海外こぼれ話 148                

 

1ヶ月半ぶりのデュッセルドルフ

 7月下旬から約1ヶ月半の間、アパートのあるデュッセルドルフから離れていた。ドイツの企業は、この間夏休みを順番に従業員が取得していくので、セミナーやワークショップを開催することが難しい。例年8月の訪独は、1週間程度なのであり中途半端になっていたので、思い切って訪独しないことにした。また8月下旬に倉吉博物館で「砂丘のふらここ展」があり、さらに同時期に鳥取県の四市文化(団体)協議会の会合が倉吉主催で行われること、さらにこの期間と合わせて日韓写真家交流会、日韓写真シンポジウムなどのいくつもの準備や司会の役もあったので、倉吉に留まることにしたのだ。

 久しぶりにデュッセルドルフ市内を散歩すると既に枯葉が一部舞っており、雨上りの気温は15度前後と秋の気配になっていた。この間にもアパートの周囲では、引っ越しや店の閉店、さらには新装開店など変化が見られた。9月下旬にはドイツの総選挙があり、与党のメルケル首相が勝つことが既に分かっているので、選挙戦は非常に停滞しているらしい。というのは、ポスターの数が激減していることからも如実にわかる。またこの前の与党と野党の党首討論が公開テレビで放映されたが、まったく面白くなかったとドイツ人は嘆いていた。もう勝負が決まってしまっているので、猿芝居のような討論の内容だったらしい。

 しかしポスターを見ていると、ドイツ人以外のチェコ人やトルコ人などの外国人を使ったポスターも数多く張り出されていた。なぜかと思い訊ねてみると、マイノリティーの投票行動を狙っているらしい。日本では外国人から選挙資金をもらったことがばれると、新聞沙汰になる。こちらは外国人が相当いるので、外国人(ドイツ国籍は取得しただろう)が選挙に出馬しても何ら違和感がない。

ドイツの周囲には10か国もあり、最近はイタリアやスペインからの就職難民というか、移住が顕著になってきている。やはり欧州におけるドイツの経済力がダントツによるものである。昨年のドイツの輸出は、米国を抜いて中国に次いで2位になっている。フランスのルノーは1台出荷するごとに500ユーロの赤字、イタリアのフィアットも100ユーロの赤字だというが、モノづくりができていないことが良く読み取れる。ちなみに1台売って一番儲かっているのが、ポルシェで、次がフェラーリだそうだ。やはりブランド力が強い。

日曜日の散歩

 9月の日曜日に、散歩でデュッセルドルフの旧市街まで出掛けると、非常に賑やかになっていた。普段は日曜日には飲食店以外は閉店しているが、この日は特別に多くの店が開いていた。ライン川まで行ってみると電光掲示板に「デュッセルドルフ市政725年」というのが見えた。そのお祝いのようであり、ライン川沿線には多くのテントが並んでいた。所々に枯葉も目につきだした。

テントでは多くの人がビールを飲んだり談笑したりしていたが、古本屋も多く店を出していた。こちらは何かとお祭りがあると、古本屋が店を出す。古本は日本では神田などごく一部しかないが、こちらはどの町でも古本はよく店を出している。古いものを大切に取り扱う保守的な国民性がよく見て取れる。そう言えば先週ハンブルクで、1930年代のベンツが走っていた。値段は完全にプレミアムで、多分数千万円もするだろうがよく維持して走っていると思う。これは南に行くほど顕著になっていく。

 デュッセルドルフは、ここ数年町の中心街で道路の地下道建設、立体交差やビルの建て替えで工事中が続いている。地面が掘り返されて歩きにくいことだが、町は財政が豊かで儲かっていることがわかる。しかしいつまで経っても完成しないのは、ドイツ的な仕事のやり方のようである。ボッホムのアウトバーンと市街地の道路工事は、なんとあちこち突き回して20年も工事中である。保守的というかじっくり仕事をしたいかもしれないが、市民はたまったものではない、これも政治の裏ワザであろうかと勘繰りたくなる。

接待も仕事の延長

 訪問先に行くと接待をして頂く会社が何社かあるが、それは会社内では話しにくいことを内輪で話し合い、コミュニケーションを取るお互いに良い手段でもあるので、積極的に依頼があれば受けるようにしている。レストランの行先は、私がイタリア料理と好きだとわかっているので、イタリアンレストランによくお誘いを受ける。十年前はドイツ料理でも美味しく感じていたが、量の多さと油の多さにもう体力がついていけなくなったことがドイツ料理から遠ざかっている理由である。

ドイツでフランス料理もなくもないが、両者は敵対関係にあるので美味しいものは期待できない。トルコ料理店が非常に多くあり、イタ飯屋と肩を並べるくらいだ。実はドイツにはトルコ人が300万人もいるのでトルコ料理店も多く、外国人では断トツに多い。どの企業にいってもトルコ人を非常に多く見ることができ、その仕事ぶりは製造だけでなく、設計開発まで在籍している。

世界三大料理は、フランス料理、中華料理、そして以外にも日本料理ではなくトルコ料理となっている。ドイツの街中にあるのは「ケバップ」といわれる味付けした、主に羊の肉を焼いたものを薄切りにしてたっぷりの野菜をインドのナンに似たパンの中に具材を詰めた、いわばサンドイッチのようなものが売られている。値段は2ユーロからと安い。デュッセルドルフにもまたこの手の店が一軒できたので、アパートの周りに五軒の店もあるが、とても過当競争している。大きなハンバーグのようであり、両手で抱えて見た目はよくないが、大きく口を開けて食べる。あごが外れそうになるので、ケバップは滅多に食べることはない。考えてみれば、トルコは欧州とアジアの接点にあり、東西の文化の交差点であるので、色々な食材や調理方法が入り混じることが考えられる。ドイツにいるとトルコも近いが、行く機会がなかなか見つからない。

イタ飯屋も色々ある

イタ飯屋でもイタリア人によるイタリア人のためのイタリアンの店は、非常に美味しい味付けであり、見た目にも綺麗にデコレーションしてある。しかし、ドイツ人によるドイツ人のためのイタリアンの店というのは、量が多いだけで味は旨味が少なく、イタリアの具材を少ししか使っていないようで、コク味も薄い感じがする。しかも盛り付けのセンスも見た目も綺麗とは言い難い。ドイツ人は匂いで満足し、量があって腹一杯になって、安ければ大満足という今までの経験知を持っている。イタリア人はとにかく楽しむことが第一で、お喋りから始まり冗談もいいながら、楽しませてくれる。料理はシンプルで見た目にも彩りが良く、しかも美味い。

北ドイツのP社の昼のケイタリングは、夜の接待にいつも行くレストランで、大将自らその工場に運んでくれる。本当に美味しいので、ついつい食べ過ぎてしまう。夜の食事の前菜である「アンティパスタ」が、数種類の小さなおかずが眼も腹も楽しませる。メインはパスタであったり、肉や魚もあるが時にはピザも出てきたりする。この店は、イタリア人によるイタリア人のためのイタ飯という感じだ。大将以下ウエイターまで全員がイタリア人である。

また北ドイツのF社も毎回接待をしてもらうが、ここはドイツの伝統的な料理が恒例であったが、たまにはこの町のイタ飯屋にもいこうということになった。ホテルに近くだったので、歩いていくことにした。10年前にはディスコだった店を改造してイタ飯屋にしたもので、地下室は複雑に入り組んでいた。招待してくれた人が。10年前にはこの店で踊っていたと証言してくれた。この店は、ドイツ人によるドイツ人のためのイタ飯屋であることが、アンティパスタで分かった。見た目が綺麗でなく、飾り付けのセンスもあまりない。メインは、やたら量が多く、旨味が今一であり、付け合せの野菜も少し元気がなかった。でも白ワインは、イタリア産のもので安心して飲めた。しかし、こんなにも見た目にも味も違うかと感じた。逆に良い機会をいつも与えてもらい、色々な体験ができることに感謝している。やはり良い仕事をしなければと思う。

コーディネーターの意外な前職

P社の改善コーディネーターは、Iさんといい私と同い年である。この前一緒に食事をした時に個人的な話になり、彼女の過去を知る機会を得た。この会社に転職する前は、35年間散髪屋をしていたという。この会社に入社したのは、設計部門に自分の娘がいたので、その紹介で入社し製造に配属された。その直後に私が訪問してこの会社の初めてワークショップに参加して、すぐにコーディネーターに、自ら立候補したと聞いてびっくりした。まったくの素人であり、生産現場のことはほとんど知らない人であった。凄い勇気だと思う。

その最初に訪問した時のワークショップで、ある男性社員が改善に対してもの凄く反発して、部品を投げ飛ばしたことがあった。その彼を説得することに90分間、実は彼女も同席をしていた。彼は私からの説得に納得して、改善に積極的に取り組むようになった。その経過を見て、彼女はコーディネーターをやりたいと社長に進言し採用されたそうだ。

それ以来彼女が窓口になり、立派にその役割を果たしている。人の過去は意外なもので、またやる気があれば、このようにその会社のことを何も知らないでもできること教えてもらった。しかも社長の即断即決も凄いと感じた。今では彼女は品番を言えば、どんな製品が、どの部品かもわかる人になっている。

Iさんは非常に物腰が柔らかく、どの人の心にもスーッと入り込むことができ、淡々としかも優しく説得していく。派手さは全くないが、全社員からの信頼があり、確実に仕事をやるという仕事師でもある。

ドイツへようこそ(乗り物編)

ドイツに来ると、インフラ整備が整っていないことを毎度の如く痛感する。今回の訪独もドイツ鉄道は、フランクフルト空港から鉄道に向かうエスカレーターが故障、トイレに入れば使用不可など、我慢大会をしなさいと言っているようで呆れ返る。またチケットの払い戻しの案内の手紙が3週間待てば来ると駅の窓口で回答があったが、もう3カ月にもなるが一向にはがきは来ない。もう払い戻しはしたくないようだ。問い合わせても担当は自分でないといって、トラブルから避けるようにする。これは日本と違い、組織で仕事をしないで個人プレーでやっているからだ。銀行でも本人確認をしないで、勝手に知らない人に出金してしまっても、責任を取ろうともしない。日本では必ずダブルチェックするが、ドイツでは「我関せず」である。これはレストランでも同じ現象がある。

最近飛行機会社が経営難になっているようだ。エアベルリンは赤字、だから機体は真っ赤になっている(元々赤色でした)。飛行機から降りる際に配布されえるハート型のチョコレートがなくなった。(本当の赤字の原因は別にありますが、紙面には控えさせて頂きますのでご了承ください。)またJALとはワンワールドのアライアンス(提携)を結んでいるが、JALのダイヤモンド会員なのに、今月から空港内のラウンジが使えないようになってしまった。そこまでサービスをカットするのかと言いたい。何のためにアライアンスを結ぶのか?何の提携にもなっていないぞ!と声高く繰り返し言いたい。

ルフトハンザも経営が厳しいようで、最近になって搭乗する時に置いてあるはずの新聞や雑誌がすべてなくなっていた。飛行機の機体の色は、黄色なので注意信号だ。ドイツ鉄道も1等車に配布してくれるオシボリがなくなり、小さなチョコレートもなくなり、最近は一番安い「ハリボ」社のグミのみになった。これもコストダウンの余波だろう。鉄道は儲かっているが、サービスは低下してきた。これら飛行機のサービス低下の原因は、日本でも飛ぶようになった格安のLCCといわれる飛行機の影響だと思われる。でももっと頭を使うことで、サービスの仕方が出来るはずだ。最近買い物に行ったら、中国資本のスーパーでは、レジ袋が1セント(1.3円)を請求された。他の店ではただだったのだが、慌ててマイ手提げ袋を出した。

ドイツへようこそ(お店編)

洗濯洗剤を買うため、今流行りのBIO(ビオ:自然食品。日本ではバイオという)の店で環境にも優しい洗剤を探した。棚の最下段にその洗剤があった。値段は16回分で4ユーロと少し高かったが買うことにした(普段は18回分で、4ユーロのものを買っている)。エコにいいなあと思いながらレジに向かった。バーコードを読んだら、なんと7ユーロになっていた。表示と現物では、3ユーロも違っていた。多分表示の間違いだろうが、確認をしておけ!!と言いたい。この店には、今後絶対に来ないことを心に誓った。

デュッセルドルフのアパートのエレベーターは、非常に古いがその分故障も多い。銘板の刻印を見ると1960年設置とある。エレベーター内の電球が切れて(当然螢光灯でない)、ドアを閉じると真っ暗になる。故障したままなんと2週間も修理に来なかった。ここの大家さんは、非常にのんびりしている。ただし水漏れだけは、その日にも来てくれる。嘘でもいいから水漏れと言いたい。ああそうだった、ドイツには「サービス」という言葉がなかったのだ。

ドイツの日本人のためのコミュニケーション誌が2週間おきに発行され、色々な店に置いてある。しかもタダであり、ドイツにまつわる政治経済などの情報も良くわかる紙面になっている。買い物の際には必ず手にしている。グルメ情報も掲載れているので、そこから探して出かけることにした。幸いデュッセルドルフの店の情報がドイツ国内で一番多く、しかもアパートの近所の店が登場することが多い。

今回は、韓国料理店の「アリラン」と中華料理店の「温州」に目をつけた。住所を調べるといつも散歩している道の隣の筋であったので、さっそく散歩がてら出かけた。「アリラン」の店の前で店を確認していたら、ちょうどウエイトレスと目線が合ってしまった。これも縁かなあと思って店に入ると広いフロアに4人掛けと6人掛けのテーブルが合計50人分あり、さらに奥の方には宴会場もある店だった。情報によるとデュッセルドルフでは名の通った店で、広いフロアがあった。奥の席には団体さんが入っていたが、手前のフロアには何と私一人だった。悪い予感が横切ったが、ランチメニューにあった石焼ビビンバを頼んだ。つい立の障子には穴が開いたままで、椅子の背板の上の笠木(かさぎ)が手垢で真っ黒になっていた。ますます悪い予感が漂ってきた。

少し時間を置いて、まずおかずが八皿出てきたが、これはまずまずの味だった。そして熱々に焼けた石鍋に入ったビビンバが出てきた。この店は、玉子が目玉焼きになっていた。その下の野菜の具が少なく、案の定貧祖なものだった。だから目玉焼きにして下が見えないように施しがしてあったわけだ。さらにこれにかけるコチジャン(唐辛子味噌)は、チューブに入ったもので本当に一人前しか入っていなく、ぎゅうぎゅうに絞って何とか間に合わせた。味はいまいちであった。名の通った店と紹介があったが、名店ではなく、美味しい店とも書いてはないので、文句は言えない(編集者はよく観察していると逆に感心した)。でも選択の失敗は、次回から来店しなくても良いという貴重な体験を得ることが出来る。だからまたこうして、「ドイツへようこそ」シリーズが書けるのだ。

ついでにスイス編も紹介する。いつも通っているLiestalという一万人の町には、山の中のホテルを使うが、今回は結婚式で満室であり、街中の「エンジェル」というホテルに泊まった。このホテルはエレベーターの内コンクリートにペンキで壁画風に各階に天使の絵が描かれている珍しいホテルだ。そのためか料金は法外に高い。スイスの物価は、ドイツの約2倍だが納得できない。

晩御飯をホテルの前の中華に出かけた。なんとウエイトレスはインド人だった。悪い予感がしてきた。ビールを頼んだら、変な味だった。なんとまったく冷えていないビールを持ってきたのだった。常識外れもいいところだ。インド人もビックリというが、日本人もビックリの出来事だった。食事の前菜は、小さな春巻きなどこれは問題なかった。メインのエビチリもまずますだ。それに付き合わせたチャーハンが不味かった。ご飯に具が混ざっていなくあおりが不足していた。どうもスイス人によるスイス人のための中華料理のようだった。