「米国の転勤」

 

サラリーマンに転勤はつきものというのが日本の相場だが、米国ではそうではない。会社の辞令一本でどこにでも行かされ、拒否できないような転勤は基本的に米国にはない。なぜなら会社と従業員は一人一人と具体的な雇用契約を結んで採用される制度になっているからだ。

 

雇用契約書には勤務地、年俸、ポジション名、職務の内容と権限の範囲、いつから勤務するかなどが記載されている。健康保険、401K(確定拠出年金)、企業年金、有給休暇などベネフィット関係の詳細は別添に書かれている。そして、雇う側、雇われる側の双方がサインして契約が成立する。継続勤務で昇進する時や昇給するときは正式な文書が届いて、また新たにサインするのが普通だ。

 

米国では人を採用したり解雇したりする権限は直属の上司、たとえば課長やそのまた上の部長にある。人を採用する時も一緒に働くことになる課長や部長及び同僚2人くらいと面接して決まる。重役面接などはない。米国の人事部(Human Resources以下HR)には採用や解雇の権限はないし、昇進、昇給、転勤を決める権限もない。HRは採用の事務的作業や従業員のベネフィット関連の管理や給与計算などをする所だ。

 

転勤するなら会社と新しい雇用契約を結ぶことになる。特定の人に転勤の狙いをつける場合ではなく、社内でオープン募集の場合は、転勤先にこんな空きポジションがあるが行きたい人はいるかとお知らせが従業員に来て、応募したい人がいれば応募する。社内で特定の人が打診される場合は、まず上司が対象の従業員に話をもっていく。たとえばこんな感じだ。

 

「やあ、マーク、今度わが社がダラスに支店を出すの知ってるだろう?社長は君をダラス支店長にと言っているんだけどどうかな?君の幅広いマーケティングの知識と実績が評価されているんだ。どうだい?興味ある?」

「え?僕がダラスに?支店長か!悪くないですねえ。でも妻は何というかなあ?条件にもよりますねえ?」

「じゃあ、HRにとりあえずおおまかなことを出すように言っておくよ。」

「あ、妻はニューヨークで不動産関係の企業に勤めていて課長のポジションなんですけど、御存じですよね?ダラスでもそれ相応の妻の勤務先の確保もアレンジしていただけますかね?」

「OK、HRにそれも条件に入れるよう言っとくよ。」

 

そんな感じで転勤話が進んで、年俸やポジションの詳細や権限、転勤費用の会社負担の範囲、転勤に伴って現在居住する家を売却する場合や新勤務地で住宅を購入する際の不動産手数料の会社負担の有無、妻に現在の勤務先と同程度の就職先を確保し提供することなど、具体的な詳細を徐々に詰めて行って最終的に転勤という新しい雇用契約を結ぶ。

 

条件が合わなければ転勤しなくてもよい。会社は他の人に話を持っていくか、ヘッドハンターを使って適任者を新たに探すだけだ。実際、転勤は会社にとって経費がとてもかかるし、やっかいなことだ。だから転勤させる人は最小限にして人が必要になったらそのポジションを現地で公募することが多い。

 

一定の規模以上の大きな会社は、会社のウェブサイトに採用情報を常に掲載していて、どこどこでこういうポジションを募集している。職務内容はこれこれで、要求される経験レベルはこれこれ、と書かれていてネット上で広く応募できるようになっている。HRは応募してきた人の中から良さそうな人を選んで、人材を探している部門の課長や部長にその人の履歴書を渡す。興味をもてば面接にすすむ。HRは面接をアレンジする。

 

海外転勤の場合は会社はもっとたいへんだ。米国人は米国から出たがらないのが普通だ。だからとても良い条件を提供しなければ誰も行く人があらわれない。海外転勤の場合はそれ専門の海外赴任コンサルタント業者というものがあり、自社のHRが適切に対応できない場合はそういうところに外注して、海外転勤をアレンジする。

 

たとえば、米国人でアトランタ郊外に在住する人を東京に転勤させる場合は、米国基準の広さとグレードを備えた住宅を会社が提供しなければならない。米国基準の4人家族向けの家の広さは250平米くらい。そのくらいの広さの外国人駐在員向けの一軒家を東京で賃貸すると月額家賃は百万円近くになる。子供がインターナショナルスクールに行く際の学費の負担や妻の勤務先の確保も条件次第だ。本来個人が負担すべき住居費や子供の学費を会社が負担する場合は給与認識されるので年収が膨れ上がる。

 

それで海外転勤は経費がとてもかかるので、会社は海外赴任にはできるだけ単身者を選ぶことが多い。単身者なら比較的狭い住宅でもよいし、家族への補償的な負担もない。米国には移民や2世3世がたくさんいてそういう人材を使うのも有効だ。たとえば中国に転勤させたいなら中国語ができ中国の文化背景も理解している中国系の人材を、ブラジルに転勤させたいならブラジル系の人材を送り出したりする。米国のことも現地のことも理解している人材は両国をつなぐ適任者だ。

 

コアな人を少数海外赴任させて、外国の現地で積極的に人材を採用する。そして外国現地法人や支店でのビジネスを任せる。トップ層のポジションにも現地の有能な人材をつける。結局はそうしないと米国から誰も好んで行ってくれる人はいないので、そうせざるをえないという事情もある。辞令一本で会社の都合で有無を言わせず海外転勤させるなんて無理だから。

 

海外転勤したらしたで米国人の駐在員はそれなりに大変で、その現地では結構ラグジュアリーな生活ができるかもしれないが、本国の元のポジションに戻ることは契約にもよるが一般的には保証されてない。たとえば海外勤務の雇用契約が3年と決まっているとしたら、そのあとはまた新たな雇用契約を結ぶことになる。

 

米国に戻りたいなら社内での空きポジションを自分で探さねばならない。HRは言わなければ何もしてくれない。だから帰国年には社内の人脈を使ってどこにどういう空きポジションがあるか公募になる前に情報をゲットして、めぼしをつけて行きたいところの上司で採用権限のある人に米国出張の際にでもさぐりをいれたりする。それでうまく面接まで行って気に入ってもらえば米国に戻れて、そのオフィスでそのポジションに就くことになる。そういう意味で、転勤とはいえ、同じ会社内でも転職での職探しを自分でするようなものだ。

 

米国では左遷や嫌がらせで転勤させるということはない。米国では解雇は簡単にできるので、さっさと解雇にしたらいいだけだから。従業員も転勤を断る自由があるのは良いが、そもそも解雇なんて転勤に関係なく、誰もが遭遇する可能性のあることで、たとえ優秀でも会社の諸事情で解雇になることはあるのだ。

 

日本は雇用慣行上、新卒一括採用で長期雇用が前提。真っ白で採用されて、会社の色に染まります、めったなことでは解雇されない代わりに、どこでどんな職務に就くかは会社にお任せ致します、従いますという感じだが、米国ではこんな風に全然違う。