モリカミ・ミュージアム

〜南フロリダに大きな日本庭園〜

 

現在私が住んでいるのはデルレイ・ビーチという町で、マイアミから北に80キロくらいの所にある。フロリダ州は地理的にメキシコや中南米に近いのでヒスパニック系の移民が多く、アジア系は少ない。米国でどこにでもいると言われる中国系移民や韓国系移民もこのあたりは少なくて、ましてや日本人はとてもめずらしい。ニューヨークにはアジア人はたくさんいたので、日本人が一人くらいいても目立つことはなかったが、この町では目立ってしまう感じだ。

 

そんな雰囲気のデルレイ・ビーチの町なのだが、実は日本とは深い関係がある。なんとここにはモリカミ・ミュージアム(Morikami Museum & Japanese Gardens) と呼ばれる立派な大きな日本庭園があり、そしてヤマト・ロードと名付けられた大通りもあるのだ。モリカミ・ミュージアムは南フロリダの観光名所の一つになっている。

 

歴史をひもとけば、宮津出身で21歳のときに米国に渡り、ニューヨーク大学卒、29歳の酒井襄氏が1904年にこの地に日本人の農園コロニーを創ったのが始まりだ。彼は日本からこの農園で働く希望者を募り、徐々に発展させ最盛期には百人超の日本人農民がパイナップルなどの栽培などを行っていた。しかし酒井氏は49歳のときに肺結核で死去。森上助次(ジョージ・モリカミ)は1906年にヤマト・コロニーに入植した人物だ。

 

ヤマト・コロニーは第2次世界大戦の時に解体され、多くの日本人は日本に帰国したが、森上氏は南フロリダに残り事業を成功させた。森上氏は1976年に89歳で死去。相続人がおらず、多くの土地を地元に寄贈し、フロリダ州とパームビーチ郡が現在のモリカミ・ミュージアムの基礎になる部分を1977年に開設した。

 

モリカミ・ミュージアムの敷地は総面積約76万平方メートル。日本庭園部分は約6.5ヘクタール。ミュージアムにはアートギャラリー、茶室、図書室、日本食が食べられるカフェ・レストラン、日本の小物などが多種売られているミュージアム・ショップがある。季節によって、お正月や、灯篭流しがあり、4月には初芽フェア(和太鼓や茶の湯など日本文化を紹介するイベント)が催される。

 

ヤマト館と呼ばれる建物がミュージアムとは別に日本庭園の中の小島にあって、敷地に一歩入ると盆栽の展示が広がり、大きな池には高そうな立派な鯉がたくさん泳いでいる。ヤマト館の中はヤマト・コロニーの歴史を紹介する展示コーナーと、現代の日本の生活を紹介する部屋がいくつかある。日本の一般的な住宅の作りを再現して、畳の部屋には押入れがあり、ふとんを畳んでおいておく様子や、日本のダイニング・キッチンをそのまま再現した部屋や、シャワートイレや日本式のお風呂も展示されている。日本のJR列車内や学校の教室の様子を再現した部屋もある。キットカットは米国のチョコレート菓子だが、日本限定の抹茶味など個性的な日本バージョンのキットカットが日本で販売されていることの紹介展示もあった。

 

ミュージアム・ショップには日によって複数の日本人店員がいるので、生の日本語を耳にすることがある。カフェ・レストランのウェイトレスたちはアジア系だが日本語を話している所を聞いたことがないので日本人ではないのかもしれない。

 

モリカミ・ミュージアムの入場料は大人15ドル。年会員になると入場料無料。各種イベントやカフェ・レストランの割引もある。年会費は個人だと60ドルだが夫婦二人で入ると二人分の年会費は90ドル。二人で年に3回以上行けばお得なので、私たち夫婦は年会員になった。

 

日本庭園は大きな池の周りに遊歩道がある形式。日本的な欄干のある橋、石灯籠、竹林、石庭、ししおどし、小さな滝などがあり、一周すると1.2キロ位で散歩にちょうどよい。私たち夫婦は、モリカミ・ミュージアムにこの8カ月くらいで5回行った。夏は猛暑で外を歩く気にはならないので、春に2回、秋になってから3回行った。ランチをミュージアムのカフェ・レストランで食べて、それからゆっくり散歩して、ミュージアムの展示をのぞいてから帰る。自宅から車で10分程度なので行きやすい。

 

 モリカミ・ミュージアムの日本庭園を歩くとほんとうにリラックスする。それは米国人も同じようで、年会員になってしょっちゅう訪問する常連も多いらしい。モリカミ・ミュージアムを訪れた多くの人はその素晴らしさを絶賛する。特に冬場は南フロリダはとても暖くさわやかで青空が気持ち良い。今後もモリカミ・ミュージアムの日本庭園を自分たちの庭のように何度も散歩しようと思っている。