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ハリケーン「サンディ」

〜マンハッタンで停電の5日間〜

1029日 月曜日

夜の8時半頃が満潮で、そのころに洪水の恐れがあるとは言われていた。しかし去年のハリケーン・アイリーンの時、全くなんでもなくて空振りだったし、今回のハリケーンは、範囲は広いがカテゴリー1(1から5段階まであって5が最も強い)だったので政府が言うほど大したことはないだろうと思っていた。風も雨も日本の普通の台風程度で激しい台風という感じでもなかった。

沿岸でNY市から避難命令がでているゾーンAの地域に住む人たちも、テレビでは「去年何でもなかったし、避難なんてしないよ。」と言っている人が多かった。我が家は12階建集合住宅の10階で、ベス・イスラエル病院の近くでゾーンBだ。

ニューヨーク大学病院(以下NYU病院)も近くだがそこはゾーンA。去年ハリケーン・アイリーンの時、NYU病院は念の為、入院患者を手分けして他の病院に避難させたがなんでもなかった。今年は非常電源があるので問題なしということで、動かすのが難しい200人程度の入院患者を避難させずに残したそうだ。

ハリケーンの状況を淡々と伝えるテレビを見ていたら、午後9時半、突然停電。マンハッタンの南端、バッテリーパークのあたりが停電するかもとは思っていたけどまさか自分の所が停電するとは。停電するとモデムが動かなくなるのでインターネットが使えない。水も電源がないとそのうちストップするだろうからバスタブに水をいっぱい貯めた。その夜は電話が通じたし、アイフォンでツイッターもできた。いちおうラジオ、懐中電灯、ろうそく、とりあえずの食べ物は準備していた。暗闇ではすることもないので翌朝電気が戻っていることを祈って10時半ごろ寝た。

洪水で爆発を起こした電力会社コン・エディソンの変電所

1030日 火曜日

停電したままだ。朝起きたら水も出ないし、携帯電話も、電源のいらない固定電話さえも使えなくなっていた。これでは何かあった時、警察も消防も救急車も呼べないではないか。お湯も暖房もない。台所のガスレンジだけは使えた。夫はイーストリバー近くの駐車場に置いている私たちの車を見に行くと言う。アイフォンも、家からは受信状態が悪くてつながらないしバッテリーも切れそうだった。ラジオではマンハッタンの40ストリートより北は停電しておらず、39ストリート以南が全面的に停電していると言っている。とにかくアイフォンが命綱なので充電するためにミッドタウンに住む友達の家を目指して私は外へ出た。

強風で倒れた公衆電話

道を北に向かって歩くと30ストリートあたりからアイフォンの受信状態がよくなり、使えるようになった。NYU病院の前まで来るとビル風のせいか、急に風が強くなった。ふと道端をみると、なんと頑丈そうな公衆電話ブースが根こそぎ倒れていた。停電しているので交差点の信号はみんな真っ暗。警官が交通整理をしている。

40ストリートに達すると急に世界が変わった。もちろん信号は点灯している。商店もレストランも開いている。何も変わらないいつもの生活があった。タイムズスクエア当たりは、電光板がギラギラでチラシ配りをしている人もいる。通り一本で大違い。39ストリートと40ストリートを境に、まるで明治初期から現代にワープしたみたいな不思議な気持ちになった。友人の家は停電地域ではないので、全く普通の生活をしていて、アイフォンを充電させてもらった。その近くで電池やろうそく、簡単に食べられる食べ物などを買い込んで家に戻った。

スーパーマーケット

夫は先に戻っていた。「駐車場は、冠水で立ち入り禁止。僕たちの車はお陀仏らしい。」と。「えー!インフィニティーがだめになったの?そんなぁ!」私たちは大きなショックを受けた。ハリケーンの被害状況は、とにかくラジオからの情報が頼り。どうやらいろんなところで大きな被害がでているらしいことを知る。

ラジオでNYU病院は洪水で非常電源がやられて入院患者を昨夜急遽避難させたと言っている。ベス・イスラエル病院は非常電源が落ちることはなく無事らしい。数日後のニュース記事で知ったことだが、NYU病院の月曜深夜は悪夢だったらしい。約200人の入院患者の避難は困難を極めた。停電で真っ暗な中、エレベーターも動かず、18階まである建物内で難しい手術をしたばかりで本来動かすのが難しい入院患者を救急車に乗せるまでが、まるで映画の避難劇のようだったそうだ。近くに住む医学生などをかき集めて、人力で患者を搬送。NICU(新生児ユニット)の弱々しい新生児を抱えて人工呼吸器を手動で動かし続けながら懐中電灯をたよりに暗い階段を下りる看護師たち。まさに悪夢の連続だったそうだ。

おまけにNYU病院関連のサイエンス・リサーチ・ラボラトリーでは停電の為、大事な研究サンプルなどが大きな被害を受け、数年間に及ぶ実験の成果が台無しになったそうだ。研究で使われたたくさんのマウスも洪水で死んでしまったとか。NYUは医学研究でも世界をリードする存在。この研究上の大きな損害は甚大だ。

1031日 水曜日

あれから初めての青い空が見えた。停電はまだ続く。交通マヒしていたがバスは一部復帰。我が家では水は出るときと出ない時がある。停電したら屋上のタンクにモーターで水をあげることができなくなるので水が出なくなることは分かっていた。しかし、水が出るということはどうやらアパートの管理会社がジェネレーターを使って時々タンクに水を吸い上げてくれているらしい。停電で一番困るのは水が出なくなることだ。2階くらいまでなら自然の水圧で水は出てトイレも流せるらしいが、高層階は屋上のタンクの水がなくなるといきなりトイレが困る。時々水がでる我が家はいい方で、全く水が出なかったうちは多かったようだ。

消火栓から水を補給する人々

独身でひとりなら、マンハッタンでも停電していない地域に住む友人宅などに転がり込む人が結構いるようで、スーツケースを引きずりながら歩いている若者を通りでよく見かける。しかし夫婦や子連れでは、そうもいかない。郊外と違ってなにせマンハッタンは極めて家賃が高いので、日本的に言うとワンルームや1LDK程度の狭いアパートに住んでいる人が多いのだ。

正午ごろ、近くの交差点で交通事故を目撃。信号機は動いていないので交通整理の人がいたのだけれど、イエローキャブとオートバイの男性が衝突。大きな音がしてふと見るとオートバイの男性が宙を舞って地面にたたきつけられるのが目に入った。「うわっ!怖い!」こんなシーンを見るのは生まれて初めだ。もともと近くに警官が何人かいたし、救急車もすぐ来た。一番近いのはベス・イスラエル病院だったが、そこは非常電源でなんとかしのいでいるだけなので救急車は北の方の病院に向かって走って行った。

この日はハロウィーンの日。例年なら仮装した子供たちが夕方近所の家をまわって「トリック・オア・トリート」と言ってお菓子を集めてまわる日だ。我が家では毎年これを楽しみにしていたが、停電でこんな真っ暗な時に誰も来ないだろうとあきらめていた。しかしアパートの上の階に住む親子がひと組だけ来てくれて、とてもうれしかった。ハロウィーンのお菓子は大量に残って、今私が少しずつ食べている。

11月1日 木曜日

バスはかなり動くようになり地下鉄も一部復帰。通勤が始まった。しかし郊外から来る人たちはひどい交通渋滞とガソリン不足で大混乱。夫の勤務先のオフィスは停電地域にあるので営業不能。停電していない地域の別のオフィスに出勤して行った。

同じマンハッタンに住む義姉のうちでも停電が続いていたのだが、運よくホテルがとれて宿泊中と連絡が入った。11月4日にはニューヨーク・マラソンが開催されるので、それでなくてもホテルは満杯で取りにくい時期だ。義理の姉は予約時には1泊440ドルだったのにチャックインするときに1泊650ドルだと言われたと憤慨していた。停電していたので予約時の値段を証明する紙をプリントしておらず、もめたらしいがなんとか440ドルで泊まれたらしい。440ドルでも高いが、ホテルは需要と供給で、ぼったくる。

そのホテルを訪問してひさびさにシャワーを浴びさせてもらった。我が家では温水は出なかったのでシャワーは日曜の夜から浴びていなくて我慢の限界だった。髪を洗ってすっきりした。夕方暗くならないうちに家路に着いた。なにしろ39ストリート以南は停電で真っ暗なので夜は怖い。バスも危険だからというので夜は23ストリートより南は運行していなかった。

11月2日 金曜日

相変わらず停電が続く。携帯電話などの充電は公共の図書館などでできるらしい。街路樹の飾り電灯用にたまに設置されている電源が道端にあって、若い人が座り込んで携帯電話を充電している姿も見かけた。しかし一人一人の充電時間が長いので行列に並ぶのはたいへんだ。私はまた友達の家にアイフォンの充電に行った。親切にしてもらって本当に友達の大切さを身にしみて感じた。

我が家は10階なので階段の昇り降りがたいへんだ。ニューヨークの集合住宅は日本の集合住宅と違って、各階の廊下や階段はビルの中央部にあって、外からの光が全く入らない作りになっている。電源がきれると廊下や階段は昼間でも完全な闇でドアの鍵穴の位置さえ見えない。懐中電灯なしにはドアの外に出られないのだ。うちはまだ10階だからましだけれど、30階や40階の高層アパートに住んでいる人はどうしていることだろう。一旦地上に降りたら自分の部屋に戻るのはとても大変だ。

いったいこの停電はいつまで続くのだろう。停電1日で起こる経済損失は大きいので、停電の復帰はビジネスエリアが優先され、住宅地域は遅くなることが予想された。室内気温は17度C程度で、少し寒いが電気がなければ凍死するほどのことでもないのでしかたがない。2004年の大停電の時も、我が家の地域は、停電復帰は最後の方だった。あのときは、停電は2日半だったが今回はもう5夜目だ。

うちのあたりはこの週末あたりに復帰するのではないかと聞いていたので、まあ日曜日くらいかなと思っていたら、金曜の夜、何の予告もなく突然電気がついた。窓から近所の人々の歓声が聞こえる。万歳!停電解消!お湯と暖房はまだ数日かかると言われていたが、それも翌日には復帰した。

イーストリバー

11月3日 土曜日

ようやく普通の暮らしに戻ることができた。久々にテレビをゆっくり見て、ハリケーン・サンディーの被害の大きさを映像で見てびっくり。ラジオでだいたいは聞いていたが、いろいろな映像をじっくりこの目で見るのは初めてで驚いた。土曜日が終わるまでにはマンハッタンのほとんどの地域では電源回復したが、うちの近所でイーストリバー近くのいくつかのアパートはまだ停電が続いている。地下の機械室が洪水で損傷し、回復に時間がかかるらしい。気の毒に。ニューヨーク州・ニュージャージー州・コネティカット州の郊外で、洪水にあったところはもちろんのこと、洪水にならなくても停電になった所でまだ回復していないところはかなりあるようだ。

今回のハリケーン・サンディーの長い停電生活で、電気がなくなるとどういうことになるか身をもって教えられた。いくら非常電源があっても電源が落ちることはある。何事も「想定外」にしてはならない。楽観は禁物。備えあれば憂いなし、日頃の準備は本当に大事だと実感した。