高齢者の恋愛 〜さかんであたり前の米国〜
日本の感覚で考えるとびっくりなのだけど、未婚・離婚・死別で独身の高齢者の恋愛が「おさかんな」米国。私の近所に一人で住んでいる60代の女性が二人いて、一人はたぶん結婚したことがないアジア系女性、もう一人は3年前に離婚で独身になった白人女性。二人とも恋人がいてしょっちゅう泊まりに来ている。彼の車があるから今日は来てるのねとすぐわかる。別に隠しだてするようなことでもない。つい最近も、その白人女性に「恋人と日本に旅行に行こうかと計画しているの。観光はどこがいいか教えて。」と言われた。
55歳以上が居住する、うちのゲイティド・コミュニティーには、「ソロ・クラブ」というものがあって、独身の男女が時々クラブハウスに集まってわいわいやるクラブがある。高齢になって一人で話し相手も少ないより、異性と交際する方が健康に良いのだろうと思う。
私がクラブハウスのジムに行く為にコミュニティー内を一人で歩いていると、知らないおじいさんから、「すてきなお嬢さん、こんにちは。へー、日本人なの?僕は沖縄へ行ってたことあるよ。ねえ、結婚してるの?そうかぁ、残念だなあ・・・。」なんてナンパしてくる人もいる。
こういう高齢者の感覚は米国では今に始まったことではぜんぜんなく、ずっと昔からだ。1988年に初めて米国ペンシルバニア州で生活し始めた時、アパートの階下に住む70才くらいの老夫婦は長年連れ添ったご夫婦だとばかり思っていたら、「3年前に結婚したのよ、教会で知り合ってね。」と言われて「え!」と思った。
知り合いが「うちの祖母は80才だけど83才のおじいさんと交際してるよ。そのおじいさん、心臓が悪いからもう長くはないんだろうけどね。」と言っていた。実際にそのおばあさんとおじいさんに会う機会があり、おばあさんは「彼は亡き夫の友人で昔から知っている人。彼も連れ合いを亡くしてねえ。」と、とてもナチュラルな雰囲気。
1990年にNYに引っ越して初めて住んだアパートの大家さんは50代前半の離婚女性で、年下の恋人がいて、よくデートしていた。小太りでモテる感じの女性ではなかったが、独身であれば異性とデートしても普通でしょという感じで、聞きもしないのに自分からペラペラしゃべった。
もともと昔から米国では新聞や雑誌の個人広告欄に「出会い求めます」のコーナーがあって、「自分はこれこれこういう人で、こういう感じの人を探しています。興味のある方はご連絡ください。」みたいな数行の広告を出して恋人を見つけるというスタイルが存在していた。
2000年に入ると、それがオンライン・デイティング・サービスにとって代わって爆発的に広がった。これは各年齢層で現在も流行中だが、特に中高年の出会いに向いていると思う。若い人なら相手が独身である確率は高いが、中高年になると相手が結婚しているのか、交際相手を探しているのかわかりにくい。オンライン・デイティング・サービスは交際相手を探している人が互いに出会う為に使うツールなのでとても便利で革命的だった。自分のプロフィールとどういう人に出会いたいか書いて登録して、オンライン上で自分の好みの人を探して、アクセスしたりされたりで出会う仕組みだ。
現代の中高年の出会いの過半数以上はオンラインで出会った人だと思う。それくらい一般化している。中高年は離婚で独身という人が多いので、若い時のように自分自身の事情だけで相手を選ぶのも難しいのだ。子供がいるかどうか、子供がいれば、子供の人数・年齢なども判断材料だ。オンラインだからデータベースが大きくて、そこら辺を歩いていてもとても出会えないような人にも出会えるのだ。
身の回りで探す伝統的な方法は、水たまりの中から誰かを探すようなもので、オンラインではオーシャンから誰かを探すような感じだ。出会いの範囲がとても広いのが良い。たとえば爬虫類好きで爬虫類と一緒に住みたいと思っても、そんなことがOKな相手と出会うのはとても困難だ。しかしオンライン上でなら、反応してくる人が不思議といるものだ。ちなみに私は爬虫類と一緒に暮らすなんてたとえ相手がビリオネアであっても絶対無理だが。
米国でも高齢者の恋愛はともかく、法的な結婚となると相続の問題が絡んでくるのでなかなか複雑なものがある。法的な結婚はせず、遺言を残すことで対応することも多いようだ。離婚が多い米国社会、多くの人は親の恋愛や祖父母の恋愛は日常の普通のこととしてとらえているようだ。子供の頃は複雑な家庭環境はなにかと問題もあるが、大人になってからだと、むしろ自分の方ばかり向いてこられるよりよっぽどいいと思っているふしもある。
日本ではなかなか高齢者の恋愛を受け入れられない文化があるかもしれないが、気楽に気楽に。日本社会はすでに60才以上は人口の約3分の1、65才以上は人口の約28%なのだから。