海外こぼれ話 163          

全員が

前向きになるとは言えない

 欧州に通い始めて15年になるが、その内13年間通っているトレーラー会社は、私のコンサルタントとしてのモデル工場になっている。当初は5Sばかりを1年半も後戻ししながら続けていた。でも少しずつ目で見る管理やモノと情報の流れの改善などを展開し、今では生産性や生産リードタイムの短縮、さらに工場内の仕掛の大幅削減など大きな成果を出してきた。一番の成果は、工場の従業員の8割の人たちが改善に対して前向きになってきたことである。そして、「自ら考え、自ら行動し、自らの価値を上げていく」という私の人財育成の思想を実践しつつあることだ。最近はドイツの生産工場を対象とした表彰制度にノミネートされ、毎年のように受賞をするレベルになってきた。

後の2割の人たちはどうかというと、いくら前向きな取り組みを説明し、説得しても説得できなかった割合である。私も工場長も改善コーディネーターやチームリーダーなど多くの人が、その2割の人たちに改善をしようと投げかけたが、彼らの姿勢を変えることは未だ難しいことだ。以前はワザと設備や工具を壊したり、不良を作ったりして周知に毒を巻く人がかなりいた。現在は幸いにも無言で黙々と作業をするようになっただけでもよしとしたい。諦めたつもりではないが、人の心はなかなか変わるものではないことを受け入れている。

蜂や蟻の生態を調べてみると、逆に2割のものが積極的に仕事をして、残りの8割のものがただ何となく賑やかしで動いていることが分かった。そのできる2割の蜂や蟻を集めてみると、しばらくすると2割しか仕事をしなくなるという。つまり8割が遊んでしまうのであった。逆に遊んでいた8割の何となく賑やかしだった連中だけを集めると、その中から2割が俄然と態度を変えて働くようになるという。このように昆虫を含め生物学的な行動形態は、同じものかと感心し納得してしまった。

初老の改善マンの姿に男泣き

 この工場で今回は日頃、陽に当たる場所でなく、1つの部署でコツコツと改善を積み上げてきた初老の改善マンを紹介してもらう機会を得た。昨年から若手の製造課長を育成し、ほとんどの部署の入れ替えを図り、市場環境の変化に追従すべく体制を作り出す方針に従った取組だった。その1つの部署で、初老になったオペレータがいた。自分の家には旋盤やボール盤などの工作機械を持っている、ぼくとつで根っからの職人のような人だった。

ドイツ人にしては小柄な人であり、現在の作業においては重いものや早い作業ができなくなり、製造課長が彼を発掘しその課の改善専任に仕立て上げたという。その人の名前は、シュバートさんという。時間を割いてもらい、シュバートさんに自ら5点の改善事例を紹介してもらった。いずれも今まで私がこの工場に紹介した改善のコンセプトを見事に反映し、さらに自らのアイデアを盛り込んだ素晴らしいものばかりだった。

説明の仕方において、心に響くものがあった。それは自ら考え、工夫し、試行錯誤したことが手に取るようにわかることであった。それは実際に手を汚したこのある人同士のテレパシーのように感じるものであったのだ。5番目のゴムの切断機は、圧巻であった。工場や自宅の廃材を利用して製作したもので、品種によって切断する刃も8種類も自ら加工した。何度も試行錯誤して作り上げたもので、加工時の安全対策はケガをしない工夫が二重三重に施されていた。

工場に訪問して一番うるさく言っているのが、安全に関したことであり、そのことを十分に配慮してあった。以前はこのゴムの切断加工は、大型のナタのようなナイフとノミを使っていた。固いゴムであったので作業しにくく、手袋も破れることが何度もあった危ない作業だった。これを見事に排除した改善で、思わずこれらのアイデアとその取組姿勢に感動してしまった。しかも誰でも簡単に出来るように治具まで考案したというので、またまた驚いてしまった。

それらが重なり思わず大粒の涙が溢れだしてしまい、それを見たシュバートさんももらい泣きしてしまった。言葉はもう不要であった。どんな気持ちで作り上げたか、どんな苦労をしたか、実際に改善をした者同士は気持ちが一つなる。今まで人前で大泣きしたのは、記憶にないほどだ。

でも今まで訴えてきた改善の魂か精神か表現できないが、それが本当伝わった気がした。以前地元で働いていた会社では、実際に改善をした件数は数千件以上もこの手でやってきた。実は失敗はその何倍もしているが、やってみないことにはわからないこと、そしてできることが体に染み込んでいるので、彼の改善も良く考えたことが良くわかるのである。

製造課長からは、シュバートさんだけでなく、あと数人を改善マンとして発見し、生産業務から外して改善専任にして育成しているという。なんて嬉しいことだ。トヨタ方式の神髄は、カンバンでも1個流しでもなく、実は人財育成だと自分なりに思っている。今回は非常に明確な成果を見させてもらったが、その日の黒ビールは非常に美味かったことは言うまでもない。

照明器具の会社の改善

ベルリンの郊外にある照明器具の会社には、5月から二ヶ月おきに3回訪問した。最初のワークショップで、1個流しの生産ラインを製作して、すぐに従来の生産ラインの2倍の生産が出来るようになった。さらにレベルアップをして、結局3倍の生産が出来るように改善し整備できていた。それに合わせて受注も伸びて納期遅れがなく、お客様に出荷することで信頼も得ることができた。その生産ラインの構築方法も彼ら自身で出来るようになり、別な品種の生産ラインも自ら製作できるようになってきた。

その生産ラインは、日本で有名になったパイプ材を加工して組立する方式のもので、自ら切断加工、組立、解体、改造などが簡単に出来るツールである。これを欧州中の企業に紹介しているが、そのメーカーからお礼の挨拶があったのは紹介し始めて13年も経ってからだった。最近はライバルメーカーが欧州にもできて同じものを販売するようになり、値段的にも便利になってきた。どの世界においても競争はあるものだと実感できる。

この照明器具の会社は、ドイツに3つの工場があり、旧東独にあるHalle市郊外の工場からもこのワークショップに毎回参加していた。そこでその工場にも訪問することを投げ掛けたら、是非頼むと快い返事があった。その理由は、工場間の改善の格差が一気にわかるようになったためだという。自分たちだけで改善を推進する力はまだ持ち合わせていないようで、私たちにとっても仕事になるので嬉しいことだ。

まず1日のワークショップを、10人ほどでやるように約束した。2つの工場で取り組み始めると、競争心が湧いてくるのはどの企業でもあることだ。ただしお互いの良い点を真似し始めるきっかけが大切で、お互いの欠点をけなし合うことがないように細心の配慮が必要となる。

旧東独の街ハレ市

 旧東独のHalle市には、ベルリンの郊外から250km以上の距離があったが、アウトバーンで走ると3時間で、目的のマリオットホテルに到着した。世界中にマリオットホテルがあるが、旧東独にもあるとは思わなかった。Halleとは、古ドイツ語で「塩」の意味だという。古くは岩塩がありその集積地として栄えた街で、現在の人口は23万人だ。ホテルは大通りを挟んでHalle駅の眼の前にあるが、横断歩道がないので地下道を通って行くようになっていた。

 せっかくなので、駅前の繁華街に出て美味しいものを食べることにして出掛けた。ところが賑やかいはずの駅前通りは、何と人がいない寂しい通りであった。通行している人はほとんどなく、店も空き家のようになっていて窓ガラスも汚れている。駅舎に近づくと玉ねぎのような屋根が見えたが、それは瓦ではなくトタン板で出来ていた。金がないから見かけ倒しの造り物のようであった。駅舎に入ると、これまた人が少なくとても23万人の街とは思えない風景だった。店もひっそりとしており、客も少なかった。

 レストランがないかと2階まで上がってみたが、待合室があるだけで飲食店はまったくなかった。仕方なく1階に再び降りて店を探す。アジア系の店を選んで、メニューを見るとこれまたみすぼらしいものばかりだった。せめて美味しいビールを飲もうと探すと、たった1種類のビールしか置いてなかった。ドイツに来て、こんなにビールの品種が少ない飲食店は初めてだった。

焼きそば風のヌードルを頼み、冷えていないビールで流し込む。食べるという料理ではなく、生きるための餌のようだった。帰りの足取りは、トボトボという表現がピッタリだった。ホテルに戻ると、エントランスの隅に無料の飲み物やスープや果物があり、それを胃袋に流し込んで寝ることにした。

ホテル内は、さすがにマリオットの有名な名前があるくらいで、フランクフルトにもある同ホテルの作りとほぼ同じになっていた。この辺りが米国のホテルのセンスが行き届いているようだ。ミニバーの仕様も一緒であった。昨年の年末に東京の品川にできたマリオットホテルは、さらに高級感があったがサービスという点はあまり良いとは言えない。ホテルの世界中の系列のサービスを同一にするのは難しいようだ。

1日のワークショップを体験

朝食は期待以上の豪華な食事にありつけた。選ぶものがたくさんあり、目移りするほどだった。ホテルから工場までは10分ほどで行けるが、初めての訪問は30分前には到着するようにしているので、今回も早めに出掛けた。

目指す工場は、住宅街の中にあった。この工場は、22年前に吸収合併された工場で約80名の人が働いている。元々は螢光灯などの板金専門メーカーであったが、それを組み合わせて照明器具を生産するようになった工場だ。

10人ほどが会議室に集まってきたが、その内5人はベルリン近郊の工場でワークショップを一緒にしたメンバーであった。初めて工場とは思えなかったが、二人の私と同年代の2人が嫌な顔をしていた。ピンと来たがあとで聞くと、やはり改善の反対派だった。

それでもその反対派を説得して、改善を継続しないとこの工場の将来はないので、いつもの通りユーモアを交えたセミナーを展開する。そして現場観察、問題点の発見、そして改善案の抽出までを午前中に行うように指示した。やり方は別の工場でもやっているので、2つの対象テーマに取り組んだ。他の工場でやっていたが、いざ自分の職場でやってみると、想像以上の問題を発見できた。

昼食の時間になると、ケイタリングで用意された食事が会議室に並べられていた。ベルリンの工場でも結構な肉中心の食事が用意されていたが、この工場は今まで最も豪華な食事が用意されていてビックリしたほどだ。ロールパンのトッピングの賑やかさ、スイカやブドウ、さらにバスケットの中はパイナップルやバナナ、オレンジ、ブドウなどが満載だった。

さらに茹でたてのソーセージ、炭酸入りの水やジュースもオンパレードだ。まるでテーブルがお祭りのようで、秘書さんたちがサービスまでしてくれ、最後はコーヒーまで出してもらう歓待の様子であった。これだけ昼にパワーをもらうと午後からの改善も元気が出ること間違いなしだ。2つのチームで合計60件の問題を発見することができ、昼からは短時間で約20件の改善を実施することもできたが、ご馳走と成果は比例することも証明できた感じだ。

反対派の2人も納得せざるを得ないようであったが、ワークショップに参加した人たちだけでなく、一緒にいた従業員の皆さんに改善がどのようなものかを共有化できたことが一番収穫であろう。聞いたことを体験することはまったく違うので、次回からは皆さんが協力してくれるだろう。

カーナビの便利さに感謝

旧東独の地方はベルリンの壁が崩れてからまだ20年しか経っていないので、インフラ整備は旧西ドイツと比べても遅れている。特に現状維持で満足し、改善して良くしようという考えはかなり遅れている。ドイツの東西統合の補助金で何とか生活向上をしているので、自分たちの力でより良くしようという気質は少ないが、これがまたチャンスにもなるので次回の訪問を楽しみにしたい。

Halle市からフランクフルト駅に行って鉄道でデュッセルドルフに戻ろうとして、カーナビを操作していくつかの方法を検討した。すると直接デュッセルドルフまでレンタカーを運転して帰る方が、2時間も早く到着できることが分かった。カーナビは本当に便利だ。10年くらいまでは、地図を持ってルート探しを指でなぞりながらの運転であり、面倒なのでほとんどタクシーを使うことが多かった。カーナビの精度が良くなり、最近は渋滞情報などもすぐにルート変更に反映してくれる。

余談であるが、ガソリンエンジンで走る車と言えばベンツが有名である。その基になったのが、1876年に内燃機関という4ストロークの概念で実際にエンジンを作ったのが、オットーさんという発明家だった。そこの従業員だったダイムラーさんが飛び出して、ベンツさんと一緒にエンジンを作り、そして車を作るようになった歴史があることを知った。そしてヒットラーが速度無制限のアウトバーンを全国に配置して、さらにドイツの車文化が一気に発展した。普通は時速150kmで、追い越しする時には軽く200km以上の速度になるが、道が真っ直ぐで広いためそんなに速度を出している雰囲気はない。結局4時間ほどでアパートに戻ることができ、ゆっくりとすることができた。アウトバーンを使うと100kmの距離が1時間という計算で目的地に辿り着ける。

アパートではまるで料理天国

デュッセルドルフのアパートでは、最近多くの人が出入りしてくれるようになった。前回も一品持ち寄りという簡単なパーティーを開催したが、好評で数回も続いている。事前にアパートに来てくれてテーブルの移動や椅子の配置、皿や箸などの準備もテキパキとやってくれる。キッチンの香辛料やその配置、冷蔵庫の中身も熟知しているようで、安心して任しておける関係にもなってきた。そして最後の後始末も完璧にしてくれて、皿やグラスの洗い、そして掃除やゴミのまとめまでやってくれる。いずれも来てくれるメンバーが30歳以下なので、こちらも若返ったようになる。ただし若さにはついていけないので、いつも先に就寝してしまうが、気分は最高!である。

デュッセルドルフ市内で外食してワインを飲めば、30から50ユーロ(4千から7千円)はすぐに財布から飛んで逃げてしまう。さらに和食だと清酒を飲めばさらに値段は高くなる。持ち寄りだとせいぜい20ユーロで、お釣りがくるくらいだ。刺身や寿司はネタが日本に比べると良くないばかりか非常に高いので、頼んだ後に自己嫌悪にも陥ることもあるくらいだ。

その点自宅で料理をすると非常に安くしかも他の人の料理方法も知ることができ、楽しみも多くある。ワインもコンビニだと、5から7ユーロで美味しいものが手に入る。ビールは500tのもので、ビンでも缶でも1本が1ユーロ前後なので本当に安いから、費用がほとんど掛からないのが嬉しい。

今回は出し巻きをベッドに見立てて、その上に大根おろしで形作ったスヌーピーが寝ているものを作って来てくれた。こんな遊び心は私の年代では思いつかないが、若い女性はこれを作ってしまう。それを皆で楽しむことができると笑いに包まれる。一人で料理を作りながら、ワインをチビチビとやっていてはこのような発想は出てこない。場所とワインの提供をすればよいことなので、いつもパーティーは大歓迎だ。

今回はアパートで初めて天ぷらを揚げてもらった。普段多くの油を使うことがなく、一回も天ぷらをしたことがなかったので、揚げたての海老や野菜が心とお腹に染み渡った。サラダも各自で違うスタイルを持っていて、それもこれからの料理の参考にもなる。さらに海鮮チラシ寿司、鍋一杯のムール貝の白ワイン煮、ラタトゥイユ、キュウリと茄子の漬物、海老のチリソース、筑前煮などが登場し、和洋折衷のまるで料理天国のようだった。楽しい!