86

「ブロードウェイ・シアターと山陰の小さなシアター」

 

クリスマスの時期を夫の親族が集まるニューヨークで過ごすために、フロリダに転居してから初めてニューヨークに行った。ニューヨークの12月は普通はとても寒いのだが異常気象で摂氏20度代という歴史的暖かさでびっくり。Tシャツ・短パンの世界からロングコートの世界へのはずだったのに、ひょうし抜け。1年前の1月と2月はニューヨークはものすごい寒波でイーストリバーが凍りついたのが遠い昔のようで、なんだか変な感じ。

 

20年以上もニューヨークに住んでいたのに、今回はすっかり旅行者になって、「紳士のための愛と殺人の手引き」というブロードウェイ・ミュージカルを見に行った。これは、2014年トニー賞の「ブロードウェイ・ベストミュージカル」を受賞した作品だ。タイムズスクエアのシアター街の真っただ中、48ストリートでブロードウェイと8アベニューの間にあるウォルター・カー・シアターという劇場だ。

 

実は私は1995年頃、このシアターの隣の高層アパートに1年半住んでいたことがある。今から考えれば、よくまあこんなタイムズスクエアの真っただ中の、ぎんぎらぎんの賑やかなところに住んでいたものだなあと思う。ここは私が独身の頃住んだアパートの中では一番立派なアパートで家賃がとても高くてひいひい言っていた。そのなつかしいアパートの隣のシアターなのだ。

 

シアターは975席。古典的な雰囲気で装飾的なインテリア。ストーリーは主人公の男性の母親が亡くなり、事情があって隠されていたが実は彼女は富豪の出身で相続人が自分の上に8人いることがわかった。この8人を亡きものにすれば自分が相続できるとたくらむコメディ。8人の相続人の役を一人の男優が演じるのが見もの。このミュージカルは最初はなんとなく眠かったのだけれど、準主役の女性の一人が舞台に出てきて歌い始めたとたんに、美声にききほれて目が覚めた。私はずっと彼女ばかり見ていた。このミュージカルは演劇的要素が一番大きくて、次に歌、ダンスはあまりない。ダンスが主流なミュージカルが多い中、そういう意味では異色。大人が笑って楽しむ内容で満席の観客は盛り上がっていた。

 

このウォルター・カー・シアターは本来、演劇を中心に行うシアターでミュージカルはあまり公演しない。私が隣に住んでいた頃は結構マイナーな演劇作品を公演することが多く、あまり観客は多くはなかったので、今の盛況ぶりがうそのようだ。ブロードウェイといえばミュージカルを連想するかもしれないが、演劇、パフォーマンスもたくさん行われている。マンハッタンには5百席以上の劇場が約40あり、百席から5百席未満の小規模なシアターも約40ある。

 

48ストリートから4ブロック南に下がった44ストリートには、セント・ジェームズ・シアターがある。このシアターは2014年アカデミー賞作品賞受賞の「バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」の撮影で使われたシアターだ。この映画はショウビジネスの世界を内側から見た風刺的で秀逸な作品。かつてのスターが自ら出演する演劇の演出も行い、徐々に精神を病んでいくストーリー。うずまくもくろみ、嫉妬、だましあい、金作に走る苦労、辛辣な批評、華やかな世界の裏にある厳しい競争社会。

 

ブロードウェイでロングランをするようなヒット作はほんの一握り。多くは短期間で消えて行く。ひどい時は1日で打ち切りなのだ。作品や配役の入れ替わりは極めて激しい。それでも世界中から俳優、歌手、ダンサーたちが、一度でいいからブロードウェイの舞台に立ってみたいと夢を追って集まって来る。

 

ブロードウェイのシアター群を見ていたら、山陰の旅で立ち寄った「しいの実」シアターのことを思い出した。「しいの実シアター」というのは松江の八雲町の森の中にある108席の小さなシアターだ。松江駅から車で35分くらいで熊野大社の近く。「認定NPO法人あしぶえ」という組織が管理・運営していて、山陰の田舎でローカル色豊かでユニークな活動がマスコミにも時々紹介されている。

 

「あしぶえ」は長年、劇団活動を行ってきた。八雲にシアターを作るという企画に当時の八雲村村長が賛同し、村の予算、「あしぶえ」の資金、寄付金を元手に、1995年に「しいの実シアター」を完成させた。現在このシアターは松江市立となっており公立民営。「あしぶえ」はシアターの管理運営、数々の自主公演、演劇教育やコミュニケーション・ワークショップを学校や企業で行う。

 

そして3年に一度「八雲国際演劇祭」を主催し、世界の数カ国から劇団やパフォーマーが訪れる。国際演劇祭の行われない年度にも2015年から国内外の劇団、作家、演奏家を招いて「森の小さな演劇祭」を開催。近年は「かやぶきの家」(イベントや集まりでレンタル利用する交流館)の管理運営もまかされ、事業を拡張させているようだ。

 

108席のシアターは、多くがしいの木でできており、座席も自然な木という素材をうまく利用し工夫された個性的な作り。入った瞬間、木のぬくもりを感じる。舞台と客席がとても近い。公演のない日に見学しただけなので、本番のその雰囲気は味わえなかったが、人間と自然、舞台と観客がかもしだす一体感は容易に想像できた。

 

「あしぶえ」の劇団員たちも、「しいの実シアター」も八雲の名物的存在。「八雲国際演劇祭」の際は地域住民が外国人にホームステイを提供したり、ボランティアもたくさん集まって、外国人たちも盛り上がる。演劇による町づくりが具現化している。事業運営は経営的には厳しいものがあるだろうが、地域住民と交流し合い、森の中の自然に囲まれて、のどかで人々が落ち着けて、そして楽しめる。他県の遠方からの観客にも人気のようだ。

 

ネオンサインが一晩中輝くタイムズスクエアの華やかなブロードウェイのシアター群と対極にある、山陰のあの小さなシアター。規模もスタイルも環境も全く異なるが、演劇人の魂、心意気、情熱は共通するものを感じる。