海外こぼれ話 138                  2012.11

 

Stadtlohnの町で10年ぶりに宿泊

Stadtlohnという町は、ミュンスター市から50km離れた中世以前からある古い町だ。町の家々を見ると他の街並みと違って立派な造りの家なので、元々お金持ちの町だったかもしれない。しかし泊まったホテルは、 10年以上も前に泊まってシャワーの湯があまり出なかった、床やベッドが古くてギシギシと音を立てていた、部屋が汚く薄暗かったなど印象の悪いので記憶していた。つまりおんぼろホテルだったことを思い出した。いつものホテルそしてその周辺のホテルは、皆満室という異常なほどの景気がよいらしい(ホテルの支配人からの回答)。仕方なく手配したこのホテルは、この10年の内に内装を一新したようで、まったく昔の面影は見られなかった。でも相変わらずレストランの雰囲気の悪さはそのままだった。タバコの臭いが異常にこびり付いていて、ご飯を食べる気がしないほどであった。そのために道路の向こう側の中華料理店を思い出して行ってみたら、イタリア料理店に変わっていた。良く見ると休みであったが、さらに良く見ると店の中はまったく人の気配はなく、既に閉店したようになっていた。そのために今度は町の中心にある教会に向かうことにした。

大体教会は町の中心にあり、その周辺は商店が立ち並ぶのが、欧州の町の形態である。教会の周囲を見ると客の入っていないギリシャ料理店、持ち帰りのピザ屋、イタリアのアイス屋これは2軒もあったが、人はまったく見られなかった。ドイツ料理店も2軒あったが、1軒は誰もいなく、もう1軒は飲み物だけだった。開いていたのは、怪しげな「鮫バー」との看板のあるオーストラリア料理店だった。それでも客は10人くらいいたので、少し安心して店に入ると、若い女性が数人もいたのでホッとした。女性客がいる店は、大体美味しいこと間違いない。ウエイターもイタリア人のように愛想が良く、動きも素早い。店内のメニューを見ると、オーストラリアのビールブランドのようで、「女郎屋ビール(ドイツ語を直訳)」という変な名前のビールもあったが、パンフレットを見ると鮫の絵と裸の女性のイラストが書いてあったので、まんざら嘘でないようだ。

ドイツでのオーストラリア料理に挑戦

メニューには、普通の豚、牛、チキンの肉類や海鮮のシーフードもあったが、せっかくなのでオーストラリア料理のカンガルー、ダチョウ、そして鮫の肉グリル3点セットを食べることにした。20ユーロと結構いい値段であった。最初に出てきたパンは非常に美味しく、付け合せのサラダのドレッシングもいい味であった。鮫の肉はチキンのようで、淡白ながら歯ごたえはよい。カンガルーとダチョウの肉は白ソースが掛かっていたので、良くわからないが鹿肉に近い食感で脂気のないパサパサしていたが、かなり歯ごたえがあった。

肝心の味は食べられるものだったが、牛肉に比べるとやはり足が4本あった方に軍配を上げたい。付け合せのベークド・ポテトは、2人前で大皿に一杯で食べきれるかと心配したが、非常にいい味でありすべて平らげたが、ポテトが一番美味しかったのは皮肉だった。ウエイターにそれでも「美味しかったので、明日また来たら2割安くしてくれるか?」と訊ねると、「割り引くと家が赤字になるので勘弁して欲しい」と返事があった。それでもユーモアが通じたので、今度はシーフードを食べに行くかと通訳と笑った。

翌日は数百m先に見つけた中華料理に行き、お腹一杯だったが食べきれないくらい食べた。そして翌日はモンゴル料理店に行くように事前に調べていたが、はやり30kmも先にあるので往復1時間はムダなので止めることにした。そして再びこの「鮫バー」の店に行ったが、多くのテーブルは予約が入っていたので、隅のテーブルに通された。30代のウエイトレスがニコニコして注文を取りに来たが、「あんたの噂は他の同僚から聞いたよ」と言うのであった。こんな田舎に日本人が来て、値引き交渉するような人はいないので、ウエイトレスたちの噂話のネタになってしまったようだ。

今日は、タパス(小さい皿と言う意味でスペイン料理が起源)料理を頼んだ。ハンブルク郊外のレストランでいつも前菜として食べているが、11ユーロで海老、イカ、鮭などシーフード料理が10品も出てきた。これだけでメイン料理になる。通訳と二人で分けて食べることにしたが、オーストラリアは大陸的なサービスが好きなようだ。メインの前にどんぶりの大きさでヨーグルトドレッシングのサラダも付いて来たが、これも量が多く失敗だった。メインは11ユーロの値段だったので、少しの量かと思ったスペアリブは、何と大きく期待はずれの50cm以上もある超大物だった。これも食べきれなくあえなくリタイヤした。残り物を包んでもらってアパートにも持ち帰ろうかと思うくらいの量があった。

付け合せにベークド・ポテトを頼んでいたので、それも運ばれてきたがもうギブアップしてしまった。それにしてもこのサービス精神は立派なものだ。今日も各テーブルには客でほぼ埋まっていた。ドイツ人はまず安くそして量が多くあり、香ばしい匂いがあれば味は二の次でもその店に行こうとするが、この店はその精神をくすぐるかのようだ。それにしても安く、量は半端ではなかった。このウエイストレスもユーモアたっぷりで、会話も楽しむことが出来た。

鼓笛隊の練習に出会った

店を出る前から鼓笛隊の太鼓とラッパの音が聞こえてきて、教会の前に整列して練習を始めたので、店を出てしばらく見ていると大勢の人も集まってきた。鼓笛隊は若い学生を中心に100人以上もおり、ここまで大勢だと迫力も違ってくる。観衆もその音に誘われて200人以上が、三々五々集まり始めた。指揮者が棒を振り始めると練習をしていた成果が出たのが、かなりよくまとまって演奏をしていた。このように鼓笛隊が練習をしている風景は、初めて立ち会うことが出来た。デュッセルドルフでも何かの催し物があると、この鼓笛隊が登場する。催し物によって隊の人員は違うが、せいぜい数十人である。テーブルの席にメモの忘れ物をしたのを先ほどのウエイターが持ってきたので、ついでにこれは何の祭りかと訊ねた。すると地元の射撃クラブの大会のようなものがあり、何と5000人の人が訪れるのでその準備だという。

ドイツの田舎は射撃クラブの集まりが盛んで、訪問している町にも集会に使うのは、500人が入れる射撃クラブ専用の会館があった。1万人余りの町で、射撃クラブの会員は何と400人もいるというから人口比で行くと盛んなクラブの一つだ。周囲は畑ばかりだが、ウサギ、キツネ、鳩、鹿など狩には絶好の場所があり、ちゃんと高さ3mほどの人が一人座れる物見台が畑の至るところに設置してある。それほど欧州では狩が盛んであり、またその狩の自慢話をする集会の場もこの射撃クラブであり、当然ビールを飲むための口実である。ドイツでは3人寄れば何かのクラブが出来、ビールを飲む口実を作り続けている。

朝ホテルの横の交差点に十数人の若者がいたので、高校生かと訊ねたら自動車学校に通っていて、学校のバスを待っているという。その交差点の角の建物を見たら教習所の看板があり、窓から机と椅子が教室のように並べられていた。ここで法規や車の仕組みを習い、実技は郊外のコースで行うようだ。日本の場合は、教習所内に教室とコースが一体になっているが、ドイツの仕組みは初めて確認が出来た。よく見るとすぐ近くにも別な教習所の看板があった。生徒たちは18歳で免許の資格が取れるようで、これは日本と同じだった。

動機付けのテーマで講演

もう11年通っているトレーラー会社のV工場は、いつも刺激的なテーマで講演依頼がある。今回はモチベーション(動機付け)であり、かねてから事ある時にメモしていたやる気(テンション)と動機付けをまとめる機会になった。それを3日間に渡って、3つのグループに講義して欲しいという要請があった。監督者、管理者、トップマネジャークラスの3つにそれぞれのテーマも加えてあったので、準備は簡単ではなかった。それでも興味のあるテーマだったので、2日間一歩もアパートを出ないで一気に20ページくらいにレポートを手描きしてまとめ上げた。久しぶりに知恵熱なるものが出た!

ホテルに着いてからも、部屋で原稿を読み上げて頭に叩き込む。といってもすべて頭に入れるのはかなり辛いので、文脈を掴むようにして後は雰囲気で必要なことを付け加えていく。その3つのグループは90から120分と時間も違うので、アレンジいやアドリブも必要で、実はこれが講義する時に楽しい時間になる。毎回同じことをやるのは面白くないので、新しいことに挑戦する絶好の機会になる。またこの講義が必ずどこかの会社で展開できるので、ここで話のネタを作って、他の会社では少しずつ改良を加えていけば段々と良い資料になっていく。この工場はコンサルの話はすべて録画して、さらにそのビデオから話したことを文章に落とし込むことまでして、自社のマニュアルの参考にしている。また録画はイントラネットを通して、全社員にも閲覧できるようにしている。それを聞いたら、恥かしい気もするが厚顔無恥の性格ゆえ?撮られていることを忘れていつものペースで話をする。

今回はこのネタを、早速11月に行われるドイツ全国で最も有名な改善の大会で基調講演の一部に付け加えることにした。某キャラメルは、一粒で二度美味しいというが、私の講演の話題は三度でも四度でも美味しく、さらに味も出せる打ち出の小槌のようだ。でも、これはかなり手前味噌の感じがするなあ。既にこのネタを数社で微調整をして仕上げを試みている。しかもどういうわけか、4年前のセミナーも私の誕生日になったのは何かの縁があるのか不思議だ。

別ネタとして考えたネタがあった。今年はロンドンオリンピックがあったので、ヨーロッパ人の彼らもリアルタイムで連日観ていた。そこでオリンピックの5つの輪の色は、左から順番に何色かと問い質す。赤、黄色、黒だの色々いうが、誰も答えることができない。それで講義の主導権を取ってしまう。(これは日本でもドイツでも、未だに誰も正解者はいないから誰も何気なく見ていたのだ。)左から、青、黄色、黒、緑そして赤。意味は、青はオセアニア、順にアジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリアの五大陸を表していることも付け加える。意味が分かると覚えやすいものだ。だが意識していないとすぐに忘れるのでメモを取ることから始めさせて、話の導入から一気に彼らを引き付ける。これはちょっとしたテクニックである。これを「引き付け」というが、これで勢いをつけて彼らをカイゼンに向かわせる。

意外な参加者は市役所の幹部だった

今回は近くの市役所からも2名参加があったが、ここの工場長の知り合いが市役所にいて、自社でやっている改善の取組みについて熱い議論をしたそうだ。そしたらすぐに私が訪問する時に合わせて、二人が派遣されてきた。その派遣の理由は、市役所など官庁関係はほとんどが赤字であり、残されたことといえば外部委託している業務を廃止することであった。でもそれ以外に考えることはないかと民間ではどのようなことを実際にやっているか、工場に来て改善はどんなものかを体験することになったようだ。

ご他聞に漏れずお役人は頭が固いことを自己紹介していたが、一度講義を聞いて現場にこの工場のメンバーと一緒に入ったらまったく変わった。この二人が入ったチームは非常に活性化したのである。製品のことはまったく知らなかったが、知らないことを武器に何でも聞くので、メンバーも目からウロコが何度も落ちたという。河豚の輸送に一匹の天敵であるカワハギを入れておけば、河豚が食べられないかと魚ながらにも緊張して、長い輸送の間にも一匹も死なずにいるという。市役所の幹部はまさにこの天敵のような存在だった。

2日目からは彼らが先頭になって検討を始めるまでになっていたが、立場が変わるとこれほど違うかと彼ら自身も驚いていた。それは責任がないからだろうが、よい経験になったと非常に喜んで感謝してくれた。それ以上にこの工場のメンバーが感謝していた。まったく違った環境の人を混ぜると、非常に良い刺激をお互いが得られるようだ。実際他の工場でも、初めて工場の現場改善に経理の女性を入れたら、同様な非常に良い効果を得られた。いつも言っているが、関係ない人ほどとんでもない発想とアイデアを持っているのはどの会社でも一緒であった。どの会社でもマンネリ化してアイデアが出ないという悩みはお持ちであろうが、この手法を是非使ってみてはいかがでしょうか。

日本料理店「なごみ」が開店

アパートのあるビスマルク通りは駅前通りの1つであり、飲食店が多く集まっている通りである。一時は歩いて1分のところに3軒も韓国料理店もあった。今はギリシャの喫茶店が2軒、中華料理は1軒、日本料理も1軒、ビアホールも1軒も、いずれも歩いて1分以内にあった。それでも時々行っていたのは隣の韓国料理で、頼むのはいつも石焼ビビンバであった。面白いことにアパートに住み出して10年になるが、オーナーは3回も替わったが、オーナーが替わるたびに味も変わるのであった。でも頼むのはいつも石焼ビビンバだった。

今年の夏に韓国料理店の1軒が閉店した。すぐに内装工事が始まっていたが、その前を通ると私の名前を呼んだ人がいた。ビックリして振り返ると、内装工事でホコリだらけになって真っ白な人がいた。一瞬名前を思い出せないほどだったが、昨年まで日本料理店の「やばせ」で板前をしていたNさんだった。なんでここにいるの?などの事情徴収的な会話が始まった。

Nさんは、「やばせ」を辞めてからここに店を出すためにずっと準備をしていたという。たまたま2軒連なっていた韓国料理店の1軒を譲ってもらい、開店を決意したという。そこから友人と一緒に店の開店に向けて、改装工事を自らやっていたのだ。開店はいつ頃かと訊ねたら、9月中旬になるということで、買い物のたびに時々開店の進捗状況を確認しながら待っていた。

9月の中旬にスイスからアパートに戻ると、店の看板に電気が点灯していた。店の名は、「なごみ」であった。トランクを部屋に投げてからすぐに店に入ると、数十人の客でごった返していた。それでもカウンター席の一番隅に席があり、寿司を握っているNさんの前に陣取った。それにしても子連れ組はいるわ、いろいろな人がお祭り状態になっていた。開店にしては凄い人の数だとNさんに聞いたら、「今日はスタッフの訓練と関係者の慰労と店紹介のためのプレオープンです。」ということだった。納得したと思ったら、食べた皿を片付けに来たのは小学生で、臨時のお手伝いだと言うが、厨房でも皿を洗いながら楽しい声が聞こえて来た。キツネうどんを頼んだが美味しかったので、逆に腹が減ってきたので、目の前にある大きな黒塗りの下駄(寿司屋で出てくる木製の平板)があったので、寿司を握ってもらった。マグロのオオトロは、日本のものと遜色はないほどいいネタであり非常に美味かった。いい店が歩いて50歩のところに出来、わが家の第二の台所になりそうだ。

デュッセルドルフの

鳥取県人会

Nさんは若いのに、よくも異国の地で店を出すという勇気に感激し、敬意に表するというか、理由は何でよいが繁盛して欲しいという気持ちで応援したくなるものだ。実はアパートの部屋から店が丸見えで、手前のテーブルに客が来ているかがすぐにわかるので、事あるたびに覗いていた。開店早々にまた出掛けて、カウンターの隅でまた食べていたというより、飲んでいた方が正しいか。ホロ酔いとなったので帰ろうとすると、カウンターの反対側で写真を撮り始めた3人組がいた。

そこでしゃしゃり出て、「写真を撮ってあげましょう」と切り出した。ついでにどこから来られたかと事情聴取的質問を始めたら、「出身は鳥取県です!」という返事が返ってきたので、ホロ酔いがいっぺんに醒めてしまった。3人の内、男性のDさんが旧赤碕町で、若い二十代の女性の内Kさんが旧中山町だという。もう一人の女性のSさんは東京出身だったが、何と今住んでいるアパートが私と同じアパートで、もう一年になるというがまったく会ったことがなかった。でもこの写真撮影で一気に関係が豆のように縮まってしまった(世間は狭いというのをドイツ語ではこのように表現する)。一瞬に鳥取県人会が発足してしまい、次の会合日とともに、この「なごみ」と決まった。