海外こぼれ話 184 (201610月)     

 

組合大会での講演に呼ばれる

 

 今年から訪問するようになった企業から、組合大会の基調講演依頼があった。それは、今やろうとしているトヨタ方式の取り組み内容を、組合員に説明してほしいという内容であった。その工場は全社員が千数百人いるが、三直体制をしていることでもあり、対象者の4分の1の約400名が参加された。この手の講演は、ミュンスター市役所の組合大会以来だ。

 その会場は、その会社のイベントホールのようであり、ベンチのような腰掛の長い椅子が用意されていた。その椅子を取り除けば、ダンスができたり展示会もできるようなホールだ。でも足場の上に板を並べただけの椅子は、シンプルなドイツらしさが感じられた。うーん、ただのケチかもしれない。

正面には数mの幅の大きなスクリーンがあった。よく見ると日本製のプロジェクターがあった。ドイツはどの企業に行っても、ほとんど日本製のプロジェクターが設置してあり、日本製の性能の良さを知ることができる。

 最初に組合長の挨拶があったが、彼女の流ちょうな演説は素晴らしいものだった。内容は理路整然としており、時に熱く語る場面もあり、ちょっとした映画を見ているようだ。30分の演説は、少しもつまることはなく実に組合のトップに相応しい演説だった。彼女はこの工場だけではなく、約2万人の企業の総組合長でもあり、さすがだと思った。 

次の講演者は、この地方の金属関係の組合の委員長の演説もあったが、その人も女性だった。今回市役所の全社員大会以来の講演に、ワクワクして聴かせてもらった。通訳のMさんは、彼女たちの講演を淡々と訳してくれる。

 そのあとには、工場長の現状説明と今後の取り組み紹介、さらには改善事例などが、数十枚のスライドを使いこれまた留まることのない説明であったが、まるで一人芝居を演じておられるようだった。かなりの準備をされたと思う。

 

まるで演劇をしているかのような講演

 

 いよいよ私の出番となった。事前に、発表するスライドを作成して送信しておいた。事前にそれを見ながら言いたいことを、かなり絞り込んで原稿を書き時間調整も行った。今日の参加しているほとんどの人が、トヨタ方式の中身も私自身も知らない人ばかりだ。しかもこの数年間は毎年コンサルタントが変わり、コンサルタントに不信感を持っておられることを事前に聞いていた。

原稿は頭に入っているが、講演は落語と一緒でライブの臨機応援の醍醐味がある。何が飛び出すかは、皆さんの反応を見てセリフも変わっていく。実はセリフが覚えられないというごく単純な理由であり、還暦を過ぎてからのこの傾向がよく感じられるが、トホホである。短い制限時間があるのが問題だったが、その制約もレベルアップのチャンスになる。

20分の短い時間で何を訴えるか、そしてその時間に伝えることができるかよい挑戦になった。最初が肝心であり初めての人にインパクトを与え、これからの改善活動を取り組むために良い導入にしなければならない。

工場長から紹介されて、自己紹介と挨拶をする。まずドイツ語を話せないので、通訳を通して話をすることを皆さんに紹介した。ただし従業員のことは、「ミッタバイター」とドイツ語を使うことを最初に伝えた。

余談ではあるが日本では、作業する者という意味で「作業者」という表現がよく使われるが、仕事をしているはずなのに作業者という言い方に抵抗があり、日本ではいつも「オペレータ」という言い方にしていた。「ミッタバイター」の意味は、仲間という意味もあり、ドイツに来てから十数年使っていることも話した。後で聞いたら、これがとても参加者には受けたらしい。

トヨタの歴史と背景を知ることはとても重要であり、豊田佐吉と大野耐一のエピソードを演劇のようにして説明した。広い会場の一番奥まで行き来をしながら、多くの人たちに話し掛けていくように万遍無く会場を回り演説した。

時には彼らと握手をしたり、直接面と向かって話をしたり、さらにはひざまずくシーンも取り入れながら、身振り手振りを駆使してしかも一方向にならないように話をしていった。終了後に一般従業員の人から、素晴らしい翻訳だと褒めにわざわざ来られた。

生産方式を一通り説明するには、60から90分が必要であるが、このように組合大会など基調講演のような短い時間は、私自身にとっては辛い。ちょっと時間オーバーしたが、皆さんが笑顔で熱心聴いてくれたことは、話をしていてもよく感じることができた。全部で2時間のプログラムであったが、一人も居眠りすることなく熱心な大会になったと思う。

翌日社長から、「昨日は、とてもみなさんが理解できる講演だったととても嬉しく思う」という内容のメールが入ってきた。電車で移動中であったが、ノートにさっさと私の自画像を筆ペンで描いた。そのお礼のイラストを携帯で撮影しすぐに返信をしておいた。これから数年間毎月訪問することになりそうだ。

 

妨害をしていた人がクビに

 

南ドイツの某会社で、今年になってから突然事業部長になったA氏が、私たちのコンサルの邪魔をするようになった。A氏は昨年までは外部コンサルタントとして訪問して、一緒の改善活動を行っていた。以前の改善コーディネーターとは違い、話が分かり融通の利く穏やかな人だった。とても信頼のできる人だと思っていたが、どうも私の人を見る目がなかったようだ。

今年初めに急に、この会社の社員になったとたんに彼は態度を豹変させた。どうも私たちを追い出そうと企んでいるようだった。そのやり方は、下劣なものだった。約束を突然キャンセルしたり、わざと嘘の情報を流したりして、私たちを混乱させるものだった。

社長に会って本当のことを話そうとしたが、A氏も同席して邪魔をかけ妨害に終始した。このため翌月の訪問時に完全にA氏をシャットアウトして、社長とナンバー2Fさんと直接話をする機会を作るようにした。練りに練った資料を、事前に送付しておいたのも相当効いたようだ。私たちの優位性の説得ができて、今以上に徹底して改善に取り組む約束を取り付けることができた。A氏の本当の姿が、トップにも見えるようになったらしい。

これからの進め方の詳細を詰めるために、先日Fさんと打ち合わせをした。そうすると、A氏の手下であったS氏をクビにしたと報告があった。「それならもう一人の人もついでにクビにしたら、もっとよく改善が進みますよ」と進言しておいた。

ドイツをはじめ欧米では、このようにヘッドハンティングですぐに会社の要職に就くことが当たり前になっている。良い人もいるが当然悪い人もいる。その見極めは、本当に難しくヘッドハンティング会社の調査能力に大きく影響する。このような人事は久しぶりのことだった。願っていたことがすんなりと叶ったので、その日の酒は本当に美味しかった。

 

2年ぶりの企業訪問

 

10年来の友人Gさんが、南ドイツの某企業の社長になって3年が経った。推薦文を書いてあげたのが功を奏したようだ。ヘッドハンティングの他にコンサルタントなどからの推薦文は、人物の良い判断基準になるという。特にトヨタ方式の経験者は優遇される。2年前にも訪問したが、デュッセルドルフでこの企業もメッセに展示するので、ぜひ来てほしいと連絡があった。

その頃は多忙なので、残念だが参加できないと連絡した。すると工場を拡張したこともあり、その新製品も紹介したいので会社に来てほしいと返事が来た。訪問する企業から2時間のところなので、時間調整をして訪問することにした。

この企業はドイツでもマーケティングがとても上手く、ここの機械は性能も良く世界一のシェアを持っている。工場を拡張して工場内の変化を紹介してくれて、製造部長と一緒に工場を見学させてもらった。工場が拡張されたおかげで手狭だったのが、広く明るく感じられるようになった。

この2年間における改善個所も紹介してもらった。最近ドイツで流行りのショップフロアマネジメントも、製造現場の各場所で実施されていた。これは目で見る管理の管理板を並べたものだが、よく見るとまだ改善の余地が多分にあることが見える。でもそれを指摘すると製造部長はすねてしまいそうだったので、あえてやめておいた。

ちょうど女性がピッキング作業中だったので、1つのオーダーを実際にやってみてもらった。彼らは気づかないが、多くの問題点が発見できた。1つの作業をしてみることでも、改善のレベルがわかってしまう。Gさんの社長業をしては大成功のようだが、少し改善の意欲が失われているように感じとられたので問題の指摘はやめておいた。後のディナーが不味くなるからだ。

 

車の話に花が咲いた

 

でも再会して話を聞くのは、多くの情報交換のチャンスにもなる。Gさんは元々ベルリンの人であり、毎週ベルリンから通勤している。彼の趣味にオールドタイマ(30年以上の前の車のことをいう)がある。以前からアルファロメオを持っているとは知っていた。

今回初めて、1962年製とさらに1966年製のいずれもオープンカーを持っていることを知った。さらに義父から譲り受けた古いベンツもあるという。先日天気が良いので、家族で郊外のレストランに行こうとしたら、3台ともバッテリィーが上がっていたという。車の管理ができとらんなあ、レッドカードだ。

この会社の駐車場に古いベンツが止まっていたので、写真を撮らせてもらった。ドイツ人にしては、珍しくあまりメンテをしていなかったのは残念だ。これをフェイスブック(古い車の好きな仲間)で紹介したら、すぐに反応があった。40年前に、このベンツを高校の体育の先生が持っていたと連絡があった。

この会社のオーナーの一人はまだ健在で、90歳近くなっても毎日会社に来ているという。オーナーの自宅は工場の敷地内にあり、(直線距離で100mらしい)それもベンツの特別改造車に乗ってくるという。実際には50m走って?停めてしまうが、それでも車通勤をしている。ステータスを味わっているようだ。

この訪問の行き来の間は、シトロエンの宇宙船といわれる高級車(1955から1975年製)、ジャガーのオープンカーなど30年以上前の車がアウトバーンを走っている姿を見ると、本当でドイツ人はオールドタイマが好きだなあと思う。

そして天気の良い日は、思い思いの車でしかもオープンにして走る楽しみを持っている。金持ちだけの趣味ではなく、一般の社員もオールドタイマを持っている人はたくさんいる。その整備は熱心だが、会社の機械や設備にはあまり興味がないのが残念だ。

ドイツに通うようになって、ますます日本の古い車がほしくなり、いすゞの117クーペを3年前に入手した。1981年製なので35年目になる。代替えの部品がなく苦労しているが、後期高齢車である渋味は出ていると思う。Gさんは、早速インターネットで検索し車を調べて、デザインが良いと褒めてくれた。

 

ホテルは300年以上の歴史があった

 

工場見学が終わり、招待のディナーをご馳走になる。レストランは、工場から数百m先のあるホテル兼レストランだ。最初は、この前から飲んでいる飲み物「ラードラー」で乾杯する。前回に紹介したビールをレモネードで41の割で割ったもので、暑い時は爽快な飲み物になる。

ウエイトレスは、南ドイツ地方の伝統的な衣装で年中給仕をしてくれる。伝統的なところは良い点もあるが、悪い点もある。それは工場内でも同じで、新しいやり方を特に年長者は頑として受け付けないことだ。Gさんも悩んでいるようだったので、ヒントは出しておいた。

さらに話に花が咲き、話題ともに地元ドイツの赤ワインがどんどん胃袋に吸収される。南ドイツの郷土料理を頼んだが、いくつかのメニューに大と小の選択ができるものがあった。前菜とメインさらにデザートのチーズを考えていたので、メインは小を頼んだ。でも出てきたのは、これが小?と思うくらいの量だ。でも味付けはとても美味しく完食した。

テラスで食事をしていたが、暗くなってきた。ろうそくでようやく料理が見える。最後にデザートのチーズの盛り合わせが出ていた。早速ナイフを入れて口に運んだら、なんとパンにつけるバターだった。不味い!まるで闇鍋だ。でもほかのチーズでお腹一杯になり、すぐにベッドに入った。

このホテル兼レストランは、創業が300年以上も前の伝統的なホテルのようだ。「鹿」という名前のホテルであり、いたるところに鹿の頭蓋骨と角のはく製が飾りになっていた。この町は黒い森のなかにあり、昔はドイツ人がバカンスで訪れる町だった。この時はドイツ人の老人クラブの人が、バスツアーで20人ほど泊まっていた。部屋は、最新式のシャワーや洗面場に改造されていた。

しかし飛行機が安くなり、すたれてしまったという。今現在ドイツ人は、イタリア、スペイン、ポルトガルなどの太陽がいっぱいの地方に出掛けることが多い。スペインのマヨルカ島は、第二のドイツというほど多くのドイツ人が好きな観光地だ。しかも1週間から3週間も泊まるので、膨大なお金が落ちることになる。しかもその数は、年間400万人近くも訪れている。

 

 

難しいゴミ捨て

 

ドイツ人でも悩むのが、ゴミ捨だという。州によっても分別の違いがあり、一見規律ありそうだが実は難しくて適当になっているのがこのゴミ捨てである。ドイツ人といっても最近は、難民やEU各国から移住することが自由になったので、規律を守らない人がどんどん増えていている。

私のアパートにも、ゴミの分別の注意書きが最近貼り出されたくらいだ。でもドイツ語なので、ドイツ語が分からない私のような人も何人もいるにもかかわらずだ。私は写真を撮って、通訳に訳してもらうのでまだよい方だ。

デュッセルドルフの日本クラブに入会した時に、名簿だけではなく、交通標識の説明、さらにゴミの分別方法も記載されている本をもらった。キッチンにはそれを貼って分別しているが、記載されていない品目もある。最近プリンターが壊れ、新しいプリンターを通訳から譲り受けた。

壊れたプリンターをどうするか?捨てることになるが、その本には記載されていない。日本クラブに行って訊ねてみても、すっきりした回答を得ることができなかった。電気屋は、ここから1kmも先にあるが、抱えて持っていくには勇気と腕力が必要だ。邪魔になるが、この2ヶ月間も部屋に放置していた。

今回訪独した時に、アパートの前にあるお店が潰れたので、その改装のために廃棄物が、山のように道端に出されていたのを偶然に発見した。それは日曜日の夕方だった。月曜日の朝早くに壊れたプリンターをそこに置いておけば、衛生局が廃棄してくるものと胸高く期待した。

翌朝早起きしてというより、期待が高いと早起きは自然現象になる。5時には目覚ましがなくても、しっかり覚めた。7時からスーパーが開くので、買い物ついでにプリンターと不要になった蛍光スタンドもゴミの横に710分に置いて、すたすたとその場を逃げるようにスーパーに向かった。

買い物をして8時にその場を確認すると、捨てたはずのプリンターと蛍光スタンドがなくなっていた。朝早いのでその時に人影を見たのは、階下の店のテーブルに老婆が一人煙草を吸っていただけだった。

わずか50分の間に壊れたプリンターと蛍光スタンドを、持って行ってくれた心優しい人がいたのだ。そういえば、スーパーに行く時に4つの通りを歩いたが、このような廃棄物がそれぞれの通りの木のそばに積み上げられていた。

中にはトランクの中を物色して、要るものだけ取ってというより盗んでという表現が合う状態の場所もあった。なぜなら引っ張り出したものをそこらに投げ捨てているのだ。このような心ない人たちがいるから街が汚くなるのだ。誰か知らないが、壊れたプリンターをどう活用するのかと心配になってしまう。