今月の執筆者
田中達郎
版画との出合い
これからの決意
私は,倉文協に加入させて頂いている。みささ版画の会の一員です。まだ版画歴10年ほどの若造です。元来絵が嫌いだった者が、どうして絵と係わる版画のとりこになったか不思議でなりません。幼少の頃から図工の工作は好きでしたが,図画は嫌いでした。
版画との係りは、会社勤めの現役時代、ゴム板で作った幼稚な年賀状に色をつけ、恥ずかしさも忘れて出していました。このような作品でも印刷の年賀状よりは良いと考え、多くの年賀状を、相手を思い出しながら一枚一枚手作りで出していました。大変でしたけど快い気持ちになったものでした。そんな幼稚な私は、師匠の並河郁夫先生(当時上司,今は故人)にも、絵の大家とは知らず毎年出し続けていました。当然先生からも垢抜けした版画の年賀状を頂きました。先生が退職されたある日、みささ版画の会をやっているから見に来ないか!との電話があり即入会しました。これが私の版画人生の始まりです。持つべきは友とは良く言ったもので本当に感謝しています。今も、この原稿を書いていても、当時救われた一言、一言が鮮明に思いだされます。強く印象に残っているのは「木版画」と言うものは板から紙に刷り写すもので方法はどうでも良い。やっていけないのは紙の上に刷った作品を筆で絵取るような事をしてはいけない。うまくやったとしても絶対バレルときつく指導されました。
入会当初は、普通の木版画でしたが多色刷りを教わっている過程で印刻法と言うのも教わりました。この指導がなかったら、今の私の木版画はありません。「何をしてもよい」の一言を信じて陰刻法にとりつかれ、普通の版画は出来なくなってしまいました。この我流の版画を、残された余生に作り続けたいと考えています。また額縁作りも大工仕事を生かして、作品全部を手作り額に収め、可能な限り飾り付けたいと考えています。でも待てよ !! 私の没後も残ってしまうのだなあ!!
(みささ版画の会)