8月号

「倉文協だより」リレーエッセイ 

花と私  森脇登美子(写友会 うしお)

 

昭和48年の7月に夫と初めて会い、12月には結婚式を挙げました。プロポーズの時、「転勤するけれど、お父さんに許してもらえるだろうか?」と私に聞きました。即座に「問題ないと思う」と答えましたが、私は転勤がどんなものかを本当は知りませんでした。それから引っ越すこと10回、二人の子供は、その度に辛い思いをしましたが、両親が一緒ですから問題ないと思っていました。子供が新しい環境に馴染むには、親も一緒に頑張らなければなりません。それならと、積極的に地域活動に参加し、学校の役員も引き受けました。ところが、子供が巣立った後、私は何もする事が有りません。知人も親戚もない転勤先の香川県高松市で、なんだか取り残されたような気がし始めました。

ある日、何気なく見た新聞のチラシでカメラの安売りを見つけ、その日のうちに買い求め、それから花との付き合いが始まりましたが、高松に居たのはわずか一年、2001年の春、倉吉市にやってきました。被写体の花を求めて倉吉周辺を走り回りましたが、今まで多くの町に住みながら、こんなに花がある所は他にありませんでした。まず打吹公園を皮切りに、桜があふれるほど咲き始めました。何より、初めて見た梨の花には、本当に感動しました。山一面を真っ白にした花に言葉を失い、故郷の母に写真を送り、感動を共にしました。

その後、燕趙園の牡丹が咲き、あやめ池公園の藤、花菖蒲と息つく暇もありません。夏になるといたる所で百日紅が咲き、ヒマワリ畑が広がります。畑一面の蕎麦の花を見たのも、倉吉に来てから初めてのことでした。そして、砂地に広がる紫色のラッキョウの花は、息を飲む思いがしました。当然のように私の被写体は、花に集中していきました。レンズを通して花に向かっている時間は、私の至福の時です。背後の雑音も消え、一心に花に語り掛けます。ただ、2017年の10月に倉吉は大きな地震に見舞われました。一年かけて育てた梨が、わずか数秒でそのほとんどが落下したと聞いた時、今まで花の美しさだけに気を取られていた私は、本当に申し訳ないと思いました。花壇の花、野菜の花、木の花、野の花、みんな可愛らしく美しいと思いますが、それらは人間のために咲くのではなく、実を付け種を実らせために咲いているのだと改めて思いました。

今、悲しい時、辛い時、花は私を励まし慰めてくれますが、花だけを見て喜ぶのはやめようと思いました。花に繋がる多くの人の思い出を感じながら、これからも長く花の撮影を続けたいと思っています。