海外こぼれ話 187 (20171月)     

 

クリスマスマーケット

 

 この3年間くらいの間、ドイツ全国をはじめデュッセルドルフ市内も道路やビルの建設が非常に増えている。市内のメイン道路も地下道にするためや路面電車を地下鉄にする工事が一気に行われており、工事中の道はガタガタでしかも段差もあり危ない。散歩の時は、いつも地面を見ていないと転んでしまう。でも工事の様子から、ドイツが非常に景気の良いことを感じる。

田舎道の交差点は、信号方式から鳥取にもあるロータリー式に置き換えが盛んになってきた。この方が信号待ちにならず、スムースに流れるようだ。日本も見習えばよいのだが、広い面積が必要なことの土地買収や信号会社からの圧力もあり、すぐにはできない事情があるらしい。ドイツのアウトバーンの拡張工事は、ほとんどが畑なので日本よりやりやすそうだ。

さてデュッセルドルフ市内のクリスマス商戦について、年々早くなってきていることを感じる。1112日からすでにクリスマスマーケットの小屋の設置が始まり、1週間かけて内装工事や店で売る商品の整備を行っていた。本来は4週間前だったが、商店が待ちきれなくなっているようだ。意外にもドイツではこの手の商売は儲けが良いらしい。半年やれば、後は遊んでくらせるくらいだという。

旧市街の店や名物になっている高さ10mもある風車も設置済みだった。日本のお祭りの露店と同じように、縄張りというか小屋の設置場所は、いつも同じなので探すとき便利だ。

 ドイツの有名なクリスマスのお菓子に、シュトレンという1sもある大きなケーキがある。長持ちするように工夫されている。クリスマスまでの4週間前から、少しずつ薄く切って食べる習慣がある。記憶によると数年くらい前は、11月ごろの販売開始だったが、今年はデパートで9月に見つけた。早速買って日本に持ち帰った。

10月に訪独した時は、そのお菓子がほとんど姿を消しており、反対にクリスマス用のチョコレートに替わりつつあった。ドイツの企業の訪問のために各地を回るが、デュッセルドルフの商店街は一番気が早いようだ。

保守的な南ドイツは、以前と変わらず決められた日に商品の入れ替えや飾りつけを行っている。暗く長い冬を家にいるよりも出掛けて行って、人と話をする彼らの風習は理解できる。19日の土曜日の午後から一斉に店がオープンした。

 

レジ袋とゴミ出し事情

 

 10月ごろから近くのアジア系スーパーで、2軒とも無料だったレジ袋が急に有料になってしまった。大小のサイズで3から5円相当の費用を請求されるので、要るか要らないかのやり取りをするようになった。本来がケチなので、マイエコバックやリックサックを持って買い物をしているので問題はない。ドイツ系のスーパーの店は、以前からレジ袋ななく、大量に入れることができるバック風のナイロン袋は今も有料である。

日本のようにゴミ出しは、自治体の専用のゴミ袋が必要であるがドイツは無料だ。ただし、分別作業はドイツの自治体でも統一は厳密にはされておらず、しかもドイツ語の読めない人たちやラテン系の人たちはいい加減にゴミを出している。一般ゴミの中に、ワザと空瓶を入れる明らかなドイツ人の若者もいた。

アパートの地下のゴミ箱の置いてある入り口にも警告文が出ているが、住民はきちんと読んでいないようだ。私は、日本クラブから日本語版のゴミ出し区分表をもらい、ちゃんと区分して出している。電池は、スーパーの入り口に回収箱が設置されているが最近わかった。それまでは、遠くの電気店までもっていっていた。

大きなレジ袋をもらった時は、いつも綺麗に6つ折りにして箱に収めてゴミ出し用に使っていた。これがもらえなくなったので、日本でコンビニなどまだ無料で出してくれる店のレジ袋を折りたたんで、ドイツにもってきて使うようにしている。小さなゴミ袋になったので、ほぼ1日単位で捨てに行く習慣がついた。

今年になってから、買い物をした時のレシートをすべてカレンダーの裏に貼り付け、家計簿のように合計金額を集計するようにした。これは各スーパーの値段の違いを明らかにするためであり、あと倹約のためにも使っている。一概に値段だけの比較ではなく、あくまでも品質第一で判断してさらにコストに見合うかもチェックしている。同じ品でも、店によって2倍も違うことがある。

この品物はどこで買うのが一番良いか、そして買い物は散歩としての運動も兼ねているので、買い物ルートも開発中である。買い物と献立と調理は、主婦なら毎日のルーチンワークであり、長年の積み重ねが良い経験になっているが、私はまだ慣れないのでこのような検討が必要である。

でもこの作業は結構頭を使うので、テレビゲームよりずっと効果的だと思う。残念なのは、近くのコンビニやスーパーがこの数年で4店舗倒産してしまい、便利さが失われたことだ。いずれも経営者の放漫経営の末路であった。

 

ペットボトル回収機

 

ペットボトルやアルミ缶を、大きなスーパーにもっていくと換金してもらえる。予め買う時に、ボトルや缶の金額も別にレシートに印刷される。いつも行く大手スーパーに、先月から自動回収機が設置された。

電話ボックスの2倍くらいの大きさがあり、投入口にこれらを入れるとバーコードで読み取り、合計の金額を印字したレシートが出るようになった。入れた時にこれらを潰す音が聞こえる。

ペットボトルも缶も潰して一緒にしていたので、混載になっていた。後で回収先にて分別するようだ。以前は、サンタクロースのような大きなナイロン袋にて回収し、それを担いでトラックに載せていた。

日本では、包装のフィルムをはがしキャップも外しているが、包装のフィルムにあるバーコードを読み取るために外さずに投入している。ところ変わればやり方が違うことを発見した。街にはこれらが落ちていることはまずない。浮浪者や子供たちが、賢明になって回収して小遣い稼ぎをしているからだ。1本が25セント(約30円)なので、意外にも高価であり手頃な小遣いになる。

ビールとミネラルウォーターを買いに行く30m先のミニコンビニは、空瓶を手渡しでやり取りする。値段はスーパーより少し高いが、ご近所の義理で通っている。相変らず1ダース入りのカートンに収めている。いつも23本単位で、バケツに入れて買いに行く。ビール瓶は、8セント(約10円)と安い。でも日本のように、一升瓶が5円よりかは断然高価だ。ワインの瓶は多種多様でありどこのスーパーも受け取らなく、これは街角の回収ボックスにて回収する。色は、白、緑、茶の3分類に区分してある。中にはいちいちスーパーにもっていくのも大変なので、この回収ボックスに入れる人もいる。

その中にビール瓶やペットボトルも入れる奉仕精神をもった人もいる。そのために特に土曜や日曜の朝は、棒に太い針金をL字に曲げた瓶の釣り竿をもった人がやってくる。街の掃除人のようだが、その人たちはいつも大きな袋を23つもっているので、金額的に数ユーロも稼いでいるようだ。

ついでに食べ物の話を紹介しよう。日本にもある有名なあるハンバーガー社の話をドイツでも聞いた。最近売り上げ低下のニュースが流れている会社だ。先代の社長がコストダウンの目的で、清掃要員を廃止して衛生状態が悪くなった。さらに肉の加工において、中国で床に落ちたものをそのまま投入して加工したニュースも流れたので、一気に売り上げが凋落した。

ドイツ人から聞いた話であるが、紹介したい。ドイツ人の親子がこの店に来て、子供にハンバーガーを買ってやろうとしたら、子供が「お母さん、僕を殺す気か。僕はこんなものは食べたくない!」と激しく抵抗したという。このニュースが全国版で流れたのを知り、私にも教えてくれた。

両親はハンバーガー世代のようで、自分の子供にも好意で食べさせようとしたらしい。でも子供の方が食品の怖さを知っていたようであり、このような会話になったようだ。

また通訳からも同社の話を聞いた。店のハンバーグがどういうわけか、冷蔵庫から出たまま1ヶ月放置されていたのが発見されたという。その日付を見ると1ヶ月も経過していた。つまり多くの防腐剤らしきものが入っているので、まったく腐らなかったというが、実に恐ろしいことだ。日本でも若い奥様が、ある個人のパン屋で買ったものが3日目にはカビが生えたとクレームをつけたという。大手メーカーのものは何日もカビが生えないというから、クレームにしたというが、何も知らないとは恐ろしいことだ。

 

29歳の青年が工場長に抜擢

 

北ドイツでもう通い始めて10年になる会社がある。当初は40人ばかりの小さな会社であったが、時流に乗ったようで数倍の規模に成長してきた。最初の訪問の後に、改善コーディネーターを組織して日々改善ができる仕組みを作りましょうと提案させてもらった。普通この改善コーディネーターは、従業員100にあたり1人が推薦できる人員だと説明した。

募集をしたところ、2人の応募があった。どうしたらよいか社長に相談したら、2人も採用したらよいと快く承認してもらった経過があった。実はこの会社が一気に改善が進んだのは、このコーディネーターのお蔭が非常に大きかった。当時40人ばかりの工場で、2人の専任の改善コーディネーターを配置したのはこの会社だけだった。今考えると、社長の英断に脱帽せざるを得ない。

1人は、30年以上の散髪屋をしていた私と同い年の女性で、当時入社したばかりだった。もう1人は、職業高校を卒業したばかりの当時10代の青年Tさんだった。彼のお父さんがこの会社の品質管理を担当されていたので、その伝手で入社した。彼の身長は、ほぼ2mもあり一番背の高い人であった。Tさんは、非常に仕事に熱心で、会社の推薦で夜間のマイスター学校も通い勉強した。

ところが、マイスター学校でもトヨタ方式の話が出てきたが、まったく勉強にならなかったと笑って教えてくれた。それは、会社で理論と実践を私から習い、自ら改善をして年上の人たちを説得してきたので、学校の話はレベルが低すぎて逆にTさんが説明することもあったと聞いたことを思い出した。

Tさんに仕事を任せていくと、どんどん改善が進みうまく工場が回り始めた。そして、マイスターから課長さらに今年工場長に推挙された。若いけど人望も厚く、トヨタ方式の基礎もしっかり勉強しているから理路整然と説得もできる頼もしい工場長の誕生だった。

そしてこの9月には、結婚もして充実した年になったと喜んでいた。結婚式には、会社の全員を呼んだということで盛大な結婚式になったという。私もTさんの今後の活躍に大いに期待をしたい。このように人が成長していく姿を見ると、わが子を育てたような気持ちになり嬉しい限りだ。

 この工場の新入社員の18人が、まだトヨタ方式の説明を私から直接聞いていないということで講演の依頼があった。訪問してからの取組み経過も含めて、物語風にアレンジして原稿を作成した。以前の写真も20枚くらいあったので、それも新入社員にとっては驚きの写真になるものだった。まとめて作業する方法から1個流しで生産する今のやり方は、彼らにとって想像ができない。

 講演のスタイルも演壇から話すのではなく、質問を投げかけ一番後ろの席まで歩み寄っていくので、彼らもびっくりしている。そこにユーモアを盛り込んで笑いも誘いながら、過去、現在、そして将来のありたい姿を想像できるように絵も描きながら話をしていった。

質問はありますか?と最後に訊ねて90分の講演を終えたら、大きな拍手があった。そして何人もの人が、良かった、よく分かった、感動したなどと握手を求めてこられた。彼らの顔には、笑顔の中にも希望が持てたという表情が読み取れた。こんなに感動してもらい、私自身も嬉しくなってしまった。

 

常に勉強が必要

 

南ドイツの企業にも今年で7年目になるが、昨年から改善コーディネーターや中間管理職が変わったので改善が思うように進まなかった。トップ会談を行い、ようやく新たな取り組み姿勢で進めることが決まった。しかもこちらの思うやり方に随分と沿うものになったので、交渉の成果を感じ取ることができた。軌道修正ができ、体制とテーマ選定の見直しができた。

 実はこのようなことは、どの会社にもあることだ。企業の存続は変化の連続であり、それをいかに切り抜けていけるかである。そのためのアドバイザーが外部コンサルタントの役割であり、価値もそこにある。

企業内にいたら、思い切ったことが上司にいえないが外部だとそれもいうことができるが、責任もあるのでいつも誠心誠意でもって対応している。1つ一つが自分自身の勉強にも経験にもなっていく。こちらが握手しようとして手を差し延べても、相手が手を出さないと握手もできない。すんなりとはいかないが相手から手が出るように、仕向けることへのアドバイスのネタが豊富であればやりやすいものになっていく。日々勉強をさせていただいているという謙虚な気持ちが、いつも大切だと思う。

どんな相談があるかは、なかなか想像ができない。しかし、いつも何か的確なアドバイスをさせてもらいたいと思い、その下準備をしている。それが、企業家精神を書いたり、本を読んだり、イラストを描いたり、連載記事やエッセイを書いたりといろいろな形での勉強である。それと面白いことに知らないことを相手に告げることで、逆に信用してもらえることも知った。知ったかぶりは、後で大恥をかくだけでなく出入り禁止もある。

学生時代の時に、就職したら勉強をしなくて済むと思っていたが大間違いだった。年を重ねたり経験を積んだりするたびに、知らないことやわからないことがタケノコのように出てくる。それを追いかけることも楽しみになってきている。知らないことを知る楽しみが、少しずつ分かってきた今日この頃です。 

 

ドイツ語版企業家精神

 

今年になってから、本格的にドイツの会社のホームページを充実させてきた。それは定期的な記事の更新をさせながら、少しずつ知らしめて宣伝していくことだった。その一環として、企業家精神の各言葉を1つずつ取り上げて、ドイツ語に翻訳してさらにその言葉のイラストを掲載することだった。

時々私のフェイスブックにも転用しているので、イラストと翻訳をクリックするとドイツ語から日本語に直してくれます。ただ、日本語をドイツ語にしてさらに日本語に翻訳するので、一部祖語もありますがご了解の上ご覧ください。

ケルン大学のBさんが、企業内研修として当社にアルバイトで手伝ってもらっている。Bさんは非常に優秀な青年であり、きちんと仕事をしてくれて、いつもプラスアルファのことも提案してくれる頼もしく感じる。しかも性格が良く、この企業家精神の掲載担当になってくれた。

通訳から、これに相応しいイラストを描いてほしいというリクエストにすぐ応じた。ところがいざ抽象的な言葉(ドイツ語版では企業家精神の言葉を『格言』として訳されている)を、絵にすることは簡単ではなかった。最初の言葉が、「度胸」、「苦しみ」、「気に掛ける」であったが、「度胸」をどう表現するかで2時間以上も鉛筆を握ったまま硬直してしまった。

最初の生みの苦しみであり、日刊工業新聞社様での新連載が始まる時にも、いつも始めの書き出しに悩みもがくが、今になっても一向に成長できていないと感じる。今回も同様な苦しみになった。

そこから文章を何度も読み返し、少しずつ鉛筆に流れが出始めた。苦しみながらようやく絵が描けた時はホッとした。それからは先のテーマは、15分から30分でイメージできるようになってきた。

それを1つずつホームページに、週2回の割で掲載することになった。現在は少し余裕ができ、黒のサインペンから赤、青、緑の合計4色で描くことができるようになった。これも訓練の賜物だ。