倉吉文化団体協議会 会報「倉文協たより」リレーエッセー原稿

 

打吹音楽倶楽部ブレーメン 団長・河田 強

 

 1987年(昭和62年)12月に設立された打吹音楽倶楽部ブレーメン。長年団長を務め、ブレーメンを牽引してくださった尾崎団長に代わり、20数年ぶりに新団長となりました河田です。

 これを機に、当吹奏楽団の経緯を振り返ってみようと思います。設立は、倉吉東高校吹奏楽部OBの神庭徹さん、伊澤宏毅さんを中心に、倉吉産業高校吹奏楽部、由良育英高校吹奏楽部、倉吉北高校吹奏楽部、倉吉西高校吹奏楽部のOB・OG達が賛同し、『中部に吹奏楽団を!』を合言葉に、わずか数名で発足しました。中学、高校、大学等で吹奏楽を楽しんできたのに、社会人になり倉吉(中部)で働くようになったら吹奏楽を続ける機会が無いことから、中部地区初の社会人吹奏楽団として活動を開始しました。第1回コンサートは、昭和町の喫茶店「ダビンチ」を貸し切りにアンサンブル演奏を中心に行い、その後徐々に人数も増え、大ホールでの定期演奏会へと発展して今日まで活動を継続してきました。団名に「音楽倶楽部」と付けているのは、吹奏楽演奏に限らず音楽を楽しむ事なら何でも(唄、踊り、劇等)やろうよ!との意味が込められています。過去の定期演奏会では、2部に必ず音楽劇(?)が定番だった時期もあります。

 練習会場も当初は転々とし、楽器と人の移動が大変でした。その後、尾崎前団長のご厚意でナショナルサービスセンター2階を間借りしたものの諸事情で移動余儀なくなり、倉吉市勤労青少年ホームに落ち着きました。この度、耐震工事終了しリニューアルした倉吉市文化活動センターに戻ることが出来、設備の良くなった練習会場で思いっきり練習できることは感無量で感謝の意に他ありません。

 設立当初に係わった方々は残念ながら諸事情で続けることができませんでしたが、吹奏楽団ブレーメンは28年間、中部地区を拠点に活動をしてきました。現在プロの演奏家として活躍している尾崎浩之さん、小椋順二さん、山内利一さんも高校生時代に団員として一緒に演奏活動しており、今では故郷の皆さんもよくご承知のことと思います。

私はというと設立時は、BigBand「レッドオニオン(リーダーは倉吉市副市長・山崎昌徳さんでした)」に所属しており、レッドオニオン解散後に、ブレーメンに加入しました。ちょうど尾崎前団長と同じ年の加入だったと思います。その後、仕事(転勤)や家庭の事情で13年間演奏から離れ、その間、定期演奏会の裏方(ピンスポット専門)のお手伝いをさせて頂くのが年中行事でした。演奏活動を再開できたのも、ブレーメンあればこそであり、尾崎前団長、吉田知子指揮者、多くの団員、運営に係わってきた方々のおかげであったと感謝しています。演奏復帰して6年目にして新団長という大役を仰せつかることになり身の引き締まる想いです。今後ともブレーメン共々よろしくお願いします。