今月の執筆者

幸本一章

「名付けについて考える」

合唱団「こさじ」である。この名称には正直違和感があった。どんな合唱団かという想像がつかないのである。

大体に合唱団のネーミングなどは原則のようなものがあって、(あくまでも私見である、綿密な調査などおこなっていない)クラシックなのは頭に地域や所在地等を冠し、次にメンバー構成にふれて(混声だの女声だの、あるいは市民だの)、最後にニックネーム的な名称をいれる。ヴァリエーションはあるにせよ、この類が多い。

クラシックだから、当然伝統ある合唱団ばかりである。倉吉女声合唱団とか混声合唱団「みお」とか鳥取大学混声合唱団フィルコールなどはその典型であろう。

人でいうと、出身や姓名などその素性を高らかに名のっている感じである。(念のため再度いうが全くの私見である)「やあやあ、我こそは…の末裔某…いざ尋常に勝負…」といったイメージで、その姿勢はあくまでもいさぎよい。

これに対し、近年このような氏素性をあきらかにせぬ合唱団が増えてきた。コンクールで中国大会などに出ると、合唱団「ある」だの「こぶ」だの「ぽっきり」などという団体が常連で、これなど合唱をしていることはわかっても、いったいどこの県で、この名前は何を現しているのかさっぱりわからぬ。まあわからぬといって迷惑がかかるでもなし、当事者の自由であるから意見する筋合いもないが。

「こさじ」にしても、はっきりとした地域性も性格もその名称からは読みとれない。おそらくこれが違和感を抱いた理由であった。

最初は地名かと思った。鳥取市に佐治(さじ)という地名があり、その連想からであったが、全く異なっていた。

本来は「みかけは小さいけれど、私たちの歌声を届けることでたくさんのものをすくいたい」という趣旨なのだという。すると漢字で書けば「小匙」で、英語風には「ティースプーン」といったところか。

練習場所は北栄町公民館であり、中部を本拠地としている。メンバーは中部在住を中心に八頭や鳥取、米子などからきている者も結構いるし、音楽監督の石橋先生は出雲在住である。

男・女、声のバランスも良。私が加入したときは女声6人男声4人と記憶しており、多少人数が増えた現在でも女声11人男声8人とほぼ同様の構成だが、意図した結果ではない。年代的には20代から60代までおり、偏りもない。

運営は中堅・若手世代のリーディング・マネージングが強力である。やる気に満ちている。ここが「こさじ」の大きな特徴だし、若いイメージを形作っている。

やる曲は不協和音や変拍子の連発みたいな、いかにも合唱曲的なイメージが強いだろうが、ハーモニー重視の曲も好きである。時には唱歌やポップス・歌謡曲みたいなのも。

こう見てくると氏素性は明らかにしょうがないかもしれぬ。そもそもそんなものはないも同然なのであった。これから作られるのだろう。10年を経過してやっとそのキャラクターができあがりつつあるというか。

石橋先生は、練習指導の最中によく、名前は「こさじ」でも実力は「おおさじ」にならんでどうするかとおっしゃる。ごもっともなことである。人と力を伴った、大きな「こさじ」になりたいものだ。

いでよ、同志。