今月の執筆者

山 本 浩 一

蛮行に色褪せる感動

 私が初めての中国旅行を経験したのは、平成八年のことである。県の事業に便乗した半公半私の旅であった。趣味の写真を通して沢山の中国人写真家との出会いがあり、思い出深い六日間の旅となった。

 旅行先は、当時鳥取県が友好提携を結んでいた河北省北京市と石家荘市で、旅行の目的は石家荘市で開催される「友好提携十周年記念鳥取県写真展」の実行委員として、その役割を遂行することにあった。

 ニーハオ(こんにちは)、シェイシェイ(ありがとう)たった二つの言葉を覚えて関西国際空港を後にしたのは、残暑きびしい九月三日の午後であった。訪中団の一行は県側から団長を努めた今は亡き沖副知事ほか四名、県内の写真愛好家十七名、合わせて二十二名の編成であった。県職員の中には当時河北省から国際交流員として派遣されていた若き女性、紹рウんの顔があった。滞在中、彼女には通訳とガイドで大変お世話になった。遠征写真展が盛会裡に終ったのも、彼女の協力に負うところ大であった。

 上海経由で北京入りし、案内された大飯店で旅装を解いたのは、日も暮れて夜風が心地よい十時過ぎのことであった。街はすっぽり夜のとばりに包まれ人の動きもまばら、わずかに夜空を彩るネオンサインの輝きが自由化の波をうかがわせた。

 明けて四日、陽が昇るのを待ちかねたように、写友たちは元気な足どりで街の中に散って行った。中国に降り立って初めての撮影行動である。北京の朝は朝市と共に始まる。宿泊した大飯店の通りに面した広場の一画で朝市が始まっていたので、私は此処に的を絞りその光景を撮影することにした。市場には季節ものの西瓜、トマト、瓜、梨などが盛沢山に積まれ、威勢のよい声で取引きされていた。その様子をカメラに収めていると、私が旅行者であることが分かったのか、五、六人の中国人が取り囲むように集まってきた。どうやら私のカメラに興味があるらしい、みんなの視線がカメラに集中している。危険を感じたので私が咄嗟に「ニーハオ」と声をかけると、相手も「ニーハオ」と笑顔で応えてくれた。これが切掛となってそれまでの緊張感もほぐれ、その後撮影続行と相成った。このことがあって以降、私は行く先々で笑顔と「ニーハオ」を武器に撮影を楽しんだことは言うまでもない。

 訪中団の一行を迎えてくれた写真家の一人に、中国人民政府職員の李国方氏がいた。彼は日本語が流暢で随行の紹рウんと一緒に故宮へ案内してくれた折、「明の永楽帝が十五年の歳月をかけて完成した故宮には、七十二万平方米の敷地に六十の殿閣が建ち並び、凡そ百万点にも及ぶ財宝が展示されている。内戦の結果とはいえ、蒋介石による台湾への財宝持ち出しがなかったらば、歴史的遺産はいま以上に充実したものになっていた。残念なことである」と語っていた。西欧の殖民地化と我が国との戦争、加えて内戦の世紀を生き抜いてきた中国には、癒えきらない傷が色濃く残っていたのである。とまれ、私は念願の故宮を見学することができ幸運であった。

 九月六日はいよいよ鳥取県写真展開会の日である。石家荘市は朝から快晴であった。会場となった博物館には開会を待つ沢山の人が詰めかけていた。型どおりの式典のあと、テープカットと同時に展示室は観客で埋まった。観客の中で目立ったのは美術専門学校の学生で、団員は作品の説明と質問の対応に終始した。質問の内容は写風が中国と違っているためと、若干の技術的格差があるために生じた素朴な疑問に集約されていた。

 私が、作品の説明した観客の中に日本語が話せる老人が二人いた。私自身の中に、過去の歴史を背負った日本人としての中国人に対する罪の意識を引きずっていたので、特に老人と向き合うことにためらいがあった。どんな経歴を持つ人か知る由もなかったが、説明を終えたあと、二人から握手を求められ、あらためて固い握手をして別れた。

 写真展は十日間に亘る会期であった。後日、河北省から盛会裡に終了したとの連絡があり、実行委員の一人として、所期の目的が達せられたことに充足感を覚えた。

 滞在中は、毎朝早起きして市民の生活をカメラに収めた。街頭で撮影中に何度か官憲らしき人に注意され、頭を下げてその場を離れることがあった。その度に国情の違いを痛感すると共に、自由主義社会の中で生かされている有難味を再認識したことであった。

 その当時から大方の予想では、中国は二十一世紀の主役に成長すると考えられていた。果たしてその予想は的中し、世界第二位の経済大国の座を占めるまでになった。中華民族の復興は、西洋や日本から受けた恥辱の一世紀が終わりを告げ、建国100年の夢の実現にあるという。そのスローガンの陰で、中国は遠く辺境へと統治の範囲を拡大している。陸の辺境はチベット、ウィグルであり、海の辺境は南シナ海である。世界秩序を力で覆そうとしているのだ。この蛮行を前に、十九年もの間抱き続けてきた故宮での感動が、次第に色褪せていく自分を感じるのである。(写友会うしお)