海外こぼれ話 150               

 

素敵なドイツ娘さんに出会う

 

 9月末に日本に帰国する時に、フランクフルト空港のJALの受付に民族衣装をまとった、うる若きドイツ人の娘さんが二人立っていた。南ドイツの民族衣装がすぐに目に飛び込んできた。何でこんなところに綺麗な娘さんがいるのかなあと思いつつも、受付を済ましてすぐにラウンジに駆け込んで、残った仕事を懸命に片づけた。このファーストクラス用のラウンジ(といってもビズネスクラスのグレードの高いメンバーは入れる)で、仕事をすると非常に集中して仕事をこなせるのでちょっとした書斎にもなっている。一気に原稿を一本書きあげることもあるくらいに、ちょうど良い雑音と手ごろな食料や酒もあるので、本当にリラックスできるので重宝している。

ラウンジにいつも最後までいて仕事をしているので、ラウンジの日本人従業員の皆さんもよく心得ておられて、ちょうど良いタイミングで声をかけて頂く。今回も最後までラウンジにいて、荷物検査をしてファーストライン(皆さんより早く機内に入れるライン)に通してもらう。最終確認をして見上げると、先ほどの美しい娘さんが目の前にいたので、ハットしてしまった。見とれていると、隣にいた女性から、「どうぞご一緒に写真を、彼女らと一緒に撮りませんか?」と勧めてくれた。当然断る理由なんてまったくなく、すぐにスマホを出して撮影してもらった。ついでに彼女のアップも撮影したが、余りにも彼女が素敵だったので、不覚にも手振れしてしまった。さらに彼女が手にしていたお土産も頂いてしまった。それはドイツで発明されたプレッツェル(ドイツが起源のパン)というパンの小型バージョンであった。日本では、棒状になったものが、G社から「プリッツ」という名前で販売されている。

すぐにスマホの画像をインターネットで、フェイスブックに投稿した。色々と反響があり、彼女はスイス人なのか?など皆さんが非常に興味を持たれた。でも私の鼻の下が長くなったのも、しっかりチェックもされていた。10月の帰国にまたフランクフルト空港のJALの受付で、Dさんから「松田さん、この前インターネットで拝見しましたよ。今日の受付にいる右側の彼女が、ご一緒に写真を撮られたタマラちゃんですよ。」と紹介されて、またまた思わす腰が抜けそうになった。そういえば遠くから見た時、金髪をアップにして小顔の綺麗な女性がいるなあと思いつつも、ドイツ語は話せないので日本人のDさんのところで受付けた訳だった。先月のタマラちゃんは、お下げ髪をしていて南ドイツの民族衣装だった。その時はちょうどミュンヘンでオクトバーフェストが開催されたので、そのキャンペーンとして、JAL社内で彼女たちが盛り上げたことが分かった。今回聞くとタマラちゃんは日本語もできるというので、鼻の下を長くしないようにして次回は話しかけてみたい。

 

2週間かけてC社の4つの工場を訪問する

 

C社の工場はチェコも合わせて、4つの工場で仕事をさせて頂いている。今年は一気に4つの工場を、2週間にわたって訪問することになった。最初は本社工場に行ったら、資本を持っていたファンド会社がこの会社を売って別なファンド会社になったので、てんてこ舞いをしていたというのだった。C社は以前10年前に企業買収されてから、企業の価値が何と5倍にもなっていたという。この間に始めた改善活動が良い成果になったことが、今回買収した第三者のファンド会社からも読み取れたようだ。でも不安なのはこの会社の社員だ。

経営トップが第三者にわたり、新しい経営者が差し出す経営方針がどのようになるのが全く分からないからである。でも改善は継続するようだが、ファンド会社は自分のブレーンのコンサルタントを抱えているのが普通なので、そのコンサルタントを派遣してその費用の一部を自分たちの小遣いにするのが一般的である。その点が不安でもあるが仕方のないことで、目の前にあることを誠心誠意で務めることしかない。

世の中がリーマンショック以来、本当に企業や世の中が動いていることが、企業を訪問していると手に取る如く良くわかる。米国の企業においても、J&J社、P&G社など素晴らしい企業が多くある。しかし多くのファンド会社は、企業買収を単なる自分たちだけの金儲けの手段にしか考えてしかいないように見える。工場に勤めている人たちは、単なるモノの扱いになってしまっているのは、本当に可哀想だ。企業は社会貢献のためにあり、投資家や株主の儲けだけの手段になっているのは悲しい。

この本社工場の改善プロモーターは、昨年から32歳の男性Bさんに代わった。彼は高校を卒業してこの会社に就職して、その後夜間の大学に通ってさらに博士号まで取ったという勉強家だ。この会社の改善プロモーターは、8人いてその内各工場には6人の専任がいるが、彼はその内の一人だ。他の5人はいずれも20代の女性であり、彼女らはいずれも修士である。特にチェコの二人は非常に優秀で、年上のまるでお父さんのようなオペレータに、トヨタ方式を理解させ説得しながら進めている姿は本当に感心させられる。チェコのオペレータは共産時代の指示命令の言われたことだけしかせず、自ら考え行動し自分の価値を上げていく考えはほとんどない中での改善活動の取り組みをしている。

 

チェコ工場に移動

 

本社工場からチェコ工場は、Bさんと一緒に車で6時間半もかけて移動した。朝8時にホテルに迎えに来てもらい、少しだけ英語で話をして、そのまま一回のトイレ休憩をしただけで一気にチェコ工場へ走った。ドイツ人は本当に運転が大好きだ。直接工場に訪問して、前回の改善の現場や今回の改善取り組みの現場を確認した。その後いつもの宿泊先のペンションに向かった。今回のチェコの通訳は、プラハ・カール大学の日本語学科教授のシーコラさんで、もう数回一緒に仕事をさせてもらっている。日本の歴史など日本については、私以上にご存じでかつ権威のある人で、日本の大学でも数校講義をされる凄い人だ。元小泉首相の通訳もされたことがある。

今回は、大学のことについて話が弾んだ。プラハ・カール大学は1384年に創立された大学で、欧州で最も古い大学の1つになっている。創立したのは、神聖ローマ皇帝のカール4世だった。彼自身がパリ大学を卒業して、皇帝になってプラハに戻ってきて創立した。カールは、Charlsと書き、英語読みは「チャールズ」であった。そうか!綴りは同じでも、ドイツ語圏と英語圏の読み方が違うだけだった。ドイツ語で、ドアのことを「Toer」と書き、「トゥアー」と読むが、元々はドイツ語圏から来たと想像できる。工場に行った時に日本語をチェコ語に翻訳してもらった時に、マジックで書かれる手さばきが、妙に筆を持つ格好に良く似ていたので、普段も筆も使われるのかと伺った。

古文書を写本する時など、自分でテキストを作成する時も筆を使われるそうだ。創立当時は、3つの学部であったが、現在は17学部もある。当然日本語学科もあり、院生、博士課程も含めて、100人くらいが学んでいるそうだ。最近の傾向として、日本語だけでなく、経済、工学、医学など複数の学科のハイブリッドの組合せをして、企業へ就職するようだ。一つの例として、日本語と工学、そして医療の3つの学科を学んだ女性が、日本で就職して3つの学科で学んだことを最先端の技術に活かしている話も伺った。

 

チェコでメキシコ料理を食べる

 

チェコの物価は安い。レストランで食事をして、ビールを飲んでお腹一杯になっても一人千円で済む。200チェココルナは、日本円に換算する時は、5倍にすればよく非常に換算しやすく、200×51000円である。前回は新社長からのお誘いで寿司バーにてご馳走になったが、今回は2人の改善コーディネーターの女性からお誘いがあり、市内にあるメキシコ料理店に行くことになった。メキシコ料理は、南ドイツで何軒か連れて行ってもらったことがあったが、チェコでは初めてだった。個室が用意されており席を取った。でも久しぶりのメキシコ料理だったので、何を頼んでよいかわからなかった。チェコのメニューには、値段は当然であるが、料理の重さまでグラム表示されている。食べ過ぎに注意せよというのか、それともどれくらいの量が出るのか想像されるためか。いずれにしてもお腹と予め相談が出来るのは非常に良いメニュー表現である。逆にカロリーがデザートに書いてあると、まったく売れないメニューになりそうだ。皆さんで一緒に食べられるということで、前菜としてチップス(コーンを三角形にしてフライにしたもの)を思い出した。

複数のペースト状のサルサ(スペインでは水気のある料理の意味、スープが語源)と呼ばれるチリなどを潰したものをちょっとつけて楽しむ料理だ。それを摘みながら黒ビールを嗜む。メインは、パン生地の上に刻んだ野菜や焼いた肉片を自分で載せて巻いて食べるタパスを頂いた。女性の皆さんはデザートをしっかり食べている間に、私はメキシコのテキーラ(リュウゼツランで作った蒸留酒)を飲む。美味しかったので、あれよあれよをいう間に3杯も飲んでしまった。そしたらウエイターがやってきて、メキシコでは奇数は縁起が悪いというので、偶数にするためにもう一杯どうぞともう一杯持ってきた。本当かどうかわからないが、そのサービス精神は素晴らしい。

 

さらに2つの工場を訪問

 

C社の2週目は、ドイツ国内でStuttgart近郊の町P市だ。この町のホテルの近くにとても美味しいイタリア料理店があり、行くのをいつも楽しみにしていた。席を予約しておこうと思ったら、なんと日曜、月曜が休みだった。仕方なく別なイタ飯屋に行くことにした。商店街を抜けたところにあり、一度行ったことのある店だ。途中やけに明るい店があり、覗いてみるとそれは薬局だった。綺麗な飾りもあり、センスのいい店を思ったら看板には、1853年創業と表示があった。なんと歴史160年の古くて新しい店だ。

目指すイタ飯屋は、意外にも非常に美味しく見た目にも素晴らしいアンティ・パスタが出てきた。今までにドイツで数十軒ほどイタ飯を食べてきたが、この料理は3本の指に入るほどだった素敵だった。前回来た時はそんなに気にもしなかったが、意外な結果だった。思わず白ワインのピノ・グリージオ(安くてしかも美味い)がグイグイと進む。これで気を良くして、メインは海のモノのパスタも見た目、味ともに素晴らしい料理であった。いつもいく店がベストだという先入観は捨てた方がよさそうだ。

M工場で先週いつも使っているゴルフホテルは、3年前までは閑古鳥が鳴いていたが、昨年から経営者が替わってから、ホテル内でセミナーなどを開催始めて、近頃は賑わっていて、今回は今までにないほどの客で溢れていた。会社経営も同じことで、トップが替われば一気に変わってしまうようだ。ドイツの諺には、魚は頭から腐るというのがあるが、私はそれに加えて「でも魚は頭から泳ぐ」と言っている。このC社には、以前技術社長だったFさんが相談役として来年から復帰されるので期待できようだ。P工場でのコンサルティングは、美味しい料理を食べた効果があったようで、どのテーマも非常に良い結果が出た。あるチームは、発見した問題をすべてクリアにすることができた。

 

次の工場に移動

 

引き続き次の工場には、P工場の女性のコーディネーターのEさんが同行して運転をしてくれた。道中の2時間半はどういうわけかご機嫌がよく、彼女の個人的な話をしてくれた。同棲している彼氏のことも、結構オープンに話をしてくれた。アパートの靴の置場が半々だというので、それは女性に対しての配慮が足らない彼氏だと指摘した。駐車場が一台分しかないので、取り合いになっているというので、それも可笑しいことで料理はEさんがすべて行うので、絶対に駐車場を譲るべきだなんて話をしていたら、L工場のホテルに着いた。

このホテルも今年からオヤジさんから娘さんに経営交代したばかりであるが、インターネットで手配ができたり、ホテルやレストランの対応も俄然よくなってきて客が増え始めている。ウエイトレスも私の名前を、直接呼ぶようになった。このホテルのレストランで出すビールは、地方ビール(いわゆる地ビール、修道院のマークがある)がとても美味い。コク味の深さがあり、一杯では絶対にもの足りなくついつい喉から手が出る感じの美味しさだ。マーケティングをしたようで、客のことを学び始めたようだ。

ビールが美味しいと、仕事も上手くいく正比例の相関関係があるように感じる。ビールでもワインでもよいのだが、呑み助には兎に角口実をつけて飲む理由を作ればよいだけだ。酒のツマミということだ。この工場の改善プロモーターは昨年からの新人で経験が少し浅い。しかもかなりの自分に自信を持ち過ぎる点が、素直でない面を露呈するものだ。もっと顕著になれば、皆さんも一緒に協力してくれる一面を見させてもらった。間接的に気づかせるヒントを出しておいたが、少し期待してみたい。コンサルタントの仕事の一つに、コーディネーターの育成がある。彼らを育てて、普段は彼らが私のような改善の業務に励んでもらう必要があるからだ。こちらも毎回が勉強であり、それをさせてもらってお金をもらっており、本当にコンサルタントは有難い商売である。

結果としては、難しいテーマも乗り越えることができた。最後は感情移入も積極的に試みた。デュッセルドルフの帰りは、飛行機だった。デュッセルドルフ空港内には、レンタカー会社の数mもある宣伝用のモニュメントが目を引く。毎回よく作るなあと感心させられる。日本の某携帯電話の宣伝のようだ。

 

デュッセルドルフ市内の樹脂関係のメッセに参加

 

デュッセルドルフ市内で樹脂関係のメッセ(見本市)があるというので、10年来の友人のGさんから手紙が届いた。このメッセは2年に一度定期的に開催される。Gさんがこのたびドイツで、いや世界で有数の成形機メーカーの技術社長に就任することになった。同社がメッセに出展するということで、招待状が同封されていた。日程調整をしてデュッセルドルフ市内で一年ぶりに一緒に食事もすることにした。昨年はベルリンで招待されたので、今度はこちらが招待する次第である。土曜の午後からメッセに向かうことにしたのは、車は駐車場が遠くになり不便なことが想定されたので、市電に乗っていくことにした。通訳も滅多に市電に乗ったことがなく、切符もどこで買うのかを二人で探したほどだ。市電には自分でチケットを買って乗ったことがなったが、終点まで乗っておればよいので意外と便利であった。眺める風景も普段見ないデュッセルドルフ市内を見ることができる。しかし、チケット代は2.5ユーロと結構高いのが難点だ。名刺を受付で出して、首にぶら下げる名札を作ってもらう。

入り口にはその名札を吊すためのバンドが置いてあった。よく見るとGさんの会社のロゴマークが入っていた。うろうろしながら、色々な展示や設備を見ながらGさんの会社を目指した。メッセ会場は馬鹿でかく、地図を見ても全体像が全く読めない広い。その名札のバンドはすべての来場者がぶら下げていたが、Gさんの会社のロゴだった。とてつもなく宣伝費を払っていると想像できた。またこの会社はマーケティングも上手いが、宣伝も上手いことで有名だ。

13号館のA13の目指した会社は、一番大きなブースだった。超有名な会社だと知っていたが、これほど大きなブースを設置するだけのことあるはずだ。商談の邪魔をしては迷惑なので、挨拶もしないまま各展示を見て回った。日本のメーカーが意外に少なく、台湾、中国、韓国からの出展が目についた。中には、トルコやドバイのメーカーもあった。現在使用される最新の情報が、現物とともに動く状態で見ることができるのがメッセの良い点だ。しかも同じようなものが数多くあるので非常に比較しやすいのも目を楽しませてくれる。

メッセを切り上げて、夜の接待に繰り出す。案の定Gさんは、商談で遅れると遅れる連絡が2度もあった。今宵はデュッセルドルフの和食屋で、唯一ミシュランの1つ星の店「NAGAYA」。2年前は旧市街の近くの地下にあったが、日本人の多く集まるクロスター通りに引っ越しした。シェフは岐阜出身だ。1時間半遅れてようやく笑顔一杯のGさんがやってきた。ハグし合いお互いの元気を確認し合う。早速彼の選んだ白ワインのリースリングで乾杯をした。