海外こぼれ話 183 (20169月)     

 

街の広告塔

 

 ドイツの街の広告塔としてお馴染みの野外広告塔は、「リトファスゾイレ」ということを初めて知った。これを考案したベルリン出身のエルンスト・リトファスにちなんで「リトファスゾイレ」と命名された。デュッセルドルフでは、この内の5つに塔の上にリアルな人間を模したフィギアがある。その5つを写真に撮り、展示会でも「ヨーロッパの街角」で紹介させてもらった。

 リトファスがこれを思いついたのは、パリのトイレに行った時に、トイレの壁にポスターが貼ってあったことを金儲けにならないかと考えたのがきっかけだった。アイデアの出やすい「三上(さんじょう)」は、馬上机上厠上(ばじょう・ちんじょう・しじょう)と言われるが、ドイツ人も一緒のようだ。

ベルリンに戻り、警察など認可に苦労した末に設置認可をもらったという。1855年に最初の100基が設置され、段々と増えて今ではドイツ中に5万基以上設置されている。日本のコンビニの店と同じくらいの数であり、街の風景の一部になっている。ちなみにドイツの人口は日本の3分の28000万人なので、コンビニ以上に目にしていることなる。

アパートの周辺は駅前通りなので、かなりの人が目にすることなので多くあると思い実際に散歩コースから数えてみることにした。買い物をするコースとメイン通りとの組み合わせで、40分間歩いて発見したのは合計18塔だった。いずれもこんなところにあったのか?と思う場所にあった。信号待ちなどを考慮すると3kmであり、150mに1塔ある計算になる。今度からは、どのような広告塔があるか発見する楽しみを持って散歩をしてみたい。

この広告塔が散歩道にあったのを意識していたのは、たったの4塔だけであった。いかに普段何も意識しないで散歩しているかがわかった。言い訳すると、買い物が目的なので見ることはしなかった。さすがにメイン通りには、1kmほどで10塔もあった。ちなみにアパートのあるビスマルク通りは、長さ数百mでたったの1塔しかなかった。電動式で広告が回転しているものは、合計4塔もあった。

 1850年当時は、壁にポスターが無秩序に貼り出され景観も悪かった。この広告塔だと、依頼主の他には勝手に上から貼られないというメリットがあり、評判が良かった。さらに1864年からの戦争中には、この広告塔に新聞より早く戦況を伝えたので、人々に重宝されたという。

現在は、映画や公演の宣伝などに定期的に貼り替えられている。塔の周りに大きなブラシに水糊をつけて、ポスターを貼り付けていく。そのすぐ後には、糊が落ちているのでポスターだけを見て歩くには注意が必要だ。でも彼を讃えて、柱の聖人と言われている。

 

料理をするようになったきっかけ

 

 ドイツに来てから数年間は、キッチンで料理をするのは焼きそばと野菜炒めの2品だけだった。あとは完全外食で、飲んだり食べたりの無頓着の食事内容だった。7年前に日刊工業新聞社の某編集長様から、あと原稿2本追加してもらえませんかと問い合わせがあった。お世話になっていたので、二つ返事で引き受けることにした。しかし、引き受けたのは良いが、どんな内容の記事を書けばよいかわからなかった。

1つは欧州でコンサルをしているから、それについて書くということで「ヨーロッパ人もビックリ、現場改善」とした。あとの1つがなかなか浮かばなかったが、編集長からのアドバイスがあり、鳥取県の食材を基にした料理のコラムにすることなった。さあ困ったことになった。食べるのは大好きであるが、レシピ通りの材料がなければ何もできなかった料理の腕前だった。つまり、料理下手だった。これで毎月原稿が書けるかと、かなり心配になった。

1か月半悩みに悩んで、半年分のタイトルとおよその中身をひねり出した。まさにひねってひねりまくったという感じだった。当時、企業家精神と海外こぼれ話、そして日刊工業新聞社様の方で「目からウロコだ!現場改善」の月刊連載を3本書いていたし、コンサルも手一杯の状態だった。

でも積極的に取組めば何とかなると思い直し、取り組んだ。まずは「焼きタケノコ」「蜂の子」など書き始めると案外とネタは出てきた。しかし料理の裏付けも必要となり、デュッセルドルフのアパートで料理を試行錯誤で始めることになった。

電子レンジで簡単にできる料理あれこれなどレシピ本を探し、できる料理からやってみることにした。自宅では料理上手な家内がすべてやってくれるので、私食べる人になっていればよかった。でも原稿を書くとなれば、私食べる人から全く立場の反対の私料理する人にならざるを得なかった。

ドイツに来てレシピ通りの材料をそろえようとしても、ないものがたくさんあり、逆に見たことのないアーティーチョーク、コールラビなどはどう料理して胃袋に収めるのかわからないものがたくさんあった。ないから困る、困るから頭を働かせるのは、トヨタ方式の神髄でもあり、食べて美味しい工夫をしていくものだと心に決めて食べられる料理を目指した。失敗した料理をもったいないので、どうやって食べられるようにするかも次の挑戦のヒントになる。失敗は成功の母そのものだ。

 

食べてもらうことが勉強

 

良く失敗したのが、レシピを見ながら料理すると具材を切っている間に早く煮えてしまったり、焦がしてしまったり、慌てて間違った調味料を入れてしまったりとポカミスの連続だった。でもめげすに、失敗から学んだ。

予め材料を切っておく、調味料も事前に用意しておく、もう一度レシピを読んでポイントには印や書き込みをしておくといった事前の段取りを重視することで、ミスを少なくした。そして何回かやって、自分の舌に合うようにアレンジすればよいのだ。後で考えると、普段やっている作業の標準化する過程と同じであると気づいた。都度不具合点があれば、反省してよくするにはどうしたらよいかと考え、次に試行しながら調整していけばよいのであった。

少し余裕ができると、散歩がてらにどの食材はどのスーパーやデパートで買えばよいか、しかも安いか、品質は良いかなどもわかるようになった。再確認すると食材に応じてアパートから中心に半径1qの中に10店の店を回っていることが分かった。最近は散歩を兼ねて、メモに道順と買い物リストを手にリュックサックを背負い運動靴で出かける。1から2時間コースのルートだ。

レシートも月ごとの紙に貼り付けて、値段の確認もするようになった。ミニ家計簿のようにして、滞在期間の買い物の集計もできるようにした。これは普通の主婦のやっていることだが、いざ自分が買い物をすることになったことでできるようになった。冷蔵庫の残り物でも料理ができるようなったのは、大きな副産物になった。

今ではホームパーティーで、数品から10品まで一人で作れるようになった。その味をあれこれともっとこうしたらとアドバイスをくれるのが、ホームパーティーにお招きする女性陣の方々である。男性ではどうでもよいことが、彼女らは実に細かく指摘(時に耳に痛いことも)もあるお陰で腕も上がってきた。

すべてレシピのコピーに、いつ作ったか、材料のアレンジの内容、調味料の分量や種類、そして彼女らの評価も◎、○、△で記入している。それで味も安定してきたが、評価があるのは良い刺激になっている。

 

新規開発テーマが立ち上がった

 

ある工場で、5月から新規テーマが飛び込んできた。急に極秘のプロジェクトを立ち上げたいので、相談に乗ってほしいということだった。開発テーマは得意分野ではなかったが、これも良い経験だと思い訪問することにした。

そのためにトヨタの開発設計の関連の本を読み返し、さらに2冊の関連する本も買って読んだ。さらに手法も10年以上ぶりに探し出して、これも再度勉強のし直しをすることにした。コンサルになったら、会社にいた時よりも勉強することが断然多くなった。しかも勉強することが楽しく、また副産物でお金も儲かる。62歳なので普通なら定年になっているが、コンサルは自由業なのでまだまだやれそうだ。しかも新しい勉強は、新しい発見も楽しみになる。

訪問して驚いたのは、その開発予算が少ないことと納期の短さだった。まあ今回もいい挑戦だが、メンバーも頭を抱えていた。さらなる制約条件が、使用するスペースの狭いことも判明した。がんじがらめの開発の取り組みだった。

この課題にどう心理的に楽観視できるかが、今後の進み方に利いてくると直感した。といってもいつも楽観的になんとかしてきたので、今回も何とかなると笑顔で対応する。無理なことを頼まれて、嫌な顔をするだけでお客様は一瞬にして「こりゃだめだわ!」と心理的に追い込まれるものだ。コンサルは、それを表情に出してはダメであり、期待を持たせるように仕向けるのが仕事だ。

概要を確認して、久しぶりに使う手法を紹介して進めることにした。その手法は懸案事項の漏れをなくすもので、項目が多くしかも数値の評価も行うことで、重要性を絞り込むものだ。

さらに具体的に数分の1のミニモデルの試作を実際に作って、組立と分解を繰り返しながら、実際に作れるものか判断しましょうと事例をもとにやり方を説明した。これは自動車業界がよく使う手法でもある。最初は無理だと言っていた彼らが、目標の3か月間で構想ができそうな感じになってきた。絶対にできると、最後にモチベーションをかけておいた。

ところが1か月ほど検討を重ねたが、複雑になりすぎて迷路に入ってしまったというのだ。空いていた日に都合がつくが訪問しても良いというと、すぐに来てほしいとリクエストがあった。実際にやったようであるが、本当はまだ頭の中で試行錯誤していることが判明した。

そのために、さらに進める方法を伝授することにした。一つひとつを4コマ漫画のように絵に描いて、その作業が原理原則通りに作業が運んでいるかを考える方法を教えた。1つの事例を取り上げて、絵に描いた瞬間にメンバーの考えていることが間違いだと彼ら自身で分かった。その一瞬に彼らの目からウロコがポロリと落ちた(音は聞こえなかったが、そのような感じだった)。その顔は今までの悲壮な顔から一変に笑顔になったのだ。まるで早送りでつぼみから一気に花が咲くような感じだった。

それから次の作業についても、具体的にどのように作業をすればよいかが見えてきた。一を聞いて十を知るという言葉が、現実になった。これでものプロジェクトはできるとリーダーも強く確信したようだ。今回はその貴重な体験をさせてもらった。

さらに1か月後にもほぼ完成したので、評価に来てほしいとリクエストがあった。メンバーの顔が別人のようにいい顔になっていた。これはすごい自信になったと感じた。全行程の作業がほぼ完成して、それを数分の1のモデルを使い、実際にビデオ撮影で紹介するというものだった。

観ていて作業の進み具合が、すでに訓練したようにスムースであり感動ものだった。これで間違いなく完成できると感じた。予算的にも何とか収まるところまで検証ができたと、嬉しい情報も聞くことができ涙が出そうなった。

 

ラードラーという夏の飲み物

 

 訪独した週はとても暑く、白ワインよりも冷えたビールが喉を潤すにはもってこいの気候だった。いつも南ドイツのホテルのレストランで、それなら「ラードラー」というビールがお勧めだというので、お試しで飲んでみた。

なんとスカッと爽やか、喉越し最高、さらに冷たい!と三拍子揃ったビールだ。しかし普通のビールよりアルコールが薄いようだ。ビールなのにレモン味とはこれは不思議な飲み物だ。聞くとビールの「ピルツナー(チェコのピルゼンで作られたビール:日本のビールとはこの種のビール)」にレモネードを混ぜたものだ。これなら2杯でも3杯でもすぐに飲めちゃう。毎日行く先々のレストランや酒場でこの「ラードラー」を飲んだ。

わかってきたことが、店によってことごとく味が違うのだ。また最初の1杯目と2杯目の味が、違う店が多いということに気づいた。この「ラードラー」の作り方は、まずコップに8割くらいビールを注ぎ、泡が落ち着いてからレモネードを加えるもので家でも簡単に作れる。

その注ぎ方と元々のビールやレモネード自体の組み合わせで、色々と変わることもわかってきた。また大きい方は500CC、小さい方は330CCのグラスで出てくる。この「ラードラー」は、どの店にもメニューにないが、頼めばどの店でも作ってくれるという不思議な飲み物だということも分かった。

ある店で「ラードラー」を頼んだら、注文してからなんと15分も経ってから出てきた。一口飲んでみると不味かった。レモネードではなく、レモンの味がなくただの炭酸で割っただけのビールだった。

すぐに店を出るために勘定をしてもらったが、ウエイターは罰が悪そうだった。この店には、絶対にもう来ないことを心に誓ったほど不味かった。その日はほとんどの店が日曜は定休日らしくその店に多く人がいたので、美味しい店と錯覚してしまったのだ。

翌日その店の前を通ったら、ほとんど客はいなかった。不味い「ラードラー」を頼んだお陰で、最初に飲んだ店の味が一番美味しかったことが分かり、その店の料理はいつも美味しく酒も良いものを提供していると感じた。

 アパートでも自宅でも、この「ラードラー」を作ってみることにした。レモネードは有名なメーカーのものを買ってきた。やはりビール:レモネード=41の割合がよいことも分かった。あとは好みの分量にして調整すればよい。

 「ラードラー(自転車を乗る人)」の語源は、ラードとは自転車の意味で、自転車乗りが汗をかいた時にビールを飲みたいがあまり飲むと酔っ払い運転になるので、レモネードで薄めたのが始まりだという。必要は発明の母であった。

 

企業家精神のイラストを描く

 

日本では、私の会社のホームページを山根大和さんの協力により、昨年の6月に立ち上げた。毎月4から5つの記事を掲載しているが、好評のようだ。ポイントは、定期的に更新することらしい。

ドイツで、通訳と一緒に4年前に会社を興した。今年になって、世の中の趨勢に押されてドイツの会社もホームページ開設の必要性も高まってきたので、ホームページを作成することになった。その目玉として、企業家精神の10個のうち毎週2つをドイツ語に翻訳して掲載することになった。

そこで、ただ企業家精神の格言を載せるのでは芸がないので、私の手描きのイラストが載せられないかと通訳から相談があった。いいでしょうと即答した。これはできるとかできないとかを考えるよりも、まずやる!という意思が大切なことは原稿依頼と一緒の考え方である。

しかし、依頼の最初の「度胸」という格言をイラストに置き換えるのは、実際に考えてみると非常に難しいことだと分かった。「度胸」のタイトルだけではなく、中の文章も何度も読み直して、チラシの裏にアイデアをいくつも描いた。悪戦苦闘すること2時間も経っていたが、何とかその他の2つも描き上げることができた。1つができると、2つ目からは割と早く描くことができた。

抽象的な言葉(格言)をいかに一枚のイラストに表現できるかと悩んだが、改善と同じでまずやってみる、今回はまず描いてみることの大切さを改めて感じた。描き始めていくとそれなりのアイデアが眠っていた頭の底から呼び覚まされるように出てくるようになった。

最初は余裕がないので、黒のサインペンだけで描いていた。しかし、ボールペンも黒だけでなく、赤、青、緑の4色であり、マジックインキも同様に4色であった。それならば、この企業家精神のイラストもサインペンの4色を使って作成することにした。4色使うと一気に華やかになった。そこで色の使い方も少し工夫をすることにした。青は矢印や流れを示し、赤は悪い、危険、注意などを表し、緑は、良い、安全、あるべき姿などを表現することにした。