「英語の発音の学び方

〜聞こえたままを音に〜」

 

どの言語でも読み書きは勉強して身につけるものだが、会話は生活を通して自然に身につく部分がある。もちろん品の良い話し方などいろいろあるが、最低限、会話は通じればよい。多少発音が悪くても前後関係でだいたい通じる。しかし現実問題、発音が悪いと通じないことがあるので、ある程度、発音の訓練はするべきだと思う。

 

子供でない限り、米国で生活しているだけで英語の発音は自然によくなるというものではない。米国人と結婚し、30年以上米国で生活している日本人でも英語の発音がえらくめちゃくちゃな人もいる。英語に限らず、外国語を聞いて話すスキルを身につける為には、CDやテープの録音を聞いて覚えるのが基本と思う。それは日本にいてもかなりの部分できる。

 

実際、私は20年以上米国で生活しているが、英語の発音はほとんど日本にいる頃に身に付けたものだ。米国に来てからはそれがさらに幅が広がっただけ。私が英語を学んだのは中学1年からで、中学2年の頃からテープを聞いて自分で勉強した。学校の英語の先生は発音記号などたいして教えないから、発音記号はほとんど独学でマスターした。何もそんなに難しいことではない。英語の辞書の初めか最後のページに発音記号の説明のページがあって、それをよく読めばわかった。

 

英単語を覚えるときにスペルと発音記号は書けるように、そして正しく音に出して覚えるようにした。当時は音が出る電子辞書など存在しなかったから、発音記号通りに自分で発音してみるだけだったが、テキストの録音がたまたまあればそれで確認。英単語は日本語でいえば一つの漢字のようなものだ。何と読むのかわかるように発音記号が存在しているのであって、それは日本語でいえばふり仮名だ。ふり仮名(発音記号)の読み方をろくろく教えない英語教育がもともとおかしいと思う。発音記号通りに発音すれば電子辞書で単語の音を聞かなくてもだいたい正しく発音できる。

 

英語の教師は日本育ちの場合は、どんなにレベルの高い先生でも発音がネイティブ並みということはほとんどあり得ない。それはそれでよい。世界にはいろんな外国人が話す英語が存在するのだから。しかし、日本語なまりの英語の先生の発音をうのみにして覚えるのはよくない。先生の発音とCDやテープのネイティブの人の発音がちょっと違うなあと思うことはよくあった。ネイティブの方が正しいに決まっているのだから、それはその通りに覚えて、学校の英語の時間にテキストを読まされるときなども、英語の先生の発音どおりには読まず、自分で聞いて覚えた音で読むようにしていた。先生より上手に発音して怒られることはないのだから。

 

それから、単語を一つ一つ正しく発音できても、それだけではだめだ。文章のなかで単語と単語がつながってイントネーションでどのように聞こえるのか、それを覚えて類推することが重要だ。とにかく聞こえた通りに音まねして発音してみることだ。”Let it go.”が「レリゴー」に聞こえるのは、そう言っているからそう聞こえるだけ。それでいいのだ。

 

たとえば中国語は漢字を使うし文法が簡単で日本人には学びやすいが発音が英語より難しいということをよく聞くが、私にしてみればどちらも同じだ。中国語の四声がどうのこうのと気にしたこともない。英語も中国語も発音の学び方は全く同じで、ただ聞こえた通りを口に出してみるだけだ。

 

それはわかっているけど、それが難しいんだよねという人もいる。ほんとうにそうなのだろうか?たとえばサイレンの音をまねしたり、動物の鳴き声をまねするのと同じようにしているのだろうか?単語のローマ字に惑わされていないだろうか?ひょっとしたら、口がうまく動かない以前に音がきちんと聞こえてないのだろうか?もし、音がきちんと聞こえていないとしたら、発音は確かに難しいだろうと思う。聞こえてないものは音の出しようがない。しかしイントネーションは把握できるはずだ。文章のイントネーションがあっていればかなり通じる。

 

音楽家は音の専門家だけあって耳の良い人が多く、外国語の発音も普通の人に比べてかなり良い人が多い。声楽の学生はたとえばドイツ語の歌をCDで聞いて覚えるから、子供のように聞こえたままを真似するのでとてもよい学習の仕方をしている。もっともドイツ語そのものを勉強していない人もいるので、意味もわからずにとりあえず歌っている場合も多くて、声楽の先生に「あなた、意味わかって歌ってんの?。」と怒られることも少なくないが。

 

私が中高の頃よくやっていたのは、さかりのついた野良猫の鳴き声のまね。何とも言えないその「RRR−」という鳴き声が米語のRの音ととてもよく似ていた。テレビで富士写真フィルムのコマーシャルで、米国人が”Fuji color is beautiful!”と言っているものがあって、それを聞くたびにどう聞いても「フジカラー・イズ・ビュリフォ!」と聞こえた。全然「ビューティフル」とは聞こえなかった。それで、あれは速く発音する時はビュリフォでよいのだと思った。だって米国人がそう言っているのだからそうなのだろう。

 

NHKの「ラジオ英語会話」もとても役に立った。高校生の頃、テキストを買ってほとんど毎日のように聞いていた。ある時「ワラマイドゥーイン?」と聞こえる文章があって、なんだろうとテキストを見ると、”What am I doing?” だった。そうか、単語と単語を続けて”WhatamIdoing?”だから「ワラマイドゥーイン?」なんだなと思った。母音と母音に挟まれたT音はD音化してそのDの音は日本語のラ行の音に近い。だから日本人にはそう聞こえる。

 

とにかく聞こえた通りの音の雰囲気にできるだけ近い感じで言えばそれで良い。なにもネイティブみたいに完璧な音で英語の文章を発音する必要はない。もっと気楽に音まねごっこだと思ってゲーム感覚で学ぶのが良いと思う。

 

それから実用的な技だが、発音が悪くて3回言っても特定の単語が相手に通じない時は、スペルをアルファベットで言えば良い。そうすればほとんど必ずわかってくれる。数字の場合は、たとえば18と80を間違えられそうな時は、18(エイティーン)と言ってから1、8(ワン、エイト)と念押しを言えばよい。

 

私はずいぶん長い間米国で生活しているが、完全に日本育ちで、かなりの大人になってから米国に来たので今でも全体的な英語力の苦労は続いている。最初の2年くらいは英語をもっと頑張らなきゃと思って単語を増やしたり、テレビで字幕キャプション付きの番組を見たりして、今なんて言っているのか学ぼうとしていたが、その後は英語力を伸ばそうという意図的な努力は特に何もしていなくて、自然に任せている。だからそんなに伸びていないかもしれない。仕事などでいやでもたくさん英文は読まされるし、会話も毎日しなくてはならないから、実は伸びているのかもしれない。しかし日本語の方がはるかに楽なのは確かだ。

 

他の米国在住日本人たちをみても、大人になってから来た場合は、米国生活を何年してもネイティブのような読み書き話すの英語力にはならない。一定の英語力に達したところであとはずっとそのままという人が多い気がする。しかし、外国人なのだからそれでいいのだ。別にプロの通訳や翻訳家になるわけでもない。人に失礼にならない程度の言い回しを覚えて、結局は会話は通じればいいし、読み書きも仕事で困らない程度にできればOKなのだ。気楽に考えればよい。

 

世界の貧しい国からの移民が米国にはたくさんいて、母国で英語を学んだこともなく米国に来ている人も少なからずいる。みな生活のためにいやでも最低限の英語を身につけてお金を稼いでいる。これも立派なグローバル人材なのだ。