リレーエッセー
今月の執筆者 渡辺 誠
今年も会の写真展が無事終了致しました。ご来場の皆様、感謝でございます。会員の皆様、ご苦労様でした。展名の『猿知恵』は私たち自身でしょうか?居並ぶ猿写真は、作者の自写像に思われたのでございます。
話は変わりますが、会の創設メンバーである、プロ写真家のK氏は、会う度に東京で写真展をしないといけないとか写真集を出さないといけないとか言うのです。確かに中央で写真を発表し、評価を受けることは多くの写真家の目標であります。しかし名を売ることは結果であり、目的ではないのです。逆に目指す本質を曇らしていくのではないのか。それに私たちには、リフレがあるではないですか!と宣伝を一言。
私たちが生きることは、“賽の河原で石を積む”そんな営みの連続です。アノニマスで、価値があるかどうかも分からない。
無名に生きる人々が歴史を積み重ね、写真もそこに重なるのです、そう云う人々や時代に光を当てたいと思います。そういう写真の作業なのです。
時代は本物を求め、批評の洗礼は地方でも都会でも変わらなくなっているのかもしれない。むしろ地方の時代だと開き直って、地方から文化を発信する、そんな挑戦があってもいいのではないかと思います。世界的な写真家である故塩谷定好氏や故植田正治氏は山陰の風土や、そこに生きる人々をこよなく愛し、多くの作品を残されました。それを引き継ぎ発展させるのは私たちの役割であります。
私たちの会長である新勝人との出会いは百花堂の彼の個展でした。図らずも、その時のテーマも猿だったのですが、以来二十数年、氏の写真活動を見続け、それが山陰の写真の開祖、故塩谷定好氏の流れの中にあると知って感じ入ったのです。師を同じくした弟子達は、競い合いながらも志を一つにし、この地方に根ざした写真の文化を築いたのです。ならば師の一番の愛弟子とはだれか?
一番の愛弟子とは師の志を最も愛した者です。私なりに言うなら写真を愛し、地方を愛し、人を愛する師の志であります。そう云う思いを投入し続けるのです。写真には思いが写るのです。
聖都倉吉と云う言葉を聴いたことがあります。それを私なりに解釈したのですが、過疎と高齢化で沈みつつあるこの町も、実は歴史と文化の輝きを持つ誇るべき地方なのです。そして何処でもそこに住む人々の心が輝けばそこは皆、聖都たりうるのです。
写真は私達の住む世界の輝きを教え、真摯に生きる人々の営みは、永遠の写真のテーマであり続けます。そしてそれを記録することが写人の使命であるとすら思えるのです。
(写人山陰菊里会会員)