海外こぼれ話 152              

 

ハンブルクの

ドイツ人の寿司屋

 ハンブルク郊外にある会社は、毎年年末になると日本でいう忘年会のような宴会をハンブルク市内の日本料理店で催してくれる。昨年は「マツミ」という有名な和食の店に招待されたが、今回は別な店に行くことになった。最近地元では非常に有名なった店で、ドイツ人が経営している店で「ONO」(小野さんとか、斧というのではなく、ハワイ語で、魚の鰆(サワラ)とか、美味しいという意味だろうと想像してみる)」という。なぜ有名になったかというと、オーナーのドイツ人のシェフが非行青少年を更生させて就職の道を提供し、自立できるようにしたことを地元のメディアに紹介されて非常に評判が良くなった店だった。何度もメディアに登場するようになり、お客様が多く来るようになった。

店は周囲がガラス張りで中がすべて見えるようになっていて、逆に落ち着かない雰囲気がある。店に入ると、席が非常に狭く西洋サイズではなく完全に東洋サイズであった。席数を数えてみると百席ほどあった。客の服装や顔立ちを見ると、少しハイソサエティーのレベルの人たちだった。メニューを見ると、味噌汁が4ユーロ(500円以上)と人を馬鹿にしたような値段がついていた。しかも出てきた味噌汁は、100均にある8袋で100円のものをそのまま湯で溶かしたもののようで、具はほとんどなかった。味噌汁を知らない人たちに提供するには、問題ないが味噌汁を知っている人に出せば某レストランのように詐欺である。原価は12円で売価は、500円とは非常に儲かる店だ。まるでスワロスキーのガラス細工と一緒で、彼らの原価も売価の数十分の一である。

トイレに行く時にオープンキッチンを見た。狭いキッチンに数人の寿司を握る青年がバタバタとしながら作業していた。バタバタとは、非常にムダが多い作業を意味する。寿司を握るというより、海苔にご飯を押し付け、具をベタベタと押し並べるという感じで、板前が流れるような手さばきで寿司を握る一連のものとは全く違うものだった。ショーケースの中のネタは、サーモンとマグロとホタテ、さらに蒸した海老だけで、あとは野菜や果物だけだった。刺身の具は、サーモン、マグロ、ホタテの3つだけだった。これで寿司屋か?と目を疑った。今日はとてもファンタジーな寿司が出てきそうな、ワンダーランドになると想像できた。「ONO」の意味は、サワラというのだがそれらしき魚は見当たらなかった。

寿司は案の定凄く不味い

 メニューを見るとかなり高額な値段設定になっていたが、それは寿司をはじめとする和食ブームに便乗したものだ。だからお金を持っていない人は、手が出せない。テーブルが狭いこともあり、一枚の下駄(寿司を載せる台)に収まるようにセットメニューにした。ONO1(36ユーロ)、ONO2(46ユーロ)、ONO3(76ユーロ)であったので、中間のONO2を頼んだ。出てきたものは、カルフォルニア風の巻き寿司がメインになっているかのようで、肝心の握り寿司は、たった4貫だけだった。巻き寿司の切り口は、まっすぐではなく斜めに(多分わざとではない)なっていた。この辺に律儀ではなかった非行青少年の名残が感じられたが、これも演出かもしれないと勘繰ってしまった。巻き寿司は、軽くシャリを押し並べるというのではなく、ゴリゴリと押し付けてネタも潰すという感じだったので、まるで押し寿司であった。

 ホタテだというその刺身は、まったく歯ごたえがなくまるで絹ごし豆腐をつまんでいるようだった。ネタの悪さは、日本と比較をしてはいけない。しかも鳥取県のネタとは雲泥の差である。悪いとわかっていても、やはり不味いものは不味い。ビールは北ドイツでは人気のある「Becks」という銘柄のもので、北ドイツ人の好みの淡泊な味のビールだった。他の銘柄のビールには、キリンとアサヒがあったが、それらはチェコなどで生産されたものだ。でも日本酒という眼を疑うようなメニューがあったので、熱燗ではなく冷酒の枡酒を頼んだ。

これが1合で9ユーロは、妥当な値段設定だろう。出てきた枡酒には、食塩が付いていた。日本でも酒を頼んだ時に最初から塩が付いて来たのは、記憶がない。酒が不味いので、最初から塩を付けて誤魔化そうとしているかもと余分なことを考えてしまう。酒は何の特色もない水のような酒であったが、それを美味しくしてくれたのは楽しい会話だった。

百席もある席が、既に80人の客で埋まっていた。ガラス張りの作りのせいなのか、客の会話の声が大きくて、我々の会話自体も聞き取れないほどであった。食事の上がりに通訳が緑茶を頼んだ。持ってきたお茶は、ほうじ茶であった。これは緑茶ではないので、緑茶を出してくれとウエイターに突っ返した。再度持ってきたが、またほうじ茶で、湯呑みだけを代えただけだった。もう一度持ってこさせたら、またほうじ茶であり、ウエイターに「これは緑茶ではない!」と言ったら、ウエイターは「これが当店の緑茶です。」と当然といった顔で答えたので、通訳はもう諦めて緑茶というほうじ茶を飲んだ。またこの店「ONO」に来たいかと問われれば、「オー、ノー」と確信を持って言いたい。

海外の寿司屋は、そのほとんどがいい加減なものと考えてよいだろう。きちんとしたものを食べるなら、やはり日本のしかも地元で味わいたいものだ。日本で都会の回転寿司も、何が原材料かわからないものを使っており、ただ安いだけで新鮮さもまったくないものがほとんどだ。余談であるがデュッセルドルフに新しくできた寿司屋は、「OKINI」(関西でいう「おおきに」)という。日本人以外の客で人気があるが、その秘密はなんと注文するのを写真入りのタブレット端末で入力する方法であった。ドイツのメニューには文字ばかりで、写真でそれらを見ることができない。この点を見えるようにして、タッチをすると注文が出来るという簡単な方法が良かった。意外な点で人気が出ることが分かった。「郷に入れば郷に従え」という諺が頭を横切った。ドイツ人のウエイトレスは特に客との目線をわざと合わせないようにして、仕事をしないようにしていることを客も知っているから、この端末は便利のようだ。

クリスマスマーケットが始まった

11月の末になると、デュッセルドルフのクリスマーケットが他の町よりも一足早く始まる。普通はクリスマス前の4週間前に始まるのが正式な開始期日であり、ハーメルンでは伝統にのっとりその通りの日に始める。デュッセルドルフは商魂逞しいというか、年々早くクリスマス商戦が始まるようだ。そこで早速街に繰り出してみた。デュッセルドルフの中心街にある商店街が大きな工事をしていたが、最近ようやく使えるようになりそこに行ってみた。伝統を重んじるドイツ人の気風とは裏腹に、まったく現代風の店小屋になっていた。

以前は木材の温かみを感じる店小屋の造りであったが、雪をイメージした真っ白な平坦なものになっていた。人は木の暖かさも感じながら寒い冬を迎えていたのであり(想像であるが)、このマーケットの新装開店はドイツらしくないと感じた。と言っても前の店のあったところには、ほぼ同じように例年の如くならんでいたのでホッとした。ハーメルンでは、一度抽選にして店の配置を替えたことがあったらしいが、お客様も店を開ける方もいつもの店が探してもないということで、翌年から元に戻したという話も聞いた。それほどドイツの人の思考は、保守的である。

さらに散歩の歩を進めて旧市街に来たら、そこは例年通りの店がいつもの配置で店開きをしていた。このいつものというのがドイツのホッとする点だと思う。一年ぶりグリューワイン(赤ワインに色々な香辛料を混ぜて暖かくした飲み物)の強烈な匂いが、マーケットの雰囲気を醸し出す。ただし飲んでもそんなに美味しい飲み物ではないので、ただ珍しいというだけで味わうのみだ。話のネタにするため、マーケットの様子を30枚以上も写真に収めた。店の中はクリスマス用品で一杯になっており、家の中を飾り付けるグッズは毎年同じものであるが、今年の気づきはロウソクがかなりLEDに切り替わったことだ。日本ではお盆のロウソクに2年前に出始めたものが、今年はドイツにもクリスマス用品になっていた。LEDの光がロウソクのようにユラユラと揺れる仕組みだ。

街角から強烈なテンプラの匂いがしてきた。これはドイツで有名な玉ネギとジャガイモに小麦粉を混ぜてすり潰して、油で揚げたお菓子=ライベ・クーヘン(直訳すると、すりつぶしたケーキ)である。それにリンゴソースを付けたり、塩を振って食べるが、熱々なので寒い時にはもってこいのご馳走だ。しかしカロリーは考えない方が身のためだ。現地でしか食べられないお菓子だ。クリスマスになると、ドイツで有名なお菓子が売られる。

日本ではクリスマスケーキだが、こちらではシュトレンが有名だ。大きなものは1sもあり40cmもある円筒形のお菓子で、少しずつスライスして食べる習慣がある。それを2年前にプレゼントでもらったことがあり、それも一番有名なドレスデン(旧東独)製のものをいつくか入手してみた。店でお試し用にカットしたものを食べたが、濃厚で旨味もしっかりしていた。日持ちもするようであり、これを少しずつ食べながらクリスマスを待つのだろう。

物騒になった

デュッセルドルフ

デュッセルドルフの街で日本人の人通りの一番多いのが、ホテルニッコーのあるインマンマー通りである。日本食料品や和食の店が集中しているので、日本人の駐在している人や旅行者も多く行き来している。先日は店の大きなショーウィンドーのガラスが割られたり、日本人の服に唾やさらにはアイスクリーム、もっとひどいのはペンキまでかけられたりすることが最近多くなっているそうだ。その手口は、服を脱がせて財布を抜き取るというもので、私もコートを汚される被害を2回も受けている。旅行には少々汚れても、気にならないものを羽織る方が良いだろう。そしてホテルニッコーでも置き引きが出ている。

最近悪質なのは、日本の青年が自分のパスポートを見せて信用させて、ホテルやアパートに一緒に入って、あとでごっそりと盗難しているという。その悪質な手口は、ドイツだけでなく欧州に広がっているので、旅行される人は、念には念を入れて気を張って旅行されたい。人を信用はしたいが、このような詐欺師はどこに潜んでいるか全くわからないので不安になる。オレオレ詐欺が毎年巧妙になっていくのと似ている。

それと犯罪者から声を掛けられないように、隙を見せないことも身を守る手段の一つではないかと思う。私はいつもジーパンにズック、そして黒い安物のジャケットに、ANAでもらったボロボロのリックサックを背負って買い物や散歩に出かけるようにしている。還暦を迎えて細心の神経を張れなくなりつつあるので、せめて身を守る手段に少し手も工夫を重ねていきたい。

ご褒美にワインを購入

久しぶりにハンガリーのセミナーがあり、ドイツの西の端からハンガリーに移動する。訪問していた工場には、半日で切り上げてもらった。ところが手配していた飛行機が、遅い便でも対応できる情報がその朝になって連絡がきた。でも今更その工場を出発する時間を変更するのは、失礼なのでそのまま出発することにした。時間が取れたので、デュッセルドルフ空港の途中にある行き付けのワイン屋に立ち寄ることを提案して、通訳と一緒に買い出しに行くことになった。最近移動のルートから外れることが多くあり、立ち寄ることができないためにデュッセルドルフ市内のデパートを散策しながら、スペインワインを探していた。ちょっと良いワインは20ユーロ以上もするので、ついつい二の足を踏んでいた。

この行き付けのワイン屋は、格安でしかも非常に美味しいワインばかりを取り揃えている。まるで宝の山を知っているかのような感じである。ただしデュッセルドルフから60kmも離れているので、車だと40から50分も掛かるので、どうしても気軽に行けるという訳でない。でも今日はチャンスが訪れた。店に行くとクリスマス前ということもあり、いつもの倍近くのワインが取り揃えてあった。今日はいつもの店主がいないので、新人のソムリエが講釈をしてくれた。4種類の提案をしてくれて、試飲をして3種類を新たに選んでみた。そのあとは、もう何度もこの店に来ているので、いつも選ぶワインをチョイスしていく。仕事が非常に良い出来映えであったので、気分もよかった。自分のためのご褒美と称して、いつも選んでいるワインを2本セットでカウンターに運んだ。

するといつも会計をしてくれる半分アル中気味のVさんが、サービスと言って1本ワインを付けてくれた。合計すると19本になっていた。安いものから少し高級なものを含めて、1本当たり10ユーロ未満というバランスの取れた会計になった。一般の店で買うとほぼ2倍以上になるだけでなく、これだけのスペインワインの銘柄を取り揃えた店は、ドイツでもこの店だけでのようでありいつも非常に満足できる買い物ができる。これから3カ月間はこれでワインにおいては、贅沢三昧の生活を過ごすことができる。

空港に行く前にアパートに立ち寄りワインを置いていく。身軽になってハンガリーのブダペストに向かう。ところが気が付いたら、昼ご飯も夕ご飯も食べていないこと気付いた。機内食でサンドイッチが出ることはわかっていたので、空港のラウンジで飲む食料と言われるバイチェンビールを胃袋に収めてようやく落ち着いた。以前はハンガリーのマレーブ航空であったが、倒産して今はドイツのルフトハンザで飛んでいる。タラップを登ると、モデル級の素敵な乗務員が乗っていた。携帯で彼女の写真を撮ったが、余りの美人であったのでびびってしまい、あとで見ると大きくぶれていた。ワインのせいにはしたくないが、歳のせいかもしれない。彼女が飲み物を提供してくれたが、その注文を取る態度や声までもが不覚にも天使のように感じてしまった。サンドイッチに白ワインを頼んだ。ワインも美人に出してもらうと美味しくもなるようだ(錯覚?)。

ホテルマンの対応にガックリ

ブダペスト空港には、通訳のキッシュさんが迎えてくれた。いつもは商工会議所のペーターさんも一緒でだが、彼はヘッドハンティングされて非常に良い条件で幸せに働いているという。ブダペスト市内に入ってくると、クリスマスの電飾や多くの橋や建物の照明が非常に綺麗に輝いていた。特に今年からはクリスマス用の電飾が豪華に、しかも非常に細やかに細工されていることがわかった。鎖橋などドナウ川に掛かるいくつもの橋の照明は、特に綺麗だ。

ホテルはいつものブダ地区(ドナウ川を挟んで、ブダ地区とペスト地区がある)の王宮の丘にあるマーチャーズ教会(正式には、聖母マリア聖堂)の真ん前の「Burg(城壁という意味)」ホテルに到着した。このホテルにはバーもないので、隣のヒルトンホテルのラウンジで、明日のセミナーの打ち合わせを行うことにした。ハンガリーも非常に美味しい赤ワインがあり、ホテルのウエイトレスにお勧めのワインを訊ねたら、南ハンガリーの「Kopar」であった。濃厚な香りにもかかわらず口一杯に広がる味は非常に軽くスーッとお腹に入っていく。でも打ち合わせがあるために1杯だけにしておく。

打ち合わせを終えてホテルに戻ると、111号室だった。なんかゾロ目でいい感じだと思った。一番奥であるが教会の見える方に位置していた。しかし一番奥なのに天井の照明が切れていて真っ暗だ。部屋のドアを手探りで探すが真っ暗で、なかなか鍵穴が見つからなかった。部屋に入り電気を点けるとなぜか暗い。天井灯がこれまた切れていたのだ。ベッドの照明でなんとか凌いだ。風呂に入ろうとバスタブに湯を入れたが、一向に溜まる気配がなかった。なんと栓がなかったのだ。どこを探しても見当たらず、結局シャワーしか使えなかった。

朝にチェックアウトする時に、このことをフロントに説明して善処をしてもらうことを期待した。キッシュさんに通訳をしてもらうと、若いフロントの男性は、「廊下は毎日点検しているので、そんなことはない。」と反論し始めた。それなら部屋の電気は?と聞くと、「部屋の天井灯も同時に切れたのは偶然である。」、「電燈はいつ切れるか、われわれは予測できるはずがない。」と屁理屈を言い出した。「それならバスタブの栓は、偶然にも消えてなくなったのか?」と訊ねたら、ようやく何も言わなくなったが、まず素直にお詫びをするという教育がまったくなされていなかった。このホテルには何度も利用しているが、このような失礼な対応をされたのは初めてだった。ホテルマンにあるまじき行為だ。この怒りを、これから始まる6時間のセミナーにぶつけることにした。