた話で、ある4つ星程度のホテルの一泊の値段が何と2430ユーロだという。日本円で24万円前後であり、超一流のスイートルームのような値段に吊りあげた。これも開催地の驕りになってしまったようだが、まったく理不尽で残念なことだ。こうなると意地でも行きたくなくなる。

アパートの近くに和食屋オープン

デュッセルドルフのアパートは、半径50mの範囲に、韓国料理店が3軒、イタメシ屋、和食、中華が、各一軒が立ち並ぶ、いわばわが家の台所がいくつもある環境だ。9月中旬にデュッセルドルフのアパートの斜め前に、和食屋さんがオープンした。その店の名は「なごみ」であるが、何ヶ月か前から内装工事が始まっていた。以前は隣同士で韓国料理店があったのを譲ってもらい、開店にこぎつけたという。

散歩がてら工事中の店の前を歩いていたら、私を呼び止める人がいたので、振り返るとこの店のオーナーのNさんだった。彼は昨年まで「やばせ」の板前をやっていたが、急に辞めたのでどうしたかと思っていたら、虎視眈々と自分の店を開くために準備していたのだ。友人のデザイナーの人と一緒に店の改装作業をしていたのだ。それを縁に何度が立ち寄って、店が仕上がるのを楽しみにしていた。

9月の中旬に開店予定というので、ちょうど出張から帰った日に看板の電燈が点いていたので、アパートにトランクを投げて店に入った。ところが店は客で溢れかえっており、子供もたくさんいてまるで遠足に来たようだった。早速カウンターに席を取りビールと寿司を頼んだが、周囲はえらく活気があり次々と気勢が上がっていた。カウンターの中にはNさんが寿司を握っていたので、早速開店祝いを述べた。「賑やかでいいですね」といったら、本当の開店は明日で今晩は友人知人を招いてのプレ開店にして、スタッフにも慣れてもらうための日だという。でも寿司は握りますといって握ってくれたが、非常にいいネタだ。

しばらくすると幹事長のような人が音頭を取り始め、開店祝いの言葉や激励の言葉、そして花束贈呈などの儀式になっていた。私はそのことを知らないで店に入ったが、ちょうどそのタイミングに遭遇したのだ。紹介の間にはご家族(奥様、小学生の子供さん2人)の紹介もあったが、異国の地に家族で店を開くという凄い勇気を見せてもらった。若さとは凄い力があるものだ。店が繁盛して、いつもフラッと立ち寄れる店になってもらうと、私も非常に便利になる。