今月の執筆者

小谷順子

五十年ぶりの

フェスティバルホール

 今から六年前、大阪中之島の朝日ビルが新しく建てかわるという記事を新聞で知り、五十年前の新朝日ビルでのOL時代が蘇って来ました。会社の中にワンダーフォーゲル部が出来、近くの六甲山歩きから遠くは夏の槍ケ岳登山、秋の尾瀬ヶ原行き、冬はスキーと多くの楽しみを見つけていました。

 でも何といってもフェスティバルホールで第九を歌うという経験。昭和三十八年「第九を歌おう」と呼び掛けの募集があり、会社の友達を誘って二人で参加。外山雄三指揮、関西交響楽団、ソロのメンバーには伊藤京子さん達を迎えての演奏会でした。

 今でも古くなった写真の中から豆粒ほどの自分を見つけ、時を越えて思い出す嬉しさは私を青春時代に引き戻してくれます。

 昔と同じように建て直された「中之島中央公会堂」での練習。初めてのドイツ語、大勢の仲間、本格的なオーケストラの演奏。六甲の山荘で一泊合宿もありました。合唱メンバー270名近い仲間を、実行委員を立てながらまとめてくれた人達が誰だったのか覚えていませんが、感謝の気持ちで一杯です。写真で見る仲間の数は合唱では女声が180名、男声90名、オーケストラは90名近い。こんな大合唱は初めてでした。あの時のうれしさが、今も私の合唱を支えているような気がします。

 ようやく平成二十五年4月新しい朝日ビルが出来、同時にフェスティバルホール誕生。第36回全日本お母さんコーラス全国大会の会場となり、倉吉女声合唱団も参加。その8月25日は、私にとって五十年ぶりとなる新装なった大阪フェスティバルホールの舞台に立てた記念日、長い合唱経験の最大の喜びの日となりました。良き仲間、指導者があっての倉吉女声合唱団、大切に心を合わせて歌ってゆきたいと思っています。

 (倉吉女声合唱団)