海外こぼれ話 141

カーニバルが始まった

 毎年日程が変わる欧州のカーニバルは、今年は2月7日に始まる。この日デュッセルドルフのデパートで買い物をしていたら、店員から「今日はこれで閉店!」といわれ慌てて買い物を済ませまたが、時計を見ると午後4時であった。レジの周囲には、きぐるみを着たり、仮面を被ったり、さらには色々な飾りを付けた帽子を被った店員がなにやら準備をしていた。今日は早く店を閉めて、彼らもカーニバルに参加するようだ。以前この日にたまたま工場に訪問していた時に、急にハサミを持った女性群に囲まれていきなりネクタイを切り取られたことがあった。これは男性の象徴を切り取ってしまう行為であり、普段男性から虐げられている女性の鬱憤(うっぷん)晴らしの日でもある。

 街に出ると多くの人が旧市街に向かっているのを見た。年を追ってのようにきぐるみが大流行しており、そういえば先月はデパートでも、フロア一杯に変装用のきぐるみが展示されていた。値段は数千円で入手できるので、気晴らしには良い値段だろう。また街中にもそのような変身用のグッズの店もあちこちに出来ていた。普段は大人しいドイツ人がカーニバルともなれば、人が違ったように賑やかくなり馬鹿騒ぎをするようだ。長い冬に閉じ込められているので、このカーニバルが必要な訳だろう。7日は女性のためのカーニバルで、9日の土曜日は子供のカーニバルとなっている。

11日の月曜日は、ローゼンモンターク(直訳するとバラの月曜日)はデュッセルドルフでも大規模なパレードがある。実はこのローゼンとは、Rosen(バラ)ではなくrasen(暴れる)から来た語源ともいわれるが、多分後者のほうが正解だと思う。翌日の12日の火曜日は、スミレの火曜日といわれカーニバルの最終日になる。13日の水曜日は、灰の水曜日ともいわれ断食期間が始まる日であり、この日を境にイースターまでカトリック教徒は肉を断つことになっている。でも裏ではしっかり食べているはずであり、どの宗教でも抜け道はある。

ドイツで一番ケチな南ドイツのシュバーベン地方には、ギョウザに似た料理の「マウルタッシュ」があるが、実はその中身には肉が入っている。これで肉を包み食べていないと証して、堂々と肉を食べているのであるが、別名「神様の誤魔化し」という名前もある。日本でもお坊さんが、酒のことを「般若湯」と称して一杯やっているのと同じであり、何故かホッとする。

13日までは店も休みであったりするが、実は工場の方も多くの人がカーニバルと休暇を合わせて取得するので、人員が集まらないので休みにすることが多い。来年の日程は、3月3日から5日がその該当日になるが、毎年違うので日程を組むのに苦労させられる。

 このカーニバルを紐解いてみると、以前お伝えした11111111分にデュッセルドルフの旧市庁舎で、カーニバルの宣言があった。それは聖マルティンの日だそうで、カーニバルの開始日に決めたそうで、デュッセルドルフでは19世紀になって取り決めた比較的新しい行事だ。その日から始まって、クリスマス関連の行事で冬を楽しみ、新年が明けてからまたイベントが次々と催されるが、宗教上のイベントにはほとんど無関心を装うようにしている。それは外国に行ったら、トラブルを避けるために政治、宗教の話をしてはいけないことを不文律のようにしているからである。

ピタというハンガリーのパン

先般行われたハンガリーのセミナーは、いつもの商工会議所のセミナールームだったので、ホテルは王宮の丘にあるいつものホテルだった。目の前が王宮の丘の北側、ブダペスト王宮とは反対側にあるマーチャーシ教会は約80メートルの高さの尖塔をもつゴシック様式の美しい寺院がある(以前に何度か紹介、この日は特別綺麗だった)。ホテルの部屋は、いつもこの教会が間近に見える位置に設定してある。昨年に改修工事が終わり非常に綺麗になっている。でもホテルはレストランがないために、近くのレストランで夕食を取ることにした。

今回は男性の通訳のLさんと一緒に仕事することになった。店の中では回りの人がワインを飲んでいたので、ワインを頼んだ。Lさんはハーブ茶を注文されたが、生のミント葉が出てきた。それをポットに入れてお茶にするという。生葉をお茶にすることは初めてだったので、興味津々覗き込んだ。しばらくするとミントの香りがしてきたが、生葉でもお茶に出来ることがわかった。

運ばれて来た赤ワインは、オープンワイン(ボトルでの注文でなく、グラスで頼む)でありながら香りが濃厚で、しかも果実の甘さもあり美味しかった。ツマミを何にしようかと思ったが、店はもう閉店間近だったので簡単にできるものを注文した。出てきたのはトルコ料理のケバップのようなパンに、色々な野菜やトッピングが付いていた。このパンのようなものが、「ピタ」であった。20cmくらいの円形のものを4等分にして、その切り口を広げて野菜やトッピングをつけて食べるスタイルは、トルコのケバップと同じであった。

この「ピタ」は、歴史が古く数千年前から中東で食べられ始め、インドの「ナン」にもなっているようだ。こう見ると食文化は長きに渡り、食域を広げていることが見えてくる。さて「ピタ」は、小麦粉に水、塩、砂糖、イーストを加えて、1時間ほど発酵させて高温のオーブンで焼き上げる。中が空洞のポケット状になるため、英語では「ポケットパン」というそうだ。形状から想像すると、イタリアのピザの起源になっていることがわかる。完食してしまったほど美味しく、ワインもついでに2杯飲んでしまった。

朝食を食べようと食堂に行くと、日本人に良く似た二人連れが居られたので、恐る恐る挨拶をしてみた。「『おはようございます』で、通じますか?」、ニコッとされたのでホッとした。このホテルというかこの界隈で、日本人にお眼に掛かることがなかったので半信半疑だった。これから通訳の人が迎えに来て、工場に出かけるという。聞くところによると、先週は中国で仕事をして、先々週はタイでの仕事のようで、世界の工場を回っておられるようであった。毎週のように移動があり、時差の解消だけでも大変だろうと想像できるが、彼らが日本経済を支える企業戦士と感じた。本当にご苦労様です。

ハンガリーの魚ソーセージ

Lさんは通訳だけでなく、色々なことを実践しておられるいわゆるスーパーマンのような人である。食事をしながら話をしていると、地元で川魚を使ったソーセージを作っているという話題が出たので、ソーセージ好きの私はその話にのめり込んでしまった。一番気になったのは、魚肉に対しての塩の分量であった。豚肉でソーセージを作っていた頃は、豚の肩ロースの肉1sに対して、塩は13gだった。しかし塩の分量が14gとなると塩辛くて、湯がかないと食べられないほどであり、15gになったらもう湯がいても塩が抜けないので、すべて捨てなければならなかった失敗もしたことがあり、非常に気になった訳である。

Lさんはハンガリーの自宅の近くの仲間と一緒に、「魚ソーセージを作る騎士団」なるものを組織されているようで、相当熱を入れ込んだ男性群の皆さんだと想像できる。その後料理をしている映像を送ってもらったら、なるほど期待通りであった。川魚を使ったレシピを紹介してもらったが、ハンガリーは海を面していないので当然川魚になる。主に鯉、鯰(ナマズ、ハンガリーの鯰は1m以上のありサメのように馬鹿でかく、ヒゲがなければ鯰と見えない)、ハクレン(中国では四大家魚と呼ばれる1mにもなる大魚)、ソウギョ(これも中国では四大家魚で、2mにもなる大型魚)、カワカマス(日本には生息しないが、これも1mになる大型魚)などを使う。映像を見せてもらうと本当に魚が大きかったが、欧州の川はゆったりと流れているので大きく育つのだろう。従って釣りも相当豪快なものになるだろう。

さて気になるレシピは、これらの魚を混ぜた魚肉1kgに対して、塩は16から17g、粉パプリカ(ハンガリーの特産物を使用。甘口タイプと辛口タイプがある)20g、ニンニクも20g、キャラウェイ(和名は姫ウイキョウ)は2g、あとナツメグ、粉生姜など好みで少々を加える。塩の量が多いことに気づいたが、魚は塩分を吸収してしまうのだろう。胡椒の代わりに粉パプリカを使うのは、本当にハンガリーらしい。胡椒よりもまろやかさが出てくる感じだ。

色々な魚をぶった切ってから、ミンチにかけて磨り潰す。これをステンレス製のバットに入れて混ぜるのはなく、大きな木を半円状に切って中央にくぼみを設けて、ゆりかごのように左右に揺れるようになっている板がバットになっていた。魚肉をその木製のくぼみに入れて、パプリカ、塩、香辛料を順番に振りかけてから手で混ぜていく。それが終わると腸詰機に入れてから、ヒツジの腸に押し込んでソーセージにしていく。食べ方は、出来立てをフライやグリルして、マスタード、ケチャップ、ホースラディッシュ(西洋ワサビ)をつけて食べる。いずれも白身の魚なので、醤油と合う気がするが一度試してみたい。

ハーメルンでアルザスのピザ

食べ物の話題のついでに、今度はドイツのメルヘン街道にあるハーメルンでのピザを紹介したい。ハーメルンの街にはもう6年通っているが、いつもイタリアレストランでディナーの招待を受けることが習慣化しているほどだ。ホテルから近いこともあり、私がイタリア料理を好きなことに合わせて、社長も好きだということで、社長が特注している美味しいワインが飲めることも合致した店である。しかし今回に限ってお休みだということで、工場長が探してくれた店に急きょ行くことにした。旧市街の大通りにあるが、番地を良く見ると順番に並んでいないことがわかった。これはまだ街並みが完全に整っていない時に家の番地が付けられていたようであり、家が出来た順番になっているようであった。そのために右往左往しながらも小さな店を探し当てた。数百年前はこの大通りもまばらな家並みだったことが伺えるが、珍しい番地の付け方であり初めて気づかせてもらった。

既に工場長は来店しておられた。開発部長が来られるのを待っている間に、この店のことを紹介してくれた。以前はワイン屋専門店であったが、少しずつ料理を出し始めた店なので、先のイタリア料理店のように豊富なメニューはないという。それでもワインは数百種類も展示してあったので、そちらの方を期待することにした。メニューを見ると本当にシンプルであり、アンティパスタもないほどだった。しかしメニューを見ていくと、アルザス地方独特のピザを発見した。ハンガリーでは「ピタ」であるが、ここでは「ピザ」だ。

写真でも紹介しているが、40cm×25cmほどの大型の長方形に色々な具材が載っている。この一枚が一人前で、あとからきた女性群も軽く一枚ずつ食べているヨーロッパ人サイズのビッグサイズである。これがあると前菜もデザートも不要なほどお腹一杯になる。4人が色々な物を頼んだので、それぞれ交換をしながら摘んで食べていく。しかし見た目はイタリアのピザの生地の厚さではなく、非常に薄い生地になっていて、さらにベニア板で出て来るという特徴がある。結構塩辛かったので、ワインもついつい飲んでしまった。

設計開発部門にも

改善が始まった

この工場では6年間掛かってようやく間接部門に本格的に改善に入ることになった。この間接部門の改善の取り組みは、日本以上に抵抗があり、どの工場でも苦労している。特に開発部門の反対は凄まじいというほどの抵抗があり、その説得工作はいつも苦労している。言い訳にはディベート(討論)で鍛え上げられた屁理屈が一杯積み上げられており、一筋縄では太刀打ちできない。

彼らは完璧主義者が多く、設計者は絶対に自分が一番賢いと思っている。それで他人の言うことは、まるっきり聞こうともしない変な約束事があるかのように振舞っている。でも彼らを天に昇らせるように持ち上げながら、そして奈落の底に落とすような厳しい言い方をしたり、あの手この手で説得したりしていく。何度か揺さぶり工作をして行く内に、この工場でも開発と設計の両部長をようやく口説き落とせた。ある工場では9年も掛かった開発部長もいるが、今では必ず改善に参加してくれるようになったが、根はいい人であった。

さてこの工場での取り組みは、はやり最初はぎこちないスタートであった。しかしある簡単な手法を用いて、実態を見えるようにしてあげたら、打って変わってやる気を出すようになった。お互いのコミュニケーションが図れるようになれば、次第に問題解決も出来始める。今まで無理だとか出来ないといった言い訳もなくなり、どうしたらよいかという前向きになっていく。この状態になっていけば、しめたものである。

製造現場のように改善をすれば形が変わるので、納得しやすいが間接部門の成果は形に出しにくいものである。特に今回は自分たちの負荷状況が一目でわかるようにした簡単な管理板を作成した。あれやこれやと入ってくるテーマに対して、自己防衛も可能になるのでやる気になってくれた。なかなか行動しなかった彼らが自ら動き始めたことに、社長も非常にこの成果を喜んでくれた。まずは大きな峠を越えた感があるが、まだキツネのように騙すかもしれないので、毎週その管理板の状態を写真で送信してもらい、確認がこちらでも出来るように仕向けることにした。念には念を押さないとすぐに元に戻ることがあるので、今回はこのような処置まで取ることにした。デジカメが日常の道具になり、非常に便利になった。

改善力を持った

凄い人が現れた

訪問して2年目で、大幅な改善効果の出た工場があり、詳細を説明してもらった。改善の投資と効果の関係が直線のように関係が明確ではなく、なかなか具体的な金額を提示してもらえない企業が多かった。しかし今回は、2つの工場での成果金額を具体的に披露してもらった。改善活動になっている自主ワークショップを1つの工場で、140テーマも実施し、1回に行われる改善効果の金額を安定して出していることも判明した。もう1つの工場も同様な結果を得られていることも分かった。活動期間や参加人員、さらにテーマの内容にもバラツキがあるが、100件以上のテーマになると、その成果金額のバラツキも平準化されてしまうようだ。やればやるほど効果が出ることがわかってきたので、経営層にも実際に改善をやる現場に取っても非常に良い動機付けになった。

これで経営トップも関心をさらに強く持たれ、色々な所でわれわれの会社を宣伝してもらえるようになってきた。このトップ同士の口コミが一番の宣伝効果があり、費用も掛からないので嬉しいことである。それが信頼関係に結びついていくものだろうから、いつも心にしている「誠心誠意」を、講義の中でも披露することがある。さらに改善のコーディネーターの皆さんにも、このことを伝えていくようにしている。モノを売っているわけでもなく、ソフトを売っているわけでもなく、形になっていない心や精神、そして考え方などであるので、信頼関係が非常に大切になってくる。

その2つの工場のコーディネーターは、昨年から紆余曲折の中で専任された。非常に優秀な人であり、瞬く間に2つの工場の改善力を格段に上げてくれた。その行動力は見ていても周囲の人が憧れるほど凄いほどで、段々と彼のファンになってきており、それが改善の加速度を上げているようであった。彼の特長は、1つの改善結果が出れば、2つの工場共に一気に横展開を指示して実践して行くやり方である。自ら作成したサンプルがあり結果も出ているので、社員も反対することがなくなり、むしろ横展開を積極的に受け入れるようになってきたことが、改善の加速度を増していったように感じる。

そこで彼にさらに改善のヒントを掴んでもらいたく、他の企業との交流会に積極的に参加してもらった。それはお互いのノウハウを交換し、さらに刺激までも受けてもらうように働きかけていったが、それを見事に受け止めてもらい、見事な活動に結びついてきた。このような機関車のような人もいるが、中には私と同い年の孫のいる女性も素晴らしいコーディネーターになっている。男性のような迫力の代わりに、非常に優しく包み込むような愛情を感じさせられる人だ。その人のアプローチは、人をやる気にさせるさり気ない声掛けである。色々なやり方やアプローチがあることを見せてもらう機会に恵まれるが、色々な企業に訪問できるコンサルタントの役得冥利になっていく。