海外こぼれ話 188 (2017年2月)     

 

スペインのバスク地方へ

 昨年のクリスマスには、クロアチアに旅行した。とても良かったので、今回もクロアチアの北部に旅行をしようと計画していた。ガイド兼通訳のKさんが、6月にスペインのバスク地方に行ったらクロアチアよりも、もっと凄く良いところだと推薦があった。バスク地方のサンセバスチャンという人口18万人の小都市には、ミシュランの星のつく店がたくさんあり、松田さんも絶対に満足する旅行になると太鼓判を押してくれた。

 スペインは、まだ欧州で旅行をしたことのない国であったので検討してみることした。高城剛著(誰かと思ったら、沢尻エリカの元旦那だった)が書いた「人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか」(サブタイトルには、『スペイン・サンセバスチャンの奇跡』とあった)という本を見つけて早速読んでみた。

 バスク地方の知識は、スペインではなくフランスのバスク地方だと、ばかり想像していた。以前作って好評だったペピラードという野菜煮込み料理が、フランスのバスク地方の郷土料理と記してあり、バスク地方とはフランスだと思い込んでいた。

Kさんからサンセバスチャンは、松田さんの大好きなリヨハワインの産地へは、車で2時間くらいのところだという。それならピレーネ山脈のあたりと地理的にわかってきた。バスク地方とは、フランスとスペインの両方を示している地方だった。バスク地方を調べていくと、面白いことがわかってきた。

 欧州で最も古い言語を使い、現在でもその言語は使われている。標識には、バスク語とスペイン語の2つが表記され、未だにバスク文化も伝承されている。アメリカ大陸を発見したのも実はバスク人であり、鱈(タラはバスク地方の大切な食材)を追いかけていくうちにアメリカにたどり着いたともいわれている。

しかし、バスク人は自分たちの文化をとても大切にしているため、侵略する考え方をまったくもたなかったようで、今でも独特の文化を継承している。我が道を行くスタイルを、確固としてもっている民族のようだ。

 海は目の前にあり、また山もすぐ近くにあり、山海の珍味が豊富にそろっているから料理も美味しいことが簡単に想像できる。ミシュランの星付きだけでなく、近年といってもこの10年近くでサンセバスチャンが有名になったのは、各店が美味しいレシピを公開し合うという仕組みがあったことだ。そのお蔭でどの店に行って美味しいピンチョス(小皿料理:本来は串という意味で、現在はバケットの上に肉や魚などに串を刺して落ちないようにしている)を食べることができ、訪れたレストランが一杯でも次の店に行けばよい。

そのこともあり、どの店にも隠しメニューがあるのも楽しみになっている。食べ方も独特で、その店で一杯の酒と1つのピンチョスを食べて、また別な店に移動するのが一般的な食べ歩きスタイルという。たくさんの料理と酒がたっぷりと楽しめることで、クロアチアを変更してスペインに行くことにした。

飛行機など事前の計画

クロアチアの旅行では、お金の準備不足がありカードも満足に使えなくなり、大いに反省をした。今回は2か月前からATM機で十分な現金を引き出して準備した。スペインは、ユーロがそのまま使えるので、余っても帰ってからドイツで使えばよい。飛行機の手配をしたら、ピンポイントでデュッセルドルフ空港からバスク地方の35万人の都市ビルバオ空港に直通便があった。しかも週2便しかなかったが、タイミングも合い4泊5日の旅行に決めた。

早速飛行機のチケットの手配、ホテルの選択と手配、ミシュランの3つ星のレストランの予約も行った。レンタカーも手配しようとしたが、ビルバオとサンセバスチャンの移動距離は1時間であることと、ホテルの駐車料金が異常に高いことが分かった。このため、リムジン(バスではなく、予約制のタクシー。日本でいうならハイヤーの位置づけ)を手配した。往復で300ユーロの料金も事前に振り込んだ。

サンセバスチャンをメインに3泊、帰りの飛行機のこともあり後泊にビルバオとした。いずれもせっかくなので格式の高いホテルにした。サンセバスチャンのホテルは、貝殻の形をしたコンチャ湾(貝という意味)に1軒しかないという4つ星のホテルだ。英国のロンドンという意味のホテルで、創業1902年の古いホテルだ。古い街なので、新たにホテルを建設することができなく、実際にはアパートを貸家にして観光客に対応しているという。

シーズンの夏には、ホテル料金も2から3倍に跳ね上がる。冬のオフには格安になるが、それでも海岸側と街側では値段が倍の差があった。当然食べる方に力に入れたいので部屋は街側にした。2日目にリンゴで造った酒(シードル)の発酵途中で樽から直接自分で注いで飲めるレストランの予約をしただけで、あとの食事は現地に行ってからの楽しみにした。Kさんが6月に行っているので、美味しいお勧めの店はすでにチェック済みなので安心だ。

ビルバオのホテルは、有名な美術館の目の前のホテルにした。これも美術館が見える方と見えない方は、値段が倍も違うので見えない方にした。ビルバオもバスク地方であり、この街にもミシュランの星のついた店がたくさんあり、レベルは高そうだ。さあ、楽しみになってきたぞ!

いざビルバオ空港に出発

当日デュッセルドルフ空港には、タクシーを使ってアパートから15分で到着した。クロアチアの時には、デュッセルドルフのアパートからケルン空港まで1時間もかかっていたので、費用も時間も大幅な短縮になった。既にKさんがインターネットで搭乗手続きしていたので、空港のカウンターにそのまま荷物を預けた。

ところがあまりにも手続きが簡単だったせいか、Kさんはパスポートを忘れた。慌ててKさんの妹に電話して、空港までもってきてもらうことになった。時間の余裕があったので事なきを得たが、思わぬ事態が発生した。これで厄払いができたと、Kさんに声をかける。私もパスポートだけでなく、財布も忘れたことがあり、出発前はいつも「パスポート、財布、鍵、ヨシ!」と声を出して現物に指をさして確認している。

2時間のフライトで、一気にドイツからスペインに移動してしまう。しかもその料金は往復で200ユーロと格安である。日本の飛行機の料金が、とても高いことがよくわかる。しかも簡単なサンドウイッチなどの機内食も付いているから、物の値段は不思議なものである。

ビルバオ空港は、ホタテ貝のイメージした建物だ。天井が低く圧迫感があるが、鳥取空港よりも小さいので迷うことはない。しかも税関のチェックも何にもなく、移民が簡単に入ってくることができると思った。おおらかというかいい加減というか、スペインの国民性が垣間見られた。

しばらくすると、タブレットに私の名前を表示した紳士が現れた。彼はリムジンの運転手だった。60代できちんと黒いスーツにネクタイをしていたので、スペイン人かと疑いたくなるほどの紳士だった。丁寧な荷物の取り扱いだけでなく、スマートな身のこなしであった。黒塗りのベンツで移動開始だ。高速に入ると130kmの表示があり、100kmで走行する。初めて見るスペインの風景を見ながら1時間もすると、予定通りにサンセバスチャンのホテルに到着した。

海岸線から散歩開始

チェックインしてすぐに、ホテルの前にある海岸線を散歩することにした。夕方になりかけていたので、暗くなる前に見られるものは見ておこうと思った。目の前の海岸線は、引き潮だったので茶色の砂が広がっていた。そこには数mもある大きな絵や文字がいくつも描いてあった。

そこには、黒人が靴の外側の淵を使ってナイフのように砂を掘って描いていた。ヘラや棒ではなく、自分の靴を使ったことに感心してしまった。写真でも紹介しておくが、鳥取砂丘のように問題はなさそうだ。それは満ち潮で、翌日には完全に波で消されるからだ。

海岸線の散歩道に沿って歩いていくと、風呂敷を広げてカバンやアクセサリーの店を出していたり、大道芸人がいたりしていた。片足で腰かけた姿勢で動かないバイオリンを持った大道芸人がいた。全身を金色に塗っていた。お金を差し出すと、お礼のおじきをして軽くバイオリンを弾いてくる。そのまねをすると周りの人も集まってきた。

さらに進むと、金属のタライをひっくり返して、ところどころにクボミをつけた奇妙な楽器(スティールパン?)を演奏している大道芸人を見つけた。初めて見る、楽器だった。その音色はバリ島で聞いたものを連想させ、海岸から聞こえる波にとてもマッチしていた。

その楽器で演奏したCDも売っていたので、早速10ユーロで買った。また一緒にその演奏スタイルを真似ていると、人が集まってきた。私の方が大道芸人のようだ。でも見るだけでなく、一緒に体を動かすことは楽しい。実はこの大道芸人たちの中には、かなり裕福な収入を得ている人たちがいるという。中国のネット商売する人たちにもお金持ちがいるのも、ちょっとしたヒントや特徴をもつ人たちだ。誰でも一工夫をすれば、チャンスはあるということだ。

さらに歩いていると、ランニングをしている人達が多いことに気づいた。ドイツはランニングよりも散歩が多いが、バスク地方の人達はランニングだ。後で気づいたが、ピンチョスなどたくさんの料理と酒を飲むので、カロリー消費のために運動を積極的にしているそうだ。

夕焼けが綺麗になってきたと思ったら、ドイツより1時間日没が遅くなっていた。札幌と同じ緯度43度だが、大西洋のお蔭で暖かい。スペインのバル(店)の開店は、普通夜は8時が普通だ。でも6時くらいから空いている店もあり、行き当たりばったりで探すことにした。旧市街の料理店の多い通りの入り口に、5時過ぎから空いている店を見つけた。その店は、朝から夜までノンストップで開けている店だった。店の名は、「Portaletas」だ。サンセバスチャンのレストランで、約700軒中49番目に人気にある店だった。

ピンチョス料理を征服?

カウンターには、大皿に盛られたピンチョスが20種類以上もあった。好きなものを選んで良いが、今夜の胃袋と相談する必要があるので、エビ、鱈、タコの3つを選んだ。酒は食前酒のチャコリを頼んだ。その注ぎ方が独特で、チャコリの入った瓶を高く掲げて、グラスに投げかけるように注ぐスタイルだ。

一種の儀式であり、これは後述するリンゴ酒であるシードルを注ぐ時のやり方である「エスカンシアール」という方法を瓶で応用した一種の見世物だ。あとで気づいたが、サンセバスチャンの注ぎ方とビルバオではその注ぐ高さがサンセバスチャンの方が断然高かった。このチャコリは、アルコール度が10度前後と低く酸味が強い。また特に美味しいというものではないが、ピンチョスの具材の脂を綺麗に流してくれる効用がある。酒と肴は、いつも良いコンビだ。

カウンターの上を見ると、豚のモモを生ハムにした原木という部位が20本以上もつるしてある。1本数万円の代物だ。よだれが出そうになり、慌てて口を押えた。どの店にもぶら下げてあり、客寄せの赤提灯のようなシンボルだ。

Kさんのガイドで、次の店は肉のピンチョスが最もお勧めの店に移動した。夏はあまりの人気の店でなかに入れず、カウンターまで行くにも難儀したという。今回はすんなりカウンターにたどり着けたが、店は立ち食いの人たちで一杯だった。店の名は、「Gandarias」で、評価は5点満点の4.5点の店でもある。

Kさんが前回訪問した時の隠れメニューのピンチョスを、携帯に収めた写真で店員に見せると、店員はその携帯を取りあげてしまった。何をするかと思えば、もしもしと携帯に話しかけ、さらに別な店員にも渡して話をしてしまうユーモアをもっていた。それで大笑いになってしまった。

先ほどチャコリだったので、今度は肉に合わせてリヨハの赤ワインを頼んだ。牛肉の上には、シシトウを炒めたものに岩塩がかかっているピンチョスだ。さらにスペインでよく食べられるウナギの幼魚のピンチョスだ。

日本ではウナギの幼魚は非常に高価であるが、こちらではオイル漬けでも数ユーロで売っているほど安い食材だ。さらに原木から削り取った生ハムを皿一杯に出してもらい、またワインとともに食べる。本場の生ハムは、味にコクがありうまい。ワインがいくらでも進むが、次のお勧めに店を目指す。

肉だったので、次は魚介類の店に行く。鱈がこの地方の代表的な魚であり、これを塩で味付けしてさらにトッピングを色々載せていく。さらに鰯、鮭、エビ、さらには目玉焼きのピンチョスも出てきた。また店を変えて、ホタテで有名な店に行く。軽くソテーしたホタテに焼いた海苔を載せたメニューは、海苔を使うというアイデアが日本的であり、ほっぺが落ちる感覚になった。思わず2つ食べてしまった。これも隠れメニューの1つだ。ここではビールにした。

この店の名前は、「Casa Urola」。1階は普通のピンチョスを出しているが、2階はフルコースを出す店で、2日目にはフルコースを楽しんだ。ガイドブックによると、サンセバスチャンのレストラン店中3番目に人気のある店であった。夜の8時以降に人が、きちんと正装して集まり10時には満席になっていた。

次の店は、ムール貝とエビやパセリなどを載せたピンチョスだ。さらに生ハムをロールにしてソーセージ風にしたもの、バケットの代わりにトーストの上にチーズやジャムを載せたものなどを食べた。仕上げは、シシトウのから揚げだ。この夜は、合計5軒の店で20種以上のピンチョスを平らげた。これだけ食べることができたのは、理由がある。それは、バケットをなるべく食べなかったこと。さらに、具材だけを酒と一緒に食べ、さらに笑ってお腹を動かしそして歩いたことだ。ちなみにピンチョス1個と酒で、5ユーロでお釣りがくる。

 

サンセバスチャンの

市内を散歩

朝食は、ホテルの近くにあるモーニングサービスのある店に行った。朝8時から開店しており、コーヒーやサンドイッチや玉子料理を出してくれるが量は多い。ピンチョスも出すが、朝一はまだ準備できていなかった。

市内の店をウィンドーショッピングする。デュッセルドルフ市内にあった「ZARA」は2店舗ともに良い品はなかったが、さすがに本場では素敵な洋服がたくさん見ることができた。スペインの女性は、例外なく綺麗に化粧をして多くの人がスカートも装っている。男性化しつつあるドイツとは大違いだ。また彼らの髪の色は黒であり、フランスとバスク地方とは違うそうだ。

またスペイン人は子どもを大切にする習慣があるといい、服の店には子ども服も併設して売られている。街の中はクリスマス飾りが施されており、各通りにはそれぞれの電飾が設置されていた。散歩がてら川沿いにあるクリスマスマーケットを覗いてみた。ドイツと同じ大きさの露店であるが、クリスマス用の品は少なくただの土産物市場のようだった。寒風が吹き抜ける。

さらに川沿いを歩いていると、別なクリスマスマーケットを発見した。大きな通りにテントを設置して、その中に露店と同じような店を入れている市場のようなものだ。嬉しいことに暖房が入っており、暖かくして店を散策することができる。店は40軒もあった。ここに住んでいる芸術家が、自分の作品を展示即売もしていた。

紙テープを少しずらして、コースター、鍋、花瓶にした作品があった。紙をずらして糊で固めたものであり、少々水に塗れても大丈夫という。それを1つ買った。さらに隣の店では、ガラス細工をして絵具で草原の絵を描いた作品もあり、お土産に買った。2つの店も丁寧に包装をしてくれたが、ドイツの包み方とは大違いだった。思わぬクリスマスマーケットがあり、時間を有効に使うことができた。市内観光を徒歩で費やしたが、バスなどでは見られない風景を楽しむことができた。

ランチは、ホテルからタクシーで15分ほど離れた郊外にあるシードル(リンゴ酒)の店を予約していたので移動することにした。開店の15分前に着いたが、店員はまだ自分たちの食事中であった。このため店の周囲にあるリンゴ畑を散歩してさらにお腹を減らす努力をしてみた。さあ、また飲んで食べるぞ!