リレーエッセー

今月の執筆者

村 田 速

「ぴ〜ひゃら ぴ〜ひゃら とんとんとん   天女は子の幸せを祈り 子は母を想い太鼓と笛を打ち吹き鳴らす」

みなさまこんにちは。私は、倉吉を中心に小学1年生から6年生までの子ども達45人が所属する和太鼓連「打吹童子ばやし」の代表と指導をしています。

 

倉吉には、市民憩いの山「打吹山」の天女伝説があります。全国、世界に数ある天女伝説の中でも「天女が子どもに音楽を教える」という珍しい内容です。

天女は、子どもを置き去りにして、天界に帰ってしまうという何とも悲しい話ですが、天女には使命(ミッション)があって、倉吉に舞い降りた天女は音楽を伝える天女だったのです。・・・と前向きに取り組み生まれたのが、童子(子ども達)による笛太鼓のグループ「打吹童子ばやし」です。

 

24年前(1991年)倉吉青年会議所次年度社会開発委員長として委員会事業計画を理事会に提出しました。倉吉青年会議所は創立30周年(1990年)で打吹山と白壁土蔵群の街並み開発を市に提言しました。その提言を一つでも形にする。提言の一つ「天女伝説に関連した事業を進め、何か形として残したい。」テーマは、天女伝説を市民に「心のふるさと」として伝えていく。キーワードは、子ども達(童子)と音楽と広場とお祭り!ステージで見せる聴かせるものではなく、そこにいる観衆と一緒に楽しめる童子による笛太鼓で天女伝説の伝承と倉吉を全国へ世界へ発信していこうと生まれたのが「打吹童子ばやし」です。

悲しいかな、今でもよく打吹太鼓とか打吹童子太鼓だと言われ紹介されますが、「打吹童子太鼓」ではなく「打吹童子ばやし」なのです。

打吹童子ばやし誕生までには数々の試練がありました。まずは、倉吉青年会議所の理事会で事業承認してもらうこと。1月からスタート、事業の目的と成果、そして未来への展望を動画にしてプレゼンもしました。7月8日に打吹童子ばやし結団式をしました。その時の委員会メンバー7人の汗と英知により打吹童子ばやしは誕生しました。太鼓がない、曲がない、演奏する子ども達は、練習会場は、指導者は、運営資金は、数々の試練を乗り越えて、5年、10年、15年、20年。たくさんの方に支えられ応援していただき今日があります。

1992年11月、打吹童子ばやし誕生の年の締めくくりに打吹山山頂に人力で太鼓を運び、母天女に届けと演奏会をしました。天女がほほ笑んでくれているような素晴らしい天気でした。打吹山山頂での演奏は、それから5年ごとの5月母の日に行っています。10年目の年は縁あってカンボジアのアンコール遺跡でも演奏させていただきました。ちなみに、アンコールワットには天女伝説があって、天女(アプサラ)の子は、のちに王になって国を治めたそうです。現地で知ってとても感銘を受けました。次は、2016年の5月(母の日)に山頂に太鼓を持って上がり演奏する予定です。

打吹童子ばやしのレパートリーは、現在ではオリジナル曲が12曲あります。19期からは、毎年3月に演奏会を自主公演できるまでになりました。

 創設以来、倉吉の夏祭り「打吹まつり」に関わっていますが、今では、打吹童子ばやしお祭り隊として倉吉打吹まつりの初日を元気いっぱい盛り上げています。今年も4台の山車に子ども達のお囃子隊を乗せて、親父衆が粋に山車を走らせます。お母さん達は担ぎ太鼓隊と盛り上げ隊で粋な華を咲かせます。みんなが元気の良いワッショイの掛け声と太鼓の音を響かせます。打吹童子ばやしお祭り隊全員の笑顔がたくさんの観衆を巻き込んで、倉吉の祭り「打吹まつり」が笑顔いっぱいになります。

 やっと、打吹童子ばやし創設の目標にたどり着いたところです。

 

これからも、地域の宝である天女の子ども達(童子)が、一生懸命練習して、その成果をたくさんの方のために心を込めて演奏します。どうぞ応援をよろしくお願い致します。

 

(1996年5月(母の日)5年を記念して、2002年4月は10年カンボジアのアンコール遺跡で、2006年5月(母の日)15年を記念して、2011年5月(母の日)20年を記念して、次は2016年25年目の母の日に上がります。)