日馬富士の引退:日本の外から見えること

〜異様な社会的制裁〜

 

1129日、日馬富士が引退届を出した。そのニュースを知った米国の大相撲ファンは驚きを隠せなかった。日本でも賛否両論あるようだが米国でもモンゴルでも納得していない人はいる。2010年の朝青龍の引退の時もそうだったが、一番の問題は日本は法治国家であるはずなのに、特定の個人を袋叩きにして社会的制裁で一人の横綱を引退に追いやったということだ。法に任せておけばよいものを、なぜそんなにまで社会的制裁を行うのか?「日本の社会的制裁、怖いね。」それが日本の外からはっきり見えることだ。私はこの記事を12月1日時点で書いている。

 

私は子供の頃、大鵬が現役だった頃からの筋金入りの大相撲ファン。帰省の折にはチケットを買って大相撲を見に行ったりする。米国でもNHK国際放送で場所中は毎日大相撲中継のハイライトを見ている。大相撲を愛するファンの一人として、朝青龍の時も同じだったが今回も黙ってはいられない。

 

暴力が良くないのは当たり前で誰もが疑問の余地はない。しかし横綱が引退に追い込まれるほどのバッシングは異様だった。法に任せて、もし裁判で有罪が確定したなら引退とか解雇もわかるし、誰もが納得したのに。社会的制裁で人の一生の一大事である引退に追い込んだのは良くなかった。

 

事件概要:1025日、白鵬が貴ノ岩に説教している最中に貴ノ岩が神妙に聞かず、無視するように携帯電話をとって反抗的な態度をとったことに腹を立てた日馬富士が暴力をふるい、全治2週間の怪我を負わせた。翌1026日、貴ノ岩は日馬富士に謝罪し、日馬富士も自分もやりすぎたと、当人同士の間では握手し和解していた。貴ノ岩は同日、すなわち事件の翌日も巡業で相撲を取り勝利している。その後、表敬訪問もこなし11月場所で10勝以上あげたいと抱負を語り、稽古も続けていた。しかし貴乃花親方に事件のことを知られ、貴乃花親方は自分に一任するよう言いつけて、貴ノ岩にはなにも発言させなかった。1029日貴乃花親方が鳥取警察に診断書とともに被害届を提出した。それから数日たったのち、スポーツ新聞からニュースが出た。

 

しかしそれは「日馬富士がビール瓶で貴ノ岩を殴りつけ頭蓋底骨折の重傷を負わせた」という世間に誤解を招くような大げさなセンセーショナルな記事だった。あまり医療知識のない一般の人には、いかにも日馬富士が凶悪犯罪を犯し、貴ノ岩の頭蓋骨が割れて脳挫傷でもしたかのような重傷のイメージを植え付けた。実際には鳥取警察に被害届を出した時の診断書には頭蓋底骨折の記録はなく、軽いものしかか書かれていなかった。鳥取の後、巡業中に貴乃花親方は貴ノ岩を病院に連れて行き11月5日から5日間入院。その時の医師の診断書では「脳震盪、左前頭部裂傷、右外耳炎、右中頭蓋底骨折・髄液漏れの疑いで全治2週間」と書かれてあったが、その医師本人は、頭蓋底骨折と髄液漏は疑いにすぎず、頭蓋底のひびは過去の衝撃でできたものかもしれないし、たんに骨の継ぎ目かもしれない、重傷と報道されて驚いていると発言。

 

ちなみに貴ノ岩の頭の傷だが、医療ホッチキスで10針している写真が出てびっくりしてこれは大けがではないかと経験のない人は思ったかもしれないが、あれはやはり医者の言う通り軽傷。私の夫は固いものに頭をぶつけて救急外来に行って医療ホッチキス14針したことがあったが、たしかに2週間で治った。

 

事実だけを法的な観点で考えると、これは一般人がお酒の場でけんかして相手に全治2週間のけがを負わせてしまい、相手が警察に被害届を出した場合と同じだ。即逮捕されて会社を解雇されて当然だろうか?普通そんなことにはならいから心配ない(しかし弁護士はすぐ雇うべき)。逃亡や証拠隠滅のおそれもなく容疑者が容疑を認めている場合は、逮捕して拘束する意味がないので逮捕はない。多くの場合は当事者同士の示談で終わる。示談が成立しなくても検察は起訴するかどうかは様々な要素を勘案する。その中で重視するのは被害をうけた当時者が相手をどうしたいと思っているのかだ。よほど悪質な場合でない限り起訴猶予だろう。起訴猶予になると裁判までいかない。

 

そうした流れを私は最初からわかっていたので刑事的なことは心配していなかった。それよりマスコミや声の大きな人の扇動に流されて、日馬富士が叩かれまくり、それを気にした日本相撲協会が彼を解雇することを心配していた。ネット上の袋叩きは人権にかかわる。

 

いかなる理由があれ日馬富士の暴力は許されるものではない。したがって何らかの罰は必要だ。日本相撲協会も日馬富士というスター横綱をそう簡単には失いたくはない。だんだん世間の理解も進み、九州場所千秋楽に白鵬が「日馬富士と貴ノ岩の二人に土俵に戻ってきてほしい、これからも大相撲をよろしくお願いします。」と、よい雰囲気になってもいた。個人的には日馬富士は初場所出場禁止程度が落とし所だったのではないかと思う。しかし、世間のバッシングに心が折れてしまったようで、日馬富士は引退届を提出してしまった。

 

日馬富士は引退会見で「横綱の名を汚してしまった」と責任をとっての引退を何度も口にした。本人は事件当初は引退だけはしたくない、もっと相撲を取りたいと言っていたので無念だろう。これを自業自得だとか言う人もいるようだが、なぜ人々はあんなに騒ぎまくったのか?なぜ法の判断にゆだねないのか?そして日本相撲協会からの罰を待たないのだろうか?こんな社会的制裁はよくないと思う。

 

そもそも「品格」とは何か、基本的には「文化」「価値観」の問題だろう。「文化」や「価値観」で人を裁いていいのかということだ。法的根拠として誰もが納得するような行動基準に準拠すべきだ。「品格」というあいまいなものでは外国人たちは理解しない。今回そうしたあいまいなもので社会的制裁を特定個人にあたえ、一人のアスリートを葬り去ったことはよいことだとは到底思えない。

 

それから、裁判で有罪が確定するまでは犯罪者とは呼ばない。容疑者が正しい。推定無罪の原則は守られるべきだ。それなのに世間では日馬富士を最初から「犯罪者」と呼んでツイートを拡散させる人が散見された。こうしたことは人権問題にかかわる。

 

貴乃花親方は事実上、貴ノ岩守っていない。貴ノ岩は日馬富士を引退に追い込む原因を作ったとしてモンゴルで責められ針のむしろ状態だ。貴ノ岩の立場上そうなることは最初からわかっていたはずなのに、貴乃花親方は貴ノ岩を利用した感があるのは否めない。自分がやりたいことがあるなら、あんな形ではなく、もっと別な形でやるべきだったと思う。

 

ツイッターで欧州在住のエンジニアの方から以下のようなつぶやきがあったので紹介したい:@hirofumisato3

「日本メディアの正義感ぶりは世界の先進国でも際立っておかしい事は日本在住の方々に少しでも感じてほしい。まるでワイドショーが世の中を裁いているようで怖くなった。出演者たちはスピード違反も徒歩での信号無視も不倫もしない違法行為とは程遠い神ばかりなのだろう。」「メディアの社会的制裁が法律や慣習を超えている。たまたま一週間東京にいたので実感したが、あれだけ報道されればコメンテイターの遵法・正義のコメントにそういうものだ、と思う人も多いと思う。全く本質は違う恐ろしい世論誘導。モンゴル排斥。」

 

人々の外国人力士に対する排斥の気持ちはどうなのだろう?もし、あれが日馬富士ではなく稀勢の里だったら人々はどう反応したのだろうか?自分はそんな差別的な感情は持っていないと思っていても、人間の深層心理は微妙なもの。

 

そもそも「品格」なんて言葉が独り歩きし出したのは小錦が現れた頃からだろうか。それまではそういう言葉はほとんど聞かれることはなかった。外国人力士が次々出てきて、相撲の強さでは文句をつけられないから、なにかにつけ「品格」でケチをつけているようにも見える。

 

たとえば朝青龍がいたころは朝青龍が悪者で白鵬は品行が良く立派と言われていたのに、朝青龍がいなくなったら今度は白鵬が品行が良くないと言われだしてバッシングを受けるようになった。白鵬は一人横綱で大変な時期もあったのに、世間からバッシングをうけて一時「やってられない」みたいな感じでやる気をなくしていた時期もあった。しかし今年11月場所で前人未到の優勝40回を達成した。大したものだ。

 

こんなに大相撲に貢献しているのに、なぜそんなに外国人力士に対して厳しい人がいるのか?相撲は強ければ何人でもよいではないか。現在の大相撲の存続は事実上外国人力士たちでもっていると言っても過言ではない。彼らの大きな貢献に対して感謝もせず、強すぎて面白くないだの、品格がなってないだの文句をつけてばかりなのは良くない。大相撲は日本のものだから日本のあいまいなものも理不尽なものもすべて受け入れて合わせよと言われても、それは無理がある。そういうことではなく、外国人にも素直に受け入れることができる明確な行動基準があってしかるべきと思う。

 

サッカー界では半年前、スター選手メッシが、スペインの最高裁で脱税容疑で懲役21か月の有罪が確定。しかし執行猶予中で今もサッカーを続け、翌2018年も巨額の年俸で契約している。刑法上の有罪が確定すると選手が解雇になるスポーツが多いかもしれないが、サッカーのように気にしないスポーツもあるようだ。

 

日頃大相撲を見ない人たちにとっては日馬富士がいなくなろうと、大相撲がどうなろうとどうでもいいのだろうけど、今回の日馬富士の事件では日頃サッカーばかり見ていて、たいして大相撲を見ていないような人たちの方が日馬富士に対するバッシングの声が大きかったのは皮肉だ。