海外こぼれ話 165          

 

アパートが大変なことになっていた

 

 クリスマスと年末年始の休暇で帰国していたが、約1か月ぶりにデュッセルドルフのアパートに戻ってきた。ドアを開ける時は、「どうか部屋が荒らされていませんように」といつも祈りながら鍵を回す。なぜならば、最近のドイツの治安の悪さによる部屋荒らしなどの泥棒のことが頭にあるからだ。

ガチャリと鍵を開けると、むっと湿気の多い空気に圧倒された。なんだ?これはと思って、すぐにキッチンの水道を確認した。水漏れはなかったが、窓枠や天井を見上げると黒いカビが一面に生えていた。これはあり得ないことであり、深呼吸して再度見つめ直しても、やはり一面にカビが生えていた。振り返って玄関の天井を見ると、壁紙(アパートなので、板ではなく壁紙が貼ってある)がベロンと牛の舌のように垂れ下がっていた。

ようやく異常が呑み込めた。私の部屋の上には2つの部屋があり、その部屋からの漏水だった。屋根裏にあるその部屋に行ってみると、部屋の前の廊下に流し台の残骸が放置してあり、壊れた戸棚などもあった。気を取り直して、まずキッチンのコンロに溜まっている泥をふき取る作業に取り掛かった。汚れはかなりこびり付いており、洗剤でもなかなか落ちなかったが、結局金属たわしでふき取った。綺麗に拭き取ったが、逆に汗をかいてしまうほどしつこい汚れだった。床には、漏水による壁の汚れや壁紙が溶けて流れた粉も付着していた。

リビングに行くとジュータンを敷いたように、水漏れの形跡があった。天井を見ると、ベランダに面しているガラス窓の上にも一面に黒いカビが生えていた。部屋を密閉していたので、漏水がもとで壁や天井にカビを発生させたのだ。

本棚を見ると、漏水は上から下まで壁を伝って流れていた。本を手にすると30冊の本が水を吸い込んでおり、廃棄せざるを得ない状況だった。最も悲しいのは、数年間集めた約100枚の料理のレシピ本が一冊すべて水を含み、土左衛門のように膨れ上がっていたことだ。余りにも部屋がカビ臭いので、寒かったがすべての窓を解放して換気した。幸いバスルームと寝室は難を免れた。

この間まったくムダな清掃作業に、2時間も費やすことになってしまった。本来は荷物を片付けて、ゆっくりと約15時間の移動の疲れを癒すためと時差を取るための貴重な時間であった。ガックリと力が抜けてしまったので、元気をもらうために、すぐ近くの日本料理店の「加賀屋」に出掛けた。

泥棒は物を持ち逃げする程度だが、漏水はそれ以上に罪がある。壁や床がもろくなりダメにしてしまうからだ。従ってアパートの大家も漏水の連絡があると、真っ先に管理人を派遣してくる。今回は土曜日の訪独であり、日曜日もまったく受付けないので、通訳に連絡して火曜日にアパートに来てもらうようにした。パンフレットには休日にも対応すると書いてあったが、実に不親切だ。

 

犯人はいい加減なイタリア人だった

 

今回は約束の時間通りに、管理人の仲間であるいつも工事に来ているロシア人の2人組みがやってきた。部屋に入るなり、彼らもビックリしていた。すぐに背の高い方のロシア人(彼は少し英語ができる)が、アンドレアを呼ぶという。20分ほどで、彼の妻であるアンドレアがやってきた。

おお、かなりのロシア美人の奥さんだ。トートバックを見るとあのルイビトンだった。日本人誰でもこのようなブランド品を買って身につけているので、懐具合は余りわからない。でも欧米の人は収入のレベルに応じたブランド品を買ったり、身につけたりするので、持ち物を観ればおよそのことが分かる。

彼女は旦那よりましな英語を話すが、私の英語もいい加減なので肝心なことが伝わりにくい。でも彼女はドイツ語ができるというので、すぐに通訳に電話して状況把握の共有化を図った。

もう一度部屋の状況を確認し、ダメになった本や靴も合わせて数十枚の写真を撮った。彼らは管理のミスを認め、すべて弁償することになった。これは極めて珍しいことで、ここの大家や管理人はいつもなんだかんだと言い訳をして、謝罪をしないように仕掛けてくるのが常だからである。

アンドレアは、漏れの原因を掴むために天井裏の住民に確認するために席を外した。ここの住民は一階にあるギリシャ喫茶店兼ケーキ屋の料理人で、イタリア人だった。クリスマス休暇の前に水道管のパイプを破損したままにして、1週間バカンスに行っていたそうで、そのまま放置していたことが判明した。

そのイタリア人は帰ってきてから壊れた水道管を直して漏水を止めたが、1週間も漏れていたので、階下の私の部屋に染み透ってきたのだった。そのことをアパートの大家には、黙っていて知らせなかったという。自分で壊れた水道管と流し台を取り外して、廊下に放置していたことも判明した。

証拠写真も撮り終えたので、早速カビの生えた壁紙を剥す作業に精を出しことにした。カビが目立つところは剥し終わったが、またもムダな2時間を費やしたが、普段清掃しない個所も清掃して置いた。ポリ袋一杯になった壁紙を処理し、あとは壁を乾燥させるために暖房を最大にして、さらに換気を頻繁に行って水分を飛ばすことを管理人と約束した。

 

トイレのパイプが破損し水漏れ発生

 

全ての壁紙を張り替えることになったが、今度の帰国している間に施工することになった。カビの臭い消しのために、芳香剤や消臭スプレーも買ってみた。汚れてカビの生えた壁紙を剥すと、かなり臭いは少なくなってきた。

さらに廃棄する本の一覧も作成した。いずれも日本で買った本であるが、ドイツの本屋で買うと3倍にもなるので、臨時収入になりそうだ。幸いにも読み終えたばかり本だった。でもやっぱり自作のレシピ本はオリジナルなので、この復元には相当の時間が掛かるが、これは請求できそうもないので残念だ。

実は今朝から、トイレのタンクから水漏れを気づいた。バケツで受け止めていたら、3時間で1リットルも溜まっていた。タイミング良くこの日に工事の出来るロシア人が来て確認したので、1時間ほどで修理してもらうことができた。パイプのL字部分にヒビ割れが発生していた。経年変化による劣化だが、長期出張に出掛けていたら、それこそ階下の住民に迷惑を掛けていたかもしれない。何ともタイミング良く壊れてくれたものだ。ウンが良かったかも。

このように文章を書く筆が一気に運ぶのは、一つにこのような激しい怒りがあるとそれがエネルギーになるようだ。でも美味しい、嬉しい、感動したというような感情の時にも筆が運ぶようにしたいものだ。

 

デュッセルドルフのレストラン

 

昨年はアパ―トの周囲半径500mに、どれくらいの韓国料理店があるか私的な調査をした結果、10店舗もあった。外観の様子で7店舗を選んで、同じ石焼ビビンバを注文して食べ比べをした。噂通りオスト通りの「ギンセン」という店が、味、サービス、値段、雰囲気ともに最高であった。店によって値段が、8ユーロから13ユーロまでバラツキがあった。高いから美味しいともいえないが、美味しくしかも雰囲気も良く値段の安いところが流行っていた。

今年のデュッセルドルフでの食の探検のテーマを立ててみたが、和食の店の再発見とした。これも半径500mで、探してみると13軒もあった。しかし、この8割はインマンマー通りとクロスター通りに集中していた。日本人が働いている企業が集中しているので、昼ご飯や夜の食事には便利なためだ。因みにデュッセルドルフの日本人は、欧州で一番多い7千人がいる。

デュッセルドルフでは、12年前から行き付けの日本料理店「やばせ」が、我が台所のようになっていた。特に夜の食事は、毎週末にはカウンターで食事(当然酒も)を楽しんでいた。この「やばせ」の屋号は、店の大将Kさん(島根県美保関出身)の奥様の出身地であり、秋田市の八橋から取ったものであった。この秋田の八橋小学校の卒業生が、琴浦観光大使のジャズギタリストの小沼ようすけ氏だ。同じ八橋小学校が琴浦町にもある縁で、琴浦観光大使に決まったそうだが世の中は狭い!小沼さんは、何度もカウベルホールで演奏をして戴いているので、ご存じの人も多いと思う。

アパートの隣の部屋が、当時たまたま「やばせ」のコックだったUさんもいたので、途中酔っぱらっていても、連れて帰ってもらえるという安心感もこの「やばせ」に通う口実にもなっていた。

数年前にこの店で働いているウエイター4人が、すべて鳥取県出身者だったことがあった。3年から4年は続いたであろうか、方言丸出しの気楽な会話がとても楽しかった。その中で倉吉市出身のK子さんがいた。店を辞めてから欧州を旅行して帰国したと聞いていたが、なんと昨年ばったりと三朝で久しぶりに再会する機会を得た。ちょうど翌週から産休に入る絶妙なタイミングだった。帰国後に地元で結婚、ご懐妊というおめでた続きであった。しかも旦那さんは意外に身近な知人であることが分かり、またまた驚いてしまった。

年末には忘年会と称して、通訳夫婦とこの「やばせ」でささやかな宴会を催した。寿司のフルコースというメニューがあり、前菜、メイン、デザートとコースになっていた点も以前とは違うメニューだ。2年ぶりに訪れたが、当時は日本人が8割だったが、まったく客層が違ってドイツ人が8割と逆転していた。 大将のKさんは近々に引退すると言って、店にはほとんどでなくなったという。大将のお姉さんご夫妻が、寿司屋のチェーン店を市内で何軒も持っておられるので、しないで一番新鮮で珍しい魚も提供できる店でもある。

この原稿を書いている途中に、買い物を兼ねて散歩に出掛けたら、なんと「やばせ」のKさんにクロスター通りで、1年ぶりにばったりお会いすることができた。近頃日本でも海外でも人を引き寄せる力が強くなってきたようで、色々な人に出会うことが増えてきたが、何か不思議な縁を感じるようになった。

 

アパートから最も近いのが「加賀屋」

 

12年前から、デュッセルドルフのアパートに腰を据えて仕事をしている。アパートでの自炊に目覚めたのは、数年前に月刊雑誌で料理のコラムを持ってからだ。コラムを書くにはまず自分で料理をしないことには、コラムが書けないと判断し、積極的に料理をし始めたのがきっかけである。

いつも食べる側にいると、料理する苦労は見えないが、いったん立場を代えることによって、見えなかったことが見えてくる。素材の選び方、料理方法、調味料、盛り付けなど苦労が見えて感謝の気持ちで戴くことができた。ただし味を評価するほどの舌のレベルが低いことを認識している(味音痴である)。そのために自分の好みに合うか、合わないかの違いで評価をしていきたい。

アパートから一番近い和食の店が、先ほどの「加賀屋」だ。距離はなんと50mと目と鼻の先である。近いから良く通ったかといればそうではなく、この店が開店して8年になるが、食べに行った記憶がなかった。近くほどいつでも行けると思っている間には行けないものだ。それほど縁がなかったが、昨年鳥取県人会の知人の紹介で行く機会ができた。席はいつもカウンターで、ウエイターに一番近い席が指定席になったが、会話が気軽に出来るのが良い。4人のウエイターが入れ替わり出勤しているが、彼女らと話も楽しみでもある。会話には料金もかからないので、最近は憩の場にもなっている。

以前ウエイターの皆さんが客の帰りに「有難うございました」と挨拶するので、それはおかしいではないかと問いただしたことがあった。英語、ドイツ語、フランス語、ハンガリー語など色々な言語は、いずれも現在形であり、日本語だけ過去形で対応するのはどうかとお話をした。これからも続くように、「有難うございます」はどうですかと話をして店をあとにした。その後店に行くと、皆さんが「有難うございます」と現在形に直しておられたので嬉しくなった。

昼ご飯に魚の定食では、この店が定番になってしまった。特に鯖の味噌煮は、ドイツにいてもホッとするメニューである。その汁だけでもう一杯ご飯が食べられるくらいだが、塩分の取り過ぎにならないようにセーブしている。

屋号から判断すると石川県出身の大将かと思ったら、意外にも北海道出身だった。店のお勧めが「ホッケ」であり、単品でも定食でも出してもらえる。ホッケの皮はいつも食べずに残していた。それを見た大将が、ホッケは皮が一番美味しいので、北海道では食べるのが当たり前という。所変われば習慣が違う良い事例だが、産地の人は良く知っているものだ。

焼き鯖の一番美味しい部位が皮で、秋刀魚は腸、鮃は縁側、鯛はカブトというように、刺身や煮つけなどの調理には捨ててしまうようなところが、実は美味しいというものだ。この前、早速ホッケ定食で皮も骨も平らげてしまった。皮にはたっぷりの脂が乗っており、やはり大将の言う通りであった。ホッケは、花と散って完全に成仏しただろう。ホッケは、漢字では魚偏に花と書く。名前の由来は諸説あるが、食べて見ると身が綺麗にポロリと解しやすく花びらのようになるからだと唱えたくなった。

客層は、日本人が一番多く、次にドイツ人、韓国人、中国人のようだ。昼も夜もいつも満席に近いお客様が訪れている。この店に来るドイツ人の多くは、日本語で注文する人もいる。寿司はメニューにないが、煮つけ、焼き魚、鶏、豚の各料理が楽しめる。

 

次に近くにあるのが「なごみ」

 

「なごみ」は、2年前にオープンした店で、この大将Nさんは北海道出身で40代と若い。Nさんは8年前に訪独された。今一番デュッセルドルフで流行っている和食の店「なにわ」で寿司を握っておられ、その後前述した「やばせ」で寿司を握ったり、メニューの開発をしたりして独立されて店を構えられた。「加賀屋」の反対方向にあり、アパートから距離はほぼ60mか?どっちもアパートからよく見える場所にあるが、若いのに勇気があるなあと感心している。

大将のNさんは「やばせ」の時代からカウンターで話をしていたので、良く知っている。以前は札幌で店を持つ予定だったそうだが、札幌は店の数が余りにも多くやっていけそうもないので、思い切ってデュッセルドルフに家族と引っ越したという勇気の持ち主だ。いつも奥様が店に出て接客しておられ、夫婦での共同作業を微笑ましく見ている。

座る席は大将の目の前のカウンター席が定位置であり、大将の料理の手捌きを見るのを楽しみにしている。寿司の盛り付けも良く美味しいが、この店ではカブト煮が私の定番になっている。食事をする時は、いつも一人で食べに行くことが多い。他の人との交流が少なく、職業柄あちこちに出掛けているので、タイミングが合いにくいことがある。

「やばせ」の店に比べて、約2倍の広さがありゆったりとしている。最近は固定客が多くなったようで、いつも満員状態なので大将と話をするのが申し訳なく感じるようになってきた。

 

一番市内で流行っている店が「なにわ」

 

デュッセルドルフの和食で一番見た目に客が多いのが、クロスター通りとオスト通りの交差点の絶好の立地条件の位置にある。元々はラーメンの店であったが、オープンキッチンで料理する姿を見せることができるので、流行始めたようだ。チャーハン、餃子などを手際よく料理している。待っている人のために、メニューを回覧しているのは手待ちのイライラを避ける工夫だ。

普段も行列になっているが、休日になると30人以上の行列のできる店になり、この店だけしか見られない光景である。店の隣にも店舗を広げ、さらに向いの建物にも寿司屋も展開されている。行列ができるからそれに誘われて、人は集まってくるのは群衆の心理だ。初めて食べる人は、この味が多くの人を引き付けている味なのか!と思ってしまうこともある。

さて肝心の味であるが、はっきり言って不味い!一度10年くらい前に焼きそばか何かを頼んだことがあったが、もう食べたくないほどの不味さだった。麺がもそもそといった情けない食感だったことを記憶している。その後は見るだけで、一度も店に入ったことがない。でも余りにも多くの人が食べに来ているので、今度胃薬と少しの勇気を持って味見に挑戦してみようかと思う。