2017.2 

 

京都の寺を巡る

Y・M(コールウインドミル)

 わたしは、15年程前から年に2回は京都にいっています。なぜこれほどまでにこだわるのか不思議でしたが、やはり相性が合っていたことが大きいとおもいます。

よく「奈良には行かんの」と聞かれますが、答えは「行きますがちょっと古すぎて」というか、やはり仏教文化の発祥地であるため、伝来のものも多く異国の雰囲気を持っている為、何か遠いものに感じてしまうのです。その点、京都には平安以降日本の独自性を持った仏像が出現し始め、これに呼応して優れた仏師も現れ、数多くの「仏像」を残すようになったのです。それ以前は、本当の意味で礼拝対象であった仏像を鎌倉新仏教が誕生するころまでに一種の鑑賞用としての意味を持つ仏たちもでてきたのです。これは一重に有力貴族の仏教への帰依と外国にたいするデモンストレーション的なアピールが含まれていたからだと思います。

温故知新といいますように何百年前のものを私たちは現実の問題として見物できることは、本当にすばらしく、京都の寺院が世界文化遺産に登録されたことは、大変良かったとおもいます。私自身かなりの寺院と仏たちを見てきましたが、初めはガイドブックの観光寺院から始めるといいでしょう。しかし、その時にちょっとだけ視点を変えてみる…人が溢れている所の脇に素晴らしい仏が居るものです。実は茶室に居るときもそうですが、私たちは日ごろから喧噪の中でくらしていますが、これらの所に一歩入ってしまうと別世界です。たまには、心にゆとりとやすらぎを与えてやることも大切です。そして私たち茶道愛好者にとっては、京都はかかせない所である事は事実ですから、その一役として見仏をすることがあるとおもうのです。冒険心を出されて試してみてはどうでしょうか。