海外こぼれ話 147

初めての韓国、ソウルの旅

 以外にも日本の隣国である韓国には、まだ訪れたことがなかった。近くであればいつでも行けるという安心感があってか、島根県の隠岐の島にも20年前に初めて行ったという有様だ。さらに地元大山の6月の山開きにも高専の時にも行けず仕舞で、結局卒業してから毎年行くようになったほど、近くにあるほど見えない壁があるようだ。韓国は35年前に近所の先輩が、釜山によく通っていて連れて行ってやるということで、初めてパスポートを取得したことを思い出した。当時は韓国の旅行にはビザ取得の必要があった。手続きが大変だと思っていたところに、高専の同級生からドイツ旅行していると絵葉書が届いた。一転してドイツに行ってみようと決心し、韓国には行けず仕舞いになった。

この当時からドイツへの旅行はビザなしだったので、あとは旅行の費用と長期休暇の申請、さらに旅行の手配を自分でする必要があった。高専時代からのあだ名が町内会長というくらい陰のまとめ役を全て仰せつかっていたので、幹事役など日程の計画や段取りは得意だった。しかもその準備は非常に楽しいものであった。その時の印象が良かったせいか、その5年後にも2週間ドイツを訪問し、ますますドイツに憧れるようになった。その13年後には、まさか毎月ドイツに通って仕事をするとは、想像もできなかったことであるが、夢は叶う。

その後すぐに倉吉では珍しかった左ハンドルのドイツ車のBMW車を、7年間乗ることも、その布石だったかもしれない。この14年間で約150回もドイツとの間を往復している。でも近くの海外は、台湾4回、香港2回、上海1回、シンガポール3回、マレーシア6回、インドネシア4回などとあったが、韓国は記念すべき初訪問である。昨今竹島、慰安婦、教科書問題など国家間の問題は数多くあるが、民間の交流は逆に韓国ドラマ、韓流ブームなど交流はしていることもあり、しかもウォン安で買い物もやりやすいこともあり行くことにした。格安のピーチ社で、日帰りの1万円弱のチケットがあり、さっそく申し込んだが即売り切れだった。そこでインターネットで旅行会社のホームページ(以下HP)を検索して、二泊三日で4万円のチケットを手配した。

二泊三日の格安チケットを使う

朝一のバスで倉吉から大阪のオーキャット(OCAT)まで行き、そこから関空までのバスの乗り継ぎがたった5分だったが、なんとか間に合った。大阪のバスの中は携帯電話の会話で賑やかだ。周囲の客のことは何も考えなく大声で商談などの話をしている。注意をすると、逆ギレしてどやされてボコボコにされる恐れがあるので、特に大阪ではじっと我慢する。でも本当にマナーが悪い。関西空港に着くと搭乗手続きをするが、成田空港と違って閑散としている。でも滅多に来ないので、案内板を目印に搭乗カウンターに向かう。今回は初めて使う韓国のアシアナ航空なので、エコノミー用(彼らはトラベル席と表現する)のカウンターに並ぶ。いつもは前の席であるが、今回は通称ジャンボ機であり、遥か後方になり59番目の席だった。カウンターの係員は時間を持て余して、大あくびを平気でするが、奥歯の虫歯が丸見えだが気にしないようだ。両替は最低の千円をウォンに両替して1万ウォンにしたが、台湾と同様に現地でコンビニから、都度換金することにした。換算が10分の1なので簡単である。

アシアナ航空は航空業界の5つ星を連続して4年間もらっており、JALやANAより上のクラスになるので期待して観察してみた。シートの前のテレビ画面は当たり前のハングル文字であり、タッチパネルはすぐ反応しなく、使いにくかった。またわずか2時間のフライトなので使うことはなかった。乗務員は韓国人がほとんどで、見渡してみると日本人は一人であった。

乗務員の服装の下は、ブラウスではなくニットだった。その内一人のエプロンとニットに汚れがあったが、毎回着用して洗濯もしないような不衛生なことも垣間見た。乗務員の顔はいずれも同じような顔形であり、皆さんが統一してプチ整形をしているようにも思えたが、それは先入観か。短いフライトでもランチボックスの寿司が出てきたが、まずまずの内容だった。帰国した翌日に、この航空会社の飛行機が米国で着陸失敗したというニュースが飛び込んできた。

免税店経由でホテルへ

初めての仁川(インチョン)国際空港に着いた。出口で現地通訳兼案内が待っているというが、出口を間違えたので右往左往してしまった。その時のツアー客は3組であり、大阪組は仕入れのために毎月利用しているといい、もう一組は四国から親子で彼らも何度も通っているという。ワンボックスカーでソウル市内に向かう途中に、通訳の身銭を稼ぐための免税店(ホテル SILLA:新羅)に立ち寄った。1時間の間に買い物をするが、客の多くは中国人で数台のバスで乗り付けしてごったがえしていた。彼らは大声で叫び買い物をしているが、彼は金を持っていることを自己主張したいようなフリである。ドイツも最近観光のほとんどが中国人になってきたようで、アジアの9割が彼らだという情報もあったほど増えてきている。一時の日本のバブル時代を思い起させる。

そこから再び車に乗り、各々の指定したホテルに向かった。私のホテルは5つ星のスキャンダル孫娘がいるHホテルで、他の人は豪華なことにびっくりしていた。インターネットのHPでは、このホテルの宿泊最低値段が4万円になっていた。これで二泊すると単純に8万円であり、さらに関空とソウルの飛行機代も含んで4万円と格安なので、ホテルも一泊1万円と逆算できる。ただし朝食はない。朝食の値段を調べると、なんと日本円で4千円、和食の朝食が5千円となっていた。これには腰が抜けてしまった。日本の一流のホテルで朝食は3千円程度だが、はるかに高いので完全にパスした。しかし裏の値段は想像もつかないくらい安くできるもので、それで商売が成立しているところが凄い。

インターネットを部屋で使うと料金が発生するので、ロビーで携帯からのメールをダウンロードしてタダで対応することにした。その分外に出て美味しいものを食べた方がましである。ただ吹き抜けのロビーには小さな噴水もあり、大きな空間は見事であるが美しいとは言い難い。ホテルの部屋はまずまずの設備であった。隣の部屋の音も全く聞こえないので安心した。米国のホテルは壁が薄く、隣の声が丸聞こえすると友人から聞いていたので安堵した。

さっそく石焼ビビンパの味を確かめる

さっそく、町の観光スポットの明胴(ミョンドン)に繰り出して、本場の韓国の味がどんなものか確かめたかった。ホテルからは目の先であるが、坂道であり、道が入り組んでいるためタクシーでも10分かかる。タクシー代は、5千ウォン(5百円)と安いが、余り日本と物価は変わらないようだ。明洞の繁華街の中には車で入ることはできないので、入り口で降ろされてあとは徒歩で探索する。街中はまるでアメ横のようであり、ゴチャゴチャしている感じだ。狭い通りには多くの若者が往来する。でも残念ながらGMT6(アイドル)はいなかった。軽く夕食の店を探したが、まずは石焼ビビンバを候補にした。デュッセルドルフのアパートの隣にある「韓国館」というレストランで、いつも食べている味と比較してみたかった。

今回の店は、百済参鶏湯(サムゲタンという鶏のスープで有名な店)の前の2階にある店だ。まだディナーの時間に早く、好きな席を選ぶことができたので、外が見える場所にした。眼下を通る人たちの表情も見て取れる人間観察には絶好の場所で、料理以外も韓国の人たちの観察も同時にできる。カップルもいるが若い女性も多いのは、近くに女子高や女子大学があるからだろうか。目の保養にはよいが、見ていると次第に目が慣れてきた。プチ整形の国と聞いていたが、それを感じ取ることができた。個性のない同じような顔が多くあったのも気のせいだろうか。しかし開放的とは思ったが、冷房のエアコンはなく扇風機の風による空調設備だけだった。

さて石焼ビビンバは、この店では最初からコチジャン(唐辛子味噌)が既にご飯の上に乗っていた。他の具材も少なく混ぜてもご飯が少し余るくらいで、味も物足りなかった。コチジャンを好きなだけ入れて、自分の味を出したかったので地元韓国の負け。また料理の付け合せのバンチャン(おかず)の数も3つと非常に少なく、アパートの隣の店は8つもあり、バリエーションも味も上であった。以外にもドイツの店の味付けやサービスが良いとは予想外であった。

その他のスープやパジョン(海鮮お好み焼き)は醤油ダレであり、口に合うものであった。値段はいずれも1万ウォン(千円)なので、日本やドイツと物価が変わらないこともわかった。しかしビールが安い。マッコリや真露という焼酎はドイツでも普段から飲んでおり、銘柄もお馴染みのものがあるので、今回は韓国ビールに挑戦した。飲めば透明で味はちょっと薄めのサッパリ系のビールだった。食後は見るだけのウンドーショッピングで、今の韓国の流行を見たが、もう日本と時間差はなく情報のグローバル化を感じた。特に革製品に安さを感じたが、衣料関係も安いので買付に来る若い人がいるのも納得できた。

夜は通訳の紹介で、垢すりとマッサージの店に行った。結構垢は出るものだと思った。さらにマッサージは男性がしてくれたが、丸裸にタオルを股間にちょこんとかぶせるだけなので、せがれも何度も顔を出してくる。こうなれば恥ずかしさもどこかへ行くものだ。マッサージの気持ちよさにウトウトしてくる。2時間で1万円もしないので非常に安い、しかも非常に開放的になれる。

仁寺洞に行く

ホテルに戻るには山の中腹にあり、坂を登る必要があるのでタクシーを捕まえた。訪韓するまでにタクシーの多くが日本人に対して「ぼったくる」ことを聞いていたので、かなりそれを警戒していた。また、サッカーなどで見られる反日感情で、どんな危害をくわえられるかも不安もあった。そのためにも一流のホテルを選択し、タクシーも安心して乗れるようにホテルが配車するものにした。3日間に何度もタクシーを使ったが、幸いにもすべて良い運転手だった。用心はいつもしておいた方が良い。旅先では気の緩んだ時にトラブルが起こるものであるが、今回は、災難は突然の大雨だけであった。

翌朝は朝食も兼ねて、仁寺洞(インサドン)まで足を延ばした。8時過ぎだったのでほとんど店は開いていなかったが、小さな土産物屋が空いていた。気さくな店主に聞いてみると、100m先にこの辺りで一番美味しいお粥の店を紹介してくれた。2階にある店に入ると、三人組の日本人が既に一番奥で席を取っていた。メニューを見ると、日本式になっており写真で紹介してあり選択が楽にできるようになっていた。欧州はこの仕組みがなく、すべて文字だけで何が出てくるかは想像するしかないので、この「見える化」の方式は現地を知らない観光客にとっては嬉しい方式だ。土産屋の店主の言った通り、粥とそれに付け合せする具材とのバランスが非常に良く合っており美味しかった。

しかし日本人の老人組は耳が遠いせいか大声で話をしており、こっちまで内容がすべて聞こえてきた。しかもその内の老婆は、機関銃のように約30分も喋り、あとで「ああ疲れた」と言っていた。それなら内容のない(客観的に聞く本当に他愛のないバカ話)は、小さな声で話をせよと言いたい。店をあとにしてぼちぼち店も開店し始めて商品を並べていた。冷やかし半分で店を覗く。値段の比較をしてみる。土産物はほとんど同じ問屋からの仕入れであるが、売値はそれぞれ店で微調整できるので、値切ることは一つのリクレーションでもある。ここも革製品が安いので手に取ってみる。見るのはただであり、あくまでも見るだけで買うことはない。もう物質で欲しいものは、ほとんどなくなってきた。いい雰囲気、楽しい体験、いい思い、美味いものを食べる、そして飲む方に時間と金を投資したくなる。

アクセサリーなど小物を手造りしている小さな店が、らせん状で作られた5階まであるビルに来た。二間ほど幅の屋台風の小さな店があり、自分で製作したものを直接販売できる仕組みのようだ。10人くらいの白いカッターシャツの群れが見えた。日本人の高校生のようだったので、「どこから来たの?」と訊ねると、「鳥取です!」との回答に、「じぇ、じぇ、じぇ」と思わずのけぞった。修学旅行中の鳥取東高の3年生だという。通訳は韓国人の女子大生であり、他にも別なグループがあとからついてきた。47都道府県もありながら、一番人口の少ない鳥取県人に出会うとは凄い確率である。

食事の人間観察は楽しい

仁寺洞の散策をしていると非常に流暢な日本語で、「韓国民族衣装を着けて、写真を撮りませんか?」という案内嬢がいた。「非常に日本語が上手ですね」、「皆さんから言われますが、私は日本人です」と返事が返ってきた。そう言えば完全な日本人だった。「先入観を持つな!」とコンサル先では言っているが、いざ立場が変わるとダメである。そういえは腹が減ってきたので、思考能力が落ちたのだ。この界隈で地元に人が、怒涛の如く流れ込むという昼食屋に行くことした。開店5分まであったが、店の方から手招きするので入っていく。

店には既に30人も客がいた。座席が100席以上もある大型店だった。早速ランチメニューの懐石風のランチ15,000ウォンの豆腐料理を頼んだ。次々と客が入ってくる。見るとオバちゃんたちは、立膝を立てて飯を食らう。食べるのではなく、食らうという感じだ。若いスカートを穿いた女性は、あぐらを組んでこれも飯を食らう。しかも誰も大人しく食べていなく、何やら攻撃的発言を繰り返し、まるで戦場のような風景だった。しかもほとんどが犬食いスタイルである。まるで家畜場の餌場的な感じであり、男女の区分も感じられない。この手の人間観察は、観光地の風景を見るよりはるかに面白い。市場に行くのも非常に楽しみなことであるが、韓国の食事スタイルも観察の面白さに値する。しかも入場料は、食事代だけで観察可能である。

最後に

参鶏湯を堪能して旅を終える

 人間観察も土産屋も観察したので、いったんホテルに帰り昼寝する。いつもこのパターンで個人旅行する。パックツアーはグループ行動であり、自分の好きなことができなく、ゆっくりしたいのでこの勝手スタイルを取っている。午後3時から今度はロッテデパートにて買い物とどんな物産品があるか、そして値段はどうかなどを探検する。いわゆるデパ地下が好きである。ついでにファッションやそれに集まる人たちのスタイルも見ておくことにする。

地下に行くと台北のデパートと同様に日本、欧州、米国などのお菓子なども輸入されて陳列されている。日本の商品は値段が、きっちり3倍になっていた。欧州のお菓子も2から3倍になっていた。韓国独特なのは、様々なキムチが展示即売されていることだ。試食だけでも結構腹の足しになる。回っていくとレストランもあり、日本のように目で見て分かるようになっていた。さらに驚いたのは、注文した時に携帯電話のような通信機を持って自分の席に着く。

しばらくして料理が出来上がると、その通信機が受信して反応する。それを持ってカウンターに行きその通信機と伝票を照合して頼んだ商品(食事)と交換する仕組みには、韓国の方が一歩進歩している感じを受けた。しばらくするとその食事のできるスペースは一杯になり空いた席を探す人で溢れるようになった。しばらく上階のスペースを散策して帰ろうとすると、外はゲリラ雨になっていた。タクシーは一向に捕まらないので、地下街を見て回り時間を潰すことにした。メガネ屋が異常に多くあることなど、また気づくことがあった。雨が小雨になって落ち着くとタクシーも捕まえることができた。

3日目の帰りは空港に着くまでに、ツアー会社が経営する土産物屋に連行された(コースメニュー)。キムチの試食はまずまずであるが、土産物は普通の店の数倍もする値札が付いていた。コチジャンが通常200円のところ1200円なっていた。これは法外な値段であったが、通訳の誠心誠意に免じて数百円の買い物だけをしておいた。その足で空港に向かう。数多くの免税点があり、さらに食事の出来る店もあり、食べ逃した参鶏湯(鶏の胴体の中にもち米、野菜などを詰めて数時間に煮込んだスープ)を15,000ウォン(専門店より3,000ウォン高い)で頼んだ。ここも料理が出来上がった連絡方法は、通信機を使った方式だった。今回のソウルの旅は、飲んで食べてそして観て楽しい格安の旅であった。