今月の執筆者
渡辺 誠
塩谷定好氏の流れを汲む写人山陰菊里会
平成26年4月、琴浦町赤碕に塩谷定好写真記念館がオープンしました。故塩谷定好氏の生家を改装したものです。二年程前、改装以前にも見学させて頂いたのですが、古い写真雑誌等がそのまま置かれた様子が妙に生々しく、氏の生前そのままを彷彿とさせるものでありました。私は出来ればそのままを保存して欲しいと願ったことを覚えています。記念館としての開館後に訪ねたのはつい最近で、このエッセーがきっかけとなりました。生家は巧みに改装され、白黒の銀塩でプリントされた氏の作品が、古民家に溶け込む様は、とても好ましく感じられました。昭和の初期からの作品郡が、当時の時間と空気を封じ込めていて、その視点の素朴さに驚いたのです。私は共感し、感動しました。山陰の写真の開祖たる氏の眼差しは、そこに住む人々の心を代弁し、生活を語りました。それはまさしく記録する写真であったのです。
私の所属する写人山陰菊里会が、この塩谷定好氏の流れを汲むのだということを最近知ったのです。会長の新勝人、副会長の桑田高行は塩谷氏の愛弟子でありました。ここに東京で細江英公氏に師事し帰鳥して、今は故人となった実父と共に写真館を営んでいた陰山光雅が事務局となって菊里会が発足しました。会の紹介にある多様性や自然美の追求は、塩谷氏の標榜するそのままでありました。毎年催されるサークル展はすでに31回となり、会長の新も25回の個展を開催しました。新の作風は古典的に見えますが自由闊達で新しくもあり、バラエテーに富んでいました、それは塩谷氏の遺伝子を継ぎながらも個性豊かで、写真への熱情を強く感じさせたのです。
そして、この会も実は閉塞感に苛まれているのですが、地方を高齢化や過疎化の波が襲い、私達は古きを尋ねながらも新しい風に乗らないといけないと感じます。全県公園化を謳う鳥取県は自然や歴史が豊富で、それはそのまま写真文化を育む温床となります。時に写真家は、古い物を好み過ぎ去った時間を刻みながら、寂れて忘れられる万物の声を聞くのです。それは新しい風の音と共に。私は写真が、鳥取を全国に発信する一躍となると期待しています。塩谷記念館の開設と併せ、地域に根ざす多くの写人の方々の御活躍を願うものであります。(写人山陰菊里会会員)