海外こぼれ話 151              

 

ミシュラン1つ星の和食レストラン

 

 前回の続きになるが、デュッセルドルフの和食レストランのコースが、「お任せ」というタイトルになっていた。コースはそれ1つしかなく、あとはアラカルトで一つひとつ選ぶ方法である。しかしその選び方の方が、割高になることと煩わしくなる欠点がある。そのためにGさんとの会話の方に集中できないこともあり、「お任せ」のコースを選んだ。2年前の値段と比べると2倍近くになっていたが、ミシュランの星を取ると値段も上がるものかと思った。ちなみに料理だけで、158(2万円)だった。

女将さんの衣装も以前とは違い、和服で接待をしてくれたが、その衣装代もコストに反映されたかと勘繰った。しかしメニューを見ると、以前より品数が増えていたのでその値段に納得した。海外に出ることになってもう14年になり、その間必ず東京で必ず宿泊するので、色々な場所で食事をする機会に恵まれるようになった。そのお蔭で、ミシュランの3つ星、2つ星、1つ星といったレストランにもかなり行く機会を得ることができ、楽しみの1つになっている。

 最初に飲み物を選ぶが、Gさんはかなりのワイン通なのでソムリエに替わって彼に選定してもらった。最初は料理の内容から、白ワインのリースリングで乾杯した。料理の内容を列記してみよう。一は、フォアグラのテリーヌ、イベリコ豚のハム、えんどう豆と玉ねぎのチップ、タコのから揚げ。二は、欧州産和牛のほほ肉煮込みと和牛刺身のクスクス包み。三は、活海老のポシェ(茹でる。海老は仏産)と銀杏の酒炒り。四は、ブリューターニュ産オーマル海老の土瓶蒸し。五は、マリネした日本産鯛と塩昆布。六は、仏産的鯛のソテー アンチョビと柚子。七は、寿司(鮪、鯛など4貫)。八は、サワーチェリーのシャーベット。九は、スペイン産牛のハラミのグリルとトリフのジェ(肉汁)。十は、イチジクのタルト。十一は、洋梨のコンポート(ワインやシロップで煮込んだもの)とチョコレートムース。十二は、スイーツの盛り合わせという具合だった。

 

ソムリエとは4年ぶりの再会

 

飲んでいる間に20代の女性と30代の男性のソムリエが代わる代わるやってきて、料理の説明とお勧めのワインについて話をしてくれた。その男性の方の声を聴いているとどこかで聞いたような声だったので訊ねてみた。「あなたは、ミュンヘンの「TOSHI」という和食のソムリエをしていませんでしたか?」彼曰く、「もしかして松田さん?」、「やっぱり!」ということになった。

なんとミュンヘンにあるO社に行っていた時に、何度かその店「TOSHI」に招待されていった店だった。この店では、料理一品ずつに対して最も合うワインをこのNさんに選んでもらい堪能していたのだった。Nさんは2年前にこの店にやってきたというが、ドイツでも本当に世間は非常に狭いことを感じた。そういえばミュンヘンのO社は、4年前に米国に企業に買収されてしまい、経営者が変わったのでコンサルの依頼がなくなったが、縁はつながるものだ。

大手の企業はこのような企業買収があると、その経営者やオーナーの意向で雇うコンサルタントも変わるのが一般的だ。私が目指しているのは、中小企業のオーナー会社であるのはその安定した関係が築きやすいからである。

 

夜遅くまで談笑は続いた

 

通訳が事前に2週間前にこの店に来て、Gさんと接待するに適しているか探ってもらっていた。私の事前の噂では、以前の旧市街にあった時に比べてサービスが低下していることを耳にしていた。通訳からの報告では、料理とともに雰囲気もサービスも問題なく、特にソムリエが非常に詳しいので、お勧めですという評価を指定していたので、その通りでホッとした。料理が次々と出てきたが、その都度スマホで撮影をした。食べることも楽しみにだが、撮影も後で見ることができるので最近の楽しみになっている。

Gさんとの付き合いはもう10年になり、その間彼は3回会社を替わった。欧米では会社を次々と転職しながら、出来る人はトップに上り詰めていく。Gさんもその一人で、10年前は取締役、その後はD社の技術取締役、そして今度はドイツで最も有名で、世界でもナンバーワンの成形機のメーカーの社長に就任という出世の階段を登っている。この企業への就職に際して、私が推薦状を書いたことを非常に評価してくれた。少しでも就職に有利になったことは、私も非常に嬉しいことだった。新しい会社には、まだ3カ月程度だか以前から訪問していたようで、多くの話題が満載だったので話がどんどん展開をしていった。通訳も大変だっただが、あっという間の4時間半だった。

店は23時に閉店だが、私たちはもう24時を回っていた。他の人もフルコースは、3時間半から4時間程度のようだった。店には10組以上の客がいたがこの時間にはさすがに2組だけだった。欧州の接待はこのように長丁場でも話題をしっかり用意しておき、話が途切れないようにしておく必要がある。普段からボキャブラリーを豊富にしておく必要もある。そして相手も満足し、こちらの言いたいことを聞いてもらうように仕向ける必要があり、飲んでも酔えないという欠点があるが、それでも楽しいことには間違いない。量が少しずつのコース料理であったが、塵も積もれば山になり腹一杯になった。本当に久しぶりにドイツで午前様になったが、この店からアパートまでは約500mほどなのでちょうど酔い覚ましをしながら帰ることができた。

 

ドイツ鉄道へようこそ

 

 またまた恒例になっているドイツ鉄道のいい加減さを紹介するコーナーである。さて今回は、デュッセルドルフ駅からStuttgart行きの電車に乗るためにホームで電車を待っていた時の事件だ。何やら放送があり、ホームがざわつき始めた。また21号車と29号車を逆に接続したことかと思い電光掲示板を見た。少し様子がおかしかったが、ドイツ語がまったく読めない、書けない、話せないというドイツ語能力なので状況を想像するしかなかった。

39号車の予約だったので、前後の方向が反対になるのを想定して300m反対側に移動して待っていた。ほぼ予定時間に電車が入ってきたが、しかしいつもの電車の長さと比べて半分しかなかった。29号車はあったが、乗るべき39号車が見つからない。電車は日本と違い、21号車から29号車の9列編成と31号車から39号車までの同じく9列編成を29号車と31号車とくっつけて18両編成で運転している。しかし、今日は21から29号車の半分しか接続していなかった。新幹線のように、1号車から16号車は非常に分かりやすいが、ドイツは簡単なことを複雑にする傾向があるので本当に困る。

これはまたとない海外こぼれ話のネタであるが、指定席がなく時間もなかったので、とりあえず21号車の2等席に座った。満員であったが、空いている席を探し指定席のところに座った。ドイツの鉄道は、指定座席にどこからどこまでという表示があり、それを見てまだ空いている席かわかるようになっている。その空いていた席はケルンからとなっており、次のケルンまでは座ることができた。前を見ると鼻筋の通った美人が、音楽を聴きながら眼を閉じていた。その間は彼女の顔を見ながらケルンから乗ってくる通訳に連絡をして、私たちの乗る列車がないこと説明し、とりあえず1等車のある29号車で落ち合うようにした。この現象は、2年か3年に一度経験できるがもう繰り返したくない。

 ケルンに着くと、非常に多くの乗客が短くなっている列車に集まって来ていた。いつもの半分しか座席がないので大混乱の大騒ぎだった。21号車から飛び降り、一気に150mも走り先頭の29号車に向かった。余りの人で通訳は見つからなく、それでも先頭に乗り込むことができた。先頭の車両には逆方向に運転するための運転席があり、その後ろに9人ほどが座れる席がある。この席は特に静かに出来る部屋で、携帯電話もしてはいけないことになっている。この小さな部屋に入るには自動ドアではなく、直径3cmほどの小さな押しボタンを押さなければドアが開かないという仕組みになっていた。それを知らない乗客がほとんどで、先頭に1つ席が空いていたので、すぐにその押しボタンを押してスーと席に座ることができた。通訳に電話をすると彼も乗車したことが分かり安堵した。席を確保した場所を教えて、そのままStuttgartまで行くようにした。

ドイツ鉄道は、携帯電話をしても良い車両や静かにせよ!と表示をしてある車両や一部の席がある。今日も老人が大きな音で呼び出し音を鳴らせ、大きな声で電話している。目の前に携帯禁止、静かにせよ!のマークが張り出されているにもかかわらず電話をしていた。注意しようと思ったが、あとの寿命が残り少ないような老人でもあり、心苦しかったがそのままにしておいた。

ついでにフルトハンザ航空にもようこそを紹介したい。先般ハンブルク空港からデュッセルドルフ空港まで、飛行機を使った。1時間も掛からない近距離であった。それでも夜間の時は、無料の飲み物とスナック菓子などが提供される。私と同い年くらいのオバサンの乗務員がサービスにやってきた。ガス入りの水と白ワインを頼んだら、怒ったように「水はもうない!」といってワインだけを出して、すぐにギャレー(湯沸しなどのある空間)に帰ってしまった。ガスなしでもよいですか?とか、他の乗務員に聞いてみるとか、それなりの対応があるはずだが、怒ったような顔(彼女から笑顔は期待できないような形相)をしなくてもよいだろう。日本では絶対にありえない対応だった。

この航空会社の社長はあと一年の任期があるが、先日の新聞の一面に薬品会社に替わると宣言をして話題になった。薬品会社の社長の方が断然給料がいいからで、そんな態度なので乗務員の態度も悪くなるのは当たり前だと感じた。今エアベルリンもルフトハンザも、経営が怪しくなってきているとの噂がある。

 

部屋は広いが壁が薄いホテル

 

 Stuttgart駅からP市までは、事前に予約をしておいたタクシー(日本でいえばハイヤー)を頼んだ。電話予約をしておくと、事前に行先も把握しており、料金も割安にしてくれるメリットがある。ホテルは、プリンセスをいう3つ星(ホテルは5段階であり、3は中間レベル)に泊まる。プリンセスという名前だが、男性でも泊まっても良いホテルである、今まではロフト風の広い部屋だったが、今回はかなり広く40平米もあった。しかもベッドは当然ながらダブルサイズだ。翌朝早起きするために、4時半に目覚ましを掛けて寝る。

時間通り4時半に起きて、風呂に入ってから少しベッドで休んでいた。すると隣の部屋から目覚ましの携帯による振動しているのが、私のベッドにも伝わってきた。5時半からなんと30分も続いていた。なんと鈍感なお客かと思った。しばらくして携帯が切れて、くしゃみも聞こえてきた。このくしゃみで隣は女性と分かった。部屋は大きかったが、壁は非常に薄かった。

7時から朝食なので、部屋を出たら隣の客が分かった。身長190cm近くのスラリとしたモデル系の女性だった。食堂で顔を見たらなんとも小さな小顔であり、身長と比較して八頭身というのはあるが、なんと彼女は十頭身だった。しかもお年は二十代半ばであり、モデルにもなってもよいほどの体型だった。でも30分も目覚ましに気づかないのは図太い神経の持ち主か。でももしかして彼女が目覚めなかったのは、壁が薄かったので私のいびきがうるさかったので寝られなかったかもしれない。

 

ワークショップでの余談

 

 C社のP工場の改善担当の女性のエバさんは話好きだ。週末は家でグーグルの検索機能を使って、色々と調べるのが最近の楽しみになっているという。以前は本で調べるのが一般的だったが、この数年で様変わりしてしまった。コンピューターとインターネットによる情報革命は、私たちのライフスタイルも一気に変えてしまった。ドイツでもカボチャが売られているが、その名前は「ホッカイドウ」という名前がついている。外観はオレンジ色と違い薄茶色でしかも皮が薄く包丁で切りやすい。これは20年ほど前に南ドイツ在住の日本人が、郷土の北海道からカボチャの種を輸入して栽培したのが始まりだという噂があったが、今はドイツで人気のあるカボチャである。どういうわけか話が洗剤の話になって、一番汚れが落ちないのはタンポポの茎からでる白い汁の汚れだと話題になった。わが家のウサギは、バナナやリンゴなどは必ずニオイを嗅いで確認してからだが、タンポポをやるとなんの疑いもなくすぐに食らう。人間にはわからないが、タンポポの汁の臭いでタンポポとすぐわかるのだろう。

 P工場で90分のセミナーを行ってから、改善をするために現場で作業を観察し、問題を発見して改善案を考えて、すぐに改善に取り掛かる。各チームの様子を伺い、時には間違った方向に進んでいないか、もっと援助が必要かなどを探りながら巡回をするスタイルを取っている。巡回していると、25歳だというトルコ人の女性から話しかけられた。初めて話をしたかと思ったら、今回が2回目のワークショップで、この前はどんな講義を聞いたかということを覚えているという。一度この工場で働いていたが、1年前にトルコに帰って仕事を探したが、就職できずまた復帰したという。トルコ人は上司にゴマすりをして、出世するという。それは日本も同じことだといったら、大笑いになった。

他のチームの女性からもワークショップに参加するのは、既に3回目だとか4回目などのなど話し掛けられた。いずれも前回はどのような講義だったなど覚えていてくれていた。かなり印象を与える講義をしているのか、参加した人は良く覚えているのだと教えられた。そのためにも精一杯の誠心誠意を持って、講義や対応をしなければならないと改めて感じた。

 

新規の会社に予備診断に行く

 

ベルリンの知人から紹介があり、以前から訪問していた会社から転職したので、是非予備診断をして欲しいとリクエストがあった。別な客先から移動してベルリン空港で待ち合わせした。そのからブランデンブルクの町に行くには、1時間掛かるという。夜も遅くなり食事もできなくなるので、空港の近くのレストランに立ち寄った。「漁師」という店で、魚料理を出すちょっとお洒落な店だった。その店の選択は、同行していた秘書が選んだという。そこから工場の近くのホテルに着いたのは、23時半であった。朝7時に玄関で待ち合わせする約束をしてすぐに寝た。風呂付きの部屋であったが、スイートルームだった。

7時前にホテルのレストランでパンの1つでも食べようとドアの前に来たが、まだ鍵がしてあり中に入れなかった。次々と客が押し寄せてきたが、皆ドアの前で立ち往生している。7時を過ぎたので朝食を取らないで、待ち合わせの玄関まで裏口から出て彼らを待っていた。712分に迎えの車が遅れてきたが、ホテルの担当もこの時にやってきた。完全に大遅刻である。しかもその遅れてきた若い女性は、待っている人たちに謝罪は全くなかった。知人に聞くと、この地域は旧東独なので、未だにサービスがまったくできないという。ここの住民はこんな態度なので、企業は撤退し産業も次第になくなっているという。この辺りは観光がメインの産業になっていて、紙で作られた旧東独のトラバントという車をホテルが貸出をして、それに乗って観光をするのが流行りだという。

この地方で目立つのは、風力発電の風車の圧倒的な数である。一つのブロックには数十基がそびえたっている。その電力を必要としている南ドイツに送電する能力がないので、電力を結局捨てているという。でもその設置費用の補助金の提供、国のやることは、ちぐはぐでどの国も一緒だと感じた。

工場に入って予備診断する前に、自己紹介とコンサルの内容を紹介した。20人が参加して熱心に話を聞いてくれたが、途中から組合長が反対する妨害をし出した。そこで彼に「手も上げないで勝手に言いたいこと話をするのは、大人ではなく子どもすることだ!」と喝を入れたら急に大人しくなった。その後工場長と一緒に工場内を観察し、指摘をしていったら、彼も納得し始めた。全員に現場観察と問題点発見、改善案の立案、そして実際に改善をやってみようと投げかけた。嬉々として組合長も改善をし始めた。その日の内に2つの生産ラインの内1本が、半日の改善で40分かかっていた組立作業が、なんと20分に半減するまで改善が出来てしまった。お金は全くかけないでも、非常に効果的な結果を一気に出すことができた。彼ら全員が目からウロコを落としたようだ。