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「米国所得税の歴史」

 

日本でも米国でも毎年2月3月は所得税確定申告のシーズンだ。稼いでも稼いでも持っていかれる所得税。どうしたら税金を減らせるだろうか、こんなものなければいいのに、と誰もが思っているだろう。勝つためにはまず敵を知れ、温故知新、歴史的に見ると所得税は実際ごく近代まで存在していなかったのだ。今回は私が以前、KPMGのNY事務所に勤務していた頃に調べた米国の所得税の歴史を紹介したい。

 

そもそも米国の独立戦争の主たる原因となったのは本国である英国の、米国に対する重い植民地税だった。米国の税制の輪郭が比較的はっきりしてくるのは1776年の米国独立以降のこと。当初は人頭税(Poll Tax, Capitation Tax) と呼ばれるものが存在し、各成人男子に対して一定額の租税の納付が義務付けられていた。しかし十分な税収の確保が難しいこともあり、やがて人頭税に代わる安定した税源として関税(Tariff, Customs duty) が重要な役割を果たすようになった。

 

その後、連邦政府の活動範囲は拡大を続け、財政需要も増大し、新たな税源として1791年に酒類に対して物品税(Excise Tax) が導入され、その後、砂糖、塩、たばこなどに対象が拡大された。こうした租税の賦課・徴収の効率をはかるため、1792年には現在のIRS(Internal Revenue Service:内国歳入庁) の前進、Bureau of Internal Revenue (内国歳入局)が創設された。

 

IRSは事実上日本の国税庁や税務署にあたるが、内国歳入庁という呼び方には意味がある。Internal Revenue という名の通り内国税収を基本としており、関税は管轄が別で、関税庁(Customs Service)が取り扱っている。ちなみに現在、物品税の中でも酒、たばこ、銃火器についてはIRSではなく、ATF(The Bureau of Alcohol, Tabacco and Firearms)が取り扱っており、その他のガソリン、タイヤ、オイル、電話サービスなどに対する物品税についてはIRSが取り扱っている。ちなみに、消費者が一般の商品を小売店等から購入する際にかかる売上税(Sales Tax)は州税で、連邦税ではない。

 

戦争と税金には密接な関連がみられる。南北戦争の発端にもやはり税金がからんでくる。工業の発達した北部は他国の製品に対抗するため、関税を高くする保護貿易政策を主張し、南部はプランテーションによる製品の輸出を伸ばす為に関税を低くする自由貿易を主張した。

 

そして南北戦争の勃発により、連邦政府は戦費調達という膨大な財政需要のために新たな税源として所得に目を付けた。そして1862年に初めて所得税が導入された。時の大統領アブラハム・リンカーンは奴隷を解放してくれたが、彼はまた所得税という足かせを初めてはめてくれたのだった。

 

リンカーン大統領によって初めて導入された所得税は1862年の所得税法では、年収6百ドルから1万ドルまでが税率3%、1万ドルを超えると5%というもので、南北戦争中に所得税を実際に支払った納税者は人口の1%程度にすぎなかったという。当時、一般庶民にとって所得税は事実上無縁のものだった。実際、戦費のほとんどは国債でまかなわれ、所得税収の貢献は小さかった。そして元々戦費調達を目的としていた所得税は南北戦争終結後、1872にいったん廃止された。

 

そののち南北戦争後の復興、連邦政府活動の拡大など旺盛な財政需要に応じるため、所得税は1894年に再び導入された。しかし、この所得税は翌年、連邦最高裁判所により違憲無効との裁定が下された。当時の憲法第一条では「人頭税あるいは他の直接税は国勢調査もしくはその他の人口算定に基づき人口比例せざる限り賦課されず」となっており、所得税は直接税であり、人口比例という憲法上の要件に抵触するため違憲とされた。

 

所得税の導入の為には憲法の改正が必要となり、1913年に憲法修正条項16条が成立し、これにより連邦レベルでの永続的な所得税の導入が可能となり、近代的な所得税が確立された。

 

翌1914年には第一次世界大戦が勃発した。米国は1917年にドイツに宣戦するまで中立を守り、連合国に物資を供給することで膨大な利益を収め、国際政治の上で指導的地位をしめることとなった。所得税収も爆発的な伸びをみせ一躍連邦税収の主役となった。

 

1913年当時、個人及び法人に対する所得税は総税収の10%を占めるのみであったが、1920年には73%を占めるに至った。またこの7年間で所得税以外の税収も飛躍的に伸び、総税収は約16倍にも及んだ(表1参照)。

 

その後、次に税収が飛躍的に伸びるのは第二次世界大戦の時期だ。1941年には太平洋戦争が始まり、その財政需要に応じる為、1943年に連邦政府は所得税の源泉徴収を初めて導入した。これにより少しでも早くかつ確実に税収を得ることが可能となり、税金徴収の効率が非常に高まった。

 

そして驚くべきことに、年度別の個人所得税の最低税率と最高税率(表2参照)を見ると、戦時下では税率が極めて高く、たとえば1944年では最低税率23%、最高税率94%にもなっている。現代からみれば恐ろしく高い税率だ。もっとも当時は累進税率の所得レベルの段階数が極めて細かく設定され、24段階もあったので、94%もの超高税率を課されたのはごく少数の富豪だったのだろうと思う。

 

戦後社会が安定し、1980年代以降は累進税率の所得レベルの段階数は、年度によって違うが概ね6段階程度になり、最高税率も30%台に下がった。このように時代の波に影響されながらも制度化された所得税は次第に整備、拡充され、今日の最も安定した税源となっている。