第110回

「空気をよむより先をよめ!〜新時代を生きる〜」

平成もあと1年で終わろうとしている。新しい元号の時代になるのだ。昭和生まれの私なんて二元号も前の時代の人になる。ということは私が子供の頃に明治生まれの人に対して抱いていたイメージみたいになるということか?

昭和は遠くなる。それなのに日本社会の中はいまだに昭和の感覚があちこちに残っている。もちろん技術の移行より文化の移行は遅れてやってくるのが普通で、変わらず良いものもたくさんある。しかし社会の変化にともない人々の価値観や行動もある程度変わらざるを得ない。かたくなに昭和の感覚をひきずっていると、親とは30年か、それ以上も生きる時代がずれている子供や若者たちに良くない影響を与える可能性がある。

これから社会に出て行く若者たちは平成後の時代を生きていくわけだ。親の生きてきた時代とは違うのだから、必ずしも親や年配者の言うことが正しいとは限らないと疑いをもって、若者たちは自分の頭でしっかり考えて判断しないといけない。

まず、他人と同じことをしていて安心していてはだめだ。いつの世でもそうだが、人より先を行くと有利だ。たとえば数年前に話題になった「天皇の料理番」という実話をもとにしたドラマを覚えているだろうか?あれは主人公の秋山徳蔵がまだ明治末期に洋食という道に進んでフランスに行き本格的な料理修業という誰もやってないことをしたからこそ、大正時代で25才くらいの時に天皇の料理番に大抜擢されるという快挙を成し遂げたわけだ。これが寿司職人の道をめざしていたらそんなことは起こらなかっただろう。

昔は世界の情報を得ようとしても、テレビ、新聞、本、雑誌などしかなかったが、今の時代はインターネットで世界中から雑多な情報が得られる。社会がどういう方向に向かって行っているのかいち早く掴んで、それに合わせた方向へ進むのが有利だ。日本国内だけではなく世界を視野に入れることも大事だ。

いつも20年先のことを考えて、自分がどうなっていたいかまずイメージを浮かべる。そのためには10年後はどうなっていたいか、そして今は何をすべきか、具体的に実現可能な目標をもつ。もちろん生きている間にはいろいろあるから、後にどんどん方向修正をすればよい。それには選択肢をたくさん持つことが大事だ。選択肢をたくさん持つには自分に引き出しがたくさん必要だ。

たくさん引き出しをもつには、学校時代はしっかり勉強をして幅広い基礎知識を高め、いろんな活動に参加して経験するのが効果的だ。こんな勉強して何の役に立つのだろうと思うこともあるだろうけど、世の中に出たら何が役立つかわからない。文部科学省の学習指導要領は実はかなり良くできていて、教科書に書いてあることを一通りやるとそれなりの基礎学力・教養が身につく。音楽・美術・体育もしかり。それは私が社会に出てから、そして米国に来てからも日々感じていることだ。

学校教育も進学実績をあげるために一部の学校では私立文系の生徒には国語・英語・社会、私立理系の生徒には数学・英語・理科の3教科に特化して他の科目を捨てさせるようなことをしている所もあるときくが、もってのほかだ。浪人してからそうするのはやむを得ないと思うが、高校にいる頃はきちんと広範囲に勉強する方が後の人生で本人の為になると思う。

たとえば今、人気の統計学は数Vを高校でやってないと理解が難しい。数Vは高校で普通は理系の生徒しか取らない。数Vを取るには数Uをやっていることが前提だ。しかし、現在の高校では数Tしかやらない文系生徒も多いと聞く。それではだめだ。数Uはやらないと。統計学は数Vをやってなくても大学でなんとか勉強できるが、微分積分をやったことがないでは話にならない。

やったことがないことを、大人になって一から学ぶのはとてもたいへんだ。少しでもかじったことがあることは、比較的入りやすいのだ。たとえば、化学の知識も役に立つ。生活上、人はいろんなケミカルに遭遇する。掃除をしていてもそうだし、ましてや仕事で製造業にかかわることになったら、たとえ工場勤務にならなくてもそういう知識は有益だ。

昭和の時代、「なんでもいいから一つのことに打ち込んでその道のプロになれ」、「石の上にも3年」とよく言われたものだが、私は、それは必ずしもよいとは思わない。もちろん場合によるけれども、一つのことに打ち込まなくてもいい。引き出しはたくさんあるほうがよい。一旦始めたら簡単にやめるなはウソ。向いていないものはさっさと早めにやめるのが正解。得意なものとは、最初からそんなに努力しなくてもうまくできるものだ。しばらくやって同じく始めた他の人たちより優れてなかったらそれは長くやってもトップレベルに行く可能性は低い。あれこれやってみるのがいい。自分の得意なものを探す努力をすることが大事。

「言い訳するな」もウソ。自己弁護はたくさんして人を説得する訓練を子供のころからすべきと思う。「素直ないい子」もウソ。程度問題ではあるが、親の言うことや人の言うことをきいてばかりで自己主張しない子はサバイバル能力に疑問が残る。

今でもそうだが、平成後の日本は長期雇用を前提にした企業は確実に減っていく。解雇は悪ではないという人が増えてきた。10年後には解雇が簡単になり、労働市場の流動性が高く、空きポジションがあって転職がしやすい社会に移行している可能性も。そうすると企業は質の良い従業員を確保するために職場環境を良くせざるを得ないから、今よりもっと働きやすい社会になっているかもしれない。一つの会社にしがみつかねばならないようなことがなければ、嫌なら辞めてもっといい所へ移ればよいこと。

女性ももっと働きやすくなるだろう。今の就活ではライフ&ワークバランスがどうのこうのと言っている女子学生が結構いるようだが、両立なんてぐだぐだ考えなくていい。皆同じにしなくてよい。夫婦は育児休業を取っても取らなくてもよい。配偶者が家事や育児をしないならその分外注を使うお金を出してくれればいい。優先順位は人によって違う。家庭によってスタイルを選択すればよいこと。夫婦で選択肢をたくさん持つことが大事。

年収いくら以上の夫を見つけようと婚活で必死になるのもあまり意味はなく、実現可能性を考えるとリスキーなことにエネルギーを注ぐより、確実なことにエネルギーを注ぐ方が安心でよい。家庭の経済力は夫の年収だけで決まるものではない。あくまで夫婦合算年収だ。たとえば年収8百万円の夫だけの方働き家庭より、夫婦で5百万円ずつ稼いで夫婦合算で年収1千万円の家庭の方が豊かだ。これから大学を卒業して社会に出る若い人たちは男女とも30才ごろになったら年収5百万円は稼げるように目指してほしい。

特に娘をもつ親は、日本で今の時代は3組に1組が離婚しているという現実をよくわきまえてほしい。結婚は永久就職で安泰なんて幻想だ。離婚後、貧困まっしぐらになる女性にならないようにきちんと経済力をつけさせて、リスクヘッジしないといけない。

息子を持つ親は、結婚したら妻に家事育児を全部やってもらえるなんてありえない現実がすでにあるのだから、自分の時代とは違うことをわきまえるべきだ。妻に経済力があれば息子が失業しても一定程度は安心だ。焦らず次の仕事を探すこともできる。育児はともかく、これからは少なくとも掃除・洗濯などの家事は外注を使うことが当たり前の世の中になる。そういうことを受け入れる気持ちをもとう。

それから、何かを一生懸命に頑張るのは苦手という人もいる。それも一つの個性だから、それはそれでいいと思う。世の中で生きている人の全員が一生懸命だと息苦しい社会になると思う。みんな違ってみんないい。自分の個性は自分で掴んで育てよう。

社会の進み方がまだ遅いうちに、人と違うことをするのはたしかに勇気がいるかもしれない。しかし、人に何と思われるかいちいち気にしないことだ。そんなこと気にしていたら前に進めない。「空気をよむより、先をよめ!」それがキーワードだ。