第95回
米国大統領選挙 ヒラリー対トランプ
11月8日の大統領選挙が近づいてきた。第1回目の大統領候補者によるTV討論会が9月末に行われ、現在は10月初めで、第2回目のTV討論会を10月9日に控えている所。第1回目の討論会はヒラリー・クリントンの圧勝との評価が多勢を占める。
そもそもヒラリーはもう長年政治の世界に生きているプロ中のプロ。弁護士出身で弁が立ち、政治経験の豊かさ、周到な準備を怠らない優等生。それに対してトランプは不動産王ではあるが、政治はしろうと。TV討論会でトランプは予備選の時ほどの暴言はしなかったが、司会者やヒラリーが話している最中に割り込んで畳みかけたりする場面が多く、大統領候補者の討論会としては品格のなさが目立った。
トランプは、予備選では現行の政治エスタブリッシュメントに不満を抱く、主として低階層の白人たちにうけるように数々の暴言を吐いて、それがトランプ旋風に膨らんで、とうとう共和党代表の大統領候補者となってしまった。それは本人も当初は予想していなかったに違いない。生きている間に大統領選挙に一度は出てみたい、それでビジネスにプラスになればそれでいい、どうせ予備選で負けるからその程度の選挙費用は自前で出せる、その程度のつもりだったのだろうと推測する。
トランプは本選に入ってからは選挙資金は自前では全く足りなくなってしまった。予備選の頃は、自分はどこからもお金を受けていない、特定の団体からの影響を受けることはないということを売りにしていたが、さすがにそうもいかなくなって共和党関係から資金を受けている。しかしヒラリーに比べると資金力の差が大きい。ヒラリーは特定団体からの大口の寄付もあるだろうが、個人からの寄付も大きい。そもそも大統領選挙という極めて大がかりな選挙に莫大な自己資金を使って行う方が異例なことで尋常ではない。個人からの寄付金をたくさん集めるのが本筋。個人から寄付が集まるということはそれだけ支持されているということだ。
第1回の討論会ではトランプは相変わらず、外国へ行ってしまった製造業を取り戻して強い米国を再構築するのだと抽象的な理想論をならべるばかりで、ではどうやってするのかの具体策は示さない。過去の政治に文句をいうばかりで、前を向いてない感じだった。トランプに散々なことを言われても、ヒラリーは笑顔で一つ一つ反論して余裕があった。まるで優等生とガキ大将のような雰囲気。
討論の内容や受け答えを見る限り、明らかにヒラリーが勝っていた。しかし驚くべきことに、私と一緒にテレビを見ていた、ヒラリー嫌いの夫(白人の米国人)が「今日の討論会は5分5分だ。」と言い放った。「え?まさか!あれはどう見てもヒラリーの圧勝でしょう。どこをどう見たら五分五分になるわけ?」と私は猛烈に反論した。ヒラリー嫌いの人にはそんなふうに見えるのかととても驚いた。わが夫ながら失望度が高かった。私の機嫌は翌朝まで戻らなかった。
夫はとても正直で誠実でとてもできた人格者だ。女性差別的なことは基本的にすることはない。毎日夕食を私に作ってくれるほどだ。しかしヒラリーのような古いタイプのフェミニスト(男のように考え男のようにふるまうタイプ)はどうも心の奥底で受け入れがたいものがあるらしい。
夫にヒラリーのどこが嫌いなのかと以前聞いたことがあるが、「Eメール事件で嘘を言った。」「ビル・クリントン時代に彼女が健康保険改革をやろうとして失敗した。」それくらいしかすぐには出てこないのだ。夫は自分では決して認めないが、結局は彼女の個性が嫌いなのだ。「どうもいけすかない」というのが多くのヒラリー嫌いの実際のところなのだ。政策うんぬんの問題ではないので、そういうのはどうしようもない。
マスコミがヒラリーもトランプもどちらも嫌われていると記事を書いたりしているのを見かけるが、それは浅い分析と思う。ヒラリーに抵抗があるのは、私の夫のような男性、主に高齢女性で伝統的男女役割を果たしてきた自分の生き方を否定されたように感じる人、比較的若い女性で米国で生まれた時からすでに男女平等社会がかなり出来上がっていて、ヒラリーがいかにいばらの道をかき分けてきたか全く理解してない人などだ。
ヒラリーにはコアなファンも多い。私もその一人だ。私が初めてヒラリーをテレビで見たのは92年のビル・クリントンの大統領選挙運動中、ある都市でファーストレディー候補がスピーチをするという場面。数分聞いただけで度肝を抜かれた。今までとは全く違うタイプのファーストレディ候補だった。有能な弁護士だけあって、迫力のある堂々たる演説。彼女自身が大統領候補でもおかしくないほど目を見張るものがあった。
そもそもビルもヒラリーも米国でトップスクールであるイェール大学の法科大学院の出身。大学院時代に出会い、同じような教育を受けてきたわけで、二人とも優等生だった。もしもヒラリーが男でビルが女だったらヒラリーが先に大統領になっていたかもしれないと思う。
ビル・クリントンは当時、”Two for one”(商品広告の言葉で、一つ買えばもう一つ無料でもらえる)と言って、自分が当選すればヒラリーも無料でついてくる(すなわち2馬力だ)と選挙民にアピールしていた。ヒラリーはそれくらい有権者にインパクトのある人物だった。
しかし92年当時、私のようにヒラリーをとても好意的に感じる人がいる一方で、伝統的なタイプの有権者の間では、”Two for one” だなんて生意気でいやな感じと否定的にとらえる人もいて、ヒラリーは当初から好かれ嫌われが激しいタイプだった。それは現在でも同じで彼女はあいかわらず好かれ嫌われが激しいままだ。
トランプの場合は「何がなんでもトランプが大統領になるのだけは避けなければならない」という嫌われ方で、ヒラリーの場合は嫌いと言っても「なんとなくいけすかない」という程度のことなのだ。どう考えても大統領選について米国内の空気はヒラリーだ。
しかし、米国のマスコミにとっては4年に一度の大統領選は大きな広告収入がかかるビッグビジネスなので、視聴率を取るためにマスコミは接戦をあおる。「どう考えてもヒラリーで決まりでしょう」なんてことは決して言わない。民主党の予備選の時もそうだった。社会主義を前面に押し出すサンダースが資本主義の権化である米国社会で本気で受け入れられるはずなどないし、ヒラリーより選挙人獲得数が上回ることなど一度もなかったのに、「最後の最後までどうなるかわからない、サンダースが追い上げている」などと劣勢の方を盛る報道をし続けた。結果はヒラリーの圧勝だった。4年前のオバマ再選の大統領選挙の時もそうだった。私は米国の空気はオバマだと感じていた。マスコミはオバマとロムニーは接戦だとあおった。しかしふたを開けたらオバマの圧勝だった。
米国のマスコミが出してくる世論調査は統計学的に正しい方法ではなされていないことが多い。ネットを使って極めてインスタントなやり方で調査したものを出すだけだったりする。母集団の取り方、サンプリングの仕方、質問の仕方などに大いに問題がある。接戦をあおるのに自分たちに都合のよい調査結果を使っているように見える。社会調査は、定評のある社会調査会社が統計学的に正しい方法で行ったものでないと信用できない。大統領選挙に関しては、日本のマスコミは米国のマスコミの記事を横流しするだけなので、そのままをうのみにせず、自分の頭で良く分析して考えた方が良いと思う。