「長距離の引越し NYからフロリダヘ」

 

私は引越しには慣れているはずなのだが、今回のような長距離の大がかりな引越しは米国で初めてで、とてもたいへんだった。

 

まず今までと大きく違うのは荷物の多さだ。独身の頃は一人分だし、毎年のように引越していたから整理も出来ていて荷物が少なかった。家具はなるべく持たず、家具付きのアパートに住むか、家具なしのアパートに住む場合もそのときどきに調達していた。日系の引越し業者で駐在員から引き取った家具を格安で売っている所があり、それを購入。転出する時はスーパーなどにMoving Saleとして写真付の張り紙広告を出すとすぐ売れた。引越しも近距離だったから、車で数回に分けて運んだり、ダンボール箱に入れて宅配便で送れば済んだ。引越し業者のトラックを使ったのは1回だけだった。友達に手伝ってもらうこともなく一人でできた。引越しで時間がかかるのは何を捨てるか整理するのに1週間くらいかかることだった。パッキングそのものは1日でできて簡単だった。

 

今回は夫婦二人の引越しで、同じアパートに14年間も住んでいたからものすごく不用品がたまっていた。マンハッタンの狭いアパートによくまあこんなにごみをためていたものだと驚くほど。大きなごみ袋が何袋も必要で、特に書類はシュレッダーするのに時間かかかった。持ち物は二人分だから2倍というわけではなく、独身の頃よりなんだかんだで5倍以上ある。大型家具もいくつかあるし。それでも私は子供のころから親が転勤族だったので家族全体の転居にも慣れていて楽観していた。

 

しかし、米国の長距離の引越しは勝手が違った。ニューヨークからフロリダは飛行機で3時間程度の距離。車で行くなら2泊程度で行ける。引越しトラックも2泊か3泊で到着するのだろうと思っていた。ところが引越し業者はニューヨークを6月16日に出てフロリダの新居に到着するのは6月20日から27日の間になると言う。米国で長距離の引越しの場合は、近距離と違って、ものすごく大きなトレーラーに積みかえて、同じ方向へ行く道中で、何軒かの家庭の引越し荷物を搬入・搬出しながら移動することになっているのだ。

 

数件の引越し業者に見積もりをしてもらったが、どこもそんな感じで移動に時間がかかる。引越し費用も高い。フロリダの不動産エージェントが紹介してくれた業者を使うことにした。自分たちでダンボール箱を調達し事前に梱包して、自分たちでできないものだけ業者に当日梱包してもらう経済的なプランを選択したが、それでも7千ドルくらいかかった。

 

引越し当日、どんな大きなトラックが来るかと思えば、何の手違いか、独身者の近距離転居で使うような小さいトラックが来た。米国では6月は1年の中で最も転居が多い時期でトラックの調達が困難だったらしい。「えー、こんな小さいトラックじゃあ入りきらないでしょう。」と業者の人に言うと、なんとか詰め込むからぎりぎり大丈夫。」と言う。男性3人で昼の12時から夕方5時くらいまでかかって詰め込むが、「やはり入りきりません。一旦ブルックリンのステーションまで運んで、また戻ってきます。」と言う。

 

それで、トラックが戻ってきたのは夜の9時頃。それから残りの荷物をトラックに積む。困難だったのは米国でカウチと呼ばれる大きな3人がけのソファー。大きすぎてなかなかエレベーターに入れられない。なんとか入ったが今度は1階の建物の出入り口のドアから出すことができない。買った時は入ったのになぜ出られないのかと思ったが、14年の間にエレベーターも建物のドアも改修されて小さくなっていたのだ。業者の人が一生懸命頑張ってくれたがどうしてもドアから出すことができず、隣のゴミ捨て場につながるドアは大きくて入れることができたので、ソファーはあきらめて捨てることにした。すべての荷物の送り出しが終わったのは夜の12時を過ぎていた。

 

当日、夫と私は自家用車を運転して夕方ニューヨークを出発する予定だったが、私たちはもう疲れきって、急きょマンハッタンの義理の姉の家に泊めてもらった。引越し業者は荷物が届くのは6月27日になると言う。見積もりの時に言われた最後の日ではないか。11日間もかかるのか。それなら急いでフロリダヘ行くこともない。道中、運転に疲れたら適当にホテルに泊まることにして、残りはフロリダ在住の、夫の娘の家に泊めてもらうことにした。そして翌朝ニューヨークを出発。

 

最初の2泊はニュージャージーのアトランティック・シティのカジノのホテルに宿泊。私たちはこのホテルが好きで時々泊まっていたので、お得意様用に週日なら2泊無料で宿泊できるクーポンを持っていたのだ。今回の引越しで最もたいへんで予想外の困難に遭遇することになった始まりは2泊目の夜だった。

 

夫はギャンブルを少し楽しんだ後、ホテルの部屋に戻ってきて、スコッチを飲みながらくつろいでいた。左手にグラスを持ち、部屋を歩いているときに足元がふらついて転倒。右膝を強打。打身がひどい。翌朝、足が腫れていたが夫はそれほど気にしていなかった。しかし夫は運転途中から足がひどく痛いと訴え始める。ワシントンDCのあたりで交通渋滞にあい、7時間かかってヴァージニアのホテルに夜6時頃到着。ネットで調べてすぐ近くの病院のER(救急治療室)に行った。

 

夫の右膝はテニスボールのように腫れあがり、激痛。右足全体もひどく腫れていた。夫は循環器疾患の為、強い抗凝血剤を毎日服用しているので内出血がひどい。ERでエックス線検査をして骨には異常はないことを確認。しかしあまりにひどい内出血で膝を曲げることができない。足首から太ももまである大きなコルセットで右足を固定。強い鎮痛剤であるオキシコドンを処方される。杖でなんとかそろそろ歩ける程度。車椅子で病院の出口まで係りの人が連れて行ってくれた。

 

さあ、これからは私がしっかりしなくてはならない。まず、車は私が一人ですべて運転しなければならなくなった。予定では道中簡単な所だけ数時間私が運転してあとは夫が運転する予定だった。そもそも私はマンハッタン在住が長く運転を20年間もしていなくて、そんなことではだめだと運転を少し再開したのは1年前のこと。今年に入ってからはまだ3回しか車を運転してなかった。こんな真っ暗な道を運転するのも久しぶり。おそるおそる運転しながらなんとかホテルにたどり着く。

 

翌日はホテルでゆっくりする。夫の様子は変わらないので快方に向かうのを待つ。3泊してさすがにもう次へ移動しようと思うが、夫の状態は変わらず、こんな足で長時間車に乗っても大丈夫かと夫は不安がる。出発前に朝早く念のため同じ病院のERに再度行った。すると医者は「あれ、まだいたのですか?フロリダヘ早く行って現地の整形外科医に診てもらった方がいいですよ。」と言う。オキシコドンの処方箋だけもらって薬局まで運転。せっかく行ったのに薬局では処方箋の日付が明日になっているから今日は出せませんと言う。たしかにオキシコドンはまだ1日分残っていた。オピオイド系の薬なので管理が厳しい。

 

ヴァージニアのホテルを後にし、私は夫を助手席に乗せてひたすら高速道路を南へ走った。ここからフロリダまで私が全部運転しなければならない。今までの人生で3時間以上連続で運転したことなんかないのに。日頃ニューヨークで高速道路を運転する時、私は時速60マイル(96キロ)くらいで走るのだが、このあたりの高速道路では普通に70マイルで走り、かなりの車がびゅんびゅん80マイルくらい飛ばして走る。ある程度周りの車のスピードに合わせて運転しなければならない。こんなスピードで運転するのはほんと20年ぶり。今運転できるのは私しかいない。やるしかない。「安全運転、安全運転、がんばれ、がんばれ、よしこ!」と何度も自分の頭の中で念じながら必死で運転していた。

 

次に泊まるホテルは事前に地図で調べていた。サウスカロライナの高速道路の出口に近くてすぐ見つけやすいホテルを選んだ。途中で1回休憩して合計5時間運転して暗くなる前にホテルに無事到着。ほっとした。夫も怖かっただろうに「運転うまかったよ、ありがとう。」と言ってくれて安心した。

 

翌日は6時間運転してフロリダの北の町にあるホテルに移動。あと一息で最終目的地までたどり着く所まで来た。元々の予定では夫の娘の家に泊めてもらうつもりだったが、エレベーターのないアパートの3階なので夫の足では階段は無理なので、残りはボカラトンのホテルに泊まることにした。

 

フロリダまでは高速道路を思ったより結構順調に運転できた。都会の高速道路は分かれ道がたくさんあって複雑だが、このあたりはとにかく南にまっすぐ走るだけなので簡単だ。連日高速道路を運転したおかげで、特訓みたいで、私も急に運転に慣れてきた。しかし、最終目的地に近くなってきた所で高速道路を運転中突然の大雨にみまわれた。フロリダはトロピカルな気候。スコールというのだろうか、強烈などしゃ降りの雨で前がよく見えない。時速20マイルくらいでゆっくりゆっくり進むしかない。私の前には車は見えない。後ろの車も私の車を追い越さない。前が良く見えないまま運転するのはとても緊張する。30分くらいして雨が小ぶりになり、そのうち晴れ上がった。局地的などしゃ降りだった。その後は普通に運転して無事最終目的地のホテルに6月24日にたどり着いた。

 

翌日には現地の病院のERに行って夫の右足を診てもらった。エックス線検査でやはり骨には異常はなく重度の内出血とのことで、処方箋をくれた。整形外科医を紹介してくれたが、すぐには予約がとれず5日後になるとのこと。

 

現地ホテル宿泊2日目の夕方、外出から戻って夫が車の助手席から立ち上がれなくなった。夫は「目の前にいろんな色が見えてふらふらする。ドラッグでらりっているみたいな感じ。」と訴える。私は視覚異常はあぶない、まさか脳出血でも起こしたのではと心配し、ホテルに助けを呼んだ。係りの人が親切に部屋まで連れて行ってくれた。どうやらオキシコドンのせいらしい。痛みのひどい時だけ飲む薬で夫は気をつけていてそんなに服用していなかったのに。数日後に、同じオキシコドンの問題で日本でトヨタの米国人女性役員が問題になっていることを知り、なるほどなあと思った。

 

現地のホテルに3泊する間、近くに住む夫の娘は毎日会いに来てくれて、夫は喜んでいた。そして6月27日にようやく引越しトラックが新居に到着。ニューヨークの家を出た時と同じ運転手がいて、夫の右足を見て驚く。ほかに若い男性が2人いてどんどんダンボール箱を床に積み上げて行く。「あ、そんなに高く積み上げないで。夫が怪我して動けないから後で全部私がやらなければならないの。そんな重い箱、高く積み上げられたら、私、降ろすこと出来ないから。」

 

そんなこんなで、引っ越してから1か月ちょっとたつが、いまだに家の中はダンボール箱が片付いていない。夫の右足は今は膝だけの小さいコルセットになり、回復しつつあるがいまだに右膝は腫れている。夫が自分で運転ができるようになったのは最近のこと。それまで私が車を全部運転していた。おかげで新しい地元の地理に私の方が詳しくなった。毎日の運転でかなり感覚が戻ってきて急速に運転がうまくなり自信がついてきた。自分でもびっくり。今回の長距離引越しは本当にいろいろ大変だったが、人間、必要に迫られ、その気になってやれば結構なんとかなるものだと今回あらためて学んだ。