今月の執筆者 

渡 辺  誠(写人山陰菊里会会員)

写真について

 先日、倉吉市の市展を拝見させて頂きました。今回は前期と云うことで、洋画や版画、彫刻と共に写真の展示がありましたが、取分け写真が変わったという印象、デジタル化の恩恵でしょうか、視覚を超えた画像の細密さやコントラストの高さ、技巧の巧みさが目立ちました。

 写真術の発明から170年以上が経過しますが、表現の媒体自体が科学技術の進歩によって移り変わっていく、写真とは一体何なのかと考えざるをえないのですが、その回答はそれぞれにあると思います。銀塩フイルムの時代から、デジタルへと写真は移り変わりながら私たちの生活や表現をどう変えるのでしょうか。

 祭りの最後を飾る花火が打ち上がる時、観客の群れは、撮影をする携帯の液晶画面の明かりで埋まります。私はそこに、美しさや感動を記録したい人間の本性を感じます。さらに写真は彼が愛するものを記録するのだと思います。人は自分史を刻む様に、自分の生きた愛のエリアを刻むのです。彼によって撮影された膨大な画像は、そのまま彼の生きた軌跡となり、生涯を記録するのです。

 さらに進化して、写真は今や4Kの時代を迎えつつあります。銀塩フイルムの時代から写真家は精細でより高画質に世界を記録することを望みました。そこに技術の進歩があったのですが、デジタル技術の進化はそれを一気に加速させたのです。世界中で撮影された膨大な画像は巨大なデータとなって私達の世界を浮かび上げました。それは私達が共に同じ世界に住む地球人であることを示し、誰もその責任から逃れられないのだと教えました。「写真は人類への贈り物」と云うこの言葉は然りと思います。写真は世界からの様々なメッセージを私達に伝え、私達は写真を通して多くを学ぶのです。

 さて写人山陰菊里会では、毎年梅雨の頃に催す展覧会に、その年の干支を課題としております。始めてから4年目になり、今年は未年ですが、会員諸氏、悩み抜きながらの取り組みであります。勿論、干支に負けない自由な作品も よしとしますが、総じて意欲的な出展を促すものであります。来年は猿年ですが、お楽しみに。これからもどうか宜しくお願い致します。