ニューヨークの風 第78

「米国のリタイアメント・コミュニティ」

 

米国の人は高齢になり引退するとどうするのか?基本的に米国は移民国家で多様な文化背景をもった人々で構成されているので、「人による」が正解なのだが、私が見聞きした範囲でわかることを紹介したいと思う。

 

そもそも米国では年齢差別は労働法で禁止されているので定年制度はない。雇われて働きたければ原則的には何歳まででも働ける。しかし米国では解雇は簡単なので、年収に見合わない働きの従業員は解雇になるのは普通のこと。定年制度がないからといっていつまでも働けるわけではない。多くの人はだいたい60才から66才くらいで引退する。

 

米国の公的年金であるソーシャル・セキュリティ・ベネフィットの支給は早ければ62才から、満額を待つなら66才から。メディケア(高齢者のみが加入できる政府運営の健康保険)は65才からだ。米国は会社を通して健康保険に加入すると月々に支払う保険料はそこそこの金額だが、個人で加入すると保険料が極めて高いので、メディケアに加入できる年齢に達するまで引退できず、健康保険目的で会社で働くという人は結構多い。出来れば早く引退したいが経済的理由で引退は先延ばしというのが一般的。日本のように健康である限りできるだけ長く働きたいという雰囲気ではない。60才になったらライフスタイルを変えて、余生を楽しみましょうという雰囲気だ。

 

米国ではリタイアメント・コミュニティはとても発達している。リタイアメント・コミュニティには大きく分けて、健康に問題ない55才以上のアクティブ・シニアのコミュニティ(Independent Living)、見守りや介護サービスが受けられる介助付シニアの施設(Assisted living)、程度の高い介護が受けられるナーシング・ホーム(Skilled nursing care)の3段階がある。

 

米国では伝統的に老親の面倒をみるのは実の娘の貢献度が高い。高齢になると娘の家の近くに引っ越したりする人もいる。しかし、娘がいない人もいるし、家庭の事情でそうもいかない場合は多い。一般的には引退するとそれまで住んでいた自宅を売却して55才以上のアクティブ・シニア向けのリタイアメント・コミュニティに家を購入して転居する人が多い。

 

これは単に55才以上という年齢条件があるだけで、年齢条件がなければ普通の若い人たちが住むコミュニティとたいして変わりない。一戸建住宅も、コンドミニアムもある。フィットネス・ジム、テニスコート、ゴルフ場、プール、劇場、クラブハウスなどの共同施設を使うことができる。セキュリティ・ガードは常駐しているが、特に医師、看護師、介護師などが常駐しているわけではない。もっと高齢になって、健康状態に問題があり、人のヘルプが必要になってくると、介護サービス付の集合施設やナーシング・ホームへさらに転居ということになる。

 

こんなふうに転々しなくてもよいようにCCRC(Continuing Care Retirement Community)というものもある。これは同じコミュニティ内に、アクティブ・シニアの居住区と、介護を受けられる集合施設と、死亡時までの重度の介護が受けられる集合施設が存在する複合コミュニティだ。近年、日本に米国のCCRCが紹介され、日本でも話題になってきていて、日本版CCRCの導入が叫ばれている。CCRCは米国のリタイアメント・コミュニティの一部にすぎず、普通の55才以上のアクティブ・シニアのコミュニティに比べれば圧倒的に数は少ない。CCRCという言葉自体、普通の米国人にはなじみがない。

 

55才以上のアクティブ・シニアのコミュニティは全米に数え切れないほど存在する。高齢者の移住先としては、フロリダ州、カリフォルニア州、アリゾナ州、ネバダ州など温暖な州が特に人気だ。質はコミュニティによって様々で、高所得・高資産者層向けのゴージャスな住宅が集まったコミュニティもあれば、庶民的なコミュニティもある。

 

ゴージャスなアクティブ・シニアのコミュニティでは、5千万円から数億円もする大邸宅が林立し、高級ホテルのような共同施設が併設されている。ミドル・クラスではだいたい2千万円から4千万円くらいでかなり立派な家が買える。安いところでは1千万円未満で百平方メートルくらいの住宅が購入できる。値段はもちろん場所や質によって様々だ。

 

介護付きの高齢者施設は、運営は基本的に日本と似ていて、初期に一括でまとまった金額を払い、その後は月々の支払い(部屋代、電気・ガス料金、食費、介護サービス料など)がある。だいたい月額3千ドルくらいするのは普通と聞く。退去する場合は最初に支払った金額は一部返却される場合と返却されない場合があるそうだ。質の良し悪しはもちろんお金次第だ。米国には公的な介護保険は存在しないのでたいへんだ。

 

では、お金のない低所得者層はどうするのかといえば、社会福祉の世話になることになる。自宅を除いて全く資産がない高齢者は、無料の公営のナーシング・ホームに入ることになる。無料なのだから質は良いわけはないが、のたれ死ぬよりはましであろう。わざと預金などを信用のできる友人などに預けて隠し、金融資産をゼロにして、これに入ろうとする人もいると聞く。

 

余裕のある高齢者の中には、たとえば、普段はニューヨークの自宅に居住し、寒い冬の間だけフロリダに購入した高齢者向け住宅に別荘のように住むというスタイルの人もいる。フロリダのオーシャンフロントの豪邸や豪華な高層コンドミニアムは、実は1年のうち、数か月しか使われていない場合が多いらしい。不在の間の住宅の世話をするハウス・シッターという仕事もある。

 

とにかく、日本と比べると米国の人は基本的に狩猟型のライフスタイルだなあと感じる。必要に応じてどんどん居住先を変える。なかには長年住み慣れた自宅を離れたくないという人ももちろんいるが、少なからずの人が60代になると、自宅を売って、交友関係もためらわず、けっこう遠くの州の高齢者コミュニティへとあっさり移住する。いまどきは携帯電話もインターネットもあるのだから、昔からの友達といつでも話すことはできるし、同じ地域に住んでいても実際には年に数回しか会わないことも多いし、別に問題ない。それより新しい所で新しい発見や出会いもあり、快適に暮らせそうだと。日本は箱ものばかりでなく、そういう前向きなマインドも大いに参考にすべきところかもしれない。