海外こぼれ話 159            

 

隣のアパートが改装工事

 しばらくの間日本に帰国しておりデュッセルドルフのアパートに戻ったら、隣のアパートが改装工事を始めていた。見渡すと同じ通りで2カ所も屋根の吹き替え工事をしていたが、工事用のクレーンが立ち並ぶと景気が良いことが分かる。デュッセルドルフ市は、ドイツでも珍しく市の財政が黒字であり、至るところで道路工事も行われている。逆に道路工事がいつも行われている街は、財政的に豊かであることの象徴と考えてよい。

隣のアパートの改装工事は、屋根の吹き替えだけでなく壁全面の断熱材を組み込む大幅な改造工事になっていた。突然ガッガ、ドッド、ガッガと、コンクリートの壁を壊す削岩機の破壊音が壁伝いに振動してくる。街中でありアパート同志の壁同志がくっついているので、直に振動と猛烈な音も伝わってくる。しかもその間隔は突然なので、心臓が飛び出すくらいに驚くことが何度もあった。最上階の7階に住んでいるが、隣の1階の工事の削岩機の音も壁伝いに伝わってくる。作業員の数人が同時進行しているので、仕事自体は早々に終了する感じがあるが、大体は期待外れになることが多いのが心配だ。

ベランダに出てみると、隣の工事のゴミが投げ込まれ、さらにセメントがはみ出して落下して床にこびり付いていた。しばらく見ていると上半身裸のオッサンが顔を出してきた。汗びっしょりで挨拶もしてくれたが、私の家のベランダに落ちたゴミやセメントは撤去する気配はまったくない。アパートの大家さんからの工事の連絡は今まで11年間一切なく、いつも突然の工事になっている。日本なら隣接している近所では業者や当事者が挨拶に来るが、ここではそんな挨拶はまったくなく、ただじっと我慢するだけだ。忍耐力が鍛えられる。

デュッセルドルフでの買い出し

デュッセルドルフで大風が吹いたと、友人から写真付きのメールが届いた。街の中の街路樹の大きな木が何本も倒れ、枝も無数に折れたという。大木が余りにも多く倒れたので、普通のクレーンやブルドーザーでは処置できず、軍隊の戦車で片づけたというとんでもない大嵐のニュースであった。

ドイツはこの冬が200年ぶりの暖冬で雪がほとんど降らなかったので、道路に撒く塩が不要になり、その作業もなくなり経費が浮いたという良い面もあった。その反動だろうか異常気象が続いているようだ。デュッセルドルフ市内の散歩をしていると、街路樹の下には折れた枝が山のように積み上げられており、大風の爪跡を感じ取ることができる。

休日になると市内の散歩をして、運動と買い物や市内見物を兼ねて楽しんでいる。最近はデパートで服の流行を見たり(これは家内からの指摘)、台所用品の品定めをしたり、日本にない雑貨のアイテムを探すことも楽しみになってきた。欧州のデザインは、シンプルでしかも思わぬ色使いもあり、日本とはかなり違うので、感性に良い刺激を受けるようになってきた。さすがに良い物は値段が倍以上もするので、買うのには躊躇している。でも見るのはただなので、本当に良いものを見つけるまでは買うのを控えておけばよい。

5年前から月刊雑誌の料理のコラムを書くようになってからは、ドイツで自炊を始めるようになった。このために今までレストランに食事にいっていたが、コラムの原稿を書くためにアパートで食材との格闘を頻繁にするようになって、市内のレストランにはほとんど行かなくなった。その代わりに食材が売ってある店には、頻繁に行くようになった。

自炊をし始めてから、食材や店の特徴を把握することが楽しくなっていった。安くていい物はどの店が一番良いかを、いつもメモに書いてチェックしている。買い物に出掛ける時には、事前に必要なモノをメモに書いて、さらにどの店で買うのかも決めて、余分なものは買わないように心掛けている。

さらに散歩を兼ねているので、回る順番やルートも事前にメモしておく。日本ではメモを片手に買い物をしている奥様は見かけないが、ドイツは非常に多く、余分なものを買わず、買うものは忘れないという主婦の知恵がメモになっている。これは気質の違いだろう。ドイツの主婦は、その日に使ったものはすべて元に戻すことが習慣になっているそうだ。訪問先でそのことを時々訊ねてみるが、それは事実だと答えてくれる。

日本の食材はいずれも韓国人の店から

知っている限りの日本の食材を取り扱っている店は、デュッセルドルフ市内に3軒あるが、いずれも市内の日本人が最も行き来する通りに集中している。松竹、大洋食品、さらに昨年から数百m先から移転してきたK・Aの店も含め、偶然にも経営者はいずれも韓国人である。そのために半分以上の商品が韓国製で、あとは日本製と中国製で占められている。店によって微妙に商品の違いがあり、いつも最新の情報をメモしてキッチンに貼り付けている。

最近移転したK・Aの店は、この半年間ですごく店舗を拡大して、以前の店の4倍になった。以前は三越百貨店が入っていたが、何年も空き屋になっており、一等地に思い切って移転した。噂によると、かなり借用料を買い叩いたらしい。でも狙いが当たったようで、日本人の人通りが一番ある場所なので、たちまち大繁盛し出した。道路が広く荷物の搬入がしやすく、しかも駐車場も非常に近くにあることも他店との利便性の大きな差にもなっている。

以前の店から比較すると数倍以上の買い物客数があり、土曜日にはレジの前に30人以上が待機する状態であり、他の店とは段違いの繁盛ぶりである。大きな差は売り場が、広く食材の豊富さで他店との差別化を図っているようだ。戦略が当たったようだ。また日本人スタッフも初めて数人雇ったようで、日本人対応のサービスも狙ったようだ。

そこから50mほど行くと、市内で一番流行っている中国専門の食材店がある。一歩足を踏み入れると、一気に鼻がぐっぐっと曲がるほどの異臭がする。しかし、蓮根やモヤシ、春雨、木耳、八角などの食材の質は他店と差別化ができており、リピートで購入する店になっている。葉っぱ物の野菜類は、中国ではなく地元のドイツで作らせているに違いないと思うが、地元の生産者とのネットワークも確立しているようだ。

日本デーに始めて参加してみた

夏に日本デーというデュッセルドルフ市内で、旧市街の広場を使ったお祭りがあり今年初めて参加した。昨年、山路みほ氏の箏演奏会をデュッセルドルフとケルンで催すために、領事館に通ったことで参加する気持に初めてなった。人は好きであるが、人ごみは大嫌いなので、数万人も集まる行事は避けていた。恒例のライン川での花火は、アパートの最上階から2km先からでも十分に鑑賞でき、しかもお酒を片手に座って眺めるので、そばに行く必要はなかった。

でもどのような催しなのか確かめておく必要もあり、当日旧市街に向かった。すると駅前の通りからコスプレで着飾った若者の団体が、ゾロゾロと旧市街に向かっていた。ブラスバンドの音も聞こえてきた。渋谷の交差点の信号に人が集まるように、ドンドンと旧市街に集まっている。

会場では多くのテントが建てられ、各種の露店やANAやJALなどの日本企業のテントもあり、メインステージには資生堂のロゴも見ることができた。ステージでは、日本人による色々なパフォーマンスが繰り出され、大きなスクリーンでも放映されている。コスプレの特に女性たちは写真に撮られることを目的に、一生懸命に自ら衣装を裁縫していたり、化粧も主人公に真似て自己主張をしている。ついでに彼女らの写真撮影をしたが、彼女らはその主人公になりきっていた。体型の太い細いも関係なく、懸命に「カワイイ」を演出している。

でも1時間も人ごみの中にいたらやはり人に酔ってしまい、ベンチに腰かけてライン川を眺めることになってしまった。酒は多少強いが人ごみはすぐに酔ってしまう。やはり田舎暮らしが染みついているからだろう。

就職して社長になったGさんに再開

10年来の友人のGさんがA社に再就職して、前任者が退職して社長に就任したと連絡があった。南ドイツに行く機会があったので、新しい会社の工場見学と、これからの話をしたいということで、訪問することになった。日本では最近社長を外部から招き入れることが増えてきたが、欧米では色々なニュースでも紹介されているように頻繁に行われている。Gさんもまったく違う業界からの転身となったが、それは面接の時に聞かされたオーナーの希望であったようだ。

シュッツトガルトから南に向かって、1時間半車で移動した。森の中を走っていると羊や馬、牛などの放牧している家畜が多く見られた。狭い道は曲がりくねっており、まるで箱根駅伝のヘヤピンカーブのような場所もいくつかあった。シュバルツヴァルト(密集したドイツトウヒという木で、暗くなっているので黒い森と呼ばれる)を抜けたらすぐにその目指す会社があった。

別な会社で仕事した後に移動したので夕方の6時半になっていたが、夏至の頃なのでまだ昼のように明るかった。玄関に入るとまるでホテルのロビーのような佇まいであった。受付の男性にGさんを呼んでもらったが、しばらく時間が掛かるので飲み物を提供したいという。なんとワインがいいか?水がいいかと訊ねてきた。耳を疑ったが、そういえばここは南ドイツであった。Gさんに会うまでにワインを飲む訳にはいかないので、我慢をして水を飲むことにした。

水を飲む場所は、レストランのバーカウンターのようになっていて、右側全面がガラス張りのショールームになっていた。その中には巨大な製品を吊上げるクレーンが6台も設置されており、一直線に製品群が整列されていたが実に圧巻の風景だ。左側には応接セットがいくつも並んでいた。あとで聞くとここはレストランのマネージャーをヘッドハンティングして、ここの設計から管理まで任せているというのでその雰囲気と佇まいに納得した。

ようやくGさんがニコニコしながらやってきた。彼とはハグをする非常に仲の良い人である。早速そのショールームで製品の紹介をしてもらった。色々な工場にこれらの製品は出荷されており、今やこの業界で世界一のメーカーになっている。私が訪問している企業で、その業界で世界一になっている企業が偶然なのかなんと4社もあり、この企業に訪問することになれば5社目になる。

テニスコートの4面分もある大きなショールームで、実際に無人で稼働している製品も見ることができた。振り返ると2階からは、これらがすべて見える設計になっていた。日本の企業で富士山に近い工場見学をしたことがあった。商談する時は富士山が一望できる部屋にお客様を通すと、契約のサインをもらえる確率が非常に高いと聞いたことがあったが、その演出がここでもなされていた。案内する前に乾杯をしようと、バーデン地方の白ワインがグラスに注がれた。なんとショールームでは、ワイングラスを片手に商品の説明を聞いた。

一貫生産の工場を見学

ショール―ムのすぐ隣が、この企業の歴史館になっていた。創業からの製品や歴史が非常に分かりやすく展示されており、オーナーの趣味なのか眼下には日本庭園があった。日本庭園は他にも3つあるといい、いずれも鯉が泳いでいるという。この企業は、以前はまったく違う業界の仕事をしていたそうだが、戦後にカメラのある部品を生産することになり、それを生産するための生産方法も自ら考えて、それを60年前から専門に生産することになった。

当時鉄の材料は橋げたが壊れたものを使い、ガラスは米軍の戦闘機の残骸から取ったものをヤスリで削り出したものを使ったという。その生産設備のレプリカがあったが、A4サイズの小さなものであった。そのノウハウを蓄積して、今や世界一のメーカーになっている。

この会社からシュッツトガルトに行くには1時間で行くことができるが、当時は丸1日掛かったようで、何でも自分たちでやってしまう習慣が身に付いたという。この技術力がドイツ人の強さであり、考えて考え抜くところは見習いたいものだ。このシュバルツヴァルトの近郊には、このような非常に技術のある企業がもの凄く存在する。

これは日本でいえば、浜松あたりのホンダ、スズキ、ヤマハ、河合楽器など企業群のようだ。その隣のドアを開けると生産工場になっていた。非常に多忙だということで、三直の生産が行われていた。中には、なんと女性が制御盤の配線をしたり、大型の切削機械を何台も稼働させていた。

Gさんは、色々な職場のオペレータと気軽に挨拶をして、オペレータも気軽に挨拶を返していた。普通社長は生産現場には顔を滅多に出さなく、オペレータも気軽に挨拶はしないものだ。Gさんは、社長になる前に半年間も実際に生産ラインに入って、彼らと一緒に仕事をしていたという。Gさんとは10年前に知り合ったが、その時には取締役で現場にはよく顔を出していたが、生産することはなかった。なんと勇気のいることか!凄い人である。

大きな建屋が何棟か続いているが、すべて棟続きになっていた。オーナーはとても金持ちのようで、この敷地の数倍の土地をこの工場に隣接し所有して将来に備えている。既に隣接した土地では数台のクレーンが設置してあり、次の工場を建設する準備が行われていた。出荷用の木のパレットの木材も自分の森から切り出したもので作っているという。また電力も風車や地熱(温泉がある)、太陽電池も活用して、自社で必要な25から50%も発電しているという。

鉄、電線、プリント基板などの素材は買ってくるが、あとの切削加工、板金加工や組立、検査、塗装までもほとんど自社で行っている珍しい自前主義の企業である。だからノウハウの蓄積がもの凄くあり、付加価値が多く、非常に強い競争力を持っている。社員食堂の社員も、自社の正社員だと聞いてさらにビックリした。訪問するお客様に対しての食事も、ケイタリング会社を使わずに、自社ですべてまかなうという。玄関にあるホテルのロビー風になっていたのも、レストランのマネージャーを雇った訳が理解できた。

展望台のVIPルームで食事

これから街に出て食事かと思ったら、屋上に準備してあるのでそこで食事をしようと誘いがあった。食事もワインも既に準備されており、眺めも一番良いのできっと満足するというので案内された。エレベーターには「VIP」という鍵があり、Gさんはそこに鍵を差し込んだ。最上階の「VIP」室は、3面がガラス張りになっており、非常に良い展望台にもなっていた。商談したあとの食事もこの部屋を使って、一気に契約を成立させる作戦だ。

ワインを保管する冷蔵庫も完備してあり、Gさんは講釈を述べつつ選択をしてくれた。まずはバーデン地方の赤ワインを開けることにした。彼はソムリエ以上の感覚を持っており、何も言うことはなく従えばよい。別なテーブルに料理が準備されており、パンはなんと数種類もあった。サラダ、ソーセージなどそのまま食べられる料理が用意されており、あとは食べるだけだ。

ワイングラスを持って、ベランダに出て、美味しい空気と一緒にワインを飲む。周囲に目障りなものはなく、見渡す限り田舎の風景が目に飛び込んでくる。この周辺は随分前にはドイツの観光地にもなっていたが、飛行機を使うようになってトルコやギリシャに旅行するようになって観光客も減少したという。

しかし、この街の近くにミシュランの3つ星や2つ星のレストランが数軒もあり、それを目指す客が今度は増えてきたという。Gさんの就職は、仕事だけではなく、狙いはワインと食事の方もよく考えたものだと思った。それも転職の条件になることは納得できる。会話を楽しみながら、美味しいワインも料理も楽しむことができた。

私は15年前にコンサル会社に転職した時は、海外に出掛けることだけでも嬉しかった。最初は韓国が担当かと思ったら、すぐに欧州を中心に仕事をすることになった。欧州に毎月通うようになって、ビールやソーセージ、さらにワインとチーズに興味が移っていった。各国の料理を、行く先々でご馳走になり、数年前からは料理のコラムまで書くようになるとは、想像もしなかった。