今月の執筆者
泉 和子
「使命」を持って、生きてみる
私は、子どもの頃は、何かが良く出来て褒められた事もなく、ごくごく普通の子どもでした。どちらかというと、おとなしく目立たない娘でした。でも、心の中は「男女差別」とか「えこひいき」が有る事に対して、悲しみを覚え疑問を持ち続け、反抗していました。この悲しみと疑問はずっと続くのですが…。
高校入学と同時に習い始めたエレクトーンによって、努力する事を学びました。あたり前ですが「努力することによって出来なかった事が少しずつ出来るようになる」喜びを感じました。努力する事が楽しくなりました。「この努力を続けていたら、歳をとった時に、人様から褒められるようになっているかなァ。早く歳をとりたいなァ…」とまで思っていました。(しかし、今では、毎年毎年、誕生日が来る度に、「又、歳をとってしまった。」と肩を落としますが…笑。)こんな私が、50歳を過ぎると、自分の最後の姿はどうなっているだろう…どうなっていたい?…その為には?…これからの自分の可能性は…何処まで出来るだろう…と、家族の死や知人の死に直面したりするうちに、考えるようになりました。「私も歳をとったものだなァ」と苦笑しています。歳を重ねると、諦めたり、歳相応の行動、無理の無い生活をと考えます。それも時には必要でしょう。しかし、小さな円を描いて自分だけ満足して逝くのか?(でも満足出来ればまだ良いですけど)、大きな円の一部分の弧で逝くのか?…大きな円だと自分が生きている間には未完成に終わるかもしれません。しかし誰かがその後を引き継いで、いつの日か大きな円を完成してくれれば良いのだと思います。今、私は小学校4年生から始めた邦楽に携わっています。引き継ぐ人達を育てなくてはいけませんが、日本人なのに、和楽器に触れるチャンスが少なく、古臭くて興味が無い…とか、イメージが固定化しているような気がします。今、必要なのは、演奏能力をレベルアップし、邦楽を志している人達が楽しそうにしている姿を見ていただき、何か趣味を持ちたいと考えている人達に思いだして貰えるように、若者が邦楽って面白い!!!と思って貰えるように、仕掛けて行かなければならないと思っています。微力でもこれが、私の「使命」かな?と思います。私が逝く時は、今度は、人様から褒められるのも嬉しいですが、自分で自分に「諦めないで前向きで良く頑張ったね。楽しかったね。」と、最後に褒める事ができるような、死に際を迎えられたら嬉しいです。