第79回
「NYの劇場あれこれ」
ニューヨークで劇場と言えばブロードウェイ・ミュージカルを連想する人がほとんどだろう。タイムズスクエア周辺には30軒以上のミュージカル・シアターが集中している。当日売れ残っている様々なミュージカルのチケットを半額で売るTKTSセンターには毎日長蛇の列。
私が生まれて初めて見た米国のミュージカルは「コーラスライン」と「フォーティーセカンド・ストリート」だった。それは85年頃でまだ日本に住んでいてニューヨーク観光に行った時のことだ。その後、88年にペンシルバニア州の東部に住み始めて、週末などにニューヨークへ遊びに行って見たのが「オペラ座の怪人」「レ・ミゼラブル」「キャッツ」。90年にニューヨークに住み始めてから見たのは「ジーザズ・クライスト・スーパー・スター」「美女と野獣」「ライオンキング」「リトルマーメイド」「レント」「シカゴ」などの他、タイトルを思い出せないものもいくつか。
日本から親や友人などがニューヨーク観光に来て、ミュージカルを一緒に見ることも何度かあったので、「オペラ座の怪人」「レ・ミゼラブル」「キャッツ」はこれまでそれぞれ3回くらい見たと思う。この3つはブロードウェイ・ミュージカルの傑作で、何回見ても見ごたえがあって私は好きだ。
オフ・ブロードウェイでは「ブルーマン」「ストンプ」などを見た。日本でも「ブルーマン」の公演はあって知っている人も多いかと思うが、ブルーに全身を塗りたくった男性3人が、楽器やボールなどいろんな小道具を使って、観客参加も取り入れて行うとても個性的なパフォーマンスだ。ミュージカルとは違うがものすごく楽しめて特に若者に人気だ。
変わった所では、今はもうやっていないが「オー!カルカッタ!」というアヴァンギャルドなミュージカルがあって、なんと男女が全裸でダンスやアスレティックなパフォーマンスをする。80年代終わり頃、そういうものがあると知った私は、そんなもの日本では絶対見られないから是非見ようと思って即チケットを買って行った。70年代初頭頃からのロングランで、最初から最後までヌードのパフォーマーが動き回るので、エロティックという感じではなく、ヌーディスト村に来たような雰囲気で、性革命を描く時代背景があったと思う。
クラシック音楽では、劇場といえばオペラ。大きなものではニューヨークのリンカン・センターに、メトロポリタン・オペラ劇場と、ニューヨーク・シティー・オペラ劇場がある。メトロポリタン・オペラは世界最高峰の一つ。規模の大きさ、大がかりな舞台装置、華やかなステージが売り物だ。世界のオペラ歌手たちがそのステージに立つことを夢見る。
ミュージカルは現代版のオペラか?厳密には全然違うと言えば違うけど、まあ、大雑把に言えばそうかもしれない。どちらも演劇、音楽、歌、舞踊の総合芸術だ。私がニューヨークで体験して気がついたことを言うと、ミュージカルはまず客の年齢層がオペラより若い。音楽がポピュラー音楽で、オーケストラは生演奏の場合と録音の場合がある。オペラのようにオーケストラ・ピットが常にあるわけではなく、オーケストラの役割が小さい。演劇の要素がオペラより高くて台詞がある。歌手がマイクを使う。歌手がダンスも踊り、ダンスの重要性も大きい。劇場の大きさがオペラよりかなり小さく、個々のシアター経営の規模も小さい。
オペラは歌唱にもっとも比重が大きい。マイクを使わず生の声。オーケストラの演奏もとても重要だ。たまに台詞が少し入るオペラもあるが普通は台詞はない。台詞的なところも楽譜があって歌で劇が進められる。オペラ歌手はダンスは踊らない。基本的にはダンサーが踊る。オペラ劇場には専属のバレエ団が存在する。
ニューヨークの場合は劇場で舞台が始まるのは夜8時からが普通。中休憩は日本より長くて20分間。ミュージカルは演奏時間2時間くらいが多く、長くても休憩を含めて3時間までで終わるのが普通。オペラは演奏時間は2時間半くらいが多く、演目により休憩は1回か2回程度。夜8時に始まって11時過ぎ頃に終わることが多い。ワーグナーのオペラはとても長くて5時間位かかるものもあり、そういう場合は開始時間が早くなる。
米国の劇場の一般的な座席の呼び方は日本と少し違う。1階席は「オーケストラ」と呼ばれることが多い。それは中世の時代、平土間にオーケストラが陣取っていたことからきた名称と思う。2階席は「メザニン(メザナイン)」、3階席は「バルコニー」と呼ばれることが多い。
劇場によって多少個性的な呼び方があって、たとえば、メトロポリタン・オペラ劇場の場合は、1階席は「オーケストラ」、2階席は昔の貴族席の名残りで全部ボックス席で「パーティア」と呼ばれる。3階席は「グランド・ティア」、4階席は「ドレスサークル」、5階席は「バルコニー」、6階席は「ファミリーサークル」と呼ばれる。「バルコニー」席と「ファミリーサークル」席はいわゆる天井桟敷で座席数が多く、経済的な価格でオペラを楽しめる。オペラ通が陣取るのがバルコニー席の中央前列だ。
一般的に米国の劇場のチケットの座席番号は、舞台に向かって右側が偶数番号、左側が奇数番号になっている。だから隣同士の席でも、たとえばE列2番の隣の席はE列4番だ。これは座席番号を見れば、右側の席か左側の席かすぐ分かるようにするためだ。右、左、中央の3ブロックになっている場合は、中央の席は連続する番号になっていて、たとえば25番の隣は26番となっている。
米国の劇場は夜8時に始まるというのは、会社が5時頃終わって、劇場近くのレストランで、プリ・シアター・ディナーを食べてからということを可能にするためだ。プリ・シアター・ディナーというのは、早めにレストランに入って7時過ぎ頃には出て行く劇場客の為にレストランが用意する軽めのコース・メニューだ。量が少なめで手ごろな料金設定になっているので、特に一流レストランのものは人気で、劇場に行かない人もそれを注文することはかなりある。
日本の劇場は夜8時からだと帰りの電車がなくなったりするので夜7時からなのだと聞く。ニューヨークの場合は地下鉄も郊外列車も24時間営業だ。夜10時を過ぎると本数が少なくなり、真夜中はもっと少ないがとりあえず動いている。マンハッタンに住んでいる人は11時を過ぎたら安全のためもあり、たいていタクシーで帰宅する。劇場が終わった後、このタクシーをひろうのが大変だ。
私はオペラの時は、特別気に入った場合を除いて、カーテンコールは最後まで見ず、人より早く外に出てさっとタクシーを拾うようにしている。せわしなくていやだけどしかたない。列車の時間に間に合わせる為に幕が閉じると同時に出て行く人も少しいる。だから観客が拍手もそこそこに出て行くからといって、必ずしもその劇が気に入らなかったというわけでもないことが結構ある。これは公共交通網が発達したニューヨークが特別なのかもしれない。車で来る人がほとんどの別の都市の劇場ではそういうことは少ないだろうと思う。
ミュージカルはたいてい夜10時台に終わるので、その頃になるとタイムズスクエアはあちこちの劇場から観客がぞろぞろ出てきてごった返す。ミュージカルは観光客が多く、ホテルまで歩いて帰る人も多いし、帰りにバーや軽食をとる人もいるし、地下鉄もそれほど怖くない時間なので、オペラの時ほどタクシー争奪戦になる雰囲気ではない。
夜のタイムズスクエアは実に賑やかで派手だ。色とりどりのネオンサイン、輝く電光掲示板の大きな広告、ストリート・パフォーマー、人、人、人。エンターテインメントの本拠地独特の空気が漂う。実にニューヨークらしくていいものだ。