海外こぼれ話 172       

 

久しぶりのハンガリーでのセミナー

 

 7月にハンガリーのセミナーが、1年半ぶりに開催されることになった。多い時には、年間7回もハンガリーでセミナーやワークショップがあった。その時の窓口担当は男性のPさんであり、何事にも非常に丁寧で親切な人であった。事前に何度もセミナーやワークショップの内容や状況報告をしてもらいながら、調整させてもらっていたので、提案や相談もいくらでもできいつも良い結果を出していた。

そんな優秀なPさんなので、当然の如くヘッドハンティングされて退職されてしまった。その後釜には、彼のアシスタントだった女性のEさんになった。すらりとしたモデルのような美人である。アシスタントからいきなりマネージャーになったので、さらにお高く留まってしまったようだ。

Eさんになってから、これまでに4回のオファーがあったが、いずれも近々になってからドタキャンが相次いだ(多分詰めが甘い)。このため今回もあてにしないでいたが、1か月前になって今回は絶対にやりますと連絡があった。内容は前回と同じでやりたいと連絡があった。確認のため詳細のレジメ(日程表)を送って欲しいと連絡をしたが、1週間前になっても来なかった。

またドタキャンかと思ったら、なんと2日前になってようやく連絡があった。前と同じと言いながら、要望項目が追加になっていた。慌てて追加の内容について手書きのテキストを作成したり、編集し直ししたりすることなった。また今回の通訳は誰かも連絡がなく、前日の空港送迎担当もホテルの場所も名前も知らされないままだった。

前任者のPさんは、絶対にそのような連絡がないことはなく、本人がいつも車で空港まで通訳と一緒に出迎えもされていた。まったくこのような事務手続きに心配事はなかったのが、懐かしく思えるようになったのは残念だ。当日デュッセルドルフ空港からハンガリーのブダペスト空港には、ジャーマンウィング航空のみで、朝6時と夕方の6時の2便しかない。

朝一で行くと当日の通訳はいないので、勝手に市内観光をして欲しいとまで言ってきたのにはびっくりした。以前は早く到着したら、市内観光はどうしましょうか?と事前に連絡もあった。今回は夕方の便で出発してそのままホテルで寝ることにした。しかし出発直前になっても、だれが迎えに来るか本当で来るのか、連絡がないまま飛行機に搭乗することになった。

 

新しい通訳のアシスタント

 

通訳は多分Kさんだと思い、「今回もよろしく」と飛行機に乗る前にメールをしておいたが返事がなかった。本当で送迎にこられるか心配をしながら、ブダペスト空港に着いてゲートを出た。ゲート口に漢字で「松田さん」と書いた紙を持った女性がいた。あれ?Kさんと違うと戸惑いながらもホッとした。彼女は女子大生のような人だった。日本語で挨拶をすると、流暢な日本語で返事があり不安が一気に払しょくできた。

 彼女の名前は、ジョーフィさんという(以下Zさん)。タクシーで移動中に色々と話をすることができた。Zさんは、大学の時に日本に留学し日系の企業に勤めていて、昨年から通訳のKさんのアシスタントになったという。Zさんのお姉さんはカナダにいて、弟さんはドイツのフランクフルトに住んでいるという国際派の三人兄弟である。

Zさんは、一番行きたい国はやはり日本だと言い、昨年も2週間日本を旅行してきたという。ドイツ語は10年近く習っているが、苦手だという。私は16年ドイツで生活をしているが、まったくドイツ語を覚えようとしないし、文章の1つも記憶もできないでいる。ドイツ人は好きだが、ドイツ語は好きでない。

 日没近くが21時ごろだったが、ブダペストは北緯47度とドイツ、デュッセルドルフとは4度も南にある。従って日没時間が約1時間早いことがわかった。 タクシーは、順調に首都ブダペストのブダ地区にある有名なマーチャーシュ教会の真ん前にあるいつものホテルに到着した。彼女と食事でもしようかと思ったが、初めて会った人でもあり、声を掛けることを遠慮した。また明日空港まで送迎してくれるというので、そのままホテルの玄関でお礼とお別れをいい、部屋に荷物を運んだ。明日は通訳のKさんが、8時にホテルまで迎えに来られると言い伝えがあったが、ちょっと残念だなあ。

 

夜景を楽しむ

 

教会の真ん前の部屋だったので、広場で結婚式前の記念撮影をしているカップルとカメラマンが2組もいた。まだ21時前であり、まだ写真も撮ることができる明るさだったのですぐに外に出た。

 倉吉シティホテルの大塚さんのように、結婚式前の写真を撮る人が海外にもいるものだと初めて遭遇した。教会の周りで色々とポーズを取りながら、撮影をしていた。以前に来た時は、階段のところにヴァイオリンを弾く人がいたが、今宵も演奏者がいた。

その音楽に合わせてカップルは踊りながら、カメラマンは撮影を繰り返している。この教会はハンガリーで一番有名な教会なので、バックの背景としては申し分ないだろう。

 ドナウ川を挟んで向こう岸は、ペスト地区である。この王宮の丘(ブダ地区)からの風景は最高であり、日没後にライトに照らされた国会議事堂は欧州一の景色だ。前回冬に来た時は回廊のある場所には何もなかったが、今回は夏であり喫茶店が店開きしていた。客層に変化があり、アジア系の人が半分もいた。

以前は滅多にアジア人はいなかったが、昨今のアジア系の旅行者のようだ。街中のレストランは屋外にテントを出して客を招いていたが、そこにも今まであまり見なかったアジア系の人たちがいた。経済が発達すればその国の旅行客が増えるのは、世相を反映している新聞記事のようだ。かつては日本の農協の団体が海外に押し掛けた記憶がよみがえる。

 また喫茶店の横には小型のATM機が設置されていた。これは移動式になっており、すぐに泥棒が持って逃げるかと心配になるくらいコンパクトな設計だ。ホテルに戻るとホテルの壁をぶち抜いて、そこにも小型のATM機が設置されていた。

ホテルのロビーに入ると、ATM機の筐体が丸見えで、ドライバーがあれば中をこじ開けられるような感じだった。前回の訪問時にはなかったが、こんなところにも時代の変化が垣間見られる。

 

大勢参加のセミナー

 

 朝5時に目が覚めて、ホテルの部屋から教会の庭を見ると既に観光客がいた。朝5時?と疑ったが、朝食の7時に食堂に行くと太陽が直接窓から差し込んでいた。市内は2週間も雨が降っていないので、一気に温度は上がって30度を超えていた。なるほど朝5時の観光は納得がいった。

食堂は既にイギリス人の老人仲間が食事をしていた。米語と英語は、どういう訳か聞き分けができる。米語は鼻にかけて発音するので、大嫌いなのですぐわかる。英語はそれがないため聞きやすいのだ。日本人らしき人もいたが、話をする意欲はなく黙々と食事にありつく。

8時に予定通りにKさんが送迎に来てくれていた。9時からセミナーで当初17名だった参加者は、50人以上になっているという。会場に着いて準備を始めたら、ようやく担当のEさんが挨拶にやってきた。適当にあしらって準備を進める。

Kさんにアジェンダ(日程表)は届いたのですかと訊ねたら、まだもらっていないというので驚いてしまった。なんと準備の悪いことだ。簡単なやり取りをして、さらにPCの画面やフリップチャートに追加説明を描き込んでいく。

実は2日前にもらったアジェンダを見ると、前回指摘したことが何も反映されていないことが判明した。そのために、急きょ10枚のスライドや事例などを作成する派目になった。Eさんは後工程のことを何も考えない人であり、しかも自分の悪いことを認めようともしないのが問題である。開始時間の9時になっても2割の人は遅刻だ。いつものことなので、予定通りにセミナーは始めた。

90分単位で4コマあり、終了時間は17時で、質疑応答やアンケート記入、さらに全員からのフィードバック(話し合い)時間を入れると16時半に講義は終える計画だ。90分の内終わりの10分前には、参加者同士で私が何を説明したか、そして何を感じたかをフィードバックする時間を設けた。この手法が今回は大好評であった。

これは忘却曲線と言われる人の記憶を、長持ちさせるために設定した仕掛けだ。何もしないと1日で7割は忘れてしまい、3日後には9割は忘れてしまう。メモを取れば、3日後でも6割は覚えることができる。なんとすぐに話し合いをすると、8から9割も記憶に残るというデータでもある。

それはただ聞くという行為ではない。人に話すということで一度頭の中で情報を整理整頓して、説明のために話を立て直すという面倒くさい処理をするものだった。しかし、これが簡単に記憶を確実にする手法であった。これは脳科学からヒントを得たもので、効果も検証済みなのでお試しあれ。

 

盛り上がったセミナー

 

最初の90分は、スライドなしで講義を進めた。スライドがあると、参加者はそれを見て話を聞かないことがある。逆に何もなければ集中して話を聴くことになるが、それを狙っている。一方的なセミナーにならないように時代背景を説明しながら、トヨタ方式のエキスの部分を双方向でやり取りをしていく。まずは雰囲気作りが大切である。欧州の人には、事前に時代背景の説明をすると話が進めやすい。しかも身近にある事例を持ち出すと親近感も得やすい。

最初の講義の10分間が来た。まず今の講義で質問はないかを確認するそして私の説明したことを、自分はどう感じたのかを4人一組のチームで話し合うことを指示する。このコミュニケーションの時間が、セミナーに参加したことを意識させるに効果がある。蜂の巣をつついたように一瞬で大騒ぎになり、さらにその相乗効果で周囲も賑やかくなる。これは参加意識に火を点ける仕掛けだ。

時間が来れば笛を吹いて終了の合図を送る。休憩は20分、遅刻したらこの前ヨーロッパ歌謡選手権で優勝した曲(ハンガリー人が優勝したその歌、実はほとんどの人が知らない)を歌ってもらうと宣言する。誰も歌えないから全員が時間内に集まってきた。これでこのセミナーの規律ができる。

休憩時間に主催している所長のMさんが、参加者を相手に感想を聞いて回っていた。始まる前に非常に良いと皆さんが言っていると、報告がわざわざあった。さらに講義を続けるが、次の講義にようやく2枚のスライドを紹介した。この時間でほぼトヨタ方式の人財育成のエキスは伝わったようだ。また休憩の前にフィードバック時間を組み込む。昼休憩にも講義内容に花が咲いたように、蜂が集まってブンブンと仲間を誘っているようだった。この時にもMさんがまたやってきて、内容が素晴らしいと皆さんが言っていると報告があった。

最終時間にぴったり終了、途中からも非常に良い評価を何度も聴かされた。昼休憩のあと、フィードバックの評判が良かったので、是非全員の席替えをしてもっと他の人とコミュニケーションを取りたいと要望があった。

皆さんが喜んで席替えをして午後からの2回の講義は、残ったスライドをすべて紹介し時間通りに終了した。質疑応答、全員からのフィードバックとそれに対してのコメントを付け加え、アンケートにも記入してもらい、修了証書も手渡して17時にすべてが終わった。

 

外はなんと43度だった

 

次回のセミナーが決定し、すぐに申込みもあったという。秋には銀行からのオファーもあることも聞いた。17時に終わったが飛行機までの時間が4時間以上もあり、時間を持て余した。以前はホテルに戻り、マッサージを受けるというサービスもあった。

しかしZさんが空港まで見送ってくれるので、その間デートが許可された。だたしタクシー代は払うがデート代は自前というが、Eさんは財布をがっちり締めている。以前の担当者と大違いだが、Zさんと一緒に喫茶店で話ができる。

外は暑かったので、アイスよりもシャーベットが食べたくなり、150年続く老舗で有名なニューヨークカフェというホテルのレストランで涼むことにした。外に出てタクシーを呼んでもらい、タクシーの温度計を見ると外気温が43度になっていた。38度は昨年デュッセルドルフ市内で経験したが、43度は初めてだ。石でできた建物や道路は、この気温でさらに暑くなっておりクラクラする。一方通行なので、回り道をしながらカフェに辿り着いた。

冷房は利いているが、Zさんがビールもあるよと教えてくれた。チェコ製の黒ビールがあった。ウエイターが持ってきたのは、キンキンに冷えて凍ったジョッキを手にビールを注いでくれる。グビグビと喉を潤す!生き返った心地になる。やっと落ち着いた。Zさんは急に地元に帰っていたところを、呼び出されて送迎をしてくれたという。

前日になってEさんから、Kさんに空港まで送迎して欲しいと連絡があったという。Kさんは国会で既に仕事していたので、対応できなくZさんに依頼をしたという。メールも国会議事堂のなかだったので、電波が届かなかったのだ。

担当が替わるだけで、こんなに対応が変わることもあるものだ。2日後に連絡があり、今回のセミナーの評価が分かった。全員の平均点が評価点95.2点であり、驚異的な数値だという。次回は接待をしたいと申し出があったら、サラダくらいの食事にならなければと思う。期待しないで待っていよう。

 

S社の新しいコーディネーター

 

南ドイツのS社の新しいコーディネーターのAさんが、前任者のKさんから交替したと連絡があった。Aさんは前回のワークショップで、外部コンサルタントであると自己紹介のあった人であった。自動車会社の出身で紳士であり、トップとのやり取りもスマートにこなし、何よりも人の話を良く聴く人である。

前任者のKさんは、もう5年になるが信用のおけない人であった。USBメモリーを2回貸し出したが、一向に返却してくれない。自社の高価な本も買うと言って提供したが、もらっていないからお金は支払わないとまで言う。

アジェンダはいつも1日から3日目にならないと提出してくれなく、当日変更も何度もあり、非常に事前準備ができない対応をする人であった。今回バカンスで知り合った南米の女性と結婚して子供ができたので、1年間育児教育したいと申し出があり、Aさんに交替した経緯があった。

今回は1週間前にアジェンダが届いたので、やはり担当者が違うと対応も随分と違うことがわかった。Aさんは、前回はワークショップのメンバーに入っていた。そのために十分に彼を知る機会もなかったが、今回はコーディネーターとしてずっと同行して、彼の経歴や考え方やこの数か月のS社の人と話をして色々な見解も伺うことができた。

コンサルタントとして、客観的な見方を冷静にされることがわかった。自社内の人は自分のことが見えなくなることが多いが、外部の人は客観的な見方ができて、目指す方向も示すことができる。お互いにチームを組むことに合意をし、1年後には見違えるように会社を変えていくようにした。

今まで毎回コスト改善は確実に実施をして、自主性のある活動もやってきた。しかし何度も構造的改革を試みたが、前任者の考え違いや間違いさらには陰謀なのか、思うような改革が打ち出せなかった。Aさんは、一緒にこの構造的改革ができそうなのでワクワクしてきた。

宿泊しているホテルのレストランで会食し、未来について大いに話をすることもできた。昨年収穫した白ワインで乾杯をしたが、素晴らしい出来映えだった。今年は昨年以上に非常に天気が良く、白だけでなく赤ワインも今年も出来栄えは素晴らしいと想像できる。