今月の執筆者

 山田美鈴

継続は力なり

 121日から26日まで、リフレギャラリーで教室作品展を開催させていただいた。六年前の個展に続き、二度目の今展は、オープニング・セレモニーのピアノ・デュオコンサートやギャラリートークに、立ち見を含め50人近い来場者、とても華やかなものとなった。偶然にもピアノを弾いてくれた一人の山本亜美さんが、小学生の六年間、私の書道教室の生徒だったこと、カウベルピアノコンクールで山本・重道両氏の賞状書きをした思い出など、お互い感慨深いものがあり、トークも盛り上がった。こんなチャンスをつくってくださった、倉文協の関係の皆様にあらためてお礼を申し上げます。企画から準備そして運営までお世話になり本当にありがとうございました。

 ところで、私が書の道に進んだ経緯を語る時、みなさん「は~? そうでしたか」と言われる。幼少の頃から、将来は警察官になりたいと決めていた。それも少年課で少年の非行を更正させる婦警さん・・なんて。自分が少年だったくせに() 小・中・高校と習字教室・ピアノ教室にも通わせてもらったが、夢中になっていたのは剣道だった。それなりに成績も残し頑張っているつもりだった。警察官の道へ進む準備をしているつもりだった。しかし、現実は残酷で少女の夢はあっけなく消え去った。高校2年で進路変更、身長・体重が足りないので警察官の採用試験も受けられないと。ピアノの先生からも言われたな~。「これ以上続けても、ピアニストにはなれないよ、指が短いから」「どうするの? 私」そこで残ったのが「書道」だった。わけも解らず飛び込んだ書の世界、若い頃は「何者? 」と言われたり、書道教室をしていると言えば「うさん臭い」と罵られたり。こつこつ続けていけば、何か残せる仕事ができるだろうと今日に至っている。書道や芸術関係の身内がいたわけでもなく、手探りでここまできたが、今回展出品「恩師からの歌」の書道を始めるきっかけをつくってくださった中山先生、小・中・高校時代の住野・伊藤・坂口先生、専門学校での学び、そして現在の師匠柴山先生の教えが、私のエキスとなっている。気づけば、もう他の道に進むなんて困難だろう年齢になっている・・。少年の更生には関われなかったけれど、幼年から高齢の方まで、多くの生徒と過ごす時間に感謝。そして自身も書人として、生涯この道を進んでいきたいと思っている。

「書専」書道教室 主宰  山田 美鈴