海外こぼれ話 186 (201612月)     

 

イスラエル料理に初挑戦

 Kさんをはじめとする女子会で、初めて行ったデュッセルドルフ市内のイスラエル料理が美味しかったということで、今度一緒に行きましょうとお誘いがあった。しかもその日は、女性が4人も参加するということで即了解をした。彼女らが住んでいるデュッセルドルフ市内のNord(北という意味)通りは、イタリアやスペイン料理のお店が市内でも特に集中している場所だ。

 1か月前にそのイスラエル料理店を発見し、ぜひ松田を誘おうとなったという。彼女らは、おそらくこの料理をヒントに松田亭の新しいメニューに加えてほしいような気もした。デュッセルドルフは60万人の街であり、商業都市ということもあって欧州だけでなくアジアからの人も多く住んでいる。ちなみにイスラエルのヘブライ語で知っているのは、乾杯の「レハイム(人生のため)」だけだ。

最近のニュースで中国人が増えて、日本人よりも多くなったという。そういえばアパートの周辺は、多くの人通りがあるが日本人よりも韓国人や中国人が増えた気がする。ドイツのコンビニが潰れたと思ったら、そのあとには韓国や中国の店に替わっている。この数年で、10軒近く替わっていた。

待ち合わせをして、車に乗せてもらった。三々五々皆さんが集まって来た。まだ、開店早々なので、数組の客しかいなかった。オバちゃんが注文を取りに来たが、顔つきはやはりドイツ人と違い彫りが深く鼻が高い。

Kさんたちは前回来ているので、メニューの内容を知っていたので、パッパッと決めていく。想像していたよりも量が多いので、調整作業をして残さないように注文できたようだ。

料理よりイケメン?

ワインも美味しいということで、ワインカルテを見るといずれも1本が30ユーロ前後だ。いつもスーパーで買う白ワインは、3ユーロか5ユーロなのに数倍以上の値段になっている。普通市価の3倍がワインの相場であるが、はるかに高い。お勧めは、イスラエルのワインだというので、味見しないとわからないと返事をすると、グラスに入れて持ってきた。香りは良いが、味にパンチというか切れがなかった。折角だが、ドイツワインにしてもらった。

料理が一気に登場してきた。見た目にも豪華であり、匂いが鼻と胃袋を刺激する。Sさんが、手際よく捌いて小分けして食べやすくしてくれる。さすがレストランを開きたいというくらいなので、パパッと腕前を披露してくれる。

するとイケメンのお兄さんがワインを持って、にこやかに登場してきた。彼女らは、料理よりもとてもフレンドリーなお兄さんが目的だったようだ。でもそんなことは口にしない。イスラエル料理は、ユダヤ人が世界中から多彩な料理を持ち込みいろいろと工夫を重ねてきた料理だ。イスラム教ではないので肉も出てくる。またトルコに近いので、その影響も受けているようだ。見慣れない食材はひよこ豆で、ペーストにしてディップにし、ミートボールのようなファラフェルが有名だ。ついでに魚料理も頼んだが、すべて平らげてしまった。話が弾むとお腹も一生懸命に運動するようで完食となった。

アパートまでの帰りは、初めて地下鉄を使うことにした。KさんとSさんに場所と乗り方、切符の買い方まで教えてもらい、「3つ目のOst(東という意味)通りで降りなさい」と細かい指示があり、最後には手を振っての見送りだった。14年もデュッセルドルフに住んでいるが、初めて一人で地下鉄に乗った。これからは、もっと地下鉄が使えそうだ。ちなみに1.6ユーロ(約200円)。

新聞がある日本クラブ

日本クラブは、アパートのある通りの、隣通りの角にある。いつも警察官が入口付近に2人いるので、何をしているのだろうと思っていた。昼には必ず若い女性の警察官がいて、夕方には男性2人になる。聞いてみたら、このビルには、英国の大使館があるので、それを監視しているという。

さらに観察してみていると、女性のほとんどが金髪だった。これは欧米人が好きな髪の色のようで、男性も若い女性と組むと時間の経つのも早いという上司のささやかな思いやりなのだろう。

この日本クラブには、週刊誌や新聞があり、年間会費108ユーロでいつでも読むこともでき、テレビも設置してあり、ニュースや大相撲、さらにはプロ野球が時々観戦できる。広島カープが優勝を決めた時は、少し時差はあったがここで観戦できた。新聞は、日経と朝日がある。特に日経を買って読んだら、1ヶ月分で年間会費の元が取れてしまうほど印刷物は高い。

デュッセルドルフのアパートにもたくさんの本を持ってきており、時々5冊単位でこの日本クラブに寄付をしている。最近、日本クラブの図書館の本が安売りされるようになった。ジャンルを問わず5冊単位で購入するが、いつもどの本も1冊50セント(約60円)だ。

テレビがない分、時間が作れるので本は読める。1ヶ月の目標は10冊だが、毎月達成している。飛行機や列車の移動中の時間は、電話がなくミニ書斎だと思ってこの時間を大いに活用している。

禁断のバーガー屋

レンタカーの移動は、運転手が眠らないようにと話もすることもあり、本は読めない。車の移動は、目が本当に疲れる。最近、見習いのBさんがコンサルの実習体験で、一緒に同行してくれる。Bさんは運転が好きなようであり、通のMさんに替わって運転してくれる。

今回はBさんの運転で、アパートから2時間の距離にあるB市に向かう。いつものホテルは、メッセで一杯になってしまい、郊外のホテルしか空いていなかった。そのホテルは食事ができないホテルなので、途中晩御飯を食べていくことなった。しかしカーナビの指示は、レストランのない道を選んだようだ。

途中仕方なくバーガーKのドライブインに入ることになった。普通はバーガーだけでなく、ちょっとした料理も出てくるがたまたまバーガーしかない店だった。バーガーではなく、玉ネギリングのフリッターとサラダにした。この店の良いところは、注文したらすぐに出てくることだ。そう3分で完了。

サラダは、冷蔵庫ではなく冷凍庫に入っていたかのように冷たく歯にしみる。フリッターは、玉ネギの触感が全くない。これは食事ではなく餌か?なんだ!この不味さは!空腹で、寝れないよりましだと思い、水で胃袋に流し込むが苦行のようだ。周りを見ると紙屑の山がいくつもあった。ファーストフードの象徴的風景といえるこの残骸は、米国式のムダにしか見えない。

ホテルに着いたら、玄関が開いていない。ベルを何度も鳴らすと、隣の家から相撲取りの親方が出てきた。すぐに不機嫌だと顔に出しているのが分かる。到着したのは20時であり、予約表の18時半と随分と遅刻したので怒っているのだ。口を尖らせて嫌味を言いながら渋々カギをくれた。客商売しているのに、まあこの態度だ。

後で聞くと、時間に来なかったから、割引きができなく通常の料金になったという。部屋は広かったが、道路の前なので車の音でなかなか眠れなかった。このホテルは二度と泊まらないことにした。

反発した組合長が

笑顔になった

このホテルの良い点は、工場まで5kmと近いことだ。ただそれだけだ。工場に着いたら組合長が玄関まで挨拶にしてくれた。ありえないことだ。普通組合長は重役出勤であるが、我々の活動に相当興味ありそうだ。8時から最初のセミナーを行う。皆さんは、もう時間通りに集合することができるようになった。90分のセミナーを行ったら、トヨタ方式の思想とその実践の話をした。後半戦になってその組合長から質問の挙手があった。

「そんなのは、綺麗ごとであって実際にはできっこない!」と怒った顔で文句を言ってきた。実際にやっている会社もあり、嘘ではないとなだめる。この工場は、7年もコンサルタントに騙されてきたので無理もない発言だろう。そこでいったん受け止めてなだめるが、直接文章で訴えたいから松田のアドレスを教えてほしいときた。でも松田はドイツ語が分からないので、通訳に手紙を書いてと切り返した。最後まで怒りは収まることなく、セミナーが終了後にも文句を言ってきた。その時は一切反論をしないことが大事で、まず相手の言い分を丁寧に聴くことだけだ。

翌日のセミナーには、10数人の組合幹部が欠席していた。昨日のセミナーの反発かと思ったが、まあそれはそれでよいと思い、いつものように次の講義を進めていった。セミナー以外は、順調に進行している。

前回の宿題のフォローも計画通りチェックをしながら、ヒアリングとアドバイスを入れていく。それはモチベーションアップを狙っており、最後まで徹底して完了させて自信を持ってもらうためだ。

3日目にも朝7時半に工場の玄関に入ると、待ち構えていたように組合長が玄関にやってきた。今朝は笑顔だ。なんと昨日は、組合幹部がトレーラー会社に訪問してきて、松田が15年間この会社でやってきたことを確認してきたという。そして本当に感動したという。松田の言ったことは、間違いないと言い出した。

2日前の疑いの眼とは、全く違う眼であり表情だ。事実が自分の眼で確認できたことは、これほど違うのかと思うほどだ。「百聞は一見に如しかず」は、まさに当たっている。長年誠心誠意で取り組んできたことが、いろいろな場面で功を奏してくるようになった。努力は積み重ねるしかない。

社長もこの工場に事前に訪問しており、今年2月に組合側にも強く勧めたが、彼らは反発してようやく今回の訪問になり、この期間がもったいなかったと悔んでいた。それもタイミングのなせるものであり、どうしようもないことで、これを機会に取り組んでいきましょうと慰めてあげた。

今回のワークショップは、非常に良い結果が得られた。社長も工場長も大満足であった。現場でのプレゼンの最後に、社長から「皆さんのやる気がほんとにあることが分かりました。これから継続して毎月やります」と宣言された。

バカンスの計画が最優先

早速改善コーディネーターと来年の日程を立てることにした。彼らは、9月になると翌年のバカンス日程を計画して調整に入る。彼の日程に合わせて、私の訪独の日程と摺り合わせする。私は8月の夏休み中に、来年度の日程計画をすでに完了していた。そのために、手帳に線をなぞるだけで良い。

すぐに来年の計画ができ上った。でも9月に翌年度のバカンスを計画するとは、日本では全く考えられないことだ。全員がこのように決めるので、きちんと休みを取るからこそ生産性が日本の1.5倍になっている所以の1つだろう。工場内には、各職場の年間バカンス取得計画が貼ってあり、その通りに取得している。休みを確実に取ることで、家族サービスができる。そして普段は、仕事に集中するというメリハリがどの会社でもあるのが欧州の特徴だ。日本もその点を見習えば、家庭内暴力など多くの問題も少なくできるかと思ってしまう。

今までの経験を振り返ってみると、大手企業は最後に取得するのが上司のようであり、中小のオーナー会社は逆にオーナー家庭の関係者が先に取ってしまい、後から従業員が取得するようだ。特権といわれればそうだが、社員からはいつも不満の声が聞こえてくる。

欧州の人は、このように他国の言語をマスターしていることが普通になっている。それにしても、仕事よりもバカンス優先が本当に定着していることを再開確認できた。働き過ぎは、日本人のモットーともキャッチフレーズともいわれるが、はやり強制的にでも休暇を取って心の余裕を持つことが大切だと思った。

トレーラー会社からの

ディナー

もう15年通っているトレーラー会社は、現在フル生産になっているという。しかしいつも経済の波を見ると、8年サイクルで景気の波が上下している。2000から翌年にかけて、2008年から翌年のリーマンショック、そして2016年である。現在は非常に良い景気であるが、その反動はいつも現れる。そのために、今から心の準備をしておきましょうと釘をさしておく。

現在進めているプロジェクトがとても良い結果を出しているということで、工場長からディナーのお誘いがあり、「喜んで!」とその招待を受けた。宿泊しているホテルのレストランは、近所でも評判の店でオランダからも食べにやってくる人が多い。そのためにウエイターらが、すぐに英語で話していることで分かる。

話は飛ぶが、スイスのレンタカー屋の受付嬢は、ドイツ語、フランス語、英語に加えスペイン語まで話せますと、ネームにそれぞれの国旗で分かるようになっていた。

工場長をはじめ2人の製造部長(最近人事異動があり、2人の部長が誕生)、改善コーディネーターの2人の参加であった。レストランの特別室が用意され、窓から庭の景色がまるでマネの絵画のように見える。

通訳は正確な翻訳ができるように、ノンアルコールだ。こりゃ本気モードだと感じる。でも私は、気分よくやりたいのでアルコール入りのラードラーにした。このラードラーで話題がスタートし弾んでいく。以外な話題を提供することも商談を上手く運ぶコツの1つである。

世間話から始まって、いよいよ核心の来年の日程を確約するアプローチに入ってく。でもいくら長い付き合いでも、焦りは禁物である。工場長はあくまでも雇われ経営者であり、権限を持ったオーナーではない。しかし伝えることはしっかり伝えておくことが、来年の日程確保になる。

3時間に及ぶ会話は、最後までフレンドリーであった。昨年は、オランダの食べ放題のお店にご招待であった。今回は限られたメンバーであったがゆえに、中身の濃い会談になった。あまり突っ込むと逆に敬遠されるので、その駆け引きは飲んでいてもシビアに神経を尖らせている。

最終的には、来年も良い結果が得られるという状況に収まった。飲むけど酔えないというのは、呑み助にとっては塩漬けにされているようで苦しい。でも結果オーライだったので、気分よくビールもワインもシュナップス(最後に出てくる焼酎)も飲み干せた。毎晩このようでありたい。

社長がクビ?

突然のニュースが飛び込んできた。某訪問先のファイナンスや間接部門系の社長が、オーナーよりクビを言い渡されたという。詳細は不明だが、情勢は不安定だ。この訪問先は3年前から訪問しているが、社長がこの間に4人も変わっている。工場長を含めると、5人目だ。ドイツでは非常に有名なメーカーであるが、内情は外からわからないものだ。でもそれも私にとっては、チャンスそのものである。不安定がゆえに安定を求めるが、その先導はコンサルの仕事でもある。

もう一人の社長は、最近私のセミナーやその思想に傾倒してきて、同感しつつある。ドイツの諺に、「コックが複数いると料理は不味くなる」というのがあり、それは日本の「船頭多くして船山に登る」と全く同じものだ。言い方は少し違うが、内容はどこでも同じという良い事例だ。

この3年間で、見違えるように生産現場が変わってきたのは事実だ。やればできるという点では、非常に満足できる。でも間接部門は相変わらず手痛いどころか、後戻し状態だ。会計のソフトを導入すると準備を始めたが、十分な仕掛や在庫改善をしていないままの見切り発車だった。

時期尚早と判断して阻止をしようとしたが、案の定、大混乱をしてしまった。まだまだ自分はできると思っている儚さは、余程のことがない限り自分の眼で見えないものだ。ちょっとコストは掛かるが、第三者の眼というコンサルタントを雇った方が良いと思う。安物買いの銭失いにならないかは、海外でも当てはまってしまう。「苦い薬は良く効く」というのも、日本とドイツの同じ諺だった。