海外こぼれ話 160

 

サッカーのW杯は

ドイツが優勝

 日本は予選リーグで残念ながら敗退したが、訪問先のドイツでは自国の快進撃でセミナーやワークショップに参加する人たちの気分もよいので、おのずから良い成果も出る。人は感情で動く動物であり、気分がいいとモチベーションも上がる。アルゼンチンとの決勝戦は、ドイツ時間で日曜日の午後9時からだった。その時はベルリン郊外の40Km離れた田舎のホテルに投宿していた。気になっていたが、翌朝が5時起きなので試合の始まった時間には床に入っていた。

ホテルの一階から歓声がしたので、目が覚めてしまった。ちょうど前半戦が終わった頃だった。テレビをつけたら、まだ両者に得点が入っていなかった。ついでに後半戦を見てしまった。延長になったので、また寝ることにした。今度はまた歓声でたたき起こされた。テレビをつけてみると、ドイツが勝ったことを知らせていた。間もなく外から何発もの花火が上がって盛り上がった。すると今度は、クラクションを鳴らしながら車が走り出し寝られなくなった。

いつ寝たかわからないが目覚ましが鳴った。完全な睡眠不足だ。あとから聞いたら、年末には爆竹が大晦日前の3日間しか売ってはいけないことになっているそうで、このサッカーの試合の結果を見越して、ベルリンの人たちは多く爆竹を買ったという。ブラジルから凱旋した時に、ベルリンでは40万人ものファンが集まったことは、日本でもニュースになったと聞いた。

朝訪問先の工場に行くと、皆さんが眠い眼をしながらやってきた。でも気分はよさそうなことはすぐにわかった。モチベーションもさらに吹きかけて、今回も良い結果を出すことができた。この工場は、5月に初めてワークショップを実施して、初めてのトヨタ方式のラインを構築して、稼働できるようにした。すぐに効果が出て、従来の2倍以上の生産が可能になった。この時に合わせて大量の発注もあり、実にタイミングがよかったらしい。お蔭で昨年の売上金額が、前倒しで5カ月も早く達成する見込みだと言われて非常に感謝された。

二度目の旧東独工場に訪問

 予定になかったが急にリクエストがあり、二度目の訪問となった旧東独のゴータ市にまた訪問することになった。デュッセルドルフからフランクフルトには電車で、そこから250Km離れたゴータまでは、レンタカーで移動する。カーナビにホテルを入力して快走していたら、予定より30分早く到着する指示が出た。しかし、ゴータ市を外れてカーナビは指示をする。前回とどうも違うなあと思いつつ、そのまま走った。ゴールに近づくとまったく前回と違う場所だった。そこには焼きソーセージ博物館の標識もあった。ホテルのすぐ手前にその博物館はあったが、平屋の民家のように小さな博物館だった。

間違いに気づき、そこから携帯電話に入力していたホテルの住所を探そうとしたが、ど田舎なので電波が届かない。電波がつながるところまで移動したが、狭い道には犬ではなく馬を連れて散歩をしている人がいた。さらに車を進めると、庭に数頭の馬の世話をする主婦や子どもたちが目を引いた。この村というより部落といった方が良いほど田舎であった。多くの馬をみることができたが、人よりも多く感じた。旧東独の本当の田舎はまだ残っていたのだ。

ようやく村はずれに来て電話をキャッチすることができ、カーナビに再入力した。結局30分のムダになって、当初通りのホテル到着になった。でも間違いのお蔭で、旧東独の田舎道や村、畑などを観る絶好の機会に恵まれた。予定通りでない場合も、このような別の楽しみ方がある。良い方へ考えたいものだ。

同じホテルに別のホテルがあった

このホテルは前回の3つ星で結構良い部屋だったが、今度は同じ敷地内にある4つ星のホテルに泊まることにした(ドイツでのホテルのランク最高は5つ星)。このホテルは、3つ星と4つ星の2つの違うホテルを、経営している不思議なホテルだ。というより同じ敷地内で2つの星が違うことは初めてのことだった。鍵をもらって4つ星のホテルに移動して部屋に入ろうとすると、通訳が大きな歓声をした。部屋がもの凄く広いので歓声を上げたのだ。私も入って見るとビックリ、歓声を上げたくなる理由が分かった。約6m×10m60uの広さだ。部屋全体がクラシックな感じを醸し出していた。

電話は昔のダイヤル式?かと思ったら、ダイヤルの番号がプッシュフォンになっていた。絨毯や家具なども統一されており、いい雰囲気だ。しかしベッドの高さが尋常でなく非常に高く、飛び降りるくらいの高さだった。ベッドから転げ落ちることを考えると、お互いが真ん中に行こうとする心理を仮想したベッドのようだ。でも私は一人なので意味がないが、中に向かって寝ることにする。カーテンを開けると目の前には、広い庭があり気分も爽快だ。

すぐに晩御飯を食べようと思ったら、今日は休みだというのでガックリした。しかしここはチュービンゲン地方なので、例の焼きソーセージが美味しい店を探せばよいのだ。考え方を変えてインターネットで検索すると、5Km離れたところに有名なレストランが見つかった。早速移動開始。カーナビは確実に発見してくれたが、そこはホテルだった。可笑しいなあと思いつつ、探すとホテルの裏にあるのが、目指すレストランであった。

21時過ぎであるが、空はまだ明るい。風はまったくなく庭のテーブルで、名物の焼きソーセージを頼む。ビールはミュンヘンで有名なビールメーカーのものがあった。ドイツで6月から8月は一番過ごしやすい季節だ。特に夕方はまったくの凪状態であり、外での食事にはもってこいだ。名物のソーセージは本当に美味い。ゆったりとした時間が過ぎ、寿命も延びそうな感じになる。

工場にリトアニアからも参加

朝工場に行くと、2人のリトアニア工場から一緒にワークショップを経験したいと参加があった。リトアニア人と会うのは初めてだ。2人ともドイツ語を聞き取れ、少し訛りがあるが何とか意思疎通が出来る。若く見える方が、工員から夜間の大学に通い、今では製造部長だという。30歳そこそこでも、欧州は優秀であればいくらでも出世できる環境があるのは羨ましい制度である。

現場に行くとこの工場で、二番目に環境の悪い作業場であった。前回は一番悪かった作業場で、今回は悪い方から二番目だという。私の実力が試されているようだった。しかもこの作業場は、「汚い、危険、きつい」という3K職場の典型でもあった。でもこの職場のマイスターは、前回の訪問で次に自分の部署でやりたいと進言した人であったので、やる気に満ち溢れていた。

 前回の最初の参加者は、工場のエース級の人たちを集めていたので、それなりの結果も出すことができた。でも今回の参加者は、一般の工員を中心に集めたという。それならばもっとモチベーションを掛ければよいのだ。3つのチームともに期待以上の成果を出してくれたので、ホッとした。

 リトアニア人(欧州北東部のバルト海に面した国)は、関連の子会社から来たので作業内容も知っており、一緒になって取組んでいたが、自己主張したがりなのが問題だった。自分の考えが通らないことに不満を感じたようで、私からクギを刺し諭す場面もあった。彼らを夕食に誘って、リトアニアのことを聞くことにした。ロシアからの受注がほとんどで、まとめて大規模な発注をしてくることもあるが、急なキャンセルもあり対応が大変だという。未だにロシアから締め付けられているようだが、そのお蔭もあり経済的には随分豊かになって来たそうだ。

彼らは会話程度のドイツ語も話すが、国としては英語が最近流行っているという。小さい国なので、デンマークと同じように色々な言語を話すことが必要となっているという。しかもロシアばかり目を向けていたが、最近は西の方を見ることが多くなってきた必要性もあるようだ。

国の緯度が高く北欧と同じように夏至の頃は真っ暗になるのは24時頃で、すぐに明るくなるので真っ黒なカーテンが必要らしい。収穫できる野菜もあまりなく、ジャガイモなどの寒冷地の野菜しか採れないという。中年になると偏食する影響で、肥満の体型になりやすいという。日本は四季の変化もあり、色々な野菜も入手できるので、海外に出てみると恵まれていることが改めて分かる。噂によると欧州でも美人のいる国のようだ。

デュッセルドルフの対岸まで散歩

休日には散歩をすることが習慣になるようにしているが、雨が降ると、とたんに意気消沈してしまうこともある。天候に心がさまようほど、まだまだ心は若い(というよりも幼い?)。最近はライン川の手前の旧市街までしか足を伸ばさなかったが、今回は対岸まで延長してみることにした。そのコースだと追加で1時間余分にかかる。今回は大風のために市内の多くの街路樹が倒れたが、特に公園内の風をさえぎるものがなかった木が、多く折れていることもわかった。やはり現地現物で、実際に自分の眼で確認すれば納得できる。

ライン川の橋に来たら、対岸に移動遊園地が建設されている光景が目に飛び込んできた。ちょうど時間つぶしにも良いタイミングだったので、早速行ってみることにした。何度も移動遊園地やサーカスが開催されてきたが、今回のものは今までで最も大規模だ。遊園地は年始に行った浅草の「花やしき」以来だ。近づいて見ると、その設備は移動遊園地とは思えないほどしっかりしたもので、常設の設備と同じものだ。しかも象徴物のマスコットというかキャラクターは、非常に精密にしかも色使いもよく、表情も生き生きとしていた。

電球はよく見るとランプからLEDになっており、動く人形も一部はロボットになっていたが、この辺にも時代の変化が見られる。しかし、ドイツ特有のビール、ソーセージ、ハート型のクッキーのレープクーヘンヘルツェン、綿菓子などは相変わらず根強い人気がある。ドイツ自体が保守的な民族であり、新しいものとして米国のハンバーガーなどもあるが、伝統を残していく姿勢は崩れていない。

良く見ると施設には、係員が多く配置されていた。テント、トレーラーの数は数え切れず、露店もおおくあり、牛皮のベルトがなんと6ユーロで買えてしまった。水分補給として、デュッセルドルフのアルトビールを一杯頼んだが、樽から注ぐので美味しい。ということで、もう一杯ビールを頼んだ。200tが1.6ユーロとやはり高くてお祭り価格になっていた。

いたるところで軽快な音楽と人々の賑やかい声が交錯していたが、人の密集の度合いはそんなになく、人ごみに酔うことはなかった。3時間の散歩は、とても軽快に過ごせた。

途中BMWの2002という40年以上も前の車を発見した。まだ現役で使っており、しかも錆はほとんどなく路上駐車である。この手の車を日常的に遭遇できるのも、ドイツに来ての楽しみの一つである。いかに錆に強いドイツ車だ。冬の凍結防止に塩をたくさん撒いているので、塩害対策は相当昔から取組まれている。また路上駐車も当たり前になっていることも防錆処理は確実に処理されている。しかし電気系統の故障は酷いので、買うには勇気が必要だ。

某市役所のコンサルが始まった

日本では10年くらい前から県庁や市役所でのトヨタ方式が採用されて、業務改善が行われているが、北ドイツの某市も今年からトヨタ方式を正式に導入することになり、先日そのキックオフ式に出向いた。この中心メンバーは、私がコンサルしているトレーラー工場に来た人たちであった。その後音沙汰がなかったが、5月に相談があり、今回3年計画で実施することになった。

音沙汰のなかった1年半間の間に自ら現状把握をして、改善を進めて上司を説得していた。今年度から改善の目処がついたので、正式に予算を確保もできたという。ただしこの3年間の投資に対しての見返りがないと、その後の活動は停止されるので、彼らも熱心になっていた。目指すヴィジョンが明確になっているので、多分上手くいくはずだ。そのお手伝いをする貴重な機会を得た。

その前日に市内を観光がてら、今までの取り組みや歴史を紹介したいとリクエストがあった。良い機会だったので、日程調整をして訪問することにした。自転車で案内するというので、カジュアルな服装で出掛けた。待ち合わせ場所は、M市の駐輪場であった。地下にはさらに大きな駐輪場があり、そこには初めて見る自転車専用の洗車機があった。さらにパンク修理などのメンテが出来る修理場も隣接していた。人口30万人の内、自転車台数が38%つまり約10万台の自転車があるといい、ドイツで一番だという。最も多いのは、オランダのアムステルダムである。

待ち合わせしていると局長自ら自転車を傍らに待っておられた。担当のLさんだけかと思ったら、部長、そして担当のB女史、そして間接部門のコンサルのN女史までやってきた(明日合流するかと思っていたが、彼女は私に興味があるとあとから聞いた)。総勢7名のチームが出来上がった。まず2時間の遊覧コースの紹介が地図とともに紹介され、出発進行!

行く先々で歴史と薀蓄、そして市の取り組みの紹介があった。市内の木々の多さに改めでびっくりした。市が管理している木々は約5万本であり、木の樹医もいて年中検査をしているという。ドーム、教会、公園、要塞(現在は大学になっている)、湖、関連の施設などをサイクリングしながら見て回った。

街中の公園には、野ウサギが10羽単位で群れになって草を食べている。多くいる場所では、30羽もいたが、人がいても知らん顔で食している。手を叩くと一斉に逃げ回るが、のんびりとした様子だ。

道路は自転車専用と歩行者専用があり、さらに自転車マークのある道路は、自動車よりも自転車が優先になっており、車がのろのろとしていた。このような環境はドイツでも珍しいという。

市内の古い建物の中に120年前からあるレストランの前で止まった。これから会食をすることになった。この地方の唯一のブルワリーのビールで乾杯した。汗をかいた後のビールは極上である。さらに牛のステーキにアンズキノコにフライドポテトのメインディッシュに舌鼓を打ったが、その後は狸のようにお腹を叩く羽目になってしまった。その夜は打ち合わせ会場のホテルで大人しく就寝した。

翌朝目覚ましのお蔭で目を覚ますことができた。教会主宰のホテルなので、朝食は写真も撮りたくないほど粗末なモノであった。でも1日の長丁場のために仕込んでおく。打ち合わせ30分前に会場に行くと、関係者も準備に来ていた。聞くところによると、ドイツでトヨタ方式が採用されている市役所は、中ドイツのM市だけのようだ。そのM市をサポートした女性のコンサルN氏も、このキックオフ式に同席した。つまり、ダブルキャストのコンサルスタイルで進めるという。私は現場系で、N氏は間接部門を担当するという。キックオフ式で、まずトヨタ方式の神髄を2時間で語った。

34枚のスライドを市役所のスローガンに合うように作り変えたもので、さらに熱く語りかけた。次にN氏のプレゼンがあったが、失礼であるが内容は何も得るものがなかったほど貧弱なものに感じられた。それは聞いている人も感じたはずだ。二言目にはツール(分析の手法)のことを強調して説明をしていた。彼女は、ドイツの非常に有名な車のメーカーで20年以上も勤務され、社内コンサルタントをして近年に独立された。しかし余りにも現場の経験がなく、説得力のある語りも残念ながら聞かれなかったのは残念だった。

朝からのプレゼンや討議で一日掛かった。しかも冷房設備がなく、プロジェクターを使うのでカーテンで光を遮るので、外の風が入ってこない。普段でも熱演すると汗をかくが、それ以上の暑さに見舞われた。考えようによっては、ただでサウナに入っていると思えば儲けた感じだ。その熱演のお蔭なのか、それから年末までさらに来年の日程も決まったことは良い収穫であった。ドイツで公務員相手のセミナーはこれで2回目、大学でも講義したこともあったが、ドイツでも色々な場面で貢献する機会が増えて自分自身の刺激になる。