海外こぼれ話 168         

 

財布を紛失した

 

 デュッセルドルフ駅から次の訪問先へ移動中に、ドイツ鉄道(ドイツバーン)のDBカードを切符と共に提示した。DBカードは、年会費を支払うと金額に応じて25%、50%の割引がある。実はブラックカードもあり、それを見せれば1年間はただになる貴重なカードがある。でも年間会費が相当高いので、実際に見たのは今までに数回しかない。25%は2等車用であり、赤いカードだ。私が使っているのは、50%割引の緑のカードだ。切符と共に提示しないと、半額が利かなくなり正規の料金をその場で徴収されるという仕組みがある。

緑カードは、1等車に乗れるワンランク上のカードでもある。2等車が一杯の乗客でも、1等車(日本でのグリーン車に相当)は滅多に満席になることがないので、ゆっくりと座って移動ができる。日本は切符だけの提示で済むが、その辺の事情が異なる。

コートを着たままにジーパンのお尻のポケットに財布を入れたつもりで、ホテルに着いた。着替えた時には財布のことはまったく頭になく、朝になってズボンに履き替えた時に財布がないことに気づいた。すぐに訪問先に行かないと遅刻してしまうので、財布は昼休憩にドイツ鉄道に問い合わせすることにした。 

日本と違って、ものが置いてあって誰もいないと盗まれることは当然のことである。恐ろしいのは、カードを勝手に無制限に使われることだ。昼休憩に通訳は、ドイツ鉄道に連絡して財布が発見されなかったかを確認してもらった。私は、2枚のカードの無効になる手配をカード会社に連絡する。ここで便利なのが携帯電話であり、カードの管理会社の電話番号も検索できることだ。すぐに2社に連絡が取れて、その場で使用禁止の処置をしてもらった。

 

財布が見つかり戻ってきた

 

ドイツ鉄道の対応の悪さは、15年前から一向に変わる気配がなく、むしろ低下している。何度電話をしても電話に出ようとしないのだ。財布の中身は、さらにもう一枚デュッセルドルフの日本人クラブのカードがあり、年間108ユーロで、新聞2紙、週刊誌4誌がただで読める特権のカードでこれが便利だ。日経新聞は、こちらでは4.5ユーロ(約600円)もする。まるで2冊の週刊誌が購入できるほどの高額になっているから、メリットがある。その他には、現金が140ユーロの札と3.52ユーロの小銭があった。

この週は通訳からお金を借りながら、食事をする羽目になった。訪問先からの接待もあるので、その日は支払うことはないので改めてホッとする。何時も現金は100ユーロ以下にして、都度ATM機からカードで100ユーロ単位にて引き出している。多くの現金は持たない主義だ。

14年前にフランクフルト空港から鉄道で移動した時の出来事だ。駅の切符売り場で、100ユーロ札にて切符を買った時に、50ユーロ分のお釣りがなかった。係員に文句を言ったら、今もらったのは50ユーロ札だからお釣りはこれだと言い張った。これ以降は水かけ論なので、悔しい思いをした。ドイツ人を信じた私がバカだった。それ以降は、100ユーロ札を持たないようにして50ユーロ札以下を持つようにした。

日本から旅行する時は、成田空港で両替することはできるだけ最小限にしておきたい。某千葉銀行がその換金作業でぼろ儲けしているだけであり、しかも無愛想だ。各国に出掛けて、すぐに空港のATM機から日本で持っているカードから引き出せば、非常に安い金利で引き出せる。台湾などでは、コンビニから引き出せばよい。

週末にアパートに帰ってきたら、ポストにドイツ鉄道から手紙が来ていた。財布を預かっているので、デュッセルドルフから4時間先の駅の拾得物の部屋に、パスポート持参で本人が取りに来てくださいという内容だった。財布は出てきた。しかしデュッセルドルフからその駅までは、財布の中身では全く足りない。しかもその駅に行くとなると、往復で1日も要する。通訳が何とかデュッセルドルフ駅に届けてもらえないか電話をしたが、規則ですから送れないというドイツ人らしい回答だった。

しかし現金は送れないが、財布やカードは送れるというので、通訳の事務所に送付してもらうことができた。現金は、3.52ユーロは振り込みで送ることもできるというが可笑しい。140ユーロの札が消えた。140ユーロの札は、恐らく車掌が抜き取ったのだろう。これがドイツ鉄道であり、当たり前の行為である。これも水かけ論になるので、幸い財布が返って来たことに感謝するだけだ。

海外保険で対応できないか、帰国して保険会社に相談をした。盗難ですかと問われたので、正直に紛失と答えたら、それは保険の対象外という。例え盗難でも補償は、財布だけであり、カードや現金は対象外という説明だった。パスポートやパソコンなどの貴重品がなくなったわけでもなく、わずかの現金の紛失だけで収まったことも不幸中の幸いと思って一連の出来事に区切りをつけた。

 

北栄町からの訪問者

 

話は変わるが、帰省している時に、アザレアのまち音楽祭のガラコンサートにいつも梅酒の「野花」などのお酒を提供して戴いている北栄町にある梅津酒造の社長さんから電話があった。今度海外出張するので相談事があり、相談に乗って欲しいとアドバイスを求められた。今度は南半球に出掛けられるのかと勝手に想像していた。無事何事もなかったと、ちょうど訪独している1週間後にメールがあり、今ドイツに滞在していると連絡がありびっくりした。

しかもメッセ(展示会)はこのデュッセルドルフの会場で、明日から3日間行われるという。それで電話を掛けて、今現在どこにおられるか確認したら、市内から少し離れた場所で打ち合わせをされているという。それから午後3時からお会いしましょうという話になった。せっかくなので、私のアパートにお誘いした。待ち合わせ場所を駅前にした。

たまたまアパートのエレベーターが壊れていたので、最上階まで歩いてもらう羽目になった。このエレベーターは週初めから故障しており、一向に直す意思が大家には見られない。年間にこの故障に遭遇するのは、平均3から4回もある。最上階(7階に相当)なので、トランクを持った時は誠に辛い。トレーニングと思っても思えないくらい辛い。年を取った証拠かな?

日本では「倉文協だより」(現在梅津社長に冒頭のコラムを連載して戴いている)を持参した時に立ち話をする程度の時間しか取れないが、この度は2時間半もじっくりお話する機会に恵まれた。普段ではお話できない深い部分まで突っ込むことができた。

ここのアパートは、テレビや新聞、そして電話がまったくないので、集中できることが改めて分かった。実は、自分の時間を創出できる空間だった。そのお蔭で原稿やセミナーのシナリオやレポートの作成、イラスト描きがほぼ予定通りに仕上げることができる書斎でもあった。次の打ち合わせがおありだということで、待ち合わせ場所までお見送りさせてもらった。

鳥取や日本に居るよりも、別なところで逢いたい人に逢うことが多くなってきたそうな気がする。それはインターネットやフェイスブックなどのSNS(インターネットにおいて交流を支援する仕組み)を使うことで、いつでもどこでもその人やその周囲の人に出会う機会が一気に広がったためだ。便利なものはもっと活用したい。

 

料理は楽しい息抜きだ

 

アパートでの料理が楽しみになってきた。1月の上の階からの浸水事件で、30冊の本がダメになった他に請求できない大切なものがあった。それはこの5年間に集めて追加修正をしたレシピ集が、すべてダメになったことだ。これは大変なショックだった。日刊工業新聞社様の月刊誌「ISOマネジメント」のコラムとして、「何でも食べてみまショー」を毎月連載していたことが、アパートで料理を本格的に取組むきっかけとなった。そのレシピ本の厚さはほぼ1cmあったので、総ページは100枚になっていたはずだ。豚、鶏、海鮮、茄子、モヤシ、春雨、ご飯などきちんとインデックスを付けていた。そして各レシピには、料理した日付と感想、その時に追加した材料なども書いていた。

次にその料理を作る時に便利なように工夫したもので、ノウハウ集にもなっていた貴重なる財産だった。しかし考えてもレシピ本は戻ってこないので、一から作り直すことに頭を切り替えた。

いつも見ているレシピがなければ、新しい発想もメニューも浮かんでくるものだ。なくなったことで、固定観念を打ち破る良いきっかけになった。本も30冊が廃棄になったが、10冊単位で日本クラブに寄贈しようと思っていたところであり、結局はゴミ箱に寄贈してしまったのは少々残念だが。

倉吉市文化交流センター(リフレプラザ)で毎月開講している松田塾にも、毎月10冊程度の本を寄付している。これも自宅の書斎の本棚を、新陳代謝するよいきっかけになっている。手狭であり数百冊の本しか格納できないのが実態なので、これも読んだ本がさらに他の人の役に立つかと思うと喜びに変わっていく。

レシピから必要となる特に、的確な香辛料を収集することも楽しみになってきた。必要な時にはなく、これだと思った時に必要な香辛料があると味がピッタリきまるので、数十種類も増えてしまった。和洋中が混然一体になっているが、いつも置く場所は決めているので探すことは難しくない。

得意な料理は、筑前煮、ラタトゥイユ、各種モヤシ料理、カレーなどがあるが、主体は野菜料理になりつつある。最近はまっているのは、スペイン料理のアヒージョである。ニンニク風味という料理で、オリーブオイルにニンニク、鷹の爪、アンチョビを入れて弱火で、海老やイカの海鮮や蒲鉾、エリンギなどのキノコ類を混ぜればもう出来上がりだ。

残ったオイルは、バケットでスクイズしたり、キャベツを入れて玉子とじ、さらには乾燥したキノコ類を入れるとすべてエキスが吸収される。ご飯によし、酒の肴によしとなって重宝しているメニューになった。1つの料理から、さらに別な部材を混ぜると別なメニューが出来上がることもあり、想像力を掻き立てられる。時には失敗も付き物だが、挑戦しないことには美味しいものにありつけない。この状態なので、アパートでは休日に滅多に外食をすることはなくなった。外食は知らぬ間にカロリーオーバーになり、さらに財布にも厳しい。

 

美味しい昼食のお蔭か?

 

今回よりスイスの訪問先のケイタリングの会社が、変更になったことで昼食の内容と形態がすっかり変わった。以前よりも気軽に皆さんと一緒に会話をしながら食べることができる。会話の中から彼らの表情から進行状況や雰囲気も感じ取ることができ、的確なアドバイスや雰囲気作りも可能になる。しかも長くても30分以内に食事を終えることもでき、昼からの改善もスムースにできる。

今回のメニューは豪華なもので、ドイツではありえないもので、ついつい食べ過ぎてしまった。見た目にも、さらにデザートも多く目の毒だった。しかも2日間にはほぼ違うメニューと飾り付けであり、目も舌も楽しむことができた。やはりフランスに近い場所にあるので、その影響を受けているようだ。ホテルでもフランス語が最初に出てくる。美味しいと仕事も上手くいく相関関係があるが、今回はばっちりだった。

最初に社長自らが開始前に挨拶に来られた。3つの工場の責任者なので、滅多に合うことができない社長である。今回のテーマが非常に重要であり、確実に成果を出して欲しいと念押しがあった。確かに今までで取り組めなかったテーマであった。このテーマを確実に解決するには、ある手法を用いた方が良いと判断した。

このために急きょその講義をしたいと普通の講義を90分ほど話してから、難しいテーマのチームに提案をした。皆さんが賛成したので、休憩後45分解説をして取り組みの方向性を示した。最初は話ばかりしていて、なかなか進展もなかった。現場で現地現物の調査を手分けして、具体的に調べることを指示した。1時間経ってデータや情報が集まってくると、彼らの眼の色が違ってきた。

やはり事実を自分の眼で確認することで、気づきが生まれ新しい発見ができるとさらにやる気が出て、改善の加速がついてくる。少しアドバイスを入れながら軌道をあるべき方向に仕向けていく。強制的にやると反発するので、さじ加減が微妙になる。しかしかなりの原因と真因を掴み始めると、芋づる式に顕在化してきた。

 

スイスは各国の寄せ集め

 

この会社はスイスにあるが、近くの空港はユーロ空港と称して、フランス、ドイツ、スイスが相互乗り入れた形になっている。従業員は、スイス人が多く、次にフランス人、ドイツ人、意外に多いのがイタリア人であり、髪の色や体型でも見て取れる。同じ工場にいるのに、やはり国民性が現れるようだ。

仕事に熱心でないのは、当然イタリア人だ。しかし言い訳やジョークが多い。今回以前から改善に反発的だったIさんが、改善に参加したがマイスターが変わったことで彼の態度が変わってきた。積極的になり反発もしなくなっていた。

改善の途中に話し掛けたらIさんも冗談をいうようになって、あることを説明したら、「俺はイタリア人なので、いつもキョロキョロして周囲を見ているので見逃すことはない。」というので、周囲の人も大笑いになった。現場改善のチームは、想像以上の改善ができた。この雰囲気が改善には重要である。ユーモアがれば心の余裕がある証拠であり、楽しくなれば改善も進む。Iさんもこれを機会に賛成派になったようだ。

 

問題解決が一気に進んだ

 

社長が心配していたのは、間接部門の改善チームだ。何年も前から取組んでいたようだが、良い結果が出なかったらしく今回ようやくテーマアップされた。そのテーマは他の向上では何度もやって大きな効果を出しているので、あまり心配はしていなかったが、ここはスイスだ。確実であることの反対はゆっくりである。遅々として進まない。止めていたのは、メンバーで一番若い修士課程の学生であった。

欧州では卒業前に半年間実際に工場で仕事をして、そこでもよい成績を出して初めて卒業になる。このため3年で退職するという話をあまり聞かないが、この制度のお蔭だと思う。彼に少し鎮静剤を注射した。「心のサイドブレーキを外せ!」、まあこんな簡単な言葉であるが、かなり効いたようだ。まだ考え方が子どもであるが、そのまま子どもというと彼は炎上しただろう。

全体像を皆で共有化すると、不思議にも見えなかったことが見えるようになり、問題の本質もわかってくる。あとはその問題を解決していけばよい。2日目には、一気に問題解決ができるようになった。バラバラだった関係が見え始めたのだ。すると従来の数分の1の時間で、完結することも見えてきた。

彼らには信じられなかったことだが、私には最初からわかっていたことなので、いかに答えを教えないで気づいてもらうかにブレーキを掛けていたくらいだ。いったん気づくと自分たちで出来るようになるが、これもさじ加減の塩梅の領域だ。雰囲気は見えないようで、感じ取ることはできる。そのセンサーは、いつも研ぎ澄ますことでますます鍛えられていく。

社長が心配そうに最終発表にやってこられたが、メンバーの顔を見ただけで笑顔になられた。そう社長の期待以上の成果が出せたのだ。しかもその日の内に、現物も作り上げてしまった現場の改善力も凄かった。これがスイス人かと思えないほどのスピードだった。皆さんも満足した顔をしている。全員からのフィードバックからも、今回で自信がついたと積極的な発言が飛び出てきた。

社長も久しぶりに参加され、まとめの積極的なコメントもされた。これでさらにお客様との関係も、大幅に改善できる見通しもついた。社長は大喜びで、玄関まで私たちを見送ってくださった。これは最大級のお礼に相当する。