海外こぼれ話 167          

 

1年も経たないのに生産性3

 

 ベルリンという街は、色々なお客様が入れ替わりながら10年間も通っている。ベルリンの郊外にあるブランデンベルク地区の旧東独にあるZ工場には、昨年の5月から訪問するようになった。そこの元工場長が、ベルリンの友人Wさんだった。以前いた会社では率先して改善に取り組んでいたのが、この工場に来てからはウソのように変わってしまったらしい。2年くらいで辞めて、別な会社の社長になってしまった。その後釜になったのは、初対面のKさんだった。

これまたベルリンの知人のS博士からの強い推薦で、Kさんに引き合わせてもらうことができた。とても感じの良い紳士だったので、すぐに訪問依頼をもらうことができた。偶然にも新しい製品Aが急に増産になるので、そのテーマを取り上げることになった。段ボールやパレット、さらにパイプ材を使って生産ラインを構築した。すぐに生産性が2倍なった。またこの改善で納期に間に合わせることができ、8か月目には当時の3倍の生産ができるようになっていた。

トップの性格が、改善の結果にも現れるようだ。Kさんは不思議な人だ。いつもニコニコしておられるが、人に指図することはなく、まず話を聴いてから徐に柔らかい口調で相手を納得させている人だ。実は前任のWさんとは、逆の性格だった。この工場は旧東独にあり元共産主義の人たちが多く、Wさんのやり方に相当反発していたと思われた。Kさんに替わってから、工場内の雰囲気が随分と良くなった。

私の指摘にもまったく反論はなく、自由にさせてもらっているが、いつも良い結果を出すことができている。当初一言ひとことに文句を言っていた組合長は、最近は反論もしなくなり部下の組合員を参加させている。今回は彼の方から握手と挨拶をしてきた。訪問するたびに賛成派が増えてきて、成果も確実に出るようになると相乗効果で笑顔も向こうの方からしてくるようになるのだ。

 

テーマが急きょ変更になった

 

今回は、ベルリン市内の本社で間接部門のテーマを取組む予定であった。そのために事前に資料も作成して、準備万端で臨むと張り切っていた。ところが1週間前になって、突然工場のテーマに急きょ切り替えたいと担当者から連絡があった。新製品の生産ラインを、早急に作りたいというリクエストだった。事情が分からなかったので、根掘り葉掘り訊ねてみた。

昨年英国の企業に来試作品を納入していたものが、急きょライバルメーカーと工場見学をして、早急に発注をどちらかに判断したいというものだった。いつ訪問するのかと訊ねたら、来週の火曜日だというのでビックリした。残り時間は6日間しかないという。

その前に訪問する木曜と金曜の2日間で、新商品のラインを作りたいという切羽詰まった話だった。もうお尻に火がついている状態だったので、納得して対応することにした。発注者はライバル会社にこのあとに訪問するというので、先手必勝すれば大きな注文になるので、新ライン構築にワクワクしてきた。

朝工場に行くと、試作した製品が1台置いてあった。1.5m×1mで厚さ約20cmの大きな照明器具だった。完成品の重さは何と100sもあるという。この工場でなく、別な工場で試作を数台組んだことがあるが、この工場では誰も組んだことがないという厄介なおまけまで付いていた。それを見越して別な工場から経験者も、応援として4人も参加してくれた。

現物を見てからいつもセミナーを行って、現場に出ていかにして組み立てるかの検討に入った。重いけど部品点数は多くなかったので、重量物を安全に配慮しながら組み立てて、さらに最も要求される品質についてもどう確保するかを合わせて検討していった。彼らの想定していたやり方では、かなりの工数が掛かることが分かった。悠長なことを言っていると、週末に帰れなくなる心配もあり、早々に結果が出る仕掛けを仕込むことにした。

 

チームワークで想像以上の成果

 

ヒントを出しながら、彼らをフリップチャート(模造紙)に釘付けにして集中させていく。作業の流れを確認しながら、彼らから聞き出して、部品の位置、工具の位置を記入していく。工数見積もりもその場でおよそ何分だと詰め寄っていくと、具体的な時間が出てくるようになった。真剣さが潜在意識を刺激して、良い方向に向かっていく。それらを書き込みながら検証を一つひとつ行う。全体を観るとまずまずの流れになってきた。さらに条件を変えて見方を変えていくと、別なやり方に気づき始めてくれた。そしてまとめ直すと、かなり具体的な生産ラインの流れと部品や工具の位置も決まってきた。

でも大型の製品なので部品に重いものがあり、30sの部品はガラスなので取扱いに最新の注意が必要だ。さてどうするか?想定の1人作業だと無理な作業だ。ならば2人作業にするか?それでもガラス板を反転させたり、狭い隙間に入れ込むのは至難の業だ。そこでクレーンで吊るすアイデアが出てきた。

そこでヒントを追加する。固定式のクレーンは逆に工数が増えるので、工数の増えないやり方は?というと、早速白いチョークを手にコンクリートの床にアイデアを数人が集まって検討し始めた。ワイガヤ方式の検討は15分くらいで終わった。ところがよくメンバーを見ると、6人のチームがいつの間にか9人にも増えていた。他のテーマの人たちが興味を持って、このテーマに勝手に入り込んでいた。今回の訪問のメインのテーマが新商品のライン構築だったので、あえて文句を言わないことにした。

2時間もすると鉄骨を切断し溶接をして、高さ4mもある棚を改造し出した。さらにはクレーンのモーターをアルミ板に取り付けて、即席の可動式クレーン台車を試作したのだった。組立は20分で完成し、微調整をして早速ガラス板を持ち上げる、はめ込む、移動するなどの動きを確認した。良い出来映えであり、これなら来週の本番に使えることが、皆さんの努力で一気に検証できた。

一番のボトルネックが解消できたので、さらに見落としがないか、そして詳細の作業ができることを検証していった。なんと当初の予定の半分以下のスペースで、しかも半分以下の工数で生産ができることがシミュレーションできた。この成功のヒントは、あるべき姿を最初から明確に皆さんで共有化することできたからだ。あるべき姿が分かったので、何をすべきかが明確になり、具体的に行動ができた。そのために想像以上の成果が得られることも分かった。

品質面の改善案も見つかった。他の2つのテーマは半分しかできなかったが、それは後でもできるものであり、まったく問題にならない。むしろ2つの工場の人たちや他のテーマの人たちも一緒になって集中し、チームワークも良くなり、そして相乗効果で素早い行動ができた。これで来週のプレゼンに自信を持って、臨むことができたことが最大の収穫になった。

 

ビールを飲めば和気藹々になる

 

8か月前には、お世辞にもお客様を呼べるような5Sの行き届いた工場ではなかった。この工場がこの地に移転して約20年になるそうだが、本格的にお客様を呼ぶのが来週だという。考え方を変えると5Sをやるには、やりがいのある工場だ。昨年来何度も、旧東独の工場に訪問する機会を得るようになった。当初旧東独の人たちのやる気のなさを嘆くことにならないかと思っていたが、それは思い過ごしだった。以前は制服や靴、さらに工具などはすべて全員が同じものを使っていたという。そのことは、まったくなんとも思わなかったという。

しかし東西が一緒になってからは、その反発なのか、反動なのか、人と同じ作業服や工具は持ちたくないといい始めたという。自分好きなブランドのものを用意し、個人で買ったものは他人には絶対に貸さないなど、まるで駄々っ子のようになってしまい、作業指導やモラルの低下に手を焼いているという。

でも今回合同のワークショップに、参加しているメンバーはかなり前向きだ。なぜならばその中身が量産になると、両方の工場で生産することになるからどうしても良い成果を望んでいるからである。

1日目の夜はKさんをはじめとして、双方が参加しての食事会が催された。ビールを飲めば、お互いの心はすぐに打ち解け合う。このブランデンブルク地区は、馬料理も名物だという。そういえば工場に行くまでに何カ所も馬場があり、馬舎、乗馬クラブ、そして道路標識には馬に乗った人がデザインされたものもある。日本では狸に注意だが、ドイツは鹿に注意!の標識になっている。

 その馬料理は、スライスした肉にキュウリ、ニンジン、さらに玉ねぎを包んで煮た肉団子風の代物だ。ソフトボールの大きさがある。これを食べると確かに馬力がつきそうだ。10人のメンバーは、同じメニューはなくバラバラだった。コックさんも辛い仕事だと同情したくなるが、これも客の多様化の影響だ。

このレストランは、創業125年の由緒ある伝統料理の店でもある。美味しいのは料理だけでなく、麦の香りがとてもフルーティーでかつ香ばしい「SCHEIDER WEISSE」という銘柄のバイツェンビーがある。北ドイツでは美味しいビールは生産されていなく、南ドイツから持ってきている。因みにWEISSEというのは、南ドイツでは白いビールという意味だ。会話も弾み最後は宴会状態になったが、その雰囲気はそのまま人間関係の潤滑剤になっていく。

 

伝え方が微妙に違うが伝わる秘密

 

ミュンスター市役所も昨年からコンサルに入っているが、頭の固い公務員が短期の間に少しずつであるが、職場が確実に変わってきている。やはりトップの取り組みの意志が強く、それを支えているからだと感じる。セミナーやプレゼンの時に参加して、改善の重要性を皆さんに伝えておられる。

良い会社とそうでない会社の違いは、大抵の場合トップの資質に掛かっているといっても過言ではない。特に中小企業やオーナー会社はその傾向が強いので、トップを上手く巻き込んで改善のファンになってもらうことが求められる。

市役所には、今までに多くのコンサルタントが入ってきたという。日本でも有名なマッキンゼー社も名前に上がっていた。彼らが今までにやってきたのは、現場の人たちから言わせるとすべてスリトラだったという。この職場も4回もリストラされて、かなりの人が省人化されてしまった。昨年から私が来ることになって、またリストラかと現場は戦々恐々だったそうだ。

私が最初に現場の人たちに伝えたことは、今までのやり方や視点を変えて、雇用確保、新規雇用採用、市民へのさらなる良いサービスの提供などを図ること。さらに皆さんの持っている能力、才能、そして情熱を、もっと活かすことだなどを伝えた。彼らはびっくり仰天してしまい、変な日本人が変なことを言っているといった呆れた顔であった。それはムリもないことであり、180度まったく違うことを説明しているからすぐには理解できないはずだ。

しかし、その内容をできるだけ現場の人たちに合う話し方で、懇切丁寧に説得していけば彼らも納得する。これは今までの経験で、ちょっとした自信も持っている。日本人を納得させるよりも、小難しい欧州人を納得させる技が自然に身に付いたようだ。

これは同じ欧州人とは別な異星人のような感覚になり、何か不思議な影響力もあるかもしれない。この現象は、同じ会社の上司が言っても部下は言うことを聞かないが、外部の人やコンサルタントが言うと不思議にそれに従う現象である。今回もその現象が発生した。3日目のセミナーでは、現場の状況に合わせた内容で、トヨタ方式を咀嚼して伝わるようにして伝えた。参加者した皆さんは、全員が納得顔をして最後には素晴らしい結果を導き出してくれた。

改善の担当のB部長が、最終のプレゼンに私のところにやってきて「今回のセミナーは今までに一番良かった。でも私がいつも言っていることを、今回もマツダは同じことを言っている。でも彼らの反応がまったく違う。なぜだ?」その秘密は、どんな内容かが重要でなく、誰が言うかに掛かっていると説明してあげる。更なる違いは、実は見えないバックボーン、つまり今まで私が体験してきた数々のノウハウが蓄積されており、その蓄積と少しの表現方法によって大きく変わるものだと感じている。その細かいニュアンスは、B部長にはまだ理解できない領域だろう。でも彼は今回で私の信者になった。彼はそのあと、コンサルタントをしたいと言い出した。おいおい、それはまだ早いぞ!

 

言い訳する人にはお灸

 

納得しようとする人もいるが、どの企業でも何か文句を言いたい人が必ずいる。先般、ドイツ鉄道のラウンジに入ろうとしたら、受付で小柄なオジサンが係員と揉めていた。通訳に訊ねてみると、ラウンジに入るにはDBカード、乗車券の2つが必要だ。彼はその両方を持っていないが、以前は入れたとやり取りしているという。途中オジサンは、トイレに行きまた係員とやり取りする。

そして10分ほどして上司もやってきて、口論のような状態になっていた。結局20分ほどして出て行ったが、そのやり取りは結構大きな声だったので、ラウンジの皆さんは苦笑していた。彼にとっては、ストレス発散かゲームのようだ。

市役所の職員にも同じ穴のムジナがいた。最初からいつもセミナーだけ参加している、定年前のマイスターZさんだ。Zさんは当初からセミナーの途中に、それは違うなどといきなり喋り出していた。例外の話を持ち出したり、今まではこうだったなど、屁理屈を並べ立てる困った人だった。年功序列で何とかマイスターになったが、仕事ができない人が多い。これは日本も同様だ。

市役所に色々とクレームを言い出す人を集計したら、なんと定年前の男性に集中していることが分かったそうだ。男性は地域との交流もなく、定年前はすることがなくなり、暇を持て余すのでクレーマーになっていく。

このZさんにはお灸を何度も据えていたが、また今回もいちゃもんをつけてきた。でも賢くなって、一言言う前に挙手をすることを覚えた。そのことを少し褒めてあげた。ただし内容はまったくバカバカしいものだった。

そこでさらに大きなお灸を据えることにした。Zさん、あなたは人間か?人間は何のために生まれたのか?あなたの言っていることは周りの人を本当に幸せにできるか?など畳み掛けて詰問していく。Zさんの頓珍漢な回答に、周囲の人は皆顔を真っ赤にして笑いを堪えている。最後はZさんもかなり観念したようだが、懲りなければ次回は大型の爆弾投下することになる。

 

自主保全で自ら設備を整備する

 

人口30万人のミュンスター市には、サッカー球場がなんと100以上もあり、すべてを市で管理しているという。今回は色々な設備や機械を、管理している倉庫での改善に取り組んだ。5S、目で見る管理、さらには設備の自主保全までレベルを上げてきた。倉庫には博物館に展示しても良いくらいなお宝が出てきた。それは樽を横にして、2つの金属の車輪を付けた除草剤散布用の樽であった。約100年前の代物であり、少し整備をしてから博物館に展示する予定という。

棚の片づけの勢いもついて、不要物を整理しさらに清掃、整頓して表示もやり直すと見違えるほどの保管場になってきた。この棚もモデル職場に認定した。少しずつであるが、意識が変わり行動が変わって成果が見えるようになると、反対派も賛成派に変わっていく。この過程がコンサルとしては楽しく感じる。

特殊な設備や機械は高額なものであり、それら固定費として財政を苦しめている。作業における破損や故障も自分たちでやると安くできるが、業者や新品を購入するとさらに固定費が増えてしまう。それまでは、壊れてから修理する考え方だった。このために今回から、設備の自主保全を導入することにした。

初めてのことなので、考え方や導入の教育を行ってから対象を決めた。最重要の設備は、小型トラクターだった。現物を見たら日本製のクボタ社のものだった。チーム全員で清掃から取りかかって、汚れや付着物などを除去しながら、不具合個所を発見していく。綺麗にしていくと、気づかなかった不具合が見えてくることも理解し始めた。以外にも最も汚くて、問題があったのがキャビンの中だった。ノコギリやベルトなど段ボール一杯あり、さらに床のマットの中まで汚れていた。これはメンバー全員がかなりショックを受けたようで、逆に改善の意欲が俄然湧き、せっせと清掃手順や点検手順を次々と設定していった。