海外こぼれ話 158             

 

旧東独での久しぶりの仕事

 

 今から10年ほど前に、旧東独のアイゼンナッハというバッハの生まれた街で仕事をして以来、実に久しぶりに訪れることになった。その街はチュービンゲン州の州都のゴータという、人口5万人の田舎の都市だった。ハンブルクからの移動は、電車とレンタカーの乗り継ぎで5時間も掛かった。レンタカーを借りて、旧東独に入ったらすぐに風景が変わり、平坦な道から少し山の見える曲がりくねった道になり、車の数も一気に減った。鳥取と同じように陸の孤島だ。

そのお蔭で快適なドライブが出来たのは幸いだった。この地方は、ドイツ人でも憧れる風景や景色があるそうだ。そういえば山並みが少し多く見える。オランダ人がライン川の渓谷(たかが300mの丘)を見て、感動してこれは山脈だというくらいなので想像がつく。移動したその夜は、いつもは食事をしないのだが、その日はどういう訳かビールだけでも飲もうという気持ちになった。通訳ともに現在減量に挑戦中で、いつも週末には体重の話になり、お互いに太らないように牽制をしあっている。彼の目標はマイナス20sと意欲的であるが、私は既にマイナス6sを達成しているので、今年はあと3sの目標で良いので、少し余裕がある。

通訳は運転をしてきたので疲れていると思い、声もかけないでホテルのレストランに行ったら、彼は既にビールを飲んでいた。彼も美味しい空気を吸ってお腹が減ったようだ。この地方の黒ビールを既に飲んでいたので、私も同じ黒ビールを飲むことにした。通訳は既に、この地方の名物のソーセージの盛り合わせを頼んでいた。今宵は食事をする気はなかったが、そのソーセージに負けてしまった。摘みに少し分けてもらい、黒ビールとともに味わったが、これは美味いと思わず声を上げてしまうほどであった。これでドイツ人に近づいたように感じたが、これにザワークラフト(酢キャベツ)があれば体質はドイツ人だ。

このホテルは古い家を改造したようで、多くの継ぎ足した形跡があった。このため入り口から部屋までの段差が7個所もあり、転ばないように下を見ての移動になったが、家の中にも小さな山(段差)があった。部屋は完全なノスタルジーを感じる素敵な部屋で、1960年代と思われる木製の箱のラジオもあった。電源を入れるとすぐに音が出たので、真空管ではなくトランジスタのラジオのようだ。ダイヤルを調整すると、現代曲の音楽が流れてきた。

ところが部屋の暖房が入らないのだ。全て元栓が閉めてあった。普通は浴室には必ず年間を通して暖房が入っているのだが、ここはケチな旧東独であった。翌朝の朝食は、高級感のあるハム、チーズなどが取り揃えてあった。テーブルや棚のデコレーションは男性よりも、女性が喜ぶように飾ってあった。暖炉は薪をくべて炊いていたが、オーナーの趣味らしい。

 

いよいよワークショップの始まり

 

訪問する工場はS社の子会社で、その親会社からの紹介で、5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)の指導をして欲しいと依頼があった。親会社からは、「マツダがそこに行ったら、びっくりして倒れるかもしれないから用心していけよ!」と忠告があったほど酷いらしい。逆にやりがいが出てくるものだ。ホテルから車で10分のところに工場はあったが、その手前まで来ると急に家並みがみすぼらしくなった。ここがまだ経済(お金)が回っていなく、建築の方に回っていないことが伺い取れる。工場は親工場よりも、一回り二回りも広い敷地にあった。

受付で改善コーディネータのEさんが出迎えてくれた。体型からは大黒様のドイツ版のようで、しかも笑顔が良く似合う布袋様のようであった。馬鹿でかい工場は、溶接の臭いがしていかにも男の職場を感じる。案の定床の状態を見ると、5Sのレベルは低いようだ。5Sの結果はすべて床に出てくるので、初めて訪問する時はセミナールームにも向かう時にも、一気に神経を集中して5Sの状況を観察する。でもセミナールームは、きちんと机や椅子、そして飲み物にクッキーも用意が整備されていた。これはコーディネータの躾のレベルが伺い取れる。数分の下打ち合わせをしながら、Eさんの対応が良いか悪いかを判断していく。「良し!」と心に呟く。いい人に間違いがないと判断する。

フリップチャートにいつものように似顔絵を描き、挨拶の「OHAJO!(オハヨー)」も書き込む。開始時間前に部屋に入ってくるワークショップのメンバーに握手をしてドイツ語で挨拶をする。一人の遅刻者がいたが、まずまずの集まりだ。その遅れ時間を上手く利用して、Eさんは今日からメニューをさりげなく紹介して遅れた人を待ち受けた。臨機応変な対応であるが、あとで聞くと何人も改善コーディネータがいたが、結局残ったのはEさんだけだという。

社長のFさんから、今回のワークショップの意義と期待を込めたメッセージがあり、私の紹介となった。まずは「OHAJO!」の挨拶を一人ひとりに顔を合わせながら、日本語の挨拶を教える。そして全員で大きな声で一斉に「OHAJO!」と合わせる。旧東独の人たちの多くは、一見して暗いイメージがある。その通りで、やはり共産時代に押さえつけられたものを感じる。そんな影を払拭するようにして、改善を楽しく、チームで一緒にやって、工場の体質改善を目指す。

今回は初めてのこともあり、5Sに限定して分かりやすく深い意味と実例を挙げて解説をしていく。ここでも双方向の対話とイラストと冗談ビデオの相乗効果が出てくる。笑顔を見せたことのないマイスターが、初めて笑顔を見せたことに、F社長はびっくりしていた。このマイスターのチームはその後素晴らしい成果を出してくれたが、笑顔は人を変え、行動まで変えてくれる。F社長はセミナーに好感を持ってくれて、現場にも足を運び何度もメンバーに声をかけていた。熱心にセミナーやプレゼンにも参加して、トップの関心事にしていることを上手くアピールしていた。F社長は、2年前からここの社長をしており、製造部長のBさんは半年前にライバル会社の協力工場から赴任してきたばかりで、新しいトップによる体質革新を強く目指していることを感じた。

日本ではこのような人事は馴染がないが、ドイツではトップの交代は生え抜きもあるが、外部からやライバル会社からの引き抜きなどは当たり前になっている。このために今までの組織とのしがらみがなく、一気に会社の雰囲気が変わることもある。また会社のMA(会社の買収や合併)により、株主やオーナーの一言でコンサルも入れ替えになったことも何度も経験したこともある。

 

名物の焼きソーセージ

 

昼休憩の始まる前に一息入れるためにセミナールームに戻ると、ケイタリング会社の人がランチの準備をしていたので手伝ってあげた。何度もお礼を言われて少し恥かしいくらいだった。ケイタリング会社の人にはネクタイもして、きちんとした身なりをして不思議だなあと思っていた。ロールパンの他に、良い匂いがすると思ったら、名物の焼きソーセージがあった。

ドイツのソーセージはフランクフルトを思い浮かぶが、本当の美味いソーセージは、このチュービンゲン地方の焼きソーセージであった。旧東独だったこともあり、しかも主婦が残った肉をどうしようかと思い試行錯誤でソーセージを作ったというもので、余り表に出てこなかった。でも今回それを食べる機会に恵まれた。普通は辛子をつけて食べるが、焼きソーセージはそのままでも本当美味しい。外見は白く、豚の腸に入れてあるので太いのが特徴だ。長さは15cm程度で、2本も食べるとお腹もいい感じになる。チェコやハンガリーにも出かけることがあるが、クッキーなどのお菓子はドイツよりも断然美味しい気がする。甘いものが得手ではない私でも感じるくらいなので、間違いないと思う。

昼休憩になると一斉に皆さんが食べに戻ってきた。現場での活動の雰囲気が非常に良くなり、出されたロールパンやソーセージなどは完食になってしまった。このことにF社長は、またまた驚いたと話してくれた。今まで昼食がすべてなくなったことはなく、今回が初めてだという。それほど皆さんが一生懸命に取り組んでいることを、F社長は察していたのだ。その後も皆がビックリするような結果が出て、すぐに自分の部署でもやりたいとリクエストが出て、社長もすぐに承諾の宣言をしたほど盛り上がった。

現場は確かにその工場で最も5Sの良くなかったが、見違えるようになった。旧東独の人たちは、余り物がなくても自分ですぐに工夫して形にしてしまう。物がないからこそ、自らの頭を使い自分の手で、改造や工夫をしてしまう。困った時にはお金を使って改善するのではなく、まず知恵を使うことをしていたのだ。非常に頼もしい人たちであった。最初は皆さんも疑っていたようだが、最初の日のフィードバックでも全員が賛成派になっていた。私も眼がしらに熱いものを感じた。

 

食事の招待は元天文台の跡地

 

最初の夜、と言っても夏時間なので夜の10時まで明るいので夕食のお誘いがあった。午後7時からであったが、ホテルから車で数分の丘の上にある天文台で食事をするという。カーナビに行先を入力して早めに出かけた。森の道をどんどん登っていくと、目指す天文台のレストランが見えた。時間があったので、周辺も見て回ったがとても環境の良いレストランだ。写真を撮っていると、店の主人らしき人が声を掛けてきた。昼のケイタリングを用意していた人だった。昼のお礼を丁寧に言ってくれたが、どこで人はつながるかわからないものだ。

少し早いが店に入って、自家製のサクランボの発泡酒を飲んで待ってくださいと通された。テーブルのナプキンを見ると、客は我々だけのようだ。周囲には木陰からの木洩れ日が注いでおり、テーブルまで差し込んでまるで昼下がりのようだ。食事のお相手は、B製造部長だった。メニューを見ると値段が書いてなかった。それもたった1枚のメニューであり、何か不思議なレストランだと感じた。

しばらくするとF社長が顔を出して、隣の部屋でお客様と会食だと言って、こちらには参加できなく申し訳ないと謝罪があった。Bさんの自己紹介をじっくりと聴く機会に恵まれた。彼はこの工場で3社目の転社といい、つい昨年まではこの会社のライバル会社の協力工場にいたという。色々と両方の会社の違いなどを話してもらった。この工場の製造部長になるために、半年間勤めてみるというお試し期間があり、つい最近合格して採用されたという。途中入社での採用審査を具体的に聞いたのは、これが初めてであった。聞き手に回っていると、どんどん話をしてもらうことができ、大きな収穫になった。

このレストラン兼ホテルには、彼は半年間暮らしていたそうだ。聞くところによれば、このオーナーはS社のオーナーのP氏であり、この会社の持ち物だとわかった。だからケイタリングもやるし、会社の食事も取り扱っているという。またお客様にもこのホテルを提供しているというので、次回からはこのホテルに宿泊することにした。このホテルは150年以上も前は、欧州でも有名な天文台だったという。小高い丘にあり、周囲には木も生えていなく夜空の観察には適していた。ところが百年前に落雷で、丸焼けになってしまったという。そこで周囲に木を植えて公園のようにしたという。そして復元の一部として、レストラン兼ホテルに仕立て上げたという歴史があった。Bさんの話も十分に聴くことができ、料理も非常に美味しく頂いた。

 

創業50周年記念に招かれる

 

2007年から訪問しているハーメルンにあるP社が、今年で創業50周年を迎えるということで、土曜日であったがご招待を受けた。有難いことなので喜んで伺うことにした。前日に移動して、いつものイタリアンレストランで食事をすることにした。いつもはP社のご招待で伺うのだが、今回は予約なしで出掛けた。幸い席はちょうど空いていた。店の主人とはもう8年の付き合いであるが、名前は聞いていなかった。店の名前を入力すると、Gさんということがインターネットに出ていた。最近は本当に調べることが便利になってきた。

今日は何にしますかと訊ねてこられたが、前菜は多分ドイツでもかなり美味しいと思っているアンティパスタの盛り合わせはいつものメニューで、今日は何と何があると説明してくれる。一応いつもメニューはもらうが、話をしながら欲しいものをアレンジしていくスタイルを非常に気に入っているが、このようなことはイタリアンならではの楽しみでもある。

今日は海鮮の美味しいものが欲しいなあと思っていたら、イカと海老と鮭があるというので、それを注文した。ワインは?海鮮ならば、白のピノ・グリージオでお決まりだ。お腹も一杯になってホテルに戻る。翌朝は11時からの式典なので、10時過ぎに出ることにしてゆっくりと朝食をとることにした。

10時過ぎに出ようとすると、ホテルの横の川で笛吹き男がいるというので、早速観に行った。キジの尾っぽを帽子に付けた道化師のようなかっこをした男が、数人の観光客に700年以上も前の童話を説明していた。ついでに写真も取っておいた。毎週土曜日には、このように街の中で解説しているようで、最近は笛吹き男ならぬ女性も解説をするようになったそうで、時代は変わるものだと思った。10分ほどでP社に着いたら、玄関に黒ずくめの服装をした警備員が待ち構えていた。名前を告げると何百人の名簿をチェックして通してくれた。今日は何人が来るのかまったく知らされていなかった。この会社は7年前には、40人ほどの会社であったが、今では150人ほどに成長している。

いつもは至るところにロックがしてあり、磁石の鍵で開閉しているが今日はすべてオープンであったが、ドアや通路には数十名の警備員が立ちはだかっていた。目指すS工場長は、今日は正装姿であった。昨日遅くまで準備をしていてようやく間に合わせたと言っていた。社長もいつもGパンであるが、今日はさすがにスーツであった。普段したこともないネクタイを、皆さんが会社のロゴの入ったネクタイとスーツでびしっと決めていたのは、少し滑稽でもあった。

 

皆さんの前で披露される

 

以前工作室の前の広場に、500人が入ることができるテントが設置され、ケイタリング会社の人たちがシャンパンやジュースを配っていた。見ると以前通っていたイタリアの企業の人たちの顔も見えたので久しぶりに挨拶をした。今日の参加は520人ということで、またまたびっくりしてしまった。それほど多くの人たちに支えられてきたのが企業であり、50年の時間の積み重ねであることを象徴していた。会長が創業して昨年すべてを息子に託したことは今回初めて聞いた。そして会長からは、「最初はお前を疑っていたが、今になっては疑う余地もない。」とようやく間接的な表現ながら感謝の言葉をもらうことができた。

最初は3人のバンド演奏から始まり、社長のスピーチが45分にわたって行われたが、いずれも感謝に満ちたものであり、多くの人に支えられたことが感じられた。途中に変な日本人がやってきて会社をガラリと変えてしまったという下りがあり、皆さんの前で紹介された。非常に嬉しくまたも眼がしらが熱くなってしまった。最近は涙腺が弱くなってしまっているなぁ、トホホ。

その後先ほど川べりで出合った笛吹き男が登場してきた。同じ服装だったのですぐにわかった。笛を吹いた後にハーメルンの歴史を交えて、私はこの童話で700年以上も生きているが、この会社も長生きして欲しいという内容の素晴らしいスピーチがあった。彼はイベント会社の社長であった。その後バンド演奏、ダンス、コメディアンのコントや演劇があり、時間のつなぎを上手くやって皆さんが退屈しないようにしていた。初めてこのような祝賀会に出席させてもらい、とてもよい体験をさせてもらった。

会食の時に昨日行ったレストランのGさんと奥さんにも出会った。奥さんはいつも厨房にいて今回初めてお会いした。ノミの夫婦であった。改善担当のIさんの旦那さん、Wさんの奥さんにも今日初めて出会った。皆さんが私の噂は聞いていたが実際に会うのは初めてで、多くの人の相方さんに出会うこともでき、非常に楽しい時間を過ごすこともできた。

立食の後、順番に20組に分かれての工場見学会があり、1時間で工場を一回りして社員が引率して説明するものだった。コンサルタントから見ても非常に良くまとめたテキストであり、私のチームは営業のサービスマンが担当で、10歳くらいの息子も連れて解説してくれた。この2か月の間にさらに改善が進んでおり、この祈念式典にも整備を間に合わせていたが、その力に感服した。