海外こぼれ話 139                  2012.12

 

チェコ工場で寿司バーに行く

ドイツ企業のチェコ工場は、トップが工場長かと思ったら社長だったことが分かった。4ヶ月前は私と同じくらいの年配者であったが、今回は三十代後半の若い社長だった。最初の挨拶はなく、いきなり講義の途中から入ってきて質問したいと挙手をして質問を投げかけ、そしてすぐに部屋から出ていかれたので第一印象は非常に悪かった。あとで聞くと彼が新しい社長だと分かった。しかし午後になって秘書からの連絡があり、夕食を招待したいとのお誘いがあった。印象が悪かったのでどうしようかと思ったが、逆に彼を知る良いチャンスと思ってお誘いを受けることにした。宿泊しているホテルまで彼が迎えに来てくれることになり、5分前に玄関に出て待っていた。

5分ほど遅れて彼の車が到着したら、それはスコダ製のバンタイプの新車だった。中はレザーのシート仕様になっており、まだ新車の匂いもするほどだった。車には改善担当のZさんが同乗していたので、通訳のVさんと2対2のカップルのようだ。いずれも既婚者なのでそのような表現は適切ではないか。女性がいると会話が弾むが、いやいやどうしてこの新しい社長Mさんは良く喋る。今晩はSumperk市内の寿司バーに招待したいと嬉しそうに話を持ちかけてくるので、どうしてかと思ったらMさんは非常に寿司が好きだという。

この町に訪問するようになって3年になるが、6万人の町で寿司バーがあるのは初めて知った。石畳の坂を少し上って路地に入ると、目指す寿司バー「通路(と日本語で翻訳されていた)」があった。中はかなりモダンな感じであったが、中国の書の入ったちょうちんもあり、日本でなくとも東洋的であれば「それで良し」という、ちょっといい加減な点もあった。Mさんは、赴任してまだ2ヶ月しかならないのによく店を探したものだが、寿司好きなので鼻が利くのだろう。以前務めていた会社がウクライナにあり、しかも日本系企業であり上司も日本人だったこともあって、寿司を嗜むようになり大好きになってしまったという。その町には大手電気会社などがあり、日本人が50人も赴任している町だという。話をしていると自慢したい人のようなので、聴くことに徹するようにして(お喋りの私には珍しいことであるが)、質問を投げかけるようにした。

見た目もビックリの寿司

彼の言語はチェコ語かと思ったらスロバキア語で、相当方言がきつく通訳のVさんは苦労したとあとで話をしてくれた。彼は元々スロバキア出身なので、スロバキア語、隣がチェコなのでチェコ語、さらにウクライナ語、そして上司の日本人とのやり取りは英語、そしてこの会社がドイツなので必須としてドイツ語、さらにロシア国語も出来、合計6カ国語が出来ると自慢していた。でも凄い才能だと思う。余談だが、ロシア料理で有名なシチュー「ボルシチ(意訳:紅汁)」は、このウクライナが発祥地だった。

ウクライナのその工業がある町は20万人がいて、寿司バーが何と3軒もあるという。日本企業も何社か進出しており、その町には50人ほどの日本人が赴任して働いているという。さらに寿司の話がドンドン進んでいく。スロバキアにも寿司バーが出来、ポーランドにも回転寿司もあるという。この店のオーナーは、元はピザ屋のチェーン店を経営していたが、寿司好きが昂じて自らプラハ市内の寿司屋に弟子入りをして今の店を持ったという。欧州の寿司ブームは、この数年間で一気に広がっていることを感じる。デュッセルドルフ市内もこの3年で数件も寿司バーや日本料理店が数多くオープンしている。健康志向が寿司ブームを巻き起こしているようだが、まともな味の店は一割程度だ。

メニューを見ると日本酒もあったが、梅酒にしたらなんと徳利に入ってでてきたが、所変われば品変わるものであった。梅酒を徳利から猪口に注いだのは初めてことだ。また箸の置き方が席に対して並行ではなく、直角にウエイトレスが置いたので、並行に置きましょうとアドバイスした。まず味噌汁を頼んだらレンゲ付きで白磁の器で登場したが、まずまずの味だった。多分百円均一の12袋入り味噌汁(ドイツでは、250円相当)だったかもしれない。さらに天ぷらも登場したが、天汁とあんかけ風の2つのタレが付いていたが、これは上手く揚げていた。さらにメインの色々な握り寿司が、4人前どーんと大きな盛り板に乗せられて出て来た。見た目には非常に綺麗に握られており並び方も綺麗だったが、随分努力したと思われる。

Mさんは箸の使い方が非常に上手であったので、随分練習したのですかと訊ねたら、学生時代に中華料理店でアルバイトをしていたので、そこで覚えたという。改善担当のZさんは、まったく箸を使うことも寿司も初めてだというので、3人で箸の使い方を伝授しようとしたが、結局ダメだったの手で摘むようにし、箸は持って帰って練習をしてもらうことになった。肝心の寿司の味は日本とは比較できないが、欧州での現地人と考えれば非常によくできたものといえる。Mさんは実はここが今まで一番良かったと話をしてくれたが、少しお世辞を言っておいてよかった。Mさんは上機嫌になって、色々と話をしてくれたので、翌日のプレゼンに参加してもらうことを約束できた。

出来のよい結果になった

次の日のワークショップは今までになく、動機付けがあったようで、どのチームも、とにかく自分たちで出来ることはすべてやりあげることが、初めて達成できた。社長が変わったのかどうか理由は分からないが、参加したメンバーは初日には愚痴や不満を言っていたが、新社長がこの活動の支援を明言したことが効いたようだ。最終日のプレゼンに参加され、成果を確認してもらった。そのあとの全員のフィードバック(マイクで発言)では、辛らつな発言もあったが新社長はすべて聞き入れているようであった。前日に食事をした時にMさんは、孫子の兵法(「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」が有名)を今でも勉強しており、いつもその教えに照らしていると話していた。その孔子の話から私の対する態度も変わった気がする。

このフィードバックも誰が何を言うかをじっくりと観察していた。Mさんの人の説得のやり方を教えてくれたが、一番反対している人を狙って説得するそうだ。この人を説得させすれば、あとは簡単なので、まず手の掛かるところから着手するという。以外にも戦略家だと思った。やはり若くして社長になるくらいだから、それくらいの素質を持っていないと勤まらないだろう。

帰りの道中は非常に良い天気であり、チェコには滅多にない快晴の日だったようだ。いつも休憩するガソリンスタンドはマクドナルドが隣接しており、天気がよかったのか今回は親子連れが多かった。そこではいつも水だけを頼むが、今回は腹の虫抑えとしてクロワッサンとカプチーノを頼んだ。日本円で約200円相当だったが、チェコにしては高いようだ。余談だがチェコの保育費は、非常に高く女性の給料の7割もするということで、子育ても大変らしい。

改善に段ボールを活用

今年になって改善に段ボールを使うことが、盛んになってきて非常に良い成果を出すようになって来た。ドイツ人をはじめ欧州の人たちは、最初は馬鹿にして使おうともしなかったが、冗談ビデオや小さな事例を紹介し始めてようやく取組むようになってきた。この辺は日本人のようにスムーズに行かないのは、段ボールやレゴなどを使うのは、幼稚だということと、さらに人前で失敗や変な格好をしたくないという愚かな見栄があるようだ。

しかしF社でよい事例が何点かできあがり、それを何枚も写真に撮ったお蔭で次第に横展開ができるようになった。SK社でも同様に抵抗はあったが,1つのきっかけから段ボールの活用が一気に展開されるようになった。しかもこちらの段ボールは厚さが色々あり、適用する場面で使い分けが出来る。しかしいずれもカッターで簡単に切断できるので、加工は非常に楽である。そして糊の代わりにガムテープを使えばよく、いずれも工業内にあるものばかりだ。

SK社で第一号の段ボールでの製作は、段取り替え用の台車を5つの段ボール箱をガムテープで貼り合わせたものだった。2ヶ月それを使っていたが、かなり丈夫に出来ておりオペレータも満足していた。結局少し微調整をしてすぐにパイプ台車に置き換えたが、これでこのSK社も段ボールの活用に火が点いた。次々とアイデアを段ボールでサッサッと作り上げて、そこからチョコチョコと改造してしまうコツを覚えてしまった。これが段々と周囲を巻き込み、加速度まで付いてくるようになった。

今回は3つの作業台と治工具さらに部品を投入するシューターまで含めて、半日で完成させてしまった。その出来映えは見事なもので、これを基に試しの作業をシミュレーションしてみると、従来の4分の1以下の工数でできることも見えてきた。その他にもすぐに段ボールでの検討が抵抗なく進むようになったのは嬉しいことだった。ただこの段ボールを使用することで、文句をいう部門が出てきたのは物流部門だった。出荷用の段ボールがなくなってしまうというものだったが、改善のために協力して欲しいとメンバーが説得し、物流の担当者に納得してもらったようだ。

実はC社でも誰も段ボールを使うことがなかったが、今回の訪問で改善に猛反対していた老練のオペレータが、翌日には油飛散防止用の複雑なパネルを作ってしまった。段ボールなので、すぐに微調整も出来ることを確認し、何度も修正を加えてその日の内に完成してしまった。反対派まで変える段ボールの力は凄まじいものがあった。こうなると改善は楽しくなっていく。

企業間の交流会

交流会も盛んに行うようになり、お互いのノウハウの共有化と情報交換することで、改善のスピードアップの相乗効果を狙っている。今回はF社にSK社から4人も参加して合同のワークショップが開催された。さらには外部業者からも参加もあり、総勢50人以上のメンバーになった。セミナーの時には百人くらいになり今まで最も大賑わいになった。それでも終わった後の椅子や飲み物の後片付けはしっかりできるようになってきた。それとともに色々な規律も高まって来たことを感じるようになって来た。

改善担当のWさんとLさんのコンビが非常に厳しい人たちがその手綱をしっかり握っている。このようなコーディネータを育成することが大きな狙いにもなっている。普段は彼らが自主的に改善活動を組織する。昨年まではWさん一人だったが、今年からLさんも加わり、既に年間予定の改善テーマ件数を4割以上も越えて達成したという。これで彼らは、自信という大きな力を備えるようになってきた。少々の問題も苦にならなくなり、逆に問題解決を楽しみにしているようになってきたのも大きな収穫になってきた。

SK社からはエース級の改善マンが派遣されるので、彼らも結果を出さざるを得なくなってくる。これが相乗効果になっていくが、今まではノウハウを公開しないような風潮があったが、これを何とか打破しようと交流会を企画し始めたが、そのよい影響も出始めている。

最初の日の終わりは、ワークショップの後に交流会の夜の部が始まる。ビールを飲みながらの交流会は、工場では話の出来ないことがじっくりと本音で出来るので、さらに人と人の交流が深まる。このきっかけがあると普段でも電話で相談事をすることに、発展していくので楽しみである。知らなかった仲間になって増えると、その人たちが持っていたノウハウが一同に共有化されて脳が刺激しあうので、とんでもないアイデアが今回も出た。企業間の文化の違いは、人が交流することで埋まっていくものだと再認識も出来た。そしてそのことが改善のヒントに結びついていくことが、最近手に取るように感じられる。

11月11日は

カーニバルスタート

この日が日曜日だったので、デュッセルドルフ市内のカーニバルを見てみようと思い、散歩がてら旧市街の旧市庁舎に向かった。アパートの周囲は誰もいなく、本当でカーニバルが始まるのかと思うほど閑散としていた。この「1」の付く語呂あわせがよいのかどうかわからないが、11時11分しかも11秒にカーニバルの開催の宣言が行われ、イースター(4月)までのお祭りのスタートになる。旧市街に入ると色々な路地から旧市庁舎に向かう人たちに合流し、はやり間違いないと安堵した。3分前に到着したが、大きな広場は既に市民とビールの屋台、そして鼓笛隊で埋め尽くされていた。少しの隙間から覗く程度にしてその瞬間を待ち望んだ。

10秒前からカウントダウンが始まり、11時11分11秒に開会宣言があり、すぐに鼓笛隊の短い演奏とともに歓声が沸きあがった。何度も演説があり短い演奏も繰り返されたが、20分も経ってもドンちゃん騒ぎはなかった。寒くなってきたので、暖かくなる方法を考えてビールを探しに行ったが、カーニバルとは無縁のような静けさだった。ドイツではこの3大カーニバルが、ケルン、デュッセルドルフ、そしてマインツ(フランクフルトの近く)が有名だと聞いていた。随分前にたまたまケルンでそのカーニバルに遭遇した時は、ドンちゃん騒ぎだったので、デュッセルドルフのそれは大変大人しくてガックリした。

カーニバルが始まって2週間も経つと、いよいよ楽しみなクリスマスマーケットが始まる。何時行っても焼きたてのソーセージがあり、クリスマスを演出する小物も小さな露店で売られる。買うことは少ないが、見ることはタダであり目の保養にもよい。ただし琴浦町の住民としては、人混みの多さは非常に苦痛であり、余り長い時間を楽しむことは出来ない。でも露店の雰囲気は好きだ。

私のコンサルスタイルを紹介

米国から突然に、通訳を通して私のコンサルスタイルを勉強したいというGさんが現れたので、来るもの拒まずの精神で受け入れることになった。頭の毛を見るとかなり年上のようだが、年を訊ねると同い年だった。ユーモア精神もかなり持っていて、対等にやり取りも出来る人だった。何故私のスタイルを見ようとしたかといえば、Gさんの会社も10年前から同じ生産方式を導入しているが、その指導の仕方に違和感を覚えるようになったという。

いわゆる軍隊方式というか指示命令調のようなものであり、いつもその調子でやられると雰囲気も悪くなったようだ。強制しないと改善が進まない企業もあるので、ある程度の強制は必要だともGさんは考えているようだ。最近このようなスタイルは、ドイツを始め欧州でもよく耳にするが、そのスタイルを導入するかは、トップのさじ加減で決まる微妙なものだ。私のような動機付けや気づきを主体とし、現場の人たちの主体性を重んじるコンサルスタイルは、時間が掛かるので即効という点では、受け入れにくい企業も当然ありと考えている。コンサルタントはいかにも偉い人のようにするのが一般的だが、ユーモアや冗談など交えていつも楽しく愉快にやるスタイルは普通ではないらしい。

訪欧の間に何度か一緒に企業に訪問して、私のスタイルをそばで確認をしてもらった。Gさんは非常に熱心にメモを取っていて、質問もドンドン投げ掛けて来る。Gさんは改善担当の窓口になってからは、多くのコンサルとともに同行していたようだ。逆に普段別な人に見せている訳でなく、もっぱら訪問先の人たちだけなので、まったくの他人にどう見えているかは興味津々でもあった。非常に変わっているという評価は、悪い意味ではなく良い意味らしい。

特に説得工作の時の人に対しての感情移入は、他のコンサルとまったく違うことも納得できたようだ。またボディランゲージの表現は、とても日本人とは思えなかったようだ。その時はいつも、「体の半分の血液には、イタリアとスペインの(ラテン系)赤ワインが流れているからですよ。」と笑いながら答えている。

欧米の最近の傾向として、改善して合理化できたら社員をリストラする風潮が出始めた。それも大手企業にその傾向が見られるのは、非常に残念なことである。改善の1つの目的は、顧客満足もあるがその前提条件に従業員満足だと考えている。そのためにも雇用確保が非常に大切で、それが出来ないと社員は改善に取組まなくなるからだ。そしてそれが続くと社員は改善をしなくなるばかりか、転職先を探すことになる。それは残念ながら人財の排出になっていく。